第17話 冒険者になるのはやめておけ(1)


「うわ、違和感ありまくりっ!」


 部屋に入るや、スコールが開口一番に言い放った。

 バルナローカ商会。二階の商談室。


 シャラモンは、待たせていた子供たちを迎えに行った。


 部屋に入るなり、子供全員から警戒された。まるで猛獣の視線に気づいた小動物のようで割とショックだった。


「わぁ、きれい。ハティヤお姉ちゃんと同じ眼だあ」


 まずユミルが歓声をあげた。子供たちの中で一番感のいい子で、指摘された時にはどきりとした。


「い、色は、狼さんに選んでもらいました。どうですか?」


 この魔眼が〝緑雲の風眼〟であることは、言わないことに決めた。


 魔眼の元主・ジナイダは、ハティヤの実母である。十年前の政変で敗北したアウルス2世の親族であったため、連座して処刑された悲劇の名将だ。


 その眼球をつけて共に生活する男など、娘にしたらケダモノの類だろう。


『シャラモン。いつかバレるぞ。借金の言い訳は、早い方がいいんじゃねぇのか?』


 真面目な顔でムラダーに忠告されたが、それでも告げる勇気もなくて、結局、口をつぐむことにした。


 ハティヤを傷つけたくなかったのもある。同時に娘に嫌われてしまうのが怖かった。


 見えずとも一〇年以上の月日をかけて交わした言葉の数々。彼女からもらい、身体の隅々にまで行き渡った温かな何かを、一瞬で失いたくなかったのだ。


「きれー」

「葉っぱのいろー」


 子供たちから様々な評価が出る中で、ハティヤだけが何も言ってくれない。

 けれど、辛抱強く待つ。酷評を受ければ、今日一日疲労した心身にとどめを刺されるが、覚悟を決める。


 それから少しして、ハティヤが近寄ってきた。


 金色の髪が肩で雑多に切りそろえている。やや背の高い少女。まだは残るが、ジナイダ騎士団を創設する前の彼女にそっくりだった。

 利発で、勇敢。彼女と同じ灰緑色の瞳に非凡な才知を感じさせる。


 そして、なによりも美しい。


 いまだ十四歳にして、よくぞここまでまっすぐ成長してくれた。彼女の器量に関しては、神に感謝するのもやぶさかではなかった。


「どうですか、と訊ねる前に、他に言うべきことがあるんじゃないですか。先生」


 怒ってる。それも相当に深刻なレベルで。

 シャラモンは、かつて騎士の娘とのデートに遅れた時ですら、これほどの身の危険を感じたことはなかった。命のことではない。地位転落の危険性だ。


 待ち合わせの時間に三日遅れ、相手の女性からクズと罵られても傷つかなかったオリハルコンの心臓が親の地位失墜の危険性に早鐘を打っている。


「え、えっとですね。その、ご心配をおかけしました。無事にあなた方の顔が見えるようになりました」


 直後、強い突進を胸で受け止めて、シャラモンは文字通り目を白黒させた。


「本当に心配したんですからっ! 悪い魔眼を入れて発狂するんじゃないかって!」


(ああ、二度と手放せるものか。愛されているという、この実感を)


