第13話 空が明日を分かつとも(13)
その夜、雪が降った。
ゴブリンも一応、生物だから寒いらしい。見張りが洞窟の入口から引っ込んだまま出てこない。
ほの明るい夜の下、俺は、滝壺の上にダムを造る。
滝の上流。流れが緩やかな岸側から左右に氷の壁・堰Aの側壁を造る。高さは七メートルほど。まだ流れは塞がない。
そして、滝壺手前。ここにも岸側から左右の壁ダムBの側壁を造る。高さは十五メートルほど。
前世界では、ダムは十五メートル以上のものを言い、それ未満は
ダムBの側壁ができてから堰Aの水流を堰き止める。流れの勢いはライン下りができそうなくらいだから、割と速い。高さ七メートルの壁の前に水がみるみる溜まっていく。
堰Aが流れを止めている間にダムBを氷壁で完全に塞ぎ、厚さを補強しながらさらに氷壁を上へ伸ばす。
山の天辺の高さ──目測で三〇メートルにまでなったら、横の山肌から【風】マナをぶつけて雪崩を起こし、氷壁内を大量の雪で補強する。
そこから【風】マナで雪を掻き削り、上流からの流れを受け止めるように弧を描いたU壁に整形した。
「狼。あれ、どこまで貯めるんだ?」
山の上。となりでゼラルドが訊いてくる。
「すぅううう……げ、限界ギリギリまででです」
焚き火に手をかざしながら、俺は
「限界って……あれ、町の大聖堂くらいあるぞ」
冒険者らが氷の壁を見上げる。いや、そんなにないから。
俺が建てたダムBの壁高は約三〇メートル。一〇階建てマンションの屋上くらい。底幅は谷幅めいっぱいの約八〇メートル。天幅は約一三〇メートルくらいか。扇状である。
天然ダムの素材が氷と雪なので土石と比較しても耐久性が劣るのは承知の上だ。元もと壊すためのダムだ。そこに問題はない。が──、
「実は問題が一つ、ありまして」
「なっ。ここまできて問題だって? ……な、なんだよ」
「俺の魔法は詠唱魔法ではないので、氷すらマガイ物なのです。天然の氷よりも
「それ、ダメじゃん!」
ゼラルドが悲鳴じみた声をあげた。
言ってるそばから堰Aが自然決壊した。ヴィヴァーチェが愉しそうに歓声をあげる。ていうか、なんで来たの、あの子。
(どうせ、ヒマだったんだろうなあ……)
「狼っ。本当にいけるのかよ、これっ」
さすがにゼラルドも気が気でない。そりゃそうだ。人智を越えた数のゴブリンに対して、人智を越えた作戦だからな。冒険者の
「氷の厚さはあれの倍にして、水圧がかかる箇所にも雪を厚めにしてあります。どのタイミングで壊れるかは神のみぞ知る、ですね」
まったくニワカ魔法使いはこれだから土壇場でメッキが剥がれるんだ。俺は焚き火に雪をかけた。
「でも、そこからが本番なんですけどね」
「はっ、本番?」
「いえ。一旦ここを離れましょう。皆さんにも手伝ってもらいたい作業があります」
馬三頭と四頭立て馬車一台は、ヴェッラの村からまたジェノアの方へ戻る。
「作業って何だ? 先に言っておいてくれ」
走る馬車に併走しながらゼラルドが訊いてくる。
「廃屋の撤去作業です。ノバラ~イブレア間での強盗事件。聞いていますか」
「ああ。売れそうなもんは、馬まで持っていくって根こそぎ強盗だろ……そうか。売る物じゃない、食える物かっ!?」
「はい。ヴィヴァーチェが気づいたのです」
「うぇーい!」
助手席から意味不明なテンションで赤髪の怪男児がやったぜ的な奇声をあげる。
「くそっ。魔物だから当たり前かもしれんが、節操がないな」
「それだけ飢えて、生きることに必死なのでしょう。だから俺たちもゴブリンごときと思わず、必死にならなきゃ負けます」
「ああ、そうだな」
しかも今は夜だ。時の利は向こうにある。
小一時間ほどして、あの朽ちた廃屋が並ぶあの場所が見えてきた。
とたん、うなじが逆立った。
廃屋からかなり離れたところに馬車を停める。武器は馬車に積んでこなかった。戦斧は細かい取り回しが苦手だ。密集白兵戦には向かない。剣は振り上げるわずかな時間を大量のゴブリンが待ってくれるとは思えない。
「狼、オレも手伝うぞ」
ヴィヴァーチェも気づいたらしい。
「服汚したら、お母さんに怒られないか」
「ぬぅ……怒られたら、一緒に謝ってくれよぉ」
情けない声を出すので、俺は思わず笑った。止めても無駄なようだ。
「よし。それなら、ヴィヴァーチェは左の廃屋をゴブリンをぶつけてぶっ壊せ。俺は右の廃屋をゴブリンで壊す。どっちが先にゴブリンだけで壊せるか競争だ」
「おお、それいいなぁ! うっひゃひゃひゃっ!」
俺たちは馬車を降りた。
「狼っ、どうした!?」
「敵の別働です。この先の廃屋周辺。相当数います。ゼラルドさんはここで馬を護ってください。弓ができる人は、遠巻きに援護射撃をお願いします。なるべく火を焚かないように。飢えたゴブリンの的にされます」
俺はヴィヴァーチェの背中を叩き、【土】マナを付与する。
今夜はたった二人の夜間白兵戦だ。せめて鎧は着ておかないとな。
──よーい、どん!
