第18話 狼と鉄狼(5)
天幕の中は温かかった。
簡素な木机とイス。野営地の調度品としていつ潰れてもよい物を選んでいるようだ。
「中央軍情報管理官ロイスダール少佐だ」
「ヤドカリニヤ商会手代見習いの狼です」
「本名か」
「はい」
「こちらで調べれば、すぐわかることだぞ?」
「弊商会は公国の商家ではありません。協商連合属領セニの町に本拠を構える商会です。俺はその町で雇われました」
「っ……なるほど。それ以前の職業は」
「アパ・シャムウェルという魔術師の小間使いとして下働きをしていたそうですが、途中で逃走したようです」
「なぜ、そこは推量なのだ」
「記憶がありません。先日、旅の魔女に呼び止められ、初めて出自を聞かされたところです。もう三〇年以上前のことなのでシャムウェル自身もどこかへ旅立っていったようで」
「魔法使い……今の身元保証人は」
「ヤドカリニヤ商会会頭メドゥサ・リヴァイス・ヤドカリニヤです」
「メドゥサ・ヤドカリニヤ……ふむ、確か翡翠龍公主様の護衛で前家政長オイゲン・ムトゥの覚えめでたく取り立てられたという女騎士だな。確かに出自は国外の商家だったな」
へえ。さすが中央軍幹部。よく知っているな。
「はい。主人が一時、ニフリート様に貴族待遇で召し抱えられたため、その間、俺は主人の商売を継続してる形ですね」
「お前は、オラデアでの〝魔狼の王〟退治に寄与したそうだな」
「〈ジェットストリート商会〉と商売上のお付き合いがありまして、成り行きで」
「ジェットストリート商会……アシモフ家政長のファミリー企業だったな。なら、デーバでの地下水路のボヤ騒ぎは、お前か」
えーと。どうしようかな。
「確かにヤドカリニヤ商会の傭兵部隊が〝魔狼の王〟の巣を燃やしたことは把握しています」
「では、その直後に起きたアルバ・ユリアでの騒ぎは」
えーと。えーと。くそ、そんな細かいところまでもう憶えてねぇよ。
「商会の傭兵部隊と逗留はしていました」
「お前はそこに加わらなかったのか」
「そうですね。積み荷を守らないといけませんでしたから」
「領主の話では、狼の頭をした者が挨拶に来たと言っていたそうだが?」
こいつ……ロボット並みの記憶力かよ。
「傭兵部隊とは別に商会の名前で逗留していたのですから、当然、挨拶はさせていただきましたね。というか、これは一体何の詮議でございますか?」
「最近。特に今冬において、狼頭という人物の単語がやたら耳にする。とくに第二公子シャセフィエル様の口からも〝狼頭、勲一等に値する〟とその名が上がり、宮廷で論功行賞の物議を醸していた」
「それは……まことに僭越です」
まったくあの〝まっすぐ王子様〟は意外な形で、俺を買ってくれてるのはいいんだけどさあ。
「では戦闘に関わったこと、認めるのだな」
うっ、こいつはうっかりだ。勲一等って武勲表彰のことだった。
「いえ。ですから、俺は商人なので身分上、僭越だと申し上げているだけです」
「では、家政長たちから〝魔狼の王〟討伐の褒賞。何を望んだ?」
「それにつきましては、辞退申し上げました。その代わり、ティミショアラとオラデアで商売のタネをいくつか融通して戴きました」
「具体的には」
「それは申し上げられません。商売のタネは商人にとっては命の次。メシの種ですから」
「では、オラデアで建設中の公衆浴場なるものは、その一部か」
同じ公国内とはいえ、俺のことをよくご存じのようだ。
「これはこれは。情報管理官さまもお耳にされているようで。ええ、ええ。オラデア家政長にも、その方面でご尽力戴いております」
「口調が急に変わったな。何を隠している」
「……」俺は口笛でも吹きそうな顔でそっぽを向いた。
「では本題に入ろう」
うそだろ。まだ入ってなかったのかよ。
「三万人分の糧食。どこから入手した」
「いやー。あれは苦労しましたよ。三日かかりましてねぇ」
「お前の苦労など聞いていない。
取り付く島もない。無機質な視線が突き刺さる。
「オラデアの新市街に……その工場があります」
