第14話 婀娜(あだ)めく龍となるために(14)


 このダンジョンは、まだ生きている。

 通気ダクトから出た場所は、エレベーター昇降路シャフトだった。


 直方体の乗箱キャビンが青い火花をあげて、上を下へ。下を上へ。右へ左へ。動いている。リニアモーター式の8ホイールエレベーターだ。


 乗箱が駆け抜けたタイミングを見計らって非常用ハシゴに取りつき、一気に駆け上がる。


 乗箱は俺の目測で時速八〇キロほど。音で接近を感知して回避行動をとらなければ間に合わず、視認したら最後だと思わなければならない。


【37】


 壁に直接ペンキで殴り描かれたアラビア数字が、あらためて俺の前世界に近い世界軸から来た連中の施設なのだと思い知らされる。


 そこの通気ダクトゲージを蹴破って中に飛び込む。

 俺を先頭に一列で入って、最後尾のスコールが入ったのを確認する。


 その直後、背後で乗箱が火花を散らして駆け抜けた。

 スコールは振り返った姿勢のままで凍りついていた。


「スコール、大丈夫かっ」

「……えっ? あ、うん」


 呆けたような返事。この世界人代表となった少年には、ここの設備を冒険するにも刺激が強過ぎるかもしれない。そう言えば、この世界代表はティボルもだったな。


「ティボル?」

 顔色が悪い。心なしか全身が震えている。


「狼。おひい様の様子が、おかしいんだ」

 すぐにみんながティボルに集まって、俺は彼の前に大背嚢を下ろした。


「博士……お願いしますっ」

 大背嚢を呼びかけると、ライカン・フェニアの上半身が飛び出してきて、両手で熊皮に包まれたニフリートに触れた。 


「発熱が始まったか。ティボルだったな。ニフリートの背中を見せてくれ」


 ティボルはおひい様をスリングから抱き起こして、幼い背中を見せた。

 脊髄の最後のセルパック表示が四分の一のまま。しかし赤く点滅している。


「寒さが影響したかのぅ。消耗が早まったか。もって……半日か」

「は、半日っ!? おい、ウソだろ。ふざけ──」


 言い終わるのを待たず、俺はティボルの防寒着の襟を掴んだ。


「黙って聞けっ。おひい様を健康にして連れ還らなけりゃ、俺たち全員の首が飛ぶんだ!」


 いつになく怒鳴ったので、ティボルは驚いた様子で言葉を飲み込む。


 やっちまった……。

 そっと襟から手をはなし、俺はダクトの壁に寄りかかった。

 天井が低いので首を項垂れたみたいに曲げなければならないのが、きつい。

 子供たちにリーダーの醜態を晒すことになるが、ナケナシの人間アピールだと思って諦める。


 数秒でも目をつぶれば、横になれば、動けなくなりそうだ。

 こんな悪辣な狭い環境でも、腰を下ろせたことに安堵できるのだから笑える。

 幹部候補生演習だって、ここまでひどくなかったかも。


 ライカン・フェニアが一度目を伏せてから、ティボルに説明する。


「残りが半日でも、目的地はもう目の前だ。慌てなければならぬ理由がない」

「……けどよ」


「つらいだろうが辛抱してくれ。吾輩のラボにつけば、宿泊の簡易設備もまだ残っておるはずじゃ。ニフリートを回復装置に入れたら、君も充分に休息してくれ」


「なら、教えてくれ。今のうちに知っておきたい」

「ん。解ることなら答えよう」


「どうして、オレ達はこんなコソコソした場所を通ってアンタの、ラボってのか? そこに向かってるんだ?」


 ライカン・フェニアはこちらを一瞥してきた。

 俺は首を曲げたまま鼻先を横に振ってサポート要請を断った。正直しんどい。


「あー、実は吾輩も予期せぬことでな。使えると思っておった鍵が、この研究棟……と言ってもわからんか。うーん。つまり、錠前を新しくつけかえられておったのだ。

 それで警備兵に警戒されてしまってな。ヤツらの目は正規の通路の至る所にあるので、ほとぼりが冷めるまで、コソコソする羽目になっておる。というわけだ」


「ダンジョンの鍵を付け替えただと?。警備兵は、あんたの顔を知らないのか」

「鍵は、身分保証も兼ねておってな。鍵が使えなかった上は、吾輩のことも覚えておらんだろう」


「けど、鍵って言っても割札カードだったよな。本当にあんなので身分まで保証されてんのか?」

「それは、ほれ。ここはそういう特別なダンジョンだとしか言いようがないのぅ」


 ティボルは顔を背けて舌打ちした。態度は悪いが、一定の納得はできたようだ。

 この世界の住人にとって、ここはダンジョンそのものがオーバーテクノロジーだ。ライカン・フェニアとしても余計な情報を与えて文明過干渉をしたくないのだろう。


「あと、もう一つ」

「うむ」

「成体って何だ」

「ひょ?」

「アンタ、言ったよな。生態スーツはもう不要だ。おひい様を成体にするからって。あれはどういう意味なんだ」


「えーっと。えーっとぉ……それはー」


 寝たフリしとこ。あの失言は俺のせいじゃない。


 ──と。

 ふいに身体を強く揺すられ、俺は顔を上げた。

 その拍子にダクトの天井に頭をぶつけ、完全に目が覚める。


 頭をさすりながら、正面にはスコールの顔。同情の眼差しを向けられ、ばつが悪い。寝たフリのつもりが、一瞬で本当に眠っていた。


「ごめん。俺、どれだけ寝てた?」

「いや、二〇秒も寝てねーけどさ」


「狼しゃん、急に寝息立てよぉったけん、慌てて起こしたっちゃん」

 ウルダも心配そうに言う。


「ごめん。油断した」


 肉体も精神も、寒さと疲労で休息を求めていたらしい。マナは切れなかったから、そっちに頼って無視し続けたツケか。マナも万能じゃないんだ。だからシャラモン神父はぶっ倒れたのか。

 魔法への過信。おごり。全然、他人事なんかじゃなかった……。

「博士の話は終わった?」

「あ、うん……とりあえず早く進もうって、ティボルが」

 俺は頷いた。


「わかった。あと悪いけど、着いたら一番いいベッドは俺がもらっていいかな」


 冗談のつもりだったのに、スコールもウルダも「別にいいけど」と心配そうに応じる。

 だめだな。やっぱり俺は冒険者のリーダーには向いていない。


  §  §  §


【36】──   【33】──

 

      【37】──


  【35】──      【34】──


【32】


 暗闇の中で次々と浮かびあがる、乱雑な数字のシンボル。

 ああ、ここだ。【第32階層】。やっとたどり着いたんだ。


 俺はハシゴを掴んだまま上を見あげた。その時だった。

 闇の奥から、青白い火花を散らして何かが迫ってくる。


 ギギッ、ギギギッ──ギシュウゥウウウウウン……っ!!


