第3話 狼、コーヒー片手に世界を眺める (2)



  §  §  §


「だからよぉ。神父さん。あのガキは、うちの親を襲った暗殺者なんだよ。罪人だ。守衛庁に持って行けば、十年は牢獄生活だ。けど、オレ達ぁあの子を差し向けた連中の素性を知る義務があるんだよ。そこんとこ、わかっちゃあくれねぇかい」


 三男アンダンテはデカい声で弱りきった声を洩らす。

 シャラモン神父は冷静な面持ちで軽くため息をついた。


「何度も申し上げている通り。あなた方の大義には一定の理解はできます。ですが、幼い子供を拷問に架けるような非道には承服いたしかねます。あなた方にお返ししたところで、またあの子を責めたてるのでしょう?」


「それが我々の仕事です」


 二男モデラートが断言した。彼の言葉に紙をかざしたら、すっぱりと紙が切れてしまいそうだ。世紀の超絶イケメン討論対決。俺は地図を見るフリをして耳だけそちらに向ける。


 テーブルで醸造される沈黙の圧。そこにアンダンテがパンッと軽快に柏手を打って空気を変えた。


「よし、わかった。神父さんには教義として博愛慈愛がありなさるさ。だから、もう渡せとは言わねえよ。その代わり、あのガキを家から出しちゃあくれねえか。それでこの件はしまいだ。な?」


 シャラモン神父はゆるゆると顔を振った。


「アンダンテさん。それでは、困窮して私どもに救護を求めてきたあの子の哀願を払いのけろ、とおっしゃってるのと同義です」


「司祭殿。あなたは今、非常に面倒な厄介事を抱えておられるのです」

「ほう……」


 モデラートとシャラモン神父が互いに眼光の刃をぶつけて火花が散った。


「あなた方の家に偶然ソレが飛び込んできて、まだ二日。ソレがあなた方を利用できると考えても、信頼を寄せることはありません。ソレは殺人兵器なのです」


「ならば、私があの子の打算を、信頼にまで昇華して見せましょう」

「司祭殿。そういう問題ではないのですがね」


 モデラートは神経質そうに円サングラスを指で押し上げた。

 どうやら、七人目がいたのは俺の気のせいでもなさそうだった。


   §  §  §


「はいよ。おまち」


 ラーメン屋のノリでコーヒーを供されて、俺は待望の一杯を手に持った。

 カップに口先をつっこみ、ちろちろと舌を使って喉へ送り込む。悲しいかな人間の頃のように颯爽と飲めない。それでも、コーヒーはコーヒーだ。


「は~ぁ。この味と香り……仕事はかどりそぉ」


 そういえば、ツカサが犬にコーヒーは危険食品なんだとか言ってたな。コーヒーに含まれるカフェインが劇薬だとか。興奮による情緒不安定や不整脈を引き起こすらしい。


 だが俺は人間時代のコーヒーの記憶に抗えなかった。なぜなら、そこにコーヒーがあるからだ。でもこの分なら、玉ねぎニンニクも……いや、さすがにそっちは恐い。


 さて仕事だ。

 ざっと目を通した限り、羊皮紙は七六枚。二つ折りにされて六〇八ページ。その六割強が西のアウルス帝国のものだ。


 もうすぐ一〇年目に入る国境紛争に投入された兵力は、のべ七〇万。だがその間も対外交易は続けられていたようだ。


 主戦場となる東国境付近こそ封鎖されているが、四領半島をぐるっと西に廻ってジェノヴァ共和国経由で物資の輸出入は止めてないらしい。実に合利的だ。


 とすると、ジェノヴァ共和国はこの十年、ずっと儲けてきたんじゃないのか。……うん、やっぱり交易は黒字だ。


 アウルス帝国の特産は小麦とワイン。

 どちらも東方世界の生産シェアの七割が帝国産だ。それでわかった。


 帝国は、海に面した港が欲しい。一方、ネヴェーラ王国は、肥沃ひよくな小麦の穀倉地帯が欲しい。だから戦争になったのだ。


  §  §  §


 この報告によれば、カーロヴァック戦役の直前。アスワン帝国本国ではお世継ぎの養育を巡る王妃(嫁)と太后(姑)のいさかいが軍部に飛び火して内紛に発展しそうな兆しがある。

 だが焚きつけたのは軍部だと、俺の直感が言う。


 戦争の継続どころか、よくそんな情況で他国を攻める気になったもんだと思う。

 そんな御家事情だから、拠点奪取したところで宝の持ち腐れ。軍部内の各派閥が、嫁と姑のどちらにつくかで浮き足立つ。その後の拠点防衛や支配運用に手が回らなくなるのは目に見えている。なら帝王がしっかり舵取りすれば良いのだが、彼には咬みあわせて残った方を遇しようと考えている節がある。合理的だがカーロヴァック敗戦後ではリスクが大きい。


