第54話 笑う魔女と惑う鬼女 後編
「狼っ!?」
駆け寄ってこようとするライカン・フェニアを、俺は手で制した。
「博士。こっちに来ちゃだめです。大丈夫。彼女は知り合いですから。博士は今大事な身体なんです。ここは俺に任せてください」
油断した。制止に伸ばした腕を斬られた。
皮一枚でも、痛覚がないわけじゃない。思わずその場を飛び
「ノエミ。きみは本気でこの窯を……?」
押さえた手の指間から血液があふれて、腕をつたう。
「へ~。バケモンの血の色は赤いんだ。意外だわぁ」
ニヤニヤと笑みを浮かべる女の目は正気を失っていた。
誰がここまで彼女を追い詰めた。俺か?
(身に覚えがありまくりだな。暴言で
店でノエミを見た時、ちっとも商売っ気を感じなかったからだ。それなのに店を起ち上げるのに苦労したと言う。その矛盾が借り物の虚勢に聞こえて癪に障った。
「狼っ、どうしたのじゃ。斬られたのかや!?」
「大丈夫です。腕はまだまだ動きますから」
心配するライカン・フェニアを安心させるため俺は気楽な口調で応じる。
とはいえ、防寒着の袖がなかったら骨まで達していたか。それとも手加減された。ノエミにはそれだけの技量があるのか。
だから最初の就職先に海賊を選んだのも説得力は、ある。
(それがなぜ、土器屋を次の転職先に選んだ……?)
「違うな」思わず口に出た。
次の転職先が、たまたま土器屋だったのだとしたら、どうだ。
それなら何が彼女を土器に執着させているのか。土器の焼き方すら知らないのに。
(理由は、亡き父親だろうな)
女海賊としてメドゥサ会頭と同じ船に乗船し、そしてメドゥサ会頭が船を下りた同時期に、彼女も船を下りた。
しかし、ここまで腕っ節があれば傭兵や冒険者になってもちょっとは名が知られていたのではないだろうか。
なのにその道に進まず、父親の土器屋を手伝いだした。という。
その後、「お前に商売は向いていない」と父親にいわれて、窯を壊された。現在は粘土屋と呼ばれながらも土をこねる日々。
うん。話を聞いた限りの原因は、ここだな。
最初、商売をやる気なんてなかった。でも父親が死んだことで商売をやる気になった。
なぜだろう。やる気になったのは「お前は商売に向いていない」と言われた反骨心からではなく、言った父親がいなくなってからだ。この彼女の行動原理に違和感が残る。
店を手伝っていたが、土器の焼き方を知らないままで父親の死後に店の跡を引き継いだ。土器の焼き方を知ってる職人も雇わず。穴の開いた窯を直すこともなく。
(まてよ。ノエミは、あの店を親子で切り盛りしてた? その父親がいなくなった。死んだとは言わなかったよな)
おかしい。だったらカルヴァツ工房長の話は最初から辻褄が合ってない。俺はずっと破綻した話を聞き流していたんだ。
『狼。ノエミを手なずけたんか』
『もしかして彼女、カルヴァツさんのご親戚ですか?』
『ん? まあ……いとこ半だ』
あの言葉だけがカルヴァツ工房長の本音だとしたら……。
「ノエミ。ちょっと訊いていいかな?」
「訊く必要ある? あんたもうすぐ死ぬんだよ」ですよねー。
「じゃあ、よくある言い回しで、冥土の土産がわりに教えてくれませんかね」
「メイドの土産? あんたが使用人のために持って帰れる話なんてないわよ。だってあんた、ここから帰れないもの」
ノエミは冷え切った地を蹴った。肉薄からの海賊刀を横一閃。
それを俺はスライディングで前に
(商才がないところも、戦闘力が高いのも、誰かさんにそっくりだ……っ!)
