第33話 狼、温泉宿をつくる(27)


 夜襲から夜が明けた日。

 アラム家競売物件の下見会プレビューが始まった。

 日程は四日間で行われる。


 この期間で競売物件の現物を見て廻り、入札参加を決める。

 官公署や貴族街、城門では衛兵やドワーフ自警団による物々しい厳戒態勢が敷かれた。それを除けば、町はちょっとしたお祭りムードになった。マクガイアの広報活動が実を結び、観光がてらに国外の貴族や大商家がアラム家の売却物件に興味を示した。 


 とくに人気なのはオラデア・バロック宮殿で、龍公主の私室以外は、謁見の間を含めた全室が五〇〇ペニーで一般開放されていることもあって、物見高い人々でごった返しているという。


 あの夜襲劇があってもドワーフたちに抜かりはなく、戦いの痕跡はすっかり掃除されて、何事もなかったように旅人たちを迎えたそうだ。


  §  §  §


〝レシャチカ荘〟のベッドで目覚めると、となりのベッドにリンクスが眠っている。

 眠れる森の魔女だ。この町の様々な騒動が、彼女には何も起きなかったかのように安らかに眠っている。


 リンクスは一日のうちで数時間、目が覚めると庭を見たがった。抱えあげて森林浴に連れ歩き、また眠る。


「狼、今日も忙しそうだね」

 正装に着替えていると、ベッドから声をかけられた。


「おはよう。今日は行政庁に顔出して手続きや根回しをね。何か食べたい物ある?」

「星が重なってた」

「えっ?」


「きみの星が、幻惑まやかしの星に重なってた。でもそれは決して窮地じゃないよ」


「あ、うん。気に留めておくよ」

「ねえ、狼」

「うん?」

「明日。この部屋に帰ってこないで、くれないかな」


 俺は息が止まる思いで黙り込む。


「どうして?」

「見て欲しくないんだ。誰にも」

「俺は、そんなこと──」

「お願いだ。この一生に一度の」

「……わかった」

「ありがとう。ねえ。きみの頭撫でさせてよ」


 俺はリンクスの枕許に頭を差し出した。骨張った小さな手が頭の上を滑っていく。


「……やわらかい。温かいな」


「リンクス。いつもそばにいてあげられなくて、ごめんな」

 魔女は一瞬きょとんとしてから、小さく微笑んだ。


「いいさ。……ぼくは星と共にある。ひとりではあったけど、孤独ではなかったよ」


 俺は頭を撫でられながら、グッと奥歯に力を込めた。


「必ず、迎えに行くから」

「彼女は、ぼくから座標を聞きだそうとしているんだ」

「え、座標?」


「〝新アルマゲスト五次元座標星儀〟と言ってね。ぼくと姉様で創った〝徨魔の巣〟までの地図さ」


「徨魔の巣……っ!? リンクス。それじゃあ、きみ達のゴールは近いのか?」


「あくまでも予測ポイントに過ぎない。でも、その在処ありかを知っているのは、ぼくと姉様の二人だけ。だから、わからないんだ」


「わからない? ……そうかっ。この世界の住人であるはずの魔女に、徨魔がどこからくるかなんて知ってどうしようって言うんだ」


 ディスコルディアは、どうして宇宙にある徨魔の巣の場所なんかに興味を持ってるんだ。

 顔を上げようとしたが、リンクスの手がグッと力が込められた。


「ねえ、狼……本当に期待していい?」

「えっ」

「姉様の時のように、ぼくを守ってくれる? あの魔女からぼくたちを救ってくれる?」


 俺は確とうなずいた。


「守る。俺の、〝ハガネタクロウ〟の名にかけて」

「……うん、ありが、と……タク、ロ……」


 リンクスは俺の頭に手を載せたまま、また眠りについてしまった。

 彼女の手を毛布の中に入れると、俺はその乾いた額にキスをした。


「今日はリンゴ、買って帰るから」


  §  §  §


 俺が買う〝物件〟を見に行く。

 セドゥクティーポ・スヴェトラーナ美術館。名前からして嫌な予感がした。


 実際の規模は小宮殿のようだった。コンセプトは水の十二星宮らしく、青いタイルでプールにした冷泉池を囲むように十二角形に回廊を巡らせている。回廊の接点に十二の小室。ドーム状の天井は高く、そしてそこにも冷泉。温泉レジャー施設としてリノベーションしても遜色ない景観だ。


(あとは、冷泉を温めるボイラーを設置するインフラがあると俺の勝ち、かな)