「うおぉおおおおおっ!!」
戦場は命を摘み取るゲーム盤だと、誰かが言った。
死力を尽くせ。感情を黙らせろ。人間性を殺せ。祈る神などここにはいない。
すべては、おのれの力だけで生き残れ。それのみが、勝者。
多勢無勢がなんだ。相手の数なんて考えない。
立ちふさがる
暴食が数で勝るか、人外の剛力が信念で勝るか──、勝負っ!
ゴブリンの小さく醜い
今夜は長い夜になりそうだ。
§ § §
どれだけの時間が経ったか、わからない。
夜はまだまだ闇の濃さを
ここまで全身を使ったのは久しぶりだ。息が切れた。
静寂の一部に戻った廃屋は結局、左右ともに崩れなかった。
そして、両方の家の床下からゴブリンの巣穴が見つかった。
やや傾斜のあるタテ穴。
こっちは
家屋が揺れたが崩れなかったのでヨシとする。
「お前ら二人、バケモンかよ……」
松明を掲げた冒険者らにドン引きされた。
あかりを近づけられ、俺とヴィヴァーチェは初めてお互いを見た。全身トマト祭。背面だけきれいなのも同じ。指を差して笑いあってから、仲良くくしゃみをした。
「よぉしっ。帰るかぁ!」
ご機嫌最高潮のヴィヴァーチェ。
ゼラルドたち冒険者は酸鼻きわまった顔でため息をついた。
「何言ってるんだ。城門の門限はとっくに過ぎてるぜ。このまま野宿だよ。ここの廃屋なんかで夜明かしなんてまっぴらごめんだがな」
そこへ暗闇の向こうから
「今ごろ、警備隊のおでましか」
俺とヴィヴァーチェは比較的風が通らないところに腰掛けた。はやくも血が乾きはじめて気持ち悪い。これでまた一枚、着替えがなくなったかもしれん。
「おい、貴様ら。そこで何をしているっ!」
事情を把握できないお偉方のセリフは、どこの世界も同じらしい。
「ゴブリンに襲われました」
俺はいけしゃあしゃあと言う。実に正直だ。一部の疑念も差しはさむ余地がない。
「なんだと、ゴブリンだと……うわぁああっ」
警備隊長の情けない悲鳴にヴィヴァーチェが爆笑した。俺も吹きだした。
俺たちの座っている路の左右の家壁が真っ赤な肉の漆喰で塗り固められていた。所どころに小鬼の部位そのままも貼り付いている。手とか足とか、顔とか。
文字通りのスプラッターハウス。そりゃあ夜に見れば誰でも腰を抜かすわ。
「な、何が起きた……どうしたのだっ?」
「なあ、ヴィヴァーチェ。俺、今ゴブリンに襲われたって言ったよな?」
「うぃ、うぃ」
それからその警備隊長ドゥシターノ(仮名)は、部下に指示を出して現場検証を始めた。
なんで見通しの利かない夜に被害者から事情聴取するでもなく、周辺を見回り始めたのか、俺にはわからない。
(もしかして、俺たちのトマト祭の姿にビビってるのか……?)