「オラデアに工場? ジェットストリート商会の系列か?」
マクガイアの息がかかっていれば、製法からダンジョン飯だと断定しようとしているのか。
「系列? さあ。大量に安くパンとチーズを作る店を訊ねたら、そこだと教えてもらっただけで」
「アシモフ家政長にか」
「いいえ、居酒屋の店主に。〝クマの門〟っていうんですが」
「その店はマクガイア・アシモフの系列だ。パンとチーズを作った店の名前は」
いま即断したな。こいつ、マクガイアのことになると急に深掘りし始めた。
「店の看板を上げていませんでした」
ロイスダール少佐はだしぬけに沈黙した。感情のない瞳でじっと俺を見据えてくる。
「狼」
「はい……」
「逮捕したティボル・ハザウェイとのつながりは」いきなり話が飛んだ。思考が混線する。
「それは……商売仲間です」
すると、ロイスダール少佐は机に、B5サイズほどの液晶パッドを持ち出してきた。
なんだ。このタイミングでなんの写真を見せられるんだ。俺は驚く感情を飲み込むために息を止めていると、
「やはり、貴様。この世界の住人ではないな」
「──っ!?」
「この世界の住人たちはこの装置を見て、驚くより先に怪訝に思うものだ。これは一体何なのか、とな」
俺は視線を下げたまま背筋が凍りついていた。もう相手の眼を見るのも重労働になってきた。
ロイスダール少佐はお構いなしにさらに俺の伏せた顔に液晶パッドを滑り込ませ、電源を入れた。一枚の写真が浮かびあがった。俺は思わず強く目を閉じた。
「くくっ。そうだ。いい反応だぞ。狼頭。その調子だ。これは先日、ダンジョン山の山頂付近で撮影された侵入者の写真だ。……マクガイア・アシモフはな。我々が
暴力を振るうでもなく耳許で怒鳴るでもない。ただ無機質に事実だけを並べていく。蛇のようにじっくりと忍び寄ってくる猟気だった。
「狼。狼っ。狼っ。聞こえているのなら返事だ。気を失っているのなら気付けをするぞ?」
「……はい」うつむく声が
クククッ。電子音みたいな
「お前に、三つの命を選ばせてやろう」
「……命っ?」
「一つは、貴様自身。罪状は、ダンジョンへの不告潜入ならびに国有資産の無許可持ちだし。
二つは、ティボル・ハザウェイ。罪状は宮廷魔術師エリス・オーの特命を無視してダンジョン盗掘に及んだ者達を幇助した罪。
三つは、マクガイア・アシモフ。罪状は……この世界に存在しない科学技術を流布した罪だ」
「なっ。なんで?」
「情報を引き出す方法でもっとも効果的なのは、なんだと思う。それは仲間の裏切りと死だ」
「──っ!?」
「仲間が目の前で死に瀕せば、何がなんでも助けたいと思うのは人の情だ。苦楽を伴にし、心を通わせた同胞だからだろうな。その三つの死を、貴様が一人だけ救えるとしたら……。
さあ、選べ。自分か、あるいはそれ以外か。これはそういう取引だ」
悪魔の誘惑。俺は牙を剥かずに歯を噛みしめた。
(ロイスダール。この男は、この男が……鉄狼)
『徨魔の巣を発見できた後の話やねんけどな。ウチらにクウェーサー爆弾を抱えて巣に突っこめって。それで博士がめっちゃキレてくれて、ロイスダールって将校をゲシュタポ呼ばわりで殴ったんやて。そのせいで博士は評議員から外されたって艦内で語りぐさの事件になったんよ』
カプリルが言っていた、マクガイア・アシモフの
俺はとっさに逃げを打っていた。
「おっ、横暴だ! ここは演習野営地でしょう。反乱分子の取調室ではないはずだ」
「そうとも。だが、貴様が私の供したイスに座った時点で、私の問いにすべて応える義務がある。貴様が一瞬でも魔法を使ったり、抵抗を試みた時点で有罪が確定する。私には大公陛下よりその裁判権限を与えられている」
「こ、この……っ」
大公は死んだ。その事実を言ってしまえば、相手の思うつぼだ。どこで死んだ。どうして死んだと舌の根を抉ってくるだろう。
大公は公国では無名無実の存在だが、彼がいたことで反乱は抑えられ、統制側は秩序を保ってこれた。反乱側・統制側双方にとって、抜けるはずのない
(こいつは、統制側……っ!?)
