第23話 魔狼の王(22)


 寒いと思ったら、大雪が降り出したらしい。

 顔を洗ってサングラスをかけ、リビングに入るとフードマント姿の三人がドアの前で立っていた。

 フードマントと革靴は泥だらけ。顔も跳ねた泥で、ひどい有様だった。道なりに走ってきてできる泥の浴び方ではない。どうやら畑の中を突っ切ってきたらしい。


 それだけ急ぐ用件があるとすれば、一つだけだ。


「マクガイアっ」

「まあ、待ちな。カラヤン。用件はだいたい察しが付いてる。朝の挨拶はその汚ねぇ面を洗ってからだ。ドワーフってのは、きれい好きでな。話してる最中に、その面についてる泥の方が気になって話に集中できねぇ性分なんだよ。報告書か伝文メモはもってきてるか」


「ああ。ここに、狼の報告書と今後の作戦企画書がある」

「なら、お前さんたちが顔と手を洗って、そこに座ってコーヒーでも飲んでる間に、ひと通り目を通しておくとしよう」


 手を出すと、カラヤンはマントの下から革袋に入った書類を載せてきた。さほど厚くはないのに、なぜかずっしりとした見えないチカラを感じた。


「タオルは風呂場にぶら下がってるのを使ってくれ。最近は部屋干し続きで多少におうが、洗濯済みなのはそれしかねえ」


 マクガイアは袋に手をつっこんで、引き抜くと十数枚綴りの羊皮紙が二冊。ためらいなく作戦企画書からページをめくり始める。


「ウルダ、ルシアン。先に水を使わせてもらってこい」

「了解」


 作戦企画書は三分。報告書は七分で読み切った。

 考える時間は、十五分。


(狼め。マシューとの旗艦狩りで〝魔狼の王〟の生態をおおむね把握しただと。どんな頭のデキしてやがるんだ。その上で、オレ達に毒を食らわば皿まで食えってのか)


 狼がやったことは一見、マクガイアとやってることと、さほど変わらない。

 駆逐艦の個体数を減らし、旗艦を孤立させることだ。だがその深層は、アリやハチに代表される女系社会階層をもつ昆虫の弱点を突いた〝兵糧攻め〟をやっている。


 ただ個体数を減らすのではない。これから増えるであろう個体数も減らすのだ。

 しかも、こちらの戦力を一兵も減らさずに、だ。


 デーバの町で、食糧のニオイで釣って駆逐艦を全滅させた。その上で、それまで産卵環境にあった町の地下をこの一晩で冷やし、その環境を破壊した。


 そして、アルバ・ユリアの町では、旗艦が北へ取った進路を一時停止した意図を察知して旗艦の思惑を未然に潰した。これは狼も見事だが、即応したアルバ・ユリア領主が慧眼だった。


 結果。旗艦が駆逐艦を放った護衛艦を喰った。

 食糧調達の失敗による制裁粛清とも想起できる形で護衛をエネルギー源にしてしまった。


 旗艦が自分から個体数を減らしたのだ。生きるために。

 こんな報告は、前代未聞だった。マクガイアが宇宙で戦っていた時には一度だってそんな狂態行動は起きなかった。


 宇宙域では、駆逐艦の数が減って攻勢が弱まれば、「〝魔狼の王〟の個体数が尽きた」と推定。反撃に転じて旗艦を破壊してきた。

 だが不思議なことに旗艦を何度焼き払っても〝魔狼の王〟は根絶せず、追ってきた。

 時間が経てばまた現れて駆逐艦の襲撃に遭い、交戦になり、その攻勢が止めば、旗艦を潰す。その堂々巡り。


 宇宙生物と言いながら、誰も、相手を生物と見てなかった。これも徨魔バグの巣から無尽蔵に飛び出してくる徨魔の眷属という、記号的な見方をしてきたように思う。


 当時はまだ量子工学者を標榜していたマクガイア自身ですら、そうだった。

 徨魔の巣さえ滅ぼせれば、〝魔狼の王〟も滅びる。と。


 なのに、狼はごく基本的な、それこそジュニアハイスクールなみの生物観によって、自分たちの見方がいつの間にかズレていることを指摘した。

 敵も卵を産み、社会を作り、捕食のために動く生物だということを。

 だから、社会を構築しているシステムを破壊すれば、敵は自壊するのだと。


 なら、そのシステムとは何か。簡単だ。いや、単純構造と言っていいだろう。


 女王。兵隊。労働──社会階層における、完全身分制である。


 前回。狼は、マシューとともに女王を潰した。その結果が敵に何をもたらしたのかデーバの町で理解したのだろう。

 兵隊が労働に落とされ、別群の兵隊担当には二度と加われなかったのだ。つまり、兵隊は産卵する女王の役割を全うさせるためにのみ存在している。

 兵隊とは、女王固有の〝夫〟だ。〝魔狼の王〟の女系社会階層とは、多夫一妻制なのだ。


 この推測が的を射ていれば、産卵期前に旗艦が生産していた駆逐艦となるヒルの数がなくなっても、産卵期に入った旗艦は、自身の躯を割いて駆逐艦を捻出しない。代わりに護衛艦が躯を割いて駆逐艦を捻出し、調達に向かわせる。

