第5話 葬滅の都(5)


 話は半日ほど前に、さかのぼる。

 都市ティミショアラ郊外──。


「なあ、メドゥサ……」

「んー?」


 帰省の時。西に向かってティミショアラの町を抜ければ、五日ほどでセニに到着する。

 カラヤンは、馬車へ向かおうとした妻の背を呼び止めた。


「実は、その……」


「隊長。失礼致します」

 馬車係ことルシアンがやってきて、敬礼する。


「先ほど、ダンジョン滞在中のスコールより、隊長親展の鳩が届きました。火急の印章つきです」


 火急。つまり急報だ。カラヤンはその場で開封する。


「……」

「カラヤン?」


「始まったらしい。ダンジョン前に展開していた中央軍兵二万五〇〇〇の最高指揮官二名が何者かに奪取された。幕僚に重軽傷者多数。野営地は大混乱だそうだ」


「最高指揮官が?」

「うん。……その上で、スコールが妙なことを言ってきた」

「妙?」


 カラヤンは口の端をひん曲げて、

「狼を見送った直後に、靴袋の紐が切れたんだよ」


「靴袋の紐?」

「防寒用のな」

 そう言って、カラヤンは足を上げ、軍靴と足首を包むように巻き付けた毛皮を見せる。


「しかし、それがどうしたというのだ?」

 メドゥサは怪訝なまま首をひねる。


「滅多に切れねぇもんが切れたから、嫌な予感がしてるんだろう」

「スコールの取り越し苦労ではないのか?」


「あの、隊長……卒爾そつじながら」ルシアンがつい使用人言葉で口を挿んできた。

「先ほど、わたしの靴袋の緒も切れました」


「お前も?」

 メドゥサ会頭が眉根をひそめる。


 まだルシアンは言いにくそうな表情を浮かべ、視線を下げた。

「いいえ。それが……ヴェルデやヴィヴァーチェも一斉に」


「なん、だとぉっ?」


 そこへ、シャラモン一家の馬車からギャーッと悲鳴が上がり、泣き声に変わった。

 とっさにルシアンが馬車へ走り、事情を訊いて戻ってきた。


「シャラモン、なんだって?」カラヤンが訊いた。


「末っ子のユミルでした。狼から借りてる望遠鏡のレンズが割れていたそうです。神父様は寒さで割れたのだろうと宥めておいででした」


「なんてこった……次から次へと」

「おーい。カラヤン」


 そこに今度は、〈ホヴォトニツェの金床〉の店主もやって来た。カラヤン隊帰還にあわせてオラデア支店を畳み、便乗という形でセニに里帰りすることになっていた。


「今、狼どうしてるか聞いてないか?」

「おぉい、金床。あんたもか」

「あん? どういうこった」店主は目をぱちくりさせる。

「そっちじゃ、どこが切れたんだ。靴紐か、パンツの紐か?」


「は? なんでそんな所が切れるんだよ」

「じゃあ、なんだよ」

「いや、タガネが折れたんだよ。お前の剣を拵えたときに使ってたヤツがな」

「だから、なんだ。不吉だって?」


 旅出発の目前で口にしたくなかったが、あしらうつもりで言った。

 なのに、店主は大真面目でうなずいた。


「そうだ。職人の道具が作業外で触れてもねぇのに壊れたんだ。火の神の先触れとしか思えねえだろ。この旅の出発は少し遅らせた方がいいかもだぜ」


「ば──」かばかしいと言いたかったが、その場の全員がカラヤンをじっと見つめてくる。


「ちぃっ。わかったよ。じゃあどうすりゃいいっ」

 なかば八つ当たり気味に吐き捨てた。


「狼に何かあるのかもしれません」ルシアンが一番に言った。「我々が情報収集に動いてまいります。三時間だけ偵察の発出許可をいただけませんでしょうか」


「うーん……仕方ねぇ。認める」

「はい。ありがとうございます。それでは早速」


 慇懃に会釈して、ルシアンはメドゥサの馬車へ戻った。すぐに他の子らが馬車から飛び出して、あっという間にどこかへと散っていった。


「そういえば、カラヤン。さっきは何を言いかけたのだ?」

 メドゥサが夫の曇った表情を覗きこむ。


「……うん。何を言おうとしたか忘れたな」

「嘘だな。正直に言え。私はカラヤン・ゼレズニーの妻だ。気兼ねなどいらんぞ」


 カラヤンは鼻から大きく白い息を吹き出して、女房を見た。


「メドゥサ。お前、その身重からだでもうひと働き、できるか?」

「ひと働きとは?」


「演習ではなく実戦場に立てるかと聞いてるつもりだ。もちろん、馬も鎧も防寒装備も揃えてな」


 メドゥサは驚かなかったが、夫の真意をただすため、あえて言葉にしなければならなかった。


「反乱に手を貸すのか?」


「最高指揮官二人──バトゥ都督補とアッペンフェルド将軍が連れ去られたことで、この町に残した中央都駐留軍五〇〇〇が、どう動くか見極めたい。ヤツらはこの都市でずっと謀叛する翡翠軍を監視していたはずだ。これが狼の合図なら、少しは手を貸してやろうと思ってな」