俺はスライディングを躱された直後に手を地面について、水たまりに横転離脱。クモのように四つん這いのまま反転して相手を睨みつけた。
後頭の毛を少し刈り取られて、地肌にみぞれが当たって冷たい。
「あははっ。狼らしく泥臭くなったじゃない。あんたが自前の窯もって炭焼きなんて人臭いこと全っ然似合わない。バケモノらしく泥にまみれて森にでも棲んでれば?」
「なんてことを言うのじゃっ。小娘っ!」
ライカン・フェニアが義憤にかられて叫ぶ。
「うるさいのよ、チビっ。ひっこんでないと叩っ斬るわよ」
「きみにとってその人は関係ないと言った。その窯は俺のだ。きみの相手は俺だろ」
「お互いかばい合ってんじゃないわよっ。
だから、いちいちカップル狩りみたいなセリフ吐くのやめろ。みっともない。
「ノエミ。きみに関する情報の中で、一つ聞き忘れたことがあった。教えてくれないか」
俺は相手の返事を待たずに言葉を継いだ。
「きみのお母さんは、きみが海賊から足を洗って土器屋をやってることに賛成していないのか?」
「そんなこと、教える義理もないでしょっ!?」
即答で声を尖らせてきた。手応えあり。俺は踏みこむ。
「もしかして、きみのお母さん。マルガリータとかって名前じゃないよな?」
ノエミの動きが止まった。当たりか。ロカルダの姉ちゃんなのか。
「コロスッ!」
なんですぐ殺してしまうん? 訊いただけじゃん。俺、悪くないよ。
鋭い唐竹割り。俺は身体を半身後ろに開いて
お互いに次の手を封じられて膠着する。
「うぐぐっ、ぐ、ぐぞ犬がぁ~っ!」
手を離したら最後、バッサリ斬られる。それを覚悟して、俺は言った。
「か、カルヴァツ工房長も人が悪いな。きみの店の前店主を、きみの父親だって言ったんだ。でも、そうじゃなかったんだな。きみの夫だったんだな」
「あのクソ爺も、ダンナと十五も離れてりゃあ、そう言いたくもなったんでしょうよっ」
おっ。認めたな。それなら後は簡単だ。
「だからマルガリータさんに、添い遂げられないって言われた?」
「……っ!?」
「それとも、海賊あがりが陸に揚がって土器屋なんて商売は向いてない。そんな無愛想じゃ客が寄りつきっこないっていわれた?」
「うぎぎっ……離せぇっ」お断りします。
「カルヴァツ工房長は、店の窯を壊したのは前店主である父親だって言った。けど実際は、マルガリータさんときみが揉めた時に壊れて、それを苦に前店主が──」
逃げたな。嫁と姑の
「うるさいっ! 黙れ。黙れ。もう黙れ!」
ノエミはしゃにむに身体を動かして、俺の拘束を解き、振り返りざま俺の横腹を蹴った。間合いを取るために突き飛ばしたかたちだ。
おそらく船から海へ敵を蹴り落とすクセがいまだに残っているのだと俺は察した。超痛いの、これ。
俺はぬかるみに投げ出されるが、すぐに体幹を起こして四肢で漆黒の地面を掴む。すぐに立って追撃の的になるのを警戒した。
「わたしは、弟とは違うっ。あの女の操り人形じゃないっ!」
それで、ちゃんと土器が焼ける一人前の器屋だって、あの〝
「ノエミ。やり方が間違ってるよ」
「うるさいっ。わかってるわよ。そんなのっ。でも、どうすりゃいいのかわかんないんだよっ」
身が焼けるような悔しさと、心から孤立した慟哭だった。
「誰にも教わらないで何かを創れるなら職人なんていらないじゃないか。でも、土のこね方だけは誰かから教わったんだろう? だからきみの粘土は今も売れてるんじゃないのか」
剣が水たまりに落ちた。
「う゛ぅううううぅ……う゛う゛ぅううううう……っ!?」
すすり泣き出した。闇の中、涙で充血した目で俺を睨んでくる。マジ怖ぇよ。