 宿泊施設は主館となる四階建ての二階部分から上の一二〇室。六畳ほどの各室に一体の女神彫刻がもれなく置いてある。俺にはコンセプトの意味がわからない。

 百回ドアを開けて、毎回ポーズの違う女神像を見せられるので、途中から頭がおかしくなりそうになる。そもそも美術館の展示室にドアをつけるかね。普通ドアはいらないだろ。


 一階部分は、受付。ロッカー室。シャワー室のほか、水着のままでくつろげる喫茶店やドリンクカウンターを置くのも良いだろう。


 あと、周辺のショッピングモールと飲食店街のめどはついたが、ダンスホールと診療所は特異技能なので無理かも知れない。そして何より従業員。人手だ。


「うーん……あの人を口説いてみるか」

「おっ、本当にいたよ。狼ーっ」


 振り返ると、銀狼団のスンダーロとノリスティのバイク兄弟がやってくる。


「あれ、どうしたの?」

「お前の護衛だよ。スコールに頼まれた。冒険者価格だけどな」

「えっ。俺の? 十二ロットで?」


「まあな。ヒマ認定されたうえに、友情価格で二人分で請け負わされちまったよ、まったくしっかりしてるぜ、おたくの副官くんはよ」


 となりのノリスティが微笑む。スコールとウルダには遺恨がないようで安心した。


「狼。ボッターが今、ヴィサリオと組んでるって話は、聞いたよな」


 スコールが仕入れてきた情報だ。


 現在。ホリア・シマの強制差押えによって抵当権に劣後したボッターは破産。今はヴィサリオ・ウラの食客扱いで彼の手駒として動いている。そして、ボッターがヴィサリオの代理として獣族のお姫様ミランシャの奴隷競売の落札担当するらしいということも。


 スコールは大手柄の情報を掴んだが、知識の壁に阻まれ、覚えて還ってくることしかできなかったと悔しがっていた。今後はその辺のことも、モモチ講義の中で意識改革されていくのだろう。師を得て、少年は成長していくのが頼もしくもあり、怖くもある。


「うん。でも、まあ。別に俺とあっちの二人との面識はないから、狙われることはないよ」

「ったく。自分には無頓着か。まあいいや。んで、あんたここで何してるんだ?」

「競売物件の下見。ここを買い取って、温泉宿にしようと思って」


「買う? ここをか?」

「すぐそばに駅馬車があって、周囲に商店街や繁華街になる可能性をもってるのき並みがある。そこに手を入れて店舗をオラデアの外からも商家に入ってもらい、客を集めようと思ってる」


「はぁ~。そんなデカいヤマを、ひとりでやってんのか?」

「ひとりはさすがに無理だよ。だからマクガイアさんに頼んだり、行政庁に手伝ってもらったりしてる」


「この辺の顔役には?」

「さっき行った。トルナンって人。この顔で頼みにいったら、断られた」


 儲け話を持ちかけたつもりだったのに、「胡散臭い」と一蹴されてしまった。

 バイク兄弟は顔を見合わせて肩をすくめた。

「あれ、知り合い?」

「知り合いってか、親父だ。育てのだがな」


 なんてご都合主義な展開。いや、渡りに船だ。俺は二人を拝んだ。


「頼むっ。間に入ってくれ。話の入口でに追い返されたんだ」

「まあ、そりゃそうなる。親父は行政庁の役人でもそういう態度だ。最初はな」


「あれ。もしかして、通えばなんとかなる感じ?」

「昔気質かたぎって言うか、偏屈なところがある。一度顔見せしたんなら、今日はそれでいい」


「じゃあ、他の顔役さんとかもいる?」

「ああ。この辺、仕切ってるのは、親父入れて四人だな。……わかったよ。案内する」


「助かるっ!」

 俺はもう一度、柏手を打って拝んだ。

「いや、こりゃあいっそ、顔役どもを集めて一席設けるしかねぇよな」


「えっ。それって、定期的にやる飲み会だよね」

「当然だろ。必要経費ってヤツだよ」


「いやぁ、今のところは、資金持ち出し(自腹)なんだよなー」


「何言ってんだ。そこをケチったら、事業の土台が崩れるぞ。オレはたまにボッターの護衛をやってたから、そういう光景を何度も見てる。縁を切りたかったら飲み会が減ってくんだ」


 うわあ。前世界と変わらない取引先との接待リアルだよ。


(とはいえ、明日帰ってくるなって言われてるし……ここは腹を括るか)


「わかったよ。それじゃあ〝クマの門〟に明日の晩に集めてもらえる?」

「出だしから普通の居酒屋かよ。娼妓館でパッとやれよ」


「とんかつ。うまかったろ?」

「あ~、ははぁん。なるほどね」


「あと、宿屋を開業してから特別メニューを出そうと思ってる。それも公開するよ」

「ほおほお。いいねえ。じゃ、顔見せしていこうぜ」


 俺は軽くそれを制して壁にもたれかけ、ため息をついた。少し進展の兆しが見えて気が抜けた。そういえばこの美術館、ベンチがない。気が利かないな。


「この町って温泉が多いだろ。だから最初はさ、顔役たちに温泉宿を持たせて競合させて売上げを伸ばそうと思ったんだけどね」


 するとスンダーロの馬鹿笑いが回廊に響き渡った。


「それ、ボッターがやってた手口だぜ。あっちは密造酒を売らせてたけどな」

 シカゴマフィアの大首領アル・カポネか。


「本当に? あれ、ということは、うまくいかなかった?」

 バイク兄弟は互いに顔を見合わせてから、兄がまっすぐ俺を見る。


「顔役たちを同じ商売で競合させた結果、町で戦争が起きたんだ。人目がつかないようにひっそりと血が流れた。それも大量にな。最終的にボッターはこの町の裏社会でデカくなったが、嫌われたよ。顔役たちは呼ばれない限り、飲み会に来なくなったし、飲んでもその店裏で吐いて帰っていったよ。わかるだろ?」