 メドゥサは夫を見つめたまま口許に微笑みを浮かべた。

「場合によっては、ニフリート本邸。行政庁。将校団地などの要衝を襲撃か?」


「あくまで可能性の問題だ。一〇年前。帝国時代に起きた政変も同じような流れだった。どこかで小競り合いがあって、そっちに目をやってる隙に市街戦。夜な夜な上級将校の自宅を回って一家諸共ってな。アレの再現をここでも見るのは忍びねえ」


 そう言って、妻にスコールから送られてきた伝文を渡した。


「最高指揮官二人奪取後に、狼とウルダが中央都に向かったらしい。目的は情報収集で中央都に潜伏中のティボルとグリシモンの救出だ。しかしスコールは、狼が都の中に入って、またぞろ単独行動で何か悪企みをやると見てるようだ。おれもその予感に乗ろうと思う」


「さっきの紐の話といい、狼どのに危機が迫っているのか?」


 カラヤンは無言でうなずいた。


「正直、やまびこ聞けども姿は見えずの大公だ。物の怪だったとしても、さほど驚かねぇよ。そこへ狼が突っこんでいく理由はどこにもないはずだ。ないはずなんだが……、あいつはオイゲン・ムトゥ殿に見込まれて、何か密約を交わしているらしい。おれの与り知らない役目を負わされていたのかもしれん」


「わかった。今後なにか策があるのなら、聞かせてくれ」

「うん。まず、カラヤン隊はこのままいったん町を出る。シャラモン一家と金床とな」


「そして、夜陰に紛れて反転、か?」

「ほう。さすがわが女房殿。戦の機微を心得ているな」


「亭主のお世辞はありがたく受け取っておこう。ニフリートを連れて翡翠荘へ行けばよいな」

「いや、そっちじゃない。将校団地だ」

「翡翠荘じゃない? なぜだ」

「ニフリートがいなくなれば、誰もがお前と同じことを思うからだよ」

「あっ」


 虚を突かれた妻に、カラヤンは神妙にうなずいた。


「翡翠荘の城壁は高いが敷地は狭いし、もともと籠城には向かない。逆に、将校団地は城壁こそ低いが、ニフリートに忠誠を誓う上級将校は大勢いるし、となりには二個大隊の兵舎がある。

 お前たちは、ニフリートおよび翡翠軍の幕僚と連繋し、兵七五〇〇をまとめてティミショアラから中央軍を追い出したのち、都市を掌握しろ。この場の判断は隊長代行のお前に一任する。帰り際の大仕事になるぞ」


「ふっ。承知した。わが亭主に武運長久を。必ず狼どのを連れ帰ってくれよ。カラヤン」

 カラヤンは妻を右腕で抱き寄せると、背中を二度ほど軽く叩いた。


「頼もしい女房をもらって、おれは誇りに思う」

「愛していると素直に言ってくれてもいいのだぞ」


「それを言うために必ず戻ってくる。愉しみにしておいてくれ」

 妻を引き離し、カラヤンはクレイブを手渡すと、馬に跨がった。


「ロイズっ」

 メドゥサはクレイブを小脇に手挟み、カラヤン隊2番隊隊長を呼んだ。


「カラヤンが敵中にある狼どのの与力に向かう。貴様は隊長に随行し、その補助をせよ。帰還までの間、2番隊は私の直属とするっ」


「はっ」

「諸君、傾注せよ。これよりカラヤン隊は臨時で私が指揮を執る。すみやかにティミショアラを発し、予定通りズレニャニンに駐留。そこで軍議を行う。それでは総員、騎乗せよっ」


