第14話 空が明日を分かつとも(14)


「はーい。三つ数えるうちに目を開けないと、このナイフを狼の眉間にぶっ刺しまーす。いーち──」


 俺は目を開けるなり、降りてきた相手の手首を掴む。

 ナイフの切っ先が眉間の手前で止まった。


「ど、どうして、ここへ……っ。ていうか、まだ一だったよね?」


「質問を質問で返すけどさ。狼こそ、どうしてここで血まみれで寝てるわけ? まさかまた死ぬ気だったとかじゃあねーよな」


 スコールだった。瞳から人間性は散ってない。おふざけの冗談でやってるのに押しつけてくる力が笑えない。俺は必死で抵抗する。


「きゅ、休憩っ。休憩してました……っ」 


「へー。それじゃあ、今後のご予定は?」

「ここの洞窟の入口の氷壁にヒビを入れたら脱出する、つもりっ」

「ふーん。水が貯まった時、そこが一番先に割れるようになるわけだ」


「そ、そう……っ!」

「でもさ。それだと狼が出られないよな」

「さっきまでここにいた女性は逃げられたみたいだから」


「ん。逃げてねーよ。後ろで気を失ってる」


 ナイフに抗いながら脇に顔を傾けると、リマが大の字で伸びていた。暗闇の中を慌てて逃げようとして、氷壁に頭からぶつかって昏倒したのだろう。静かなわけだ。


「このナイフで刺された割には、オレに抵抗できてるから、もう快復はしてるんだ」


「あの、スコールさん……っ。なんか、めちゃくちゃ力強くなってません?」

「はあ? 誰の指図で、毎日バケモノ達と稽古してきたと思ってんの」


「た、確かに……っ」


「おかげで、もうその辺のチンピラと喧嘩もできないくらいなんだ。たまに力を持て余すんだ。全然足りない。なんとかしてくれない?」


「こんど、士官学校とか、どおっすか?」ううっ。本気でキツくなってきた。

「先生に反対された。エヴァーハルト家が今、どっちに介入するのもマズいって」


「な、なるほ、ど……っ」


 帝国につけば、現皇帝がイの一番に粛清したほど危険視された隠密家だ。歓迎はされまい。グラーデン侯爵につこうにも、スコールは彼の腹心将校を二名殺している。

 七城塞公国も、今やジリ貧だ。よそ者を歓迎しても使い捨て、信頼されるかは微妙だ。


「じゃあ、カラヤン隊しかないね」

「そうなんだよなあ。でもさ。あそこ、なんかヒマなんだよ」


 ドォン──。

 上で不吉な破壊音がした。二度目のせきAが決壊したらしい。今度は意外と耐えた。


 なんかヒマ、か。十五、六歳の若者にとっては、焦燥にかられる空虚感を持て余す年頃か。俺にもそんな時代がありました。


「ねっ、ねえ、スコールっ」

「ん?」

「もしかして、ここまで来る間にヴィヴァーチェに会った?」


 返事がない。ナイフの押しが少しだけ弱くなる。スコールの目に微かな怒り、いや嫉妬の炎がともった。


「あいつとゴブリン叩きで競争したんだってな。ここへ来る時、見たよ。あの廃屋の肉壁」

「なっ、なりゆきだよ」


「にしては、あいつ。血まみれ姿でめちゃくちゃ愉しそうに話すんだよ。狼と競争したぁってさ。エディナ様は半狂乱になってたけど」


 俺は内心で頭を抱えた。後でペアレントからの厳重抗議を覚悟する教師の気分だ。


「なあ、狼。オレやっぱ護衛に向いてねーよ。ちゃんとオレのこと使ってくれよっ」

「スコール。フレイヤのこと、好きなんだろ?」


 俺の視線をスコールは受け止めきれず、かわした。図星らしい。


「俺がきみに護衛を依頼した時、きみは家族をフレイヤを選んだ。あの時、俺はとっさにきみが守りに入ったと思った。だから俺はフレイヤを雇った。きみはその意味をまだ理解できてないみたいだ」


「意味?」

 俺はナイフの切っ先ごしに彼のかがやく瞳を見つめた。


「きみは、フレイヤの存在を知らず知らずのうちに自分の心の弱さの言い訳にしようとしているんじゃないのか」


「──っ!?」


「きみは、もっとフレイヤを信じるべきだ。そして彼女にもきみをもっと信じてもらうべきだ。遠く離れて、空がたがいの明日を分かったとしても、相手の存在を感じるほどにね」


