第13話 婀娜(あだ)めく龍となるために(13)


郭公ククーロ〟が進む先へ次々と鉤爪ハーケンを立てていく。


 この辺りは巨大な〝島〟よりも、中小の〝島〟が微小惑星帯アステロイドベルトとなって浮遊している。


 ウルダは前回のような〝島〟には上陸せず、前方の左右に撃ち込んでは高速で巻き取り、すぐに鉤爪を外す。いわゆる慣性飛行で〝島〟の間を突破していった。


 それはまるで鬱蒼うっそうとしげる樹々をかいくぐって森を飛び渡る郭公かっこうように颯爽と亜空間をけていく。

 

「〝郭公〟、直ったんだ」


 俺が声をかけると、ウルダは少し悔しそうに顔をしかめた。


「狼しゃん、やっぱり気づいとったとね」


 俺は突然の〝旅団ロマなまり〟に少し驚く。


「なんとなくね。……そっか。あの後、スコール達の所へ戻ったんだ」

「そげなことまで、わかっとーと?」


 ウルダは面目なさそうに前を見つめる。対向直進してきた〝島〟に、ザイルを左右に振るだけで苦もなくかわす。

 彼女の持てる技術も見違えるほど息を吹き返していた。


「スコールは魔導具の修理をシャラモン神父から伝授されたからね。君の場合、アンダンテさんに渡されただけなんだろ? あの人、興味ないことは大雑把だから」

「うん……ごめんなさい」


「えっと。その謝罪は、なんについてなのかな?」本当に心当たりがなかった。

「魔導具の故障……黙っちょったけん」


「あー。ううん。いいよ。ちょっと危なかったけど、俺もあのタイミングでウルダと別れたこと、後悔してたから」


 ウルダの機動力を信頼してなかったわけじゃない。でも、お互いをつなぐヒモが切れて、あの場面でウルダをリカバーするには、どうしても別れる必要があった。

 それでもウルダは十代の少女だ。スコールとハティヤの一個下。急に俺がなんの相談もなく突き離したので、恐かったに違いない。


「俺の方こそ、ごめん。もっと言葉を尽くせばよかった」

「怒っとらん?」

「怒る? むしろ俺の方が君に怒られてないか、びくびくしてたよ」


 ウルダは顔を紅潮させて、一瞬涙ぐむ。

 それからぐっと唇をへの字に引き結んでから、間近にある俺を見た。


「ウチ。今度こそ、狼しゃん守るけんね」

「うん。俺も、ウルダのこと、急に離れたりしないから」


 ウルダは目をハッとさせて、顔を紅潮させた。

 えっと。その眩しい眼差しはなんでございますか。既視感があるのですが……。


「狼っ。後ろから来ておるぞっ!」


 大背嚢からライカン・フェニアが叫ぶ。

 振り返ると、〝徨魔おかわり〟がきた。複数。


「今度は……五体か。まだ増えますかね。あれ」

「増えない理由もなかろうのぅ。どうするかや?」


「このまま行きましょう。──ウルダ。あいつらと肝試し勝負やれそう?」

「肝試し? ふっ……了解っ!」

 委細承知とばかりに不敵な笑みを浮かべて、少女はザイルを巻きあげた。


 俺たちは〝島〟と〝島〟の間隙かんげきを選んで飛んだ。ウルダは肝が据わっていて、肩や頭がすれすれの所だって思い切りよく飛んだ。


 追っ手がそこを通った時には〝島〟同士がその隙間を埋め、圧壊した。


 索の短い巻き取りでわずかに生じた運動エネルギーでも〝島〟の軌道を変えるのに充分な動機になったらしい。


 視覚がなく、音で点から点へ移動してくる徨魔には、墓穴へ飛び込んでいるようなものだった。

 やがて〝島〟の中を抜けると、前方に目標の航空機をとらえた。


「──ッ!?」

 突然、目の前に徨魔が現れた。


「もうっ、うるさいわせからしかね!」

「ウルダ! 止まれ!」


 ウルダが背後の〝島〟に鉤爪を撃ち込む。

 俺は急制動がかかる中、ウルダの腰を掴んだままくるりと半転してから、手を離した。

 ここまで飛んできた速度は時速四〇キロは超えている。人間同士ならぶつかればケガをする。

 だが相手は捕食者だ。遠慮はいらない。足から吶喊とっかんする。

 人間魚雷。叫びたいのを必死にこらえて、俺は徨魔に突っこんだ。


 徨魔は何が起きたのかわからない様子で、身体をくの字にして吹っ飛んでいった。

 俺はウルダに横からさらわれるように掬い取られた。


「お見事」

「お見事やなかろうもんっ。狼しゃん、ほんなこて無茶すっとお人やねえ!」


 呆れつつも、ウルダは満足げに微笑んだ。


 蹴っ飛ばした先には、反重力制御装置のある航空機。

 徨魔は、その航空機の手前で直角に急速上昇し、通りかかった石油タンカーの〝島〟底に汚泥を貼りつけた。


「え、えずかぁ……」

 上方を見上げて、ウルダはたまた声を洩らした。


「博士。残り時間は?」

「四分。いや、三分強。大丈夫じゃ。反重力制御装置は生きておろうから一分で起動できる」


 いやな伏線を張られたな。新たな不安を抱える気分で、俺たちは航空機の主翼に着地しようとした。その時だった。


