第7話 婀娜(あだ)めく龍となるために(7)


 ハティヤとウルダの客室。

「まぁた~ァ!?」

 ハティヤは眉を真ん中から跳ね上げて、こちらを見下ろした。

 彼女に〝翡翠荘〟に残ってもらうように頼んだ。ある程度の反応は予想していたが、実際はそれ以上の怒りと落胆だった。

 だから俺は床に両膝をついて、手を合わせて拝んだ。ウルダを一瞥いちべつし、真実を告白する。


「まだ確認とってなんだけど、メドゥサさんのお腹に子供がいる。と、思われる」


 言った直後に胸倉をつかまれた。

「ちょっとっ。そのことカラヤンおじさんはっ!?」


 俺は顔を忙しく振った。

「メドゥサさんも今それを言い出すタイミングがないんだと思う。だから俺から言うのもおかしいと思うんだ。それならせめて、彼女の不安を和らげる女性をそばに置いて行きたい。だから機転が利いて、戦ってよし、守ってよしのハティヤ以外には思いつかなかったんだ」


「うっ、うぬぬ~っ」

「あと」

「なによ」

「うん。今夜か明日の夜、この〝翡翠荘〟は何者かの襲撃に遭うと、俺は思ってる」


「はっ? なにそれっ。だって門の前にまだ、うるさいのいるわよ?」


 ハティヤが疑わしそうに俺を見つめてくる。

 そう、まだいるのだ。この寒い中、三龍公主がずっと喚いている。


「おひい様と俺たちが屋敷を出たのを確認した後、敵はムトゥさんを狙って押し寄せてくる、と思う」

「あのおじいさんが狙われてる。そのための、おじさん……?」


 俺は大真面目な顔で頷いた。


「念のため。ううん。一つの山勘で、カラヤンさんをここに残していこうとしてるつもりはないんだ。

 カラヤンさんから話を聞いた限り、おひい様と出会ったこと自体は偶然かもしれない。でも、居酒屋に襲来した敵が、おひい様ではなく現れた。そう思えて仕方がないんだ」


「お師匠様の動き。ずっと監視されていた?」ウルダが目を鋭くした。


 俺は胸倉をつかまれたままそっちにもうなずく。


「でなければ、ムトゥさんがおひい様の義肢を使った囮役を買って出るという発想が突飛すぎると思った」

「どうして?」


「ムトゥさんはね。おひい様のフードを背負って居酒屋を飛び出してるんだ。毛布を丸めて中に入れとけば擬態はできる。義肢までは必要なかった。

 彼は、おひい様の体調を考えつつも、おひい様の活動を封じてる。冷静すぎると思うんだ。

 その囮行動は、あらかじめ自分が襲われて死ぬことも覚悟の上でないと、おひい様を最後まで守る立場の彼が率先して離れた説明がつかないと、俺には思えた」


「それで今回もムトゥさん狙ってここを襲うって? 権力闘争みたいに?」

 ハティヤの迫ってくる顔に、俺は何度もうなずいた。


「外の連中は俺たちがここを出たら、すぐここを引き払う。ハティヤにお願いしたいのは、その後の油断を突かれない用心のためだ」


  §  §  §


「なあ、タクロウ。ダンジョンってなんやと思う?」

 ゲーム機のコントローラーを握り、ツカサがそんなことを言う。


 正月。

 三食おせち料理はつまらないと言うので、昼はアンチョビパスタと海鮮アヒージョを作る。

 アヒージョは油煮込みのことで、多めのオリーブオイルとニンニクを一緒に煮立てて、そこに具材を入れる。


 正月なので、めでたく車海老と牡蠣、貝柱もいれた豪華版だ。


「ダンジョンの定義では、地下牢のことだよな?」

「せやなあ。でも最近はフランス語の〝ドンジョン〟──天守と訳される城の主郭もふくめて拡大解釈されとるみたい。せやから、塔や城塞、空中迷宮なんかもみーんなダンジョンなんやて」


