第18話 冒険者になるのはやめておけ(2)


「なりません」

 シャラモン神父は言下のもとに切って捨てた。

 子供二人はここでも首を引っこめてしまう。


「お姉ちゃんたち、おこられてるねー」

「ねー」

 年少組のユミルとギャルプが顔を見合わせる。


 彼女らの養父は、非難の眼差しを旧友のハゲ頭に向けた。


「ムラダーさん。この子達の安易な考えに現実の厳しさをさとしてほしかったからお願いしたのに、なんですか。この体たらくはっ」


 ムラダーは相手の魔眼を見ないように顔を背けて、ごつい肩をすくめるほかなかった。というかシャラモン神父が魔眼を入れて以来、やたら弱腰だ。


「いや、面目ねぇ。慣れない説教はたれるもんじゃねえな。要は、論より証拠ってやつだ。現場を見て思い知ることも人生の糧だと悟ったんだろ。こいつらがな」


 シャラモン神父は呆れた様子で顔を振ると、いまだテーブルに載る二〇〇〇ロット余りの大金袋を見た。


「当面の生活費はうるおいましたし、またペロイ村の貧乏聖堂所に戻りましょうか」


「先生っ」

「スコール、ハティヤ。私は、あなた達にケガをしてほしくて、ここまで養ってきたわけではありません」


 静かな口調だったが、養い親の自負が感じられた。子供二人もそろってうなだれる。


「それじゃあ」ハティヤが顔をあげる。「先生は、なんのために私に弓を、スコールに剣の手ほどきをしたんですか」


「無論、この世界で生きていくためです。ですが、それは冒険者のためではありません」


「じゃあ、十四の誕生日にくれた〝魔導具ドラグーン〟は?」

 今度はスコールが口をはさんだ。


「それは成人の証としてです。あなた達の家名は断絶してしまいました。だから、せめて自分の由緒を感じ、誇りを持って生きてほしかったのです」


「それなら、冒険者になっても誇りを持ち続ければいいわけでしょう?」


 ハティヤが主張する。それがシャラモン神父にはヘリクツに聞こえたのだろう。彼の細い眉が跳ね上がった。


「誇りとは、そのような安易なモノではありません。誇りとは倫理です。人の道を進むための〝方位磁石コンパス〟です。冒険者などといったその場凌ぎの職業にあなた方の誇りを用いるのはおやめなさいと言っているのです」


「それじゃあ、先生はわたしが貴族になれば満足ですか?」

「論点を逸らせても答えは同じです。もっと誇りを持って職業を選びなさいといっているのです」


「それって、冒険者がいやしい職業だって言っているようなもんじゃない」


「ええ、その通りです。そもそも迷宮などという遺物は、そのまま放置しておけばよかったのです。帝国も王列国も、太古の知識がなんなのかよく知りもしないで有り難がるから、余計な尾鰭おひれがついたのです」


「おっとぉ。その口ぶりだと、お前もダンジョンに入って痛い目を見たクチだな」


 ムラダーがニヤニヤ顔で茶化してくる。それから穏やかな眼差しで、


「お前からも話してきかせてやれ。その方が早ぇだろ」


 シャラモン神父は憮然として、溜息を吐いた。


「センセー。お腹すいたぁっ!」

 ギャルプがよく通る声で言った。それを皮切りに、次々と子供たちがツバメの雛のごとく騒ぎ始めた。


「とりあえず、このお金を持ってここを出ましょう。どこか食事処で昼食をすませてからこの町を出ます」


「そういや、お前らこれからどこへ向かうんだっけ?」


「ここから海岸に沿って東へ行き、リエカの町から北東の城塞都市カーロヴァックへ。先輩の神官が下町の司教として赴任しているはずです。彼に口利きをお願いして、教師の口を探します」


 ムラダーと俺、そしてシャラモン一家は、バルナローカ商会をでる。

 黒狐はもう顔を見せなかったが、店番の男と下働きのマチルダという少女が見送ってくれた。

 次に〈エプロン亭〉という居酒屋に入った。マチルダの紹介で、その店では魚介がお勧めらしい。


 ムラダーは、まず〝ラキヤ〟という、たぶん酒を注文し、それからエビとベーコンのピッツァ。〝ブザラ〟というムール貝の白ワイン煮込み。子供達の分として〝ブロデット〟というエビ、イカとマサバのトマト煮込みを四人分注文する。