 その他の北方三国は、アウルス帝国がスロヴェキアという山岳国をとったことで、南北交易が停滞気味、しばらくは蚊帳かやの外か。


 それなら、あとは──


「ん……あれ。〝七城塞公国〟ジーベンビュルゲンに関する紙がない」


 二〇〇ロットぼったくられたかな。と思っていたら、後ろから声がかかった。


「おっ。いたいた」

 聞き覚えのある声に振り返ると、外からティボルが旅姿で入ってきた。手に羊皮紙を三枚ほどひらひらさせて。


「悪りぃな、狼。その中から〝七城塞公国〟の情報だけ借りてたわ」

「そうみたいだな。ちょうど今、探してたところだったよ」


「マジかよ。お前、もうそれ全部に目を通しちゃったの?」

「まだ、ざっとだよ」


 俺は羊皮紙を受け取る。ティボルは横の席に座った。


「なによ、これ。何飲んでんの?」

「コーヒー」

「へえ。こんな小さな町でも数寄者すきものはいるもんだねえ、っと。……なんかそれ、サラサラしてんな。マスター、オレにもちょうだい」


「……鎖国?」

 俺は渡された羊皮紙の文字に目を走らせつつ呟いていた。日本語で。


「なんだって?」

「あ、いや。〝七城塞公国〟は国境封鎖しているんだな。三〇年間も」


「ああ、みたいだな」

「交易の窓口は?」

「ある。〝七城塞公国〟の最西──ネヴェーラ王国の東端の、ここだ」


 ティボルが地図の、国と国の境界線に指先を置く。


「ティミショアラっていう城塞都市だ。アスワン軍が撤退したばっかだから、ちょっとギスギスしてるかもしれん、だが、まあ。なんとかなんだろ」

「なるほど」


「ただ、ここの石けんがあっちで売れるかどうかは、ちと微妙かもな」

「というと?」


 ティボルはカウンターに頬杖をついて、鼻息した。


「この町で聞き込みしてみたけどさ。どうもあそこは今、深刻な食い物不足らしい。こないだカーロヴァックでアスワンとやり合ったろ?

 あれでアスワン軍に味方っつーか、後方支援を押しつけられたばっかりに撤退に乗じて略奪同然に食糧を根こそぎ取られちまったらしくてな。

 こちらから持ち込んだ物は売れるが、仕入れられるほど向こうにめぼしいブツがないんだとよ」


 今ティミショアラに行っても仕入れる物がないのでは、儲けの糸が切れる。こっちにまで戻る移動経費は自腹を切ることになるわけか。


「ネヴェーラ王国方面の商人たちに手前勝手につけられた相場で、町の取引はあちこち振り回されっぱなしなんだとさ。

 そんなわけで、二〇〇ペニーもする石けんより、少しでも安い海魚の塩漬けでも持って行ったほうが喜ばれるかもなあ、ってわけだ」


 俺は何度もうなずいた。カラヤンと行商に立ち寄ったツァジンの町でもそうだった。

 カラヤンの指示で、ヤドカリニヤ商会が平時相場で塩を売ったので、町の人からずいぶん歓迎された。儲けは考えない方が無難かもしれない。


 会話の途切れに、ティボルの前にもコーヒーが供された。

 ティボルはうまいともまずいとも言わなかったが、コーヒーのCMに出られそうな穏やかな笑顔を作ったので、気に入ったようだ。


 俺はまた羊皮紙の文章に集中する。そして、またある単語が目にひっかかった。


「ダンジョンの発見……?」

「ああ、それな。それも三〇年くらい前だかの話らしいぞ。かなりデカい〝脈〟らしくてな。発見当時は冒険者の間で、かなり話題になったらしい。旦那(カラヤン)も元冒険者だから、噂くらい知ってるかもな」 


「同じ三〇年前なら、国境封鎖と関係があるのかな」

「ダンジョンの発見とか? ……さあな」


 そこへ、店にスコールがそっと入ってきた。


 昔なら「大変だあ」とか叫んですっ飛んできた少年が、今は慎重な足運びで俺の所にそっと歩み寄ってきた。成長していく少年を見るのは楽しい。


「狼。顔貸してくれ。ちょっとトラブった」


 急いでいる様子だ。俺は小さくうなずき、ティボルにも目顔で促す。カウンターに小銀貨を置くと、羊皮紙をひもで縛って小脇に抱える。三人で玄関を目指した。


「おーい、狼頭。どこへ行くのかねぇ」

 奥のテーブルからアンダンテが席を立って声をかけてきた。


「家に帰ります。ごきげんよう」

 俺はにべもなく会釈して、そそくさとドアを押し開けた。


「ダンテ。狼どのの後を追いかけろ」

 閉まりかけたドアの隙間からモデラートの声を聞いた気がして、俺たちは走り出した。

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