「ふーん。それで」

「うん。それやったら、現代のダンジョンって言うたらどれのことなんやろなあ?」


「現代の、ダンジョン?」俺は一瞬考えて、「駅の地下構内とか?」

「あー。あるある。ぼく、新宿駅の地下とかよういかれへんわ。あと東京都庁ビル」

「あれが、ダンジョンか?」


「入口にはエレベーターが十基あって、そのうち天辺いくのは二基だけやん? しかも北と南で行き先違ったら、そのエレベーターはハズレやんか」

「ふっ。まあ、そうだな」

「残りの八基は天辺いかれへん。それを案内板もなしに乗ったら……」


「確かに、ハズレか。エレベーターをまた降りてやり直せばいいだけだが、ダンジョンと言えなくもないか」

「せやろ?」


 会話で温まったフライパンに、アヒージョのオイルとアンチョビを投入。泡立つ頃に茹で水を入れてトングで手早くかき回しながら乳化を促す。


 白く濁ったところで湯切りしたパスタを移し、昆布茶を小さじで振りかけて、手早くからめる。ツカサは柔らかめが好みなのでそれに合わせる。


「けど、俺に言わせれば、京都の町そのものが迷宮だけどな」

「あはは。タクロウ。こっちに来るたんびにそれ言うてるなあ」


「本当のことなんだからしょうがないだろ……で、何の話だっけ」

「ダンジョン。これってなんのためにあるんやろなあって」


 なんのために、ある?


「それは、ほら。試練の洞窟って言うのが古典ファンタジー小説からあるだろ?」

「勇敢さを試したり、成人の儀式的なやつ?」

「そう、それ。」

「そやったら、なんで魔物くん達は住んではるん?」


「はあっ? ……あ、出られないのか」


「そやねん。出られへんの。魔物くん達はダンジョンに捕まってる状態。本来の意味の〝地下牢〟やろ? せやのに、ぼくらはわざわざその牢屋に入っていって戦って経験値やアイテムや言うてるんやけど」


「まさか、ダンジョンが呪術系の〝蠱毒〟だとでも言い出すのか?」

「RPGゲームで、そこまでえげつないこと言わんけども。せやけど……」


 俺は皿にパスタを盛り付ける。ツカサが思考を中断させて物欲しそうな目でこちらを見ている。エサの匂いを嗅ぎつけた猫みたいな目だ。


「よし。アンチョビパスタ正月バージョンの完成。で、結局何が言いたいんだ?」


 ツカサは嬉しそうに食卓に寄ってきて、着席するなりお気に入りのフォークを手にした。


「うん。ゲームのダンジョンって、表は勇者用でも、魔物くん達はお勝手口から入ってるんとちがうかなって。そしたら、奥で待ってはる魔王はんとか、貴重なアイテムのお手入れ業者はんとか、どないして出入りしてはるんかなあって」


 俺はシンクに腰を引っかけて思わず噴き出した。

 要はゲームをアトラクションに見立てた裏方の心配だった。


 ゲームでは、ダンジョンに空腹も劣化の概念もない。

 でも、俺は今、夢のようなリアル世界でダンジョンに挑んでいる。


 腹は減るし、生態髄液とやらは劣化して透析を必要としている人がいる。

 抜け道。あるなら使いたい。

 そう思いながら、俺は〝ダンジョン〟を


  §  §  §


 騎士達に向かって、俺は容赦なく咆哮ほうこうを放った。


「弓を使える者は獲物を狩ってこい。鍋は一つしかないが、人数分のメシは食わせてやる!」

「おい、貴様っ。獣人の分際で我ら近衛騎士に、猟師の──」


 口応えした騎士の顔面に、俺はガッチガチに固めたドッジボールほどの雪玉をぶつけた。


「狩りは騎士の嗜みだろうが。その獲物は俺やてめぇらのメシじゃねえ。姫様達のメシだ! つべこべ言ってる暇があったら、さっさとウサギの一羽でも仕留めてこい。この甲斐性なしが!」