 エレベーターの乗箱キャビンが、猛スピードで俺の上半身をかっさらっていった。


「うっわぁああああっ!?」


 俺は自分の悲鳴で飛び起きた。

 焦点の合わない目を見開き、肩で息をしながらようよう周りを見回す。


 どこか甘いほこりのにおいのする執務室。


 床に通気ダクトのゲージがそのままだ。もとはここの天井と壁の境目近くにあった。

 俺たちは、そこから室内に侵入し、安全圏を得た。


 そして、どれが上等なベッドかを選別する間もなく、俺はここのソファに突っ伏して意識を失った。そこまでの記憶はあった。


 その後、仲間がどうなったのか見届けていない。部屋割り、装備品のチェックも。

 俺、泣きたくなるほどリーダー失格。


「おお、寝るのも起きるのも一番乗りじゃな。狼」


 室内に、赤いツナギを来た黒眉美女が入ってきた。

 二〇代前後で、小柄。波打つ赤茶髪をアップにしてバレットでまとめていた。

 そして、持参のマグカップからコーヒーの香りを漂わせて。


「真空パックのコーヒー豆が奇跡的に発掘できてな。しかも統一暦二〇二〇年物のアラビカじゃぞ。お前も飲みたければ、そこの給湯室に置いてあるからドリップするといい」


「えっと、どちらさまですか」

「はっ? なんじゃ、まだ寝ぼけておるのかや?」


 高い鼻梁で麗しく、エキゾチックに笑い飛ばされた。

 彼女はデスクにカップを置いて、慣れ親しんだ様子でチェアに座る。


 嘘だろ。俺は眉の毛を真ん中に寄せて部屋を出ると、廊下側のドアを見た。

 俺は思わず、あごを押し下げた。


【Dr.Lykan Fenyr】


「もしかして行き倒れてまでここを目指していたのは、その身体になるためですか」


「んふふっ。ご名答」

 足を組み、太ももの上に指を絡ませた手を載せてあだっぽく微笑んだ。


「──と言いたいところじゃが。この身体は、ついでじゃ。お前が起きたとき、ちょっと驚かせてやろうという趣向であったに。意外に堅物なので興ざめしたがのぅ」


「いや、めちゃくちゃ驚いてますよ。そんなことより。コーヒー、いただいていいですか?」


 コーヒーには目がないのだ。


「ったく。めかし甲斐のないヤツじゃ。お湯はポットに入っておるぞ」


 俺はドアを開けて給湯室に入る。

 洗いたてのマグカップにドリッパーを装着しながら、隣室に話しかける。


「結局、おひい様は無事なんですか」

「無論じゃ。お前たちの決断と勇気。そしてあの優男の献身でな」


 褒めてくれているようだが、腑に落ちない。訊きたいことも山ほどある。


「俺の仲間は、まだ寝てるんですか」

「ああ。スコールとウルダは、仮眠室の二段ベッド。ティボルは、ニフリートの培養槽の前に毛布を敷いて、寝袋で寝ておる」


「えっ? なんか今さらですが、あの男らしくないのですけど」


 俺の知っているティボルは、陽気で女に見境がなく、軽薄そうな笑みの裏で自分の弱みを必死で見せまいとする屈折青年だった。


「お前。〝龍の伴侶〟という伝承を知らんのかや?」

「龍の伴侶? それは例えば、異種婚姻譚のような?」


 ラノベでその手のラブコメが流行った時期もある。


「オイゲン・ムトゥとて、三代にわたる龍の伴侶となった。今代はさすがに肉体が老いてしまったから無理じゃろうがな」


 俺は振動加熱型のポットを取ろうとして、手を止めた。


「待ってください。それってまさか、ティボルが龍公主に見初められたと?」