 スコールが俺の上から転がり落ちるようにとなりに寝そべった。金属の音が氷の上を滑っていく。

 滝壺の空が黒から群青色に変わっていた。


「あのさ。ハティヤとは、結局その後……したの?」

「……どういうわけか、俺の心臓はいまだに動きださなくてね」

「あ……けどそれって」


「ハティヤはまだ、それでも良いと信じてる。だけどいろんな人達と出会って成長していけば、そのうち俺との関係に我慢ができなくなるはずだ。俺には彼女のすべてを受け止めてあげられる資格がないから」


「そんなもんかな」

「そんなもんさ。俺は魔改造人間バケモノだからね」


「ふっ、ふふ……っ」

「なに」

「いや。それが狼の弱さかな、って」

「えっ?」


 俺の弱さ。


「ハティヤなら言ってるぜ。『私を見損なうんじゃねーっ』てさ。知ってるか? あいつ、すげー誇り高いんだぜ?」

「知ってる。俺の……ご主人様だからな」

「考え方、犬かよ」


 どちらともなく笑い、上体を起こす。俺がスコールの肩を使って立ち上がり、彼の手を引き上げて立たせる。


「あの崖の上で待っててくれ。俺が合図したら、〝梟爪サヴァー〟の鉤爪ハーケンをこっちに飛ばして巻きあげてくれ……先に、リマさんかな」

 味方ではないが仕方ない。人命最優先。ここにそのまま置いてはいけない。


 了解。スコールは軽やかに飛翔する。 


 さあ、やるか。最後の仕上げだ。こん畜生め。

 俺は地下空洞をふさいだ氷壁に近づきながら肩を回す。拳に【土】きいろのマナが尾を引く。


「割らないように。壊さないように……っと」

 呪文のように口ずさみながら、俺は身構えた。


  §  §  §


 その日の朝。

 ジェノアの町が、突如として地下から噴出した下水によって冠水した。


 午前中。町のいたる所でおびただしい数のゴブリンの死体が流れ着き、城郭都市を阿鼻叫喚あびきょうかんの大パニックにおとしいれた。

 午後過ぎになって水こそ引いたが、栄華を誇る城塞都市に凄まじい悪臭が立ちこめた。

 

 夕方。

 俺とヴィヴァーチェは、宮殿から帰ったエディナ様に命じられ、床に正座させられた。


「確かにゴブリン退治に向かうとは聞いてたわ。でも、毒イモを使って野盗騒ぎを解決するとは聞いていなかったわよ。しかも最終的な解決の方法が白兵戦とはどういうことかしら!」


 俺とヴィヴァーチェがたおしたゴブリンは、いわば働き蟻だ。標的を見つけ集団で襲い、その獲物を巣へ運ぶ担当だ。


「それは、その。場のなりゆきと申しますか。剣や戦鎚メイスではゴブリンの数に押し切られる恐れもありましたので」


「この子は、素手での戦闘を禁止しているの。武器を持たせるより危険なのです」


 それは理解した。ゴブリンとは言え、あの数を一発のダメージを負わずに捌ききってしまうのもすごいが、常に一撃必殺。まさに喧嘩無双。ステゴロマシンガンだった。


「でも、オレ。愉しかったけどなぁ」

「そういう問題じゃありませんっ!」


 母親にぴしゃりと叱られて、さすがの太平楽のヴィヴァーチェもしょげた。


「いいこと? あなたはたださえ他の人より力が強いのっ。兄弟喧嘩以外はしてはならないと言ってあるでしょう。リエカならまだしも、旅先であなたを知らない警備隊が見たら、あらぬ疑いをかけて牢屋に入れてしまうかもしれないかしらっ」


「別に、ゴブリンなら誰も困らないからいいじゃんかぁ」

 うつむきながら口を尖らせる。

「ヴィヴァーチェ! 親に向かって、その口答えはなんなのかしら!」


 母の雷鳴に耳を伏せて首をすぼめながら、俺はおずおずと手を挙げた。


「あの、エディナ様。恐れながら……」

「なにかしらっ!?」

 お怒りモードのエディナ様の視線に、背中が強ばる。


「力を制御できないというのであれば、この際、ヴィヴァーチェをカラヤンに預けてみてはいかがでしょうか」

「なっ、なんですって?」


 エディナ様の眉間にタデジワが刻まれた。


「彼にはもっと身体制御の専門技術を学ばせるべきです。ですが並の指導者では人並み以上の力を持て余すヴィヴァーチェを理解できないでしょう。それなら、エディナ様と同じく、昔から彼を知っているカラヤンであれば、これ以上の適任者はいないものと愚考しますが」