 後にも先にも、罵声で六〇人からの重装騎士を追い散らせたのは、この時だけだ。


  §  §  §


〝翡翠荘〟からいてきた龍公主三人は、崖の切れ間で休憩していた俺たちの前に現れた。

 彼女らは膝掛け毛布一枚を頭からかぶり、唇も色をなくして震えていた。


「ももも申し訳ないのだけけけれど、ここ紅茶を一杯、いただだけるかかしら?」


 毛皮のコートこそ着込んでいたが、ダンジョン装備は何一つなく軽旅装だった。


 富士登山訓練経験者が、小学生相手に登山舐めてんのかとイキるわけにもいかない。

 なので、訓練された脳筋どもを追い立てて、狩りに走らせることにした。

 それで寒さに悲鳴を上げながらもウサギ三羽を調達してくるのだから、彼らは有能だ。


 こちらとしてはダンジョンに入る前から貴重なタンパク熱源であるチーズやバターを消費することになったのは痛い。が、人命がすべてに優先される。


 姫様たちはウサギシチューを鍋底が見えるまで平らげた。食後に紅茶インゴットの欠片を溶かしたお湯を飲んで、ようやくひと心地ついた様子だ。

 毛布にくるまったまま焚き火を見つめて、まんじりともしない。


「なあ、狼。あの姫さん達もダンジョンへ連れて行くのか?」


 鍋を雪で洗っていると、スコールが割と真剣な表情で訊いてくる。


「帰れって言ったら、帰ってくれそうかい?」

「無理かも。ここまで来て帰れるかって、口だけは言ってる。顔は降伏済み」


 いい根性してるよ。俺は肩を落とした。


「そういえば、おひい様は?」

「天幕。ティボルが食べさせてる。なんかさ……あの子らと仲悪いみたい」


 マジかよ。俺は目顔で訊ねると、スコールはうなずいた。


 ここに来て、龍公主世界の人間関係なんか持ち込まれても……いや、もっと判りやすく考えろ。立場じゃない。目的は生態スーツでもない。ただダンジョンに入って生きて戻ることだけ考えるんだ。


「わかった。ありがと」

「うん。あと、ごめん。炊事のこと全部、狼に任せちまってさ」

「いいよ。大丈夫。ハティヤいないから誰も怒らないよ。その分、あの姫様たち見ててよ」

 了解。スコールは苦笑して、焚き火の番に戻っていった。


 よし。追い返すなら、今しかない。


 鍋を洗い終わると、俺は三家の部隊長に歩み寄った。こんな情況でもお互いに意識して離れて立っているので集める必要があった。


「遅ればせながら、ムトゥ家政長よりダンジョン調査を任された、狼と申します。みなさまのお名前をお聞かせ願えませんか」


 社交儀礼として聞いただけだ。三人の名前はこの場では、黒、赤、銀と省略する。おそらくもう二度と会わないだろう。


卒爾そつじながら、龍公主様がたの町へ帰還をお願いしたいのです」


 これに対して、三人は難しい顔を横に振る。代表して黒騎士が言った。


「我々──自分達の陣営──は、龍公主様の命によってのみ動いておるゆえ」


 久しぶりに、こめかみが引きつった。この脳筋隊長ども、そこまで職務が大事らしい。


「ですから、そこを曲げてご忠告申し上げているのです。このままダンジョンへ入れば、龍公主様もろとも全滅は必定。皆様は龍公主様の御身第一とお考えください」


 そこで初めて、三部隊長はお互いの渋顔を見合わせた。

 黙りを決め込まれる前に、俺から水を向ける。


「龍公主様おのおのの生態スーツの余力が心許ないのは、ムトゥ家政長より説明を受け、存じております。しかし、そのことと家出同然にダンジョンに飛び込むこととは別のはずです。やけくその自殺行為です」


「……これは、貴様に言うても詮ないが、公主様の生態髄液の清常残量があまり残されておらんのだ。それが尽きれば、公主様のお命に関わる」


 黒騎士が言った。すると、赤騎士も口を開いた。


「当家もだ。家政長は、ムトゥ殿に何度も手紙を送っているが色よい返事がないと言うばかりで、生態スーツの新調を出し惜しみしておる。このままでは姫に……死ねと言われておるのと同義だ」


「左様。当家もダンジョンに入ろうと資金を工面してまいったが、まだまとまった兵を集めるほどには……それで姫様も思い余られて、家政長にも内密で、他の公主様と連繋れんけいになられたのだ」


 泣き言ばかり。だったら最初からついてこずに町で待ってればよかったんだ。

 俺はそのこととは別のことを言った。


「では、その連繋に、当家のニフリート様が含まれていないのはなぜでしょうか」


 三人は言葉を詰まらせて押し黙る。銀騎士が言い訳めいた目で雪を見る。

「それは……ニフリート様はまだ、ご幼少ゆえ」


(だったら、〝翡翠荘〟の門前で喚き散らして、あまつさえこんな雪山くんだりまでどなたを追いかけてきたんですかねえ)


 そもそもこの護衛達は職務と関係ないことに興味がないのだ。

 この雪の中で彼女たちを救ったのはニフリートだと言っても信じまい。あの子が「お腹がすいた」と言い出さなければ、俺は馬車を止めて野営を張ろうとは思わなかった。


 酷な話だが、翡翠龍公主の生命維持を最優先で動いている。正直、他の龍公主のことなどどうでもいい。

 御家可愛さなら、俺もコイツらと同列の立場なのかもしれない。

 だから責めるつもりもないし、責められるわれもない。

 頭にはくるが。

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