第21話 朝食がない
朝食がない。
幹部研修は初日から今日で五日目。炊事係は当番制にして回していたようだ。
今朝はウルダが幻惑術用の毒を散布したので、その当番班が全滅した。
みんな、横たわるほど重度ではないが、外から泥だらけのまま戻ってイスに座るのが精いっぱいという状態。押し黙ってじっと目を閉じている。
よって朝食を作る人間がいない。
こうなっては、俺とウルダで〝詫び
「メニューは任せる。できるだけ油っこい物にしてくれ」
というのが、カラヤンの指示だ。
早朝からヘビーな訓練をしているため、隊員は強い疲労から脂質を欲しているというわけだ。
だがそれは錯覚だ。
人間生理として、基本的に人体が脂質だけを欲しがることはないと言われている。タンパク質、糖質、脂質の三大栄養素はそれぞれ体内で異なるエネルギーとなるため、特定の栄養素を欲した場合は、偏食による栄養バランスの変調を疑うべきだ。
俺は貯蔵庫に回った。
タイル張りの寒い部屋。牛を一頭まるごと買い取ったらしい。天井から吊るさられた精肉はすでに約半分が消費。一方で、内臓は
ということは、カラヤン隊は短期慢性のミネラル欠乏、とりわけカリウム不足に陥っている。
「おっ、トリッパ発見。よしよし」
トリッパは、牛の第二胃袋のことで、焼肉でいう〝ハチノス〟のことだ。
鮮度が落ち始めているので茹でこぼしをするひと手間が必要だが、ハチノスはビタミンB群やストレス軽減効果のパントテン酸やカリウムなどを蓄える滋養部位でもある。
茹でこぼし後に、パースニップとセロリアックという香野菜と一緒に煮る。一時間。
当然そんな時間は、待ってられない。俺が。
なので【火】マナで鍋の蓋を押さえつけて、圧をかける。鍋が爆発しない程度に圧を調整できるのが魔法使いの腕の見せ所──いや違う、俺は魔法使いじゃない。
高圧二〇分で煮込み終了。香野菜を取りだし、刻みニンニク、卵黄、米、たっぷりの
〝チョルバ・デ・ブルタ(胃袋の煮込みスープ)〟である。
大ぶりの板をトレイ変わりに、皿を配膳する。
「イルマ
ウルダだけが嬉しそうに味の感想を言ってくれた。
他の男どもは無言で食って、おかわりをしに各自で皿を持って席を立ち、列を作る。腹が減って動けなかっただけなのではと疑いたくなる勢い。うまいって言えよ。
「再開は、ウルダ戦から始める」
テーブルの向かいに座ったカラヤンが皿を置いて命じた。
「やっぱり、あれではダメですか」
「うん。隊員達にウルダが自分たちの味方だと知らしめなきゃならん。毒はまあ、言ってみりゃあご愛敬だ」
もっともだと思った。元暗殺者に輪をかけて毒使いでは、いくら可愛い味方でも近寄りたくないだろう。
「わかりました。それで構いません」
「うん。あと、おれとの戦いでは、本気になれとは言わん。だがきっちりとお前の実力を見せろ」
もう何を言い訳しても無駄なのだろう。俺は皿の中で匙を止めた。
「わかりました。それなら、ギャラリーの輪を五セーカー離しておいてください。それくらいの距離あれば、避難しやすいでしょう」
「魔法は認めんぞ?」
「意図して使う気はありませんが、俺はマナで動いている死人ですからね。うっかり本気と一緒にマナが漏れ出るかもしれません」
「ふん……なるほどな」
「驚かないのですね」
「ん?」
「前から聞いてみたかったのですが、カラヤンさんはマナが見えているのですか?」
数秒の間があった。カラヤンはスープを掬って口に運ぶ時間で誤魔化そうとしているように見えた。
「……まあな」
その短い答えに、どれだけの葛藤があったのか、俺にはわからなかった。
「シャラモン神父はそのことを」
「知らないフリをしてくれてる。と思う。おれも周りで見えても知らないフリをしていた」
どちらともなく無言になる。ファミレスで彼女と別れ話をどちらから切り出すかで思いあぐねるような重苦しさがあった。