今じゃない。楔がなくなったことを報せるのは、俺じゃない。
我慢だ。この国の部外者で居続けるためには我慢しなければならない。その衝動をこらえるのに、俺は全神経を集中させなければならなかった。
「俺は、この野営地に食料を届けに来ただけだ。その者に対する仕打ちがこれですか!」
「その点に関しては感謝してやってもいい。セニの狼。だが〝赤鯱〟に思想感化されたにしては、貴様は目立ちすぎだ。貴様が〝魔狼の王〟をアシモフ博士が討伐したことにした時点で、この狭い箱庭の国にどれほど波風が立っているか、貴様には想像だにできないだろう。
その上で、貴様は一時期、ヨハネス・ケプラーのそばに身を置き、ロバート・オッペンハイマーと交流を持っていたことも調べがついている。その貴様が、三人の家政長の間で実行的ツナギ役として動き回っていたのだとすれば、いろいろ符合する点が多いのだよ」
知らない間に、ずっと目をつけられていた。
俺は背筋が凍る感覚に負けてイスを蹴って立ち上がると、机を叩いた。
「そんなこと、俺が知るかよ! それよりもさっさと同僚のティボル・ハザウェイを解放してください。盗掘幇助は、『公国大全』によれば五年以下の禁固のみ。ただし、免罪金を払えば数年の執行猶予で済む。その程度の軽犯罪です。
そ、そもそも、この国の宮廷魔術師には執政に対する助言と承認のみしか権限はない。通達すらその発効権限はなかったはずだ!」
白い悪魔がニヤァっと笑った。羽をもがれた
怖い。怖いっ。この男が。それでも俺は強弁を止めなかった。止めれば、全員殺される。
「ま、マクガイア家政長にしても、彼には元もとダンジョン内の保守業務という公国から委託された業務がありました。この写真一枚だけを持って、この世界に存在しない科学技術を配ったかどうかが判明するはずがない。あ、あなたの一方的な誘導尋問に他ならない!」
強く主張する言葉尻に、電子音じみた哄笑がかぶさった。
「面白い。実に面白いぞ、狼。だが無意味だなあ」口調が変わった。誰かの真似のようだ。
「……っ?」
「法は、あくまでも法だ。社会の根底に鎮座しているからと言って、それを切り貼りしただけで我を通せる道具ではない。貴様は、人が造った法の使い方をまったく理解できていない。
法とは、臣民ごときが適宜に用いてよい方便ではない。権力という鉄鎚で、権力者が好きな時にいつでも、伸ばして広げて、歪めて、邪魔者を墓穴に蹴り
「──っ!?」
「もう理解できただろう。貴様たち三人の嫌疑は、すべて〝確定事項〟だ。そのうちの一つだけ、食料を届けた褒美として、貴様に選ばせてやっている。そう言ってる。さあ、どれを助けたい?」
「あなたは……お前は──」
「狼。エリス・オーからの伝言だ。次に会ったら殺すと言ったはずだ。とな」
次の瞬間、笑っていた男の表情がリセットされたみたいに表情をなくした。
「警告だ。脅しではない。
(だめだ、もう無理だっ。こいつだけは、この悪魔だけは……っ!?)
憎悪を込めて牙を剥こうとした、その時だった。
「お待ちください。連隊長殿!」
「うるさいっ。こちらも緊急だ。推し通るぞっ!」
俺の背後でどやどやと将校たちが入ってきた。
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