 エディナ様はとっさに押し黙り、怒りが揺らいだ。


「それは……っ。でも、あの子は今、公国なのでしょう」


「はい。すぐにとは参りません。公国は今、国家存亡の窮地に立たされようとしています。ですので、この旅の終着リエカに戻りましたのち、俺が責任をもってヴィヴァーチェをカラヤンの元に送り届けたいと考えますが、いかがでしょうか」


「で、でも、この子は私の手許で──」


 もう怒りはなく、愛情の裏返し。末っ子が可愛くて、心配でならないのだ。

 俺はしみじみとゆっくり頷いて見せた。


「子を思う親の愛。お気持ちは重々お察し申し上げます。しかしながら、世に、可愛い子には旅をさせよ、との言葉もございます。彼も兄たちの下で多少なりとも分別を心得た年頃。

 ここは、あえて動乱の厳しい世間を見聞きさせ、自分の力をどう社会に活用すべきかを魂魄こんぱくに刻ませる機会を与えてやっていただけないでしょうか。

 もちろん。今も旅の途中でございますので、今すぐにご裁可されなくとも差し支えないと考えますが」


「っ……そう。そうね。考えておくわ」

「お聞き届けくださいまして、ありがとうございます」


 ふーぅ。よーし。嵐回避、成功。ヴィヴァーチェの怪力は、やっぱりエディナ様も内心で持て余していたらしい。

 カラヤンには負担かもしれないが、末弟だし、拒みはしないだろう。


 横を向いたら、赤髪が会心の笑みで親指を立てていた。こいつ……っ。


 ラルゴから差し出された水を一杯飲むと、エディナ様は長いため息をついて、冷静を取り直した。二人にイスへの着席を促す。


「先ほど、僭主シニョリアフランチェスコ・ディスコンティに謁見してきました。あなたが書いた報告書を褒めていたわよ」


「恐れ入ります」


「それで、午後。あなたの進言を聞き入れ──、冒険者ギルド〝新黒鴨亭〟館主を逮捕しました」


 俺は神妙に頷いた。


 ギルド長の数年にわたるゴブリンを放置した罪を、俺はエディナ様の威を借りて僭主に告発した。

 ゴブリンが町全体に汚損と悪臭の被害をもたらしたのは、衆知の事実。魔物の発生を未然に防止することを担保して業務鑑札を認められた冒険者ギルドが、その責任遂行を怠ったのであれば責任者である彼に保身の釈明は許されない。


「町に流れ着いたゴブリンの死骸は、午前中だけで三〇〇〇を超えたそうよ。重い罰は免れないかしら。その後のギルド鑑札は、ルイーズという女性に移譲されることも了承方向で検討に入るそうよ。後日、本人にその沙汰さたがあるでしょう」


「はい。お手数をおかけして申し訳ありません」


「それから、今回のゴブリン討伐に携わった冒険者三名にも褒賞が出ることも確定。これもあなたの進言通り、金貨二〇〇枚。満額了承されたわ」


「はい。重ねがさねのご配慮、ありがとうございます」


 エディナ様はじっと俺を見つめた。その姿勢のまま横に手を出す。そこへラルゴが金袋をのせた。

 その金袋を、お母さんは末っ子の手に乗せた。


「この町からゴブリンを退治したご褒美だそうよ。大事に使うのよ。いいわね」


「うおほほ~いっ!」

 目をキラッキラッさせて、赤髪の怪男児が口をOの字にする。


 報告書の褒賞者の中にヴィヴァーチェの名前も入れておいた。家の中では甘やかされてるだけで、褒められることは少なそうだったから。


「わんちゃん。この褒賞に、あなたの名前がないのはなぜかしら」

 ヴィヴァーチェが驚いた様子で俺を見る。


「俺は、自分の存在を表に出すわけにはいかないのです」

「理由が知りたいわね」有無を言わせない眼差し。


「俺が公式に表彰されて功績の噂が世間に広まると、その存在が〝混沌の魔女ディスコルディア〟の耳に入るのは困るからです」


 とたん〝ハドリアヌス海の魔女〟の目が刃物で裂いたほどに見開かれた。


「あの魔女は、俺が国を渡り歩いて自分の影を追ってくるのが、気に入らないようです。

 何よりあの魔女は、自分を差し置いて〝黄金の林檎会〟の三魔女を捜し当てて味方に付けようとしている俺に怒りを感じているようです」


 エディナ様は苦渋に強ばった眼差しで俺をまっすぐに見つめてきた。


「そう、そういうことだったの。あなた。ずっとわたくしに献身を見せてきたのは、〝ハドリアヌス海の魔女〟のためではなく、〝調和の魔女エイレーネ〟に近づくためかしら」

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