 なんか、このダンジョン踏破よりも大変なことになってきてないか。

 だめだ。ティボルの処遇人事に関してはカラヤンに聞かないと。俺の手に余る。


「吾輩も、その手の民俗は専門外じゃから詳しくは知らんがの。日本では龍の花嫁と呼ばれた生贄の風習。あと、デンマークにも寓話であったと聞いたかな」


「ていうか、って本当にいるんですか」


「狼。お前は本物の竜を見たことがあるかや?」

「ないですね。博士はあるんですか」

「あるわけがなかろう」

「え?」


「じゃがの。吾輩達の世界には〝龍〟と呼称せざるを得ない優性遺伝子をもつ一族がおったのじゃ。その者達は宇宙空間に長期間いてもガン発症することもX線・γガンマ線に被曝することもなく、骨粗しょう症も軽微。地上となんら変わらない強い精神と肉体を保持して活動を続けていた。最長で七〇年の寿命だがな」


「それがズメイ。ということは、大公と四人の龍公主はその末裔ですか」

「それは半分じゃのぅ」


 半否定はほぼ答えのようなものだ。出した答えを修正するだけでいい。


「……そうか。末裔じゃない、複製だ。彼らのオリジナル体を保全したまま複製を外界に下ろした。このダンジョンはオリジナルを保持し続けるための管理施設なんだ。だから培養人類学と呼ばれる一般的倫理禁忌が科学として進歩したんだ」


「んふふっ。狼。お前はほんに面白いの」


 生徒を褒めるように魔女は口の端を釣り上げた。

 オリジナルの龍人族を守るために、このダンジョンは何百年も生き続けた。だが、そのためには保守管理者がいなければ、なしえなかったはず。


 それがオイゲン・ムトゥを始めとする四人の家政長。

 〝七城塞公国ジーベンビュルゲン〟は、そのための管理会社ならぬダンジョン管理国家だったのか。


 待てよ。そうなると、大公はなぜ〝バッターリヤ〟を欲した?

 考えられることは一つ。電気だ。


 だが、これだけの巨大施設を何百年も守り抜きながら、今さら何に通電したかったんだ。

 俺はできあがったコーヒーをひと口すすり、頭の緊張と疲れをほぐす。


「うお~っ。これ、うまいですね」


 香りを愉しみつつ執務室に戻ってくると、俺は上機嫌でソファに腰掛けた。


 ライカン・フェニアが対面のソファにくびれた腰を下ろす。膝に肘をつき、前のめり気味に屈んでマグカップを両手に包んだ。


 赤ツナギの下は小麦色の素肌だった。

 小ぶりな胸。その谷間に小さな六芒星ソロモンの刺青があった。


「ドバイ大手の焙煎メーカーじゃからな。今やこの保存状態から考えても、公国では値千金の価値がでる骨董品ビンテージじゃぞ」


「その代金がわりに、俺が持ってる知識を寄こせってことですか」


 ライカン・フェニアはまじまじと俺を見つめてから、ねっとりと微笑んだ。


「んふふっ。そんな乱暴な取立てはせん。じゃが、それに見合う報酬は吾輩の権限で用意させるとだけ言っておこうかのぅ」


 否定する気はないらしい。俺は言った。


「ところで、博士。この世界に、水酸化ナトリウムってあります?」

「ん。お前の世界に、エルネスト・ソルベイはおらんかったのかや?」


 言われて初めて、俺はトンカチで頭を殴られるほどの衝撃に目を見開いた。


「うっ。うわああっ、ソルベイ法!? 忘れてたあ!」

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