「すみません。この話は別の機会にします」
「おふくろからな」カラヤンは話を続ける気だった。「お前が深みに
俺は顔を振った。
「試合の後に話します。お互い無事なら」
「おい。訓練なんだ。実力は見せろといったが、手加減はしろよ」
会話はぎこちない笑顔で終わった。
ウルダが横で心配そうに俺を見る視線を感じる。が、返事はしてやれなかった。
エディナ様は手紙で、カラヤンに「止めてやれ」と単に伝えただけではないだろう。
俺が一体何を探ろうとしているのかを警戒しているに違いない。
ペルリカ先生からの〝徨魔〟考察やエディナ様の符牒で〝ケルヌンノス〟が植物性を持つ魔物であること。それらを知ってどうしようというのか。それが気になっているのだ。
実は、俺自身もまだ、よくわかっていない。
ただ、このまま進めば。アストライアに会おうとすれば、あの女が必ず邪魔しにやってくる。その時に俺は初めて、この異世界に連れてこられた理由の手がかりが掴めそうな予感がある。
自殺願望で、危険な道を進もうとしているのではない。はずだ。
俺はきっと、見たいんだと思う。
異世界までやって来て目標を成就させた連中が、その後、どうなっていくのかを。
俺は不幸にも、ご都合主義の神に気に入られて、ここにいるわけじゃないらしいから。
§ § §
副将戦再戦・ウルダ。
「〝
ウルダのキラキラした眼差しに抗いきれず、カラヤンが魔導具使用にオッケーを出したことで、俺が悲劇にみまわれた。
開始わずか一秒弱。十五メートルの距離からの弾丸キックが俺の腹を貫かんばかりにえぐった。
うちの子は、勝負事になると貪欲だ。
繰り返しになるが、ウルダは自分の欠点をスコール以上に、冷徹なまでに突き詰めて理解している。フィジカル面の弱さ。ポテンシャルの未熟。視野の未開。
ウルダは、それら欠点を魔導具によって補う術をすでに会得していた。
今さらだが、〝郭公〟は武器ではない。
原型はグラップルガンと呼ばれるワイヤー巻取り工具だ。宇宙域で船外作業をする作業員が離れた場所まで作業移動する時の道具であり、命綱にも使われる。
おそらくだが、飛来する宇宙ゴミから守るために銃型ではなく、小手型やバックラー型の盾形状になったその名残だと推測される。
ウルダは、その巻取り速度を利用して接近加速し、俺にドロップキックをかました。
時速は分からないが、俺の狼の眼でも認識しながら避けられない速度だ。
だから俺は、ふっとんだ。
その無重力状態から、突然地面に叩きつけられた。
そこから後のことは憶えていない。
試合がまたも中断し、場が騒然となった。
スコールがカラヤンに抗議に腰を上げたことも知らなかった。気を失ってて。
気を失ってる間〝BIOS〟のヤツが爆笑し続けた。うるせぇ。
医務室に使われている小部屋で、再起動した時、時間がわからなかった。
食堂を通ると一人ぽつんとウルダが座っていた。その周りに監視。向ける視線は「なんなの、この娘」状態。
「ウルダ……っ!」
俺が名前を呼ぶと、ウルダが胸に飛び込んできて泣き出した。うちの子も力の制御を持て余して、どうしていいのかわからなくなったのだろう。
身体より心より早く成長しすぎた才能たちは、なんだか可哀想だ。
副将戦再戦は、ドロー。無効ということらしかった。別に、いいけど。
ああ、この試合が勝ち抜き戦だったらなあ。大将戦やらずに町へ戻って紙の仕入れができたのになあ。もういっそ、この子を連れて逃げようかなあ。
「おお、気がついたか。早く来いっ」ダメでした。
大将はやる気だ。俺よりもむしろ、幹部たちが困惑していた。
「隊長っ。このまま続行でいいんですか。狼は相当ぶっ飛ばされましたよ!?」
「いいんだ。いいよな?」
部下に断定してから訊かないで欲しい。俺が肩をすくめると、幹部たちはあ然としていた。
格闘訓練場──という名の放牧場に戻る。
スコールが自分の〝