「狼。フードは外すな」

「了解です」

「はいよ、ラキヤ」

 女将がテーブルに、ショットグラスほどの小さな金属器三つと、乾燥果実を置いていった。


「おっ。待ってたぜ」


「何に乾杯しますか?」シャラモン神父が促してくる。

「そうだな。子だくさんの神父の前途と、紅牙猪ワイルド・ボーに――」


 ――乾杯キッピス


 金属器が三つ、宙でカチ合った。

 そして、一気に酒杯をした途端、俺は頭に衝撃をくらって目を見開いた。


「うっひぃいいいっ! きっつーい! なんだこれっ。げほげほっ!」


 その反応を見て他の二人は声に出して笑い、それから自分たちも一気に乾して顔をしかめ、そして笑った。

 酒の種明かしは、シャラモン神父がしてくれた。


「〝トラヴァリツァ〟。ハーブ入りラキヤです。ラキヤは果実の発酵蒸留酒のことで、客人の歓待や食前酒として愛飲されていますね」


 それから女将はやはり気っ風のよい人物らしく、八人がけの長テーブルに小さな寸胴鍋で運んでくれた。


 配膳はシャラモン神父とハティヤ、スコールで子供たちのスープを取り分けて食事が始まった。シャラモン神父が戻ってきた時には、すでにムラダーがワインを一本空けて、二本目を手にしていた。