「ハティヤ……大丈夫。私にふさわしい、良い魔眼でしたよ」


 そう口にした途端に、なぜだか涙がまた溢れてきた。

 ところが、すぐに横から長男がとんでもないことを言い出したため、感動の涙がひっこんだ。


「あの、さ。先生」

 スコールが気まずそうに切り出した。

「実は、オレ達。冒険者になろうかなって思い立ったんだけど……どうかな」


 §  §  §


「ばっかもーんっ!」


 テーブルを拳で叩いて、ムラダーが無毛の頭から湯気を出して雷を吐いた。

 対面に座っていた子供二人が同時に首を引っ込める。


「地道に金を稼ぐのが嫌だから、ダンジョン攻略を始めるだぁ? 笑わせんなガキども! 落ち目の盗賊ひとつ潰したくらいでのぼせ上がるのも大概にしろ!」


「そうじゃないの。おじさん。話を聞いてっ」

 ハティヤがテーブルに身を乗り出す。


「ああ、聞いてやってもいい。だがその前に、おれからもう一つ言わせろ。お前ら、どこのダンジョンを狙おうとしている」


「えっ、どこって……?」


 子供二人はきょとんとした顔を見合わせた。

 ムラダーはごつい手で顔を覆って天井を見上げ、その手でまたテーブルを叩いた。静かに。


「そんなこったろうと思ったぜ。基本のキも知らずに冒険者ギルドに登録しようとしてたのかっ」

「すみません。俺も知らないです」


 俺はその場の空気を読まずに手を挙げる。ムラダーはむっと俺を睨みつけてから、短く唸った。


「いいか。この東方諸国には、帝国・王国双方が公式で認めるダンジョンが十三ある。通称【黄道十二宮パンデモニウム】と言われている地下迷宮だ」


「地下洞窟というヤツですか?」

 水の入ったグラスをムラダーの前に置きながら、追従してみた。

 ムラダーはひと息にグラスを飲み干して腕組みすると、眉を厳めしくして説明した。


「厳密には違う。地下といっても地表より下ってだけで、の光が差す場所は多い。あと、地質の変動で地割れをおこして、入口が洞窟として発生した場合もあるが、それすらも過去の遺構施設の名残りだとも言われているな」


「つまり、太古の文明人によって造られた建造物だと?」

 俺がロマンに瞳を輝かせた。ムラダーは胡散臭そうにこちらを見る。


「とにかく、そこには魔物が巣を作っていたり、地方貴族の荘園から逃げてきた農奴やお尋ね者なんかが貧民街スラムを造ってんでいたりする。

 帝国や王国は、とくに魔物が群れになって地上の町や村を襲わねぇように民間委託する形で駆除政策をっている。それが〝冒険者ギルド制度〟だ」


「なるほど」

「ただし、双方の行政庁が認めてるのは、ダンジョンの目的内侵入とその遺物の〝採掘権〟だけだ」


「ダンジョンの採掘権はなんとなく想像できますが。目的内、というのは?」


「うん。このプーラの町にもあるが、冒険者ギルドには一般市民から依頼が日々舞い込んでくる。下水掃除から家出家畜の捜索。ダンジョンで遭難した家族の遺品回収。ゴブリン巣窟の駆除。稀少な薬材目的の魔物討伐まで幅広い。


 だが、その依頼を受注せず、ダンジョン内に入ることは原則禁止されていてな。その無受注で侵入する行為を〝盗掘〟と呼び、それを商売にしてる裏の連中を〝盗掘屋〟と呼んで冒険者と区別する」


「なるほど。ということはダンジョンに入るためには、冒険者ギルドに登録と受注の届出がいる。……あれ。でもそれって、タダじゃないですよね」


「まあな。ギルドの初登録は原則タダなんだが、受注には手数料を前金で取られる。報酬の三割だ」


「三割……。馬鹿になりませんね」


「おいおい、馬鹿にならねぇどころかぼったくりだぜ。例えば、一番安全だって言われてる町の下水掃除の相場が、だいたい二〇〇ペニーだ。その三割を手数料で持って行かれてみろ。タダ働きと変わらねぇよ」


「ペニー? あれ。どこかで聞いたことがある単位ですが、思い出せないですね」


「ずっとロット単位で商談してたから、金の感覚が馬鹿になっちまうのさ。普通の町で普通に生活してりゃあ、商人じゃなけりゃロットなんて滅多に聞こえてくる単位じゃねえ」


「それじゃあ、一ロット稼ぐのに、どんな仕事があるんですか?」

 ムラダーは禿頭をつるりと撫でてから、


「そう、だな……。おれが憶えてる限りじゃあ、マダラオオカミっていう人喰い狼の群れを一つ潰せば、一ロットだったかな。

 そいつはだいたい地表に近く、草原や森林がある[一〇階域]から[二〇階域]にいる。群れの単位はピンからキリまであるが、最少で六頭。十五頭を超えれば大群として扱う。同じ六頭でも人の味を知ってれば、その凶暴さは二〇頭に匹敵すると言われてる厄介な魔物狼だ」


「マジかよ……」スコールが意気消沈した声を洩らした。


「だから冒険商売は、素人の子供二人で地下迷宮に入ったところで、まずヤツらのエサだ。四人から十二人で入って一〇日もすりゃあ、生き残るのは半分だと言われている」

「その理由は、魔物だけじゃなさそうですね」俺が指摘した。


「うん。ダンジョンで一番厄介なのは、罠だ。それは元々あったのかもしれねえし。棲んでる連中が食糧確保のために設置したのかもしれねえ。前の冒険者が置いていった追っ手を振り切るための〝追い返し〟だったかもしれねえ。どちらにしても、無知とマヌケから先に死ぬってのが、ダンジョン攻略の鉄則だ」