 狼はこのシステムに気づいて、作戦を立てた。


【まず女王である旗艦に、巣を作らせる】


 その巣を防衛する護衛艦は四隻。その四隻の中から駆逐艦が捻出される数は、八隻から三二隻。この数予測は、アルバ・ユリアでの抗戦で見切ったのだろう。


 なぜなら女王にとって産卵環境を防衛する兵隊がすべていなくなるわけにはいかないからだ。防衛と調達の苦しい状況下で、護衛艦ギリギリの調整がおこなわれる。


 失敗すれば防衛の役目を担えなくなった護衛艦の一隻が用済みとなって旗艦に吸収される。次の調達を捻出する場合もやはり護衛艦からだろう。

 こうして、〝魔狼の王〟は、産卵期の中でジリ貧に陥る。産卵期における分業制。季節感のない宇宙で戦ってきたことでこのシステムに気づけなかったのは、後の祭り。痛恨というほかない。

 作戦企画書での狼が勝負をかける想定時間は、三日。その間に調達にやってくる駆逐艦をすべて巣に戻さなければ、女王である旗艦は、餓死する。

 だが狼は、そこでも安心しない。


 旗艦が最後に、自分の分身である〝王の卵〟を産むことを予見している。


 それが産卵期を過ぎた春先に孵化し、餓死した母体を貪って成長し、駆逐艦を産んで彼らが運んできた食糧を食べて仲間を増やし、再び社会形成する。

 これを破壊しなければ根絶=勝利は確定しないと。

 徹頭徹尾、アリやクモの生態を組み合わせた初歩知識からの仮説だ。なのに、ぐうの音も出なかった。

 さらに狼は、その先のこともすでに考えていた。


【マクガイア・アイザック・アシモフをアラム家家政長にするには、

 銅龍公主カプリル・アラム・ズメイ。

 銀龍公主セーレブロ・アルジンツァン・ズメイ。

 金龍公主エリダ・アウラール・ズメイ。

 以上の三名に公国の大罪を犯させ、かつティミショアラの危機を救う大功名を立てさせなければならないと愚考するものである】


 すなわち──、


【──〝魔狼の王〟の撃滅を三日。大公に伏せる必要がある】


 公国の大罪とは、大功名とは、何か。

 なぜ〝魔狼の王〟の死をほんの三日の間、伏せる必要があるのか。

 作戦企画書にも報告書にも詳細は語られていない。おそらくカラヤンに直接献策して、その場にいるマクガイア達に即決を求めて巻き込んで共犯者にするためだろう。


 危ない橋、みんなで渡れば恐くない。とでも言うのか。


 マクガイアの見立てでは、眼前に座るカラヤン・ゼレズニーは、どうせ命令違反になるのなら、金になるよりも話が面白くなることを好む豪傑タイプの人物のようだ。

 出世はできないが、周りから慕われるリーダー気質。歳を経るごとに無茶を言い出して、兵士を振り回す英雄タイプの将器だ。カルタゴの将軍ハンニバル・バルカがそうだった。


(狼は、オレが家政長になるためには、そこまでしなくちゃいけねぇと思ってる。きっと、バトゥの旦那に何か言われたのかもしれねぇ)


 それにしても、狼という男は、元いた世界でこんなことばかりやっていたのだろうか。


 危ない橋を才覚と運だけで渡りきって、相手に返せないほどの恩を売りつけ、別の局面の危ない橋を渡る時に、売りつけた相手の知識や人脈をハシゴにして渡りきる。それの繰り返し。

 しかもそこに相手に恩を受けたと感じさせない人望。

 そして、決して自分が表に出ない遠謀謙虚だ。


 自分が唯一信頼している人物を表看板にして、その人物が栄達するのを眺めて満足する。傍から見れば、自分の利益にならないことをして何の意味があるのかと問いたくなる。

 そうではない。相棒の栄達こそが自己利益なのだ。自己犠牲などではない。見返りもちゃんとボスからもらっている。ボスにとっては何でもない利権や人材を手に入れて、どんどん事業財産を拡大させていくのだ。


 マフィアで言えば、ラッキー・ルチアーノに対するフランク・コステロの関係だ。


 狼にとっての相棒にして表看板は、カラヤン・ゼレズニーなのだろう。

 カラヤンが暴走しない限り、あるいは狼が見限らない限り、世界はこの二人の進む道を許してしまう。そんな気がしてくる。


(まあいい。オレもコイツらを利用しなけりゃ、上には昇れねぇんだ)


 いや、そう腹に決めて頼る心理こそが、すでに二人の術中に嵌まっているのかもしれない。

 マクガイアは毒を呷るソクラテスの気分で、コーヒーをかぶりと飲んだ。

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