「スコールは、いい隊長になれそうですね」
「ああ。もうじきセニの小隊もここに制式編入させる。幹部将校にスコール達を入れるつもりだ」
「なるほど。それが目的だったのですね」
「まあな」
「ただ、スコールやラリサも含めて、カラヤン隊に慣れた彼らが、他国籍の軍隊に入ろうとするかどうか、ですね」
「うん、それだな」
「代案は」
「別に。お前が、カラヤン隊第7小隊の隊長になるだけだ。好きに使ってくれ」
「言いましたよね。俺は軍人ではなく、商人になりたいのですよ」
「ああ、聞いた。だから〈ヤドカリニヤ商会〉カラヤン隊第7小隊。別働だ。〝ケルヌンノス〟の調査とやらもそっちでな」
俺は思わずとなりを見た。
「いいんですか?」
「なら、おれに勝ったら、ってことにするか?」
うちの上司は、いじわるだ。
§ § §
本陣(大将)戦・カラヤン。
正直いって、この人の弱点がよく分からない。
三五歳。無毛頭(笑)。身長は一八〇センチで筋骨隆々。元帝国騎士、冒険者、盗賊を経て〈ヤドカリニヤ商会〉の傭兵。そして今は〝七城塞公国〟遊撃隊の中隊長だ。
ヒマになるのが嫌いで、釣りや読書はする。酒は飲むが呑まれることはない。部下の面倒見も良く、弱者への配慮も忘れない。ハゲと鬼瓦みたいな顔以外は非の打ち所がない豪傑だ。
唯一、頭が上がらないのは母親エディナ・マンガリッツァのみ。もちろん、この情報はこの場では何の意味もない。
剣技は、剣道初段程度の俺には、凄いとしか言い様がない。
要は、これはスポーツとして楽しめばいい。体育時間と同じだ。
ただ、軍隊は〝
勝負事はウルダほどうるさくはないが、明日から俺を見る目が変わるだろ。
「俺の実力……実力、か」
子供の頃、憶えたこと、学んだことは生きるために必要だと思った。
学校教育は一般社会ではちっとも役に立たなくて、知識どおりにやって失敗をすれば「学校で何を学んできたんだ」と面罵された。
先輩や仲間はいたけど、彼らの邪魔にならない存在になろうと思った。
俺という存在は記念写真にただ添えるだけ。それでよかったはずなのだ。
その思惑がバレた時、めちゃくちゃ怒られた。人を馬鹿にするなと。
それで今度は、実力を見せろといわれた。
実力って──、何だ。
ヴィヴァーチェが無数のゴブリンを倒す。ウルダが毒で周りの兵士を圧倒する。魔導具をうまく使って俺をぶっ飛ばした。それだって実力だろう。
なのに、周りから奇異に見られ、白眼視され、非難を浴びる。
嫌われるのがいやなら、俺は彼らの欲しがっている実力を見せなければならない。
最強をお望みですか?
使えないスキルで勝つことをお望みですか?
最弱の力で勝つことをお望みですか?
万能魔力で勝つことをお望みですか?
あなたたちは、俺が〝勇者〟であることをお望みですか?
「なあ、ウルダ。ヴィヴァーチェ」
「ん?」
俺の手を引いて前を歩く少女と若者が振り返る。
「カラヤンさんが俺に求める実力って、何だと思う?」
二人は顔を見合わせて──そんなに仲が良かったはずもないのに──、まるでつまらないジョークを聞いたみたいに肩をすくめた。
「がんばってる姿見せとけば、兄貴も満足するんじゃねーかなぁ」
「ばってんカラヤンしゃん。手ば抜いたらすぐに怒るっちゃもん」
「それじゃあ、二人にとって強さって何?」
二人は兄妹のように揃って首を傾げた。
「へこたれねーことじゃねぇ?」
「くよくよせんこったい」
折れず曲がらず、この子達は俺の前を歩いている。そして俺の手を引いてくれる。
「ああ、恥ずかしいセリフでお前たちを褒めたい。でも言葉が見つからないよ」
「なん、それ?」
「そりゃあ、あれだ。いい話でその場をまとめようとする時のヤツだぁ」
メタはやめろよ。ヴィヴァーチェ。せっかくの感動を台無しにすんな。
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