 そう言って、ムラダーはまたがぶりと水を飲んだ。



「けど、おっさん。オレたち家族八人が食っていくためには、ダンジョンに入って稼ぐくらいじゃねーとやっていけねーんだよっ」


 スコールが必死の眼差しでテーブルの向こうから食い下がっていく。

 けれどムラダーの表情は冷ややかだった。


「スコール。その動機がそもそもの間違いだ」

「えっ?」


「冒険者は、金を稼ぐためにダンジョンに入る。それは間違っちゃあいねぇ。だがな、ヤツらの中で家族を養うために入って、戻ってきた試しなんざねえのさ」


「どうして? 家族のために危険を冒すのがそんなにいけないことっ?」

 ハティヤも噛みついてきた。


 ムラダーは疲れた顔で大きなため息をついた。


「家族のためとか、恋人のためとか、そういう物差しをもってダンジョンの中にはいりゃあ、早晩命はねぇのさ。なぜだかわかるか」

「それは……欲をかくから、ですか?」


 俺がラノベ脳を働かせて言う。『俺、このダンジョンで稼いだら彼女に……』というヤツだ。すると禿頭が大きく前に傾いた。


上出来だドブロ-。お前たちから、その答えが聞けてよかったぜ」

「欲を持ってちゃいけねーのかよ。みんな、それくらい持ってダンジョンに入るんだろっ?」


 スコールの顔を紅潮させて訴えてくる。デキの悪い弟子を見るような目で、ムラダーが押し黙る。かわりに俺が答えた。


「物事には〝引き際〟といったり〝潮時〟といったものがある。ダンジョンの中で空腹やケガで動けない。でも家族のためにもうひと頑張り。不安を押し殺して下層へ降りる。そこで強い魔物に会って……。冷静な判断で周りと自分の状態が見極められなければ、即死に繋がる世界。それが冒険者なんだと思うよ」


「でも、それは他の冒険者も覚悟してやっていることなんじゃないの?」


 ハティヤが静かに抗議する。

 すると俺は昨日のことを思い返して応じた。


「俺も二人と同じだ。冒険者のことをよく知らない。だから言えるんだけど、俺たちは今回初めて戦うことを覚えたばかりだ。だから、もっと他の仕事で身体を鍛えたり、知識を集めたりした方がいいんじゃないのかな。

 これは俺の想像だけど、見習いとして冒険者についていっても、知識もない。体力もないじゃ、足手まといにしかならないと思う。


 ダンジョンで身をもって学んだ先に死が待ってることもあると思う。新人のせいでパーティ全滅なんて絶対あってはならない。ひどい冒険者パーティに入ったら、知らない間に魔物を引きつけるエサの代わりにされても文句は言えないんじゃないかな」


 俺がラノベ経験から見てきたように講釈すると、子供二人はしゅんっとうなだれてしまった。

 そこに更なる追い撃ちをかける気になったのか。ムラダーはやおら立ちあがると部屋の隅に立て掛けていた自分の剣を持ってきて、それを抜いた。


「お前ら、これ。いくらだと思う?」

「へ?」

「こいつは、おれが初めてダンジョンに入って、〝盗掘〟して唯一値のついた剣だ。値段を当ててみな」


「うーん……見た目は立派だし、三〇ロットくらい?」ハティヤがいった。

「いや、もっといくだろ。一〇〇ロットとかじゃねぇか?」訳知り顔でスコールがいう。

 空想を膨らませて値踏みしていく子供達をしり目に、ムラダーは俺を見た。


「狼。お前は、どう思う」

「そうですね。盗掘品ですし、だいぶ買い叩かれて一〇〇ペニーでしょうか?」


「ふん。正解は――、二〇ペニーだ」

「ええええっ!?」


 俺たち三人は目玉が飛び出るほど眼を見開いた。

 ムラダーは、剣をさやに戻しながら満足そうに鼻を鳴らした。


「狼が今いったが、無受注の盗掘品だからってこともある。だがな、どこの迷宮でも地下[三〇階域]を越えて潜らなけりゃ、遭難冒険者や帝国・王国の探索隊の遺留品とみなされるんだ」