「力で押しつけられた酒は、飲み下せない。ということかな?」


「だろうな。ケンカして掴んだ金は恨みまで買うもんだ。親父の言葉だけどな。取り決めを守って、変更するなら素面で話し合って、決まったら乾杯をする。それに背いたら返しは厳しいが、それだって命のやり取りまではしなかった。ボッターが何もかも変えちまったんだとよ」


 どこの世界にでも起きうる闇社会の変遷だった。


  §  §  §


 前世界。顔役というのは、地域密着した世話人のことで、一般には「世話役さん」と呼ばれていた。町内会長とかの地域のちょっとしたトラブルを調停する人だったり、行政との窓口だったりする。メドゥサ会頭の父親スミリヴァルも顔役の意味合いを持って動いていた。ただ、セニの難民町にいた無頼どもが勝手に名乗ってる顔役とはまったくの別物だ。


 他の顔役さんも耳の長いクリシュナで、狼頭の俺は露骨に警戒された。


「そもそもバイクんちのせがれたちからして、胡散臭いからな」

 歯に衣着せない指摘をするのは、〝サイかばん店〟の店主。


「親父のトルナンの店も手伝わずに傭兵なんか始めて、挙げ句にノリスティまで引き込んで。そしたら、いつの間にかボッターにまで手を貸して、風呂屋の支配人なんぞやらされてな。挙げ句にクビになったんだよなあ。そろそろ元のサヤに戻ったらどうだ」


「まあ、昔の話だ。それに、クビになったのはボッターが破産したからだよ」

 地元からの辛口批評にも、スンダーロは悪びれない。


「ちなみに、トルナンさんのお店ってなんなんですか?」

「あんた、知らずにトルナンの所へ行ったのかい。露天商テキの頭だよ」


「それで、ここは革製品ですか?」

「まあ、見ての通りだ。何か買ってってくれるのかい」


 俺は下あごをもふった。

「オーダーで革製品を作ってもらえますか?」


「特注かい。そりゃあ構わないが……なんだい?」


背嚢リュックです。大型の。俺が背負います。容量は六、七歳児くらいの子供を入れても運べる丈夫な縫製が欲しいのですが」


「なんだい。子供でもかどわかしてくるのかい?」

「ええ、その子が悪い魔女に目をつけられましてね」


 顔役サイは訝しむように俺を覗きこむ。

「あんた本業は冒険者か。急ぎかい?」


「本業は商人ですが、たびたびそういう冒険者用のトラブルに巻き込まれます。内側には防寒用の毛皮を貼ってもらって、外側は追撃の矢を防ぐためのクマ革。それで十五日でお願いしたいのですけど」


「六二ロットだね」即答だった。

「たっか」スンダーロが目を見開いた。


「あと、革選びもこっちで決めさせてくれ。鉄火場を前提にしてるんなら、いいのがある」

「わかりました。それでお願いします」


 俺も即答で返す。顔役サイがむっとした目で見返してきた。本当に誘拐してくる気なのだと理解したらしい。


「その仕事にコイツらを連れて行くのかい?」

「いいえ。彼らには別の仕事をしてもらおうかと思ってます」

「ふぅん。……ふぅ、いいだろう。受けよう」


 俺は、顔役さんの前に金貨で袋一つと十二枚を置いた。


「余所者にしては、金払いがいいね」

 言葉とは裏腹に目の光は警戒を強めていた。

「カラダを張って護る価値のあるケンカになりそうなんです」


「ほぅ……なるほど」


「俺の話に興味を持たれたのなら、明日の晩、〝クマの門〟という居酒屋に来てもらえませんか。そこで皆さんにご説明します」


「ドワーフの店に?」場所は知ってるらしい。

「上等な酒は用意できませんが、ちょっとした料理でおもてなしさせてもらいますよ」

「ふんっ。まあ、考えとくよ」


 俺たちは店を出た。


「くそっ。相変わらずぼったくりカバン屋が」

 スンダーロが吐き捨てたが、俺はそうは思わなかった。


「あれは、職人の目だったよ。どんなものができるのかわからないけど、急ぎの二割増しで六二ロットは良心的かもな」


「あん? マジで言ってんのか」

「ああ、信用できそうだ。次に行こう」


 その後、あと二人の顔役に会って、顔見せ終了。カバン店の顔役とまったく同じ小言をスンダーロがもらっていた。少し彼には苦行を強いたかもしれない。

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