その時だった。
──ドォン……。
北から小さな破壊音が月のない夜空を突いた。
警備隊でその音を気にしたのは、隊員一人だけだ。ドゥシターノは、廃屋で金貨でも探しているのだろう。
「なあ、もう帰っていいかぁ? 風邪ひきそうだぁ。ゴブリンの返り血だから病気になりそうだぁ!」
ヴィヴァーチェが両手を挙げて不平を言った。それを見かねた若い隊員が近づいてきた。あの破壊音に気づいた隊員だ。
「貴様らは、旅人だな。連れは他にいるのか」
「ジェノアの宿に泊まってるぞぉ」
「それなら宿まで送ろう。我々もジェノアなんだ。名前と本籍、逗留先を教えてくれないか」うまい話の流れで身元を聞き出してくる。
「本籍って?」ヴィヴァーチェが怪訝そうに訊ねる。
「旅を一番最初に出発した町だ」
「リエカだぞ。宿はアルベルゴ・カナーレ。あと名前はヴィヴァーチェ」
迷子の子供みたいだな。隊員が俺を見る。
「貴様は」
「同じです。名前は狼。本名です。ヤドカリニヤ商会に所属しています」
「ヤドカリニヤ……ああ、あの石けんの。こっちには商用で?」
商会の知名度が徐々に広がっているのは良いことだ。
「いいえ。マンガリッツァ家の奥様が旅行をされるので、世話役としてです。今日はその下見にヴェッラの村まで行った帰りです。馬車はジェノアで借りた物なので、冒険者の方々に守っていただきました」
「ふむ……わかった。上司に引き上げを頼んでくるよ。少し待っててくれ」
有能で親切な人だ。だが一度疑われるとしつこいタイプだろう。
若い隊員が離れると、ヴィヴァーチェは俺をしげしげと見つめてきた。
「どした?」
「狼、よくあんな作り話、すらすら出てくるよなぁ」
「作ってない。ちょっとはいじったけど、ほとんど事実だろ?」
「いやぁ。狼といると、いろいろベンキョーになるなぁ」
「俺なんかで勉強したって、いい大人にはなれないよ」
ヴィヴァーチェの肩に手を置いて、俺はよっこらしょと立ち上がった。
「狼……どこ行くんだぁ?」
「ヴェッラ。大事な忘れ物をしたのを思い出したんだ。これからちょっと取りに行ってくる。帰りは夜明けになると思う。馬車を町まで頼むよ」
俺は闇の向こうへ走り出した。
§ § §
ゴブリンは殲滅をもって、任務完了とする。
数時間で溜め込んだだけの水量では、一万ものゴブリンを溺死させるには足りない。そんな気がしてならない。
だから、最後のダメを押すことにした。
工程は前回と同じ。堰A→ダムBの順番で造って水を溜める。そして今度は洞窟の入口を氷壁で封じ、滝壺の空洞そのものをタンクCとして氷の器を造りだし、三段階に分けて水を溜める。
見張りのゴブリンが押し流された今なら、追撃のチャンスだ。
「 雲となりて風に
霧となりて森に
凍つく大気は 季節を閉ざし、生命を眠らす
その終の息吹もて すべてを
今ここにわが喚び声に応えよ そは慈愛と冷泉の僕なり 」
──〝
ざく
滝壺全体が凍りつき、厚い氷の壺ができた。
へたくそな呪文詠唱でも、なんとかなるもんだ。ここに溜まった水で地下空洞内のゴブリンは一掃できるはずだ。と、信じたかった。
「フゥ。……まさか、ここまで追ってくるとは思わなかったですよ──」
肩ごしに振り返ると、闇から憎悪に満ちみちた女の顔が浮かびあがった。
「──リマさん」
「あ、あたしは悪くないっ。お前が悪いんだ。あたし達は飢えてただけなんだ。お前が勝手に人を使っておいて、毒入りの食い物を造らせたりするからっ。
なのに、なんで、盗んでいったヤツらに、あたしだけが
一万のゴブリンより、目先の食事。わからないわけじゃない。
ただ目の前の女が、ひどく──ゴブリンに思えた。
俺は、リマを強く突き飛ばした。その拍子に砂利ですべって肩から倒れた。
腰に刺さってるナイフを抜く。飛びかかってきたらこれで刺す。
倒せるか。殺せるか。彼女は人だ。ゴブリンじゃないぞ?
リマは尻餅をついて泣いていた。そのまま四肢を使って後ずさると、やがて背を向けて逃げ出した。
「いん……が、応報……かな」
兵法にもある。戦場で勝ちすぎてはならない。退き際の節度を見極めよ、って。
たしかに欲をかいた。
〝ハドリアヌス海の魔女〟に俺を信じてもらいたかった。
あと一人なんだ。なのに、こんな……っ。
「ここまで……か。……あんまり……寒く、ないな」
俺はそっと目を閉じた。
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