「見なされる?」


「コイツはダンジョン探索の不思議なところなんだが、どのダンジョンでも[四〇階域]から徘徊はいかいする魔物の種類や性質がガラッと変わるのさ。狡猾で陰湿、かつ獰猛にな。

 そのかわり、遺物の見た目も質も一変する。材質が金だったり稀少金属だったり、中にはマナ石や魔法技術を埋め込んだ魔導具も見つかる。


 だがな、そういう価値あるアイテムを地表まで生きて持ちかえれるパーティなんてのはほんのひと握りだ。仲間を何度も、何人も失いながら必死の思いで掴んでくるのさ」


「ちなみに、ムラダさんのダンジョン経験をお聞きしても?」


 俺が訊いた。元盗賊団のリーダーは不敵に口の端を歪めて、


「おれは十五の時に、帝国領内にある【天秤宮ヴェスーイ】の二八階層が最初だ。喧嘩仲間八人とイキって船で乗り継いでな。その船賃で金を使い果たしちまって、ダンジョンは無届けで潜った。


 そしたら、その二八階層で幼馴染みが目のない白いワニに左足を食いちぎられて、おれは無我夢中でヤツを背に担いで逃げ還った。で、その逃げるどさくさに掴んだのが、この剣一本。地上に出た仲間も背負っていた幼馴染みだけになっていた」


「その幼馴染みさんは、今」

 ハティヤがおそるおそる訊ねる。


「生きてるはずだ。おれはその後、帝国兵の入隊検査を受けて、ヤツとはそれっきりだ。冒険者をあきらめて家業の居酒屋を継いで、いい亭主になってるだろうよ」


「いい話ですねー」

「いい話なの?」

 ほのぼの感じ入ってる俺のとなりで、ハティヤが怪訝そうにする。

 すると突然、スコールが立ちあがるとテーブルに両手をついて、頭を下げた。


「頼む、おっさん! オレに冒険者としての戦い方を教えてくれ!」

「断る」

「ええっ、即答ぉ?」


 少年の眉がハの字にしてしおれる。ムラダーは容赦しなかった。


「おれはテメェの盗賊団をテメェで潰すような甲斐性なしだからな。この三〇ロットを路銀にして、次の実入りのいい稼ぎを探して旅に出る。狼を連れてな」


「そ、それなら、オレも連れてってくれよ!」


「断る。なぁんでおれが、ガキのお守りしながら旅しなくちゃならねぇんだ」

「う゛~っ。なら、この五ロットを返すから。だから――」


「スコール」

 俺がちらっとムラダーを見て言う。


「自分で稼いだお金なんだよ。ちゃんと目的をもって使うべきじゃないか?」

「っ……あっ! ――おっさんっ。この金で、オレに剣を教えてくれ!」


 目を輝かせる少年に、ムラダーは苦虫を噛みつぶした顔で俺を睨む。


「余計なこと吹き込むんじゃねぇよ、お前」

「いやー、はは。すいません。彼の必死な様子を見てたらほっとけなくて。つい」

「ハァ。ったくよぉ。……で、嬢ちゃんはどうすんだ?」

「え、私? 私は……」


「言っとくが、向こう見ずな弟が心配でついてくるってのはナシだ。お前の人生はお前が決めろ」


 ハティヤは自分の掌を見つめながら少し考えて、


「ダンジョンに行ってから考えるってのは、ダメ?」

「おい。さっきの話を聞いてたのか?」


 ムラダーの声が一段、低くなった。ハティヤは慌てて両手を振った。


「違うの。違います。欲とかじゃなくて、そうじゃなくて、ちょっとでいいのっ。一〇階とは言わない。五階くらいでいいと思ってる。本当よ。

 先生とみんなの住む所が決まって、そこから近いダンジョンがあったら、ちょっとだけ覗いて満足する。覗いたら二度と行かないわ。約束する。だって、名声なんてわたしには似合わないもの」


 その時の一瞬見開かれたムラダさんの目が何を見ていたのか、俺にはわからない。


「……恨むぜ、団長」


 ムラダーが本当に小さく口の中で毒づいたのを、俺はこの耳で聞いた。

 その言葉で彼の中で化学反応が起きたことは間違いない。でも、聞かなかったことにする。


「お前らの親にパーティへ加わるよう、お前たちだけで説き伏せろ。それが条件だ」

 少女と少年は、まっすぐ見つめ返してうなずいた。

 なんだかんだで、ムラダーもこの子達を気に入っているようだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る