「もう気づけただろう? きみはやれば出来るんだ。ちゃんと教わって作れば、売り物を作ることができるんだよ」
「だから何っ。自信を持てって言うわけっ?」
「違うよ。やり方も教わらないうちから、自信なんて持てるわけないじゃないか」
「でも……っ」
「姉ちゃん……。そこにいるの?」
その声で俺は後ろを振り返った。
工房の入口でカンテラを掲げたロカルダとサルディナが立っていた。
「ロカ。あんた、なんでここにっ!?」
「母ちゃんがリエカから帰ってきたよ。姉ちゃんのこと呼んでる。探してこいって」
「会いたくないっ」
「姉ちゃん……うわっ、これなんの臭い? げほっ。狼さん、何焼いてるんですかっ?」
「博士っ!?」
声をかけつつ、俺は窯の煙突へ走った。
「狼。石炭の
「了解です。──ノエミ。ロカルダたちと一緒に帰ってくれ。俺たちは重要な作業で忙しくなる。まだ話すことがあるんなら、明日必ず聞くからっ」
返事はなかった。俺もそれっきりケガのこともノエミの事情も忘れて、作業に没頭した。
§ § §
西暦一九三五年。アメリカ合衆国で、ある発明が産声をあげた。
発明者の名前は、ウォーレン・ヒューム・カロザース。軍需産業の一端を担う化学メーカーで有機化学部門の研究リーダーだった。
彼が発明したのは、ポリアミド合成樹脂の一つとなる合成繊維〝ナイロン〟だ。
当時は「石炭と水と空気から作られ、鋼鉄よりも強く、クモの糸よりも細い」と謳った販売フレーズが全米を席巻した。
この発明は科学世界で画期的なことであり、偉業と称されるべき成果だった。
ナイロン──正確には〝ナイロン6,6〟は、具体的にはアジピン酸とヘキサメチレンジアミンの重合体(ポリマー)で、世界で初めて繊維素材として耐えうるものだった。
重合とは、このポリマーを作る時に使われる化学反応呼称で、一種類またはそれ以上の分子が結合し、より大きな分子量を持った化合物に変わることだ。
ライカン・フェニアのナイロン重合の過程をざっくり説明すれば、俺が〝厚焼きシフォンパンケーキ〟にも使った酒石酸と石炭乾留から取り出したベンゼン等で、この世界に転生させた。
「一度に大量は作れんぞい。アジポニトリルを経由した時、毒ガスを危うく吸いそうになって死にかけたのじゃ」
そうブラックジョークをかまして笑うライカン・フェニアは達成感で昂揚していた。
ちなみに、吸いかけたという毒ガスは、アジ化水素ガスと思われ、
俺はできたそのナイロン繊維で手袋を織るつもりだった。だがその行程を彼女に説明するのを忘れていた。ライカン・フェニアはすでに自分の手型を作って銅で鋳造し、そこにナイロン膜を付着させてあっさりナイロン製の白い手袋を作ってしまった。
敬意をもって驚嘆した俺だったが、ライカン・フェニアは不満らしく、
「アジピン酸の代わりに同じカルボン酸属の酒石酸では、やはり材質が弱いかのう」
試しに、カラヤンを呼んでナイロン糸で釣りをさせてみた。
「おい、ライカン・フェニア。この細さじゃあ、小アジがせいぜいだぞ」
「まあ、物は試しじゃ。おぬしの腕より、冬の海に期待しておるでの」
数時間後。釣果はイカ三杯で、糸は切れなかった。
カラヤンはすっかりこの糸を気に入ってしまったが、ライカン・フェニアは使用を認めなかった。
「海に還らぬ糸でな。切れてカモメやウミガメが足を引っかけたら可哀想なのじゃ」
ライカン・フェニアはやはり、俺がいた世界から近い場所にいた人。環境に配慮する科学の魔女だった。
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