〝郭公〟の鉤爪が主翼の上を滑った。掛け損なったのではない。目の前でつるりと流れていった。重力における反発力。斥力だ。


「ウルダ。なんとか、あっちの丸い屋根に乗れないかな」


 俺は切断面から離れたコックピット寄りの胴体部分を指さした。

 航空機の屋根に登る経験はさすがに俺も初めてだったが、感動している時間はない。 


「博士。中央の斥力を維持するために、閉塞状態にあるここの制御装置だけ、自己判断で出力を上げたという可能性は?」


「ありうるのぅ。機能低下による自動調整は反射としてプログラムされておる。その出力を他の制御装置が環境プロトコルから感知し、出力数値上の足並みを揃える。それがイタチごっこになった結果、人工クエーサーが生まれるまでになったのかもしれん」


「なん言うとるか、すったりわからん」ウルダがしょんぼりと呟いた。


 俺は魔女の大背嚢を下ろすと、灰髪少女を見た。


「ウルダ、〝郭公〟の鉤爪ハーケンをこっちに、あとショートソードも」

「狼。どうする気じゃ?」


「ただの浮かせる重力なら、強行突破できます。ちなみに、その体型は時空被爆とかじゃあないですよね」


「じくうひばく? 急に何のセクハラじゃ?」

「いえ。ならいいです。行きます。──ウルダ。先行する。合図したら巻き取って博士を連れてきてくれ」


「了解」


 俺は腰を落とし、屋根の上をコックピットから主翼へ足に体重を乗せて歩く。

 最初の三秒で肩が浮いた。次の二秒で腰が浮く。

 かかとが浮きかけたところで、思わずその場に伏せて匍匐ほふくで進むが、次の二秒でもう這う腰に浮遊感を覚えた。


 歯で鞘をくわえてショートソードを抜き払い、素早く進む。浮き上がりそうなところで外板に突き立てて踏みとどまる。それを五度ほど繰り返した。


 業物わざものとはいえ旅客機のアルミ合金にどこまで通用するか心配だったが、旅客機もまさか刺されるとは思ってなかったのかもしれない。

 けれど、そこから斬り下げて侵入口を造るのは難しそうだ。


 切断面の直前。主翼そばまで来たところで、全身の体毛がハリネズミのように逆立った。磁力で血流が促進され、沸騰しているようなむずむずとした疼きに苦しむ。


 切断され、外板が剥がれ、機内がむき出しになったフレームに鉤爪を引っかける。

 後ろへ手を振って合図を送ると、俺は彼女たちを待たず、機内に這い降りた。


 反重力が強く着地できない。両手で頭上のフレームを押して、残っている座席シートに短剣を突き立てて、ようやく着地する。


 長い一時間だった。横たわった砂時計が俺を仰ぎ見て、どこか「来るのが遅い」と文句を言っているように見えた。


  §  §  §


「退避ーっ! 走れーっ!」


 狼たちが戻ってきた。

 と思ったら、追い立てられるようにティボルは洞窟を追い出された。

 思えば、コイツとはいつも追って追われてみたいなことばかりしている。


 外は吹雪。夜が明ける気配はない。


「スコールっ。ティボルと自分をザイルで岩壁にくくりつけて。雪崩に注意!」

「了解っ」


 魔導具のロープにしがみつきながら洞窟の外脇に立つや、洞窟内から同じ口径の光がほとばしった。

 遅れて、雷の爆音が地を震わせ、風の裂音が洞窟内に雪を吸いこんだ。

 何が起こったのかさっぱりわからないが、胸のスリングを必死で抱きしめた。


「おい、狼っ。今度は何をやらかしてきたんだよぉ……!?」


 風が収まって洞窟の中をうかがう狼に、ティボルは低い声で文句を投げた。


「うーん。うまく説明できたとしても、どういう状況になるのか俺にもわからなくてさ」


 なんだよそりゃ……。要するに説明する気がねーんじゃねえか。

 ことコイツの奇行に関して、もうツッコんだら負けな気がしてきたぞ。

 ティボルもようやく悟りが開けてきそうだった。狼を先頭にまた洞窟を奥へと進む。

 時おり、ニフリートの呼吸を手でかざして確かめる。呼吸は穏やかな寝息。高熱を発しているわけでもない。ただ、眠りの永いことだけが恐かった。


 狼とスコールに前を歩かせて、再びあの場所へ戻ると、ティボルは目を疑った。


 この世の終わり。地獄の坩堝るつぼだった場所が、白いタイル張りの無個性な伽藍がらん堂に変わっていた。


 デカい砂時計とやらが四つ、お行儀良く鎮座している。

 その真ん中に正方形の鉄板でできた床……。祭壇だろうか。

 静かだ。まるで夢。魔女に幻惑まどわしを見せられた気分だった。


「なぁ、狼しゃん。お師匠様は、なんであの光に向かって飛んだと?」


 ウルダが周囲を見回しながら不思議そうに話しかけていた。つい一時間前まで誰に対しても物静かだったのに、やけに親しげだ。


「推測になっちゃうけど。いい?」

「うん。聞かせて」


「あの光はウルダが幼い時に記憶していた第17階層へ続く魔法の門じゃなかった。でも、上の階に行くためには、重力力場とあの光の隙間(虚無域)にしか脱け出せるすきがなかったんだと思う。