 メドゥサがクレイブを振ると、人馬と馬車がゆっくりとティミショアラの城門を目指していった。


「まったく、戦をするにはいい女房をもらった。これで産まれてくるせがれがボンクラじゃなけりゃ、なお良しだ」

 カラヤンは表情を引き締めると、進軍とは逆方向──東に馬を鼻向けて腹を蹴った。


  §  §  §


 犬の鳴き声で、ニフリートは目を覚ました。

 さらに猫が二匹、ベッドに跳び乗って毛布を前脚でふみふみしてくるので、起きざるを得なかった。


「どうしたのじゃあ……お前たち。まだ夜ではないか」


 直後、人の気配がして窓を振り返る。朴訥ぼくとつそうな顔をした若者が窓の外から手を振る。


「おお、なんじゃ。ヴェルデか」


 窓を開けると刺すような冷気に身をすくめる。ニフリートが手を伸ばすまでもなく窓が閉まると、二人の若者が床に控えていた。一方の若者は、犬と猫にじゃれつかれていたが。


「お前たちは狼の配下の者達であったな」

「はい。夜分の参上つかまつりましたるご無礼、平にお許しください」


「うむ。許す。して、用向きはなんじゃ」


「都内に駐留しておる中央軍が、動きましてございます」

 ニフリートはとっさにガウンよりも先に、ウサギキネを手に取った。


「目標はここか?」


「はい。まず間違いございませぬ。それと執政庁、翡翠荘、上級将校団地ほか、都内の主要拠点の掌握を目論んでおるようでございます」


「うむ。相わかった。ワシはどこへいけばよいのじゃ」


「はい。上級将校団地へお移りくださいますよう、指揮官より指示を受けて参りました。あちらには城壁がございますし、兵舎ともほど近く、急場の防備にも即応できます」


「うむ。相わかった。それでお前たちの指揮官の名は」

「メドゥサ・ヤドカリニヤ」


 よく知った名前が出て、ニフリートの表情に親しみの安堵が浮かんだ。


「なんと。この状況、メドゥサが読んだのか? はげ……亭主はどうした」


「はい。中央都へ向かった狼の危急を察知し、単身救援に向かいましてございます」

「なんじゃと? 狼の危急……大公と直接対決でもする気かの」


「おひい様。恐れながら、大公陛下とはどのような方でございましょうか」

「知らぬぞ。顔を見たことはない」

「えっ?」


「声はすれども、玉座は常に空席じゃった。国家元首でありながら娘にも姿を見せぬ薄気味悪い我が父じゃ」


「……」


「そう落ち込むな。ワシを救ってくれたあの狼じゃ。逃げ帰ってきても温かく迎えてやれよ」

「それは……もとよりでございますが」


「配下のお前たちがそのような暗い顔をしてはならん。あの狼が私欲あって大公陛下に弓を引くはずがないのじゃ。信じよ」


「はっ。おひい様のお心遣いかたじけなく存じます」

「うむ。では、身支度をするゆえ、部屋の外で待て」


 そう言って、ニフリートは呼び鈴を鳴らした。その直後だった。

 部屋に入ってきた側仕え二名が、突然ニフリートに飛びかかってきた。


 とっさにヴェルデが前を庇い、組み手で襲撃者の腕をねじりあげ、床に圧し倒す。もう一人は馬車係にやすやすと拘束されていた。


「はっ、反乱に乗じ、おひい様をかどわかそうとは……恥を知れっ」


「はいはい。部屋に入ってからの初動と、先に反乱の言葉がでること自体、おひい様を裏切ってる証拠だよね。作戦本部にいい土産ができたよ。ありがとう」


 拘束から首筋を拳で打って、昏倒させた。


「馬車係」

「こっちは任せてくれ。ヴェルデはおひい様とまともな側仕えを捜して支度を急がせて。おれはおみやげを作戦本部に送ってから、ヴィヴァーチェと連絡を取る」


「了解」

「ならぬ」ニフリートがきっぱりと言った。


「このような時は団体行動がよいのじゃ。分業は後でもよい。身支度などどうせ戦闘服じゃ。わし一人でも支度できるゆえ、しばし待て。あーっ、あと……この者どもも連れて行きたいのじゃ、よいであろう?」


 遠慮がちにニフリートが横一列に並んで座る犬猫を見る。


「馬車係、こっちはおれに任せてくれ。彼らは忠勤だ」ヴェルデが言った。

「わかった。それじゃあ、なんか大きな袋にでも入れて、おひい様に持っててもらおうか。

 ──おひい様、お急ぎを」


「うむ。承知したのじゃ」


 それから十五分ほどして、邸宅に中央軍が門扉を強行突破して侵入。玄関先で小競り合いが始まった。その一方で、廊下を複数人の足音がバタバタと寝室に駆け寄った。中央軍ではない。

 ドアは内側から施錠したので、体当たりでドアを破ってきた。


「……おいっ、龍公主様のお姿がないぞっ!」

「ここは四階だ。外に出られるはずもない。他の部屋を捜せ!」


 廊下から足音が立ち去ると、クローゼットの中から三人がそっと顔を出した。


「なんということじゃ。長年ティミショアラのために忠義を捧げてきた者達ばかりじゃったぞ」

「それを言うなら公国のために、でしょうね。軍閥が政治に首を突っこむと、こんなものでございますよ。さあ、参りましょう」


 三人は、窓から〝飛燕〟を放って、闇空に飛んだ。

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