 ムトゥさんはウルダを連れていたけれど、ある種の賭けだったんじゃないかな。敵陣の中に独りで突進するのと同じくらいの度胸だよ。俺にはできない」


「狼。何か目新しい物は残っておるかのぅ」


 狼が背負う大背嚢から、ちっちゃい魔女が顔を出した。ついてきていたとは知らなかった。こっちも親しげで魔法使いが弟子を使役する態度だった。


「ありますね……女性の死体のようです」


 狼とウルダ、スコールが歩を早める。

 ティボルはそれに続くか迷ったが、遠巻きに眺めることにした。

 ウルダがちっちゃい魔女を大背嚢から抱えて下ろす。


 魔女はまっすぐ横たわっている死体を見るなり、短く唸った。


「フランシスカ・スカラーではないかっ!? これは一体どういうことじゃ?」

「誰なんですか?」狼が訊ねる。


「ニコラ・コペルニクスの助手兼秘書をしていた女だ。あまり頭のよい方ではなかったが、おっぱいと態度だけはデカかったな。狐の威を借るクマネズミじゃったわ」


「二人一緒にここで制御装置を暴走させ、コペルニクスだけ異次元へ飛ばされたという可能性は」


「あり得んな。ニコラがここへ向かう姿を最後に見たのが、吾輩だからだ。一三〇〇年前の九月十一日。昨日のことのように憶えておるよ」


(もう忘れていいんじゃねーかな。昔話でも聞いた奴の方がとっくにいなくなってるだろ)


 ティボル心のツッコミをよそに、魔女は死体が着ている白衣をまさぐり始めると、一枚の黒い板を取り出した。


「やはりじゃ。ニコラ・コペルニクスのカードキーじゃ」

「この件は、一旦保留ですかね」狼が言った。


「うむ。そうじゃのぅ。上層にあがろう。第32階層だ」


 ウルダに再び抱きかかえられて、魔女は狼の背負う背嚢に戻る。


「第17階層ではないのですか?」狼が肩越しに振り返った。


「んふふっ。ここさえ突破できれば生態スーツなど、もはや不要だ」


「えっ?」

 ティボルが思わず声をあげた。

 魔女はこちらに目を細め、子供らしからぬ艶めかしい微笑を向けてきた。


「吾輩は、培養人類学の権威。ライカン・フェニアぞ? ニフリートを成体にする。任せておけ」


  §  §  §


 ──と、豪語した割には、進んでいるのは狭くて長い屋根裏だった。


 格子床の下に普通の通路が見えている。そこを白い甲冑騎士が廊下を滑るように移動しながら忙しなく行き交っていた。


 狼と魔女の会話によると、鍵が〝失効〟とかいう腐った状態だったらしく。さらに魔法の力で〝認証キー不正使用〟という聞いたことがない容疑までかけられたらしい。

 魔女って意外と間抜けなのか。


「ニコラめっ。二の手三の手と予防線を張っているとは……ぐぬぬっ」

「何言ってるんですか。数百年も留守にしてれば権利消滅するのは当然でしょう」


 魔女は相当悔しがっていたが、その事情を理解できているのは狼くらいだろう。

 子供たちはきょとんとした顔を見合わせていた。


 しかし、バレてから衛兵がすっ飛んでくる速度が桁違いだ。きっと、ここのダンジョンにはとんでもないお宝が眠ってるんだろう。


(そうさ。公国兵がこぞって攻めても突破できないんだから、当然だよな)


 現れた白い甲冑騎士に子供たちが挑もうとして、狼に全力で止められていた。なんでもここの魔女の騎士どもは、仲間を呼ぶ魔法や光の矢を放つ魔導具を携えているらしい。

 なぜ狼がそれを知っているのか、もはや考えることもやめたいティボルだった。


「博士。さすがに休憩できそうな場所を思い出してもらえませんか。俺もウルダも動き詰めですし」


「通気ダクトにそんな物があると思うかや? 若いくせに辛抱せいっ」


「その見た目で言われても……ちなみに、博士のラボはどこです?」

「だから第32階層じゃて。あと七階じゃの」


 マジかー。狼はがっくりと項垂れていた。

 なんでもできてしまうアイツを、ティボルはもう羨ましくもなんともなかった。

 今はただ、胸に抱くおひい様の寝息が、いつ久しく安らかならんことを思うばかりだ。

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