「シャラモン。お前、この戦場を毎日かよ」

 神父は微笑みつつ、ムラダーが差し向けてきたワインボトルをグラスに受けた。


「ええ。しかも一日二食です。ハティヤとスコールがいなかったら、過労で倒れていましたよ」


「そういや、なんでこんなに増えたんだ?」


「行きがかり上、というやつですかね……あの中に冒険者の忘れ形見も二人います。だから親として、冒険者なんて無責任な職業だけはさせたくないのですよ」


 食事が終わり、一行は女将に勘定を少し弾んで店を出る。


「ムラダーさん。やっぱり勘定は、折半にしましょう」

「何言ってやがる。餞別せんべつ晩餐ばんさんだと言ったろう。ここはおれが持つから先に出てろ」


 居酒屋での送別会みたいだ。二人のやり取りが、なぜか俺は嬉しかった。

 外はもう昼過ぎ。早くもうたた寝を始める子供らを馬車に押しあげ、ハティヤとスコールを含めた五人でプーラの町の酒場へとくり出した。


「あの。小さな子供だけで、大丈夫なんですか?」

 俺が心配そうに神父にたずねた。


「ええ、大丈夫ですよ。野営用の狼牙兵ウルヴズを召喚してあります。ムラダーさんではかないませんが、この町の衛兵程度なら問題ありません」


「先生。なんかその魔眼つけてから、魔法を使いまくりですね」

 スコールが苦笑する。

「ええ。使えば使うほど、調子が戻ってくる感じがしますね」

 彼の職業は、神父である。


  §  §  §


〝蜂蜜熊亭〟――、

 そこは、冒険者ギルドと通称される酒場だった。


 店の玄関口の壁に、行政庁からの〝冒険者ギルド認定店〟の鑑札がこれ見よがしに掲げられていた。

 店内には老若男女を問わず集い、酒と焼けた肉と体臭に濃密な空気を作り出していた。鼻が利き過ぎるのも考えものだ。


 ムラダーがカウンターに取りつくより早く、内側のバーテンダーが足と見紛うほどの太い両腕を広げて、デカい声で歓迎した。


「よぉっ、ムラダー!〈ガーネット・クロウズ〉じゃねぇか!」

「チェコ、声がデカい。冒険者はもうやめたって言ったろ。仕事を漁りに来たわけじゃあねえ」


「へっ。どうだかな。おめぇは昔からトラブルを呼ぶ男だったよ。で、それが今のお前のパーティかよ。小粒がまじってるみてぇだが、あのシャンドルよりは使えるのか?」


「うるせぇよ。さっさとその口閉じて、黒ビールをくれ」


「へへっ。そうそう。最近、若い冒険者どもが酒場で酒を飲まなくてよ。今、ウチじゃあこういうモンが売れ筋なんだぜ」


 と、バーテンダーが太い指でメニュー表を出してくる。

 ムラダーはそれを受けとって、左の眉だけひきあげた。


炭酸ソーダ水だぁ? おい、チェコ。この店潰れんのか?」


「おめぇが廃業してから、ガキが多くなって困ってるんだ。貼りだす仕事も今は[討伐]よりも[奪還]がメインだ。依頼人はなんと、冒険者の親どもだぜ?」


 ムラダさんは、ここに来るんじゃなかったとかぶりを振った。


「時代は変わったな。だからか。今、知り合いの子供にダンジョン観光がしたいとせがまれてる」

「かーっ。いやなご時世だねえ。本気で連れて行くのか?」

「まだ説得中だ。王国からのダンジョン官報はどこだ」


 バーテンダーはきな臭そうに顔をしかめて、かぶりを振った。


「それが行政庁からまだ回ってこねぇんだ。王都ザグレブも今、てんやわんやみたいでな」


「帝国との戦争か」


「たぶんな。のん気にダンジョンの間引きなんてやってる暇があったら、一人でも多く国境に送り込みたいところなんだろ」


「ちっ。じゃあ、帝国のでもいいっ」

「それならいつものところだ」


 そう言って、チェコがごついアゴを店奥の壁に向ける。

 ムラダーは常連の男女からの挨拶に軽く応じながら、奥の壁ぎわに近づいた。

 薄暗い壁に貼られた一枚の羊皮紙に指で上から下へつたわせて、大きなため息をついて戻ってきた。


「なんだ、お前ら。適当に座ってればよかったのに。――おい、チェコ。黒ビール三つ。それと例の炭酸水を二つだ」


 注文しながら、ムラダーと窓ぎわの角。丸テーブルに座った。外から覗いてもそこだけ死角になるようだ。自分がお尋ね者であるという自覚はあったらしい。

 やがて飲み物と頼んでもいない軽食がテーブルへ無造作に置かれると、シャラモン神父が語り出した。


「五〇年ほど前でしょうか。当時、宮廷魔術師見習いとして宮廷に出入りしていた私に、上司から命令が下りました。

 【黄道十三宮パンデモニウム乙女宮ディエーヴァ】に潜入し、『黄昏たちの囁き』という魔導書を採掘することになりました」


「ほう。ダンジョンには魔導書なんてのもあるのか。そいつは知らなかったな」


 ムラダーは合いの手を入れたが、からかい半分なのはにやけた顔でわかった。


「丸四日かけて、第五八階層に到達。魔導書を手にして地上に戻った時、私を残してパーティは全滅しました」


 子供二人が息を飲む。ムラダーからも笑みが消えた。


「何人で入った」

「あの頃はダンジョン探索も国政の一つでしたからね。部隊長五名を含めた歩兵三〇〇名です。そのうち、大半が往路の罠によって失い。ようよう魔導書を手にした時、私の周りにいたのは騎士二名と歩兵十五人でした」


「何があった?」

「何があったかですって? 隊長さん。私たちはね。迷宮に入った時から戦死者名簿に載っていたのですよ」


「上にめられたのか。だが、見習いとはいえ戦場でもない局面で魔法使いを捨て駒にするとは太っ腹な犠牲もあったもんだな」


 ムラダーは解せない表情で供された黒ビールをす。

 シャラモン神父は、いまだ手をつけていない白磁のジョッキを見つめる。


「上司は、皇帝に身に過ぎた欲望をいさめるため、『魔導書の採掘は、迷宮の強固な反撃罠セキュリティによって全滅し、未達。レイ・シャラモンをもってしても不可能』。そう報告したかったのでしょう。

 冒険者になるということは、依頼人の、そういうドス黒い欲望。駆け引きをも背負って危険を冒していく汚れ仕事なのです」


 ムラダーは黒ビールをあおって、お代わりを頼む。ペース早すぎ。


「だがそりゃあ、おめぇ。政治屋の思惑なんざ考えるだけ野暮だぜ。冒険者はただ依頼を無事にこなして地上に還ることしか考えてねぇよ」


「そうですね。どんな美談や陰謀も、迷宮に入ればやることは同じです。実際、一流の冒険者に軒並み断られた後で、執政に支障のない、魔術師見習いにお鉢が回ってきたのですから。

 冒険者とは本来、根無し草。国の統治者に認められなくても一向に構わない存在のはずなのです。


 すでに何度も迷宮から生還して万人から勇者と認められていても国の命令に〝否〟と答えられる冒険者はひと握りです。たったひとりの暗愚の好奇心を満たすために、迷宮で消息不明になるか、国家反逆罪として逮捕されるか。

 私に任務が廻ってくるまで、八〇人近い冒険者が本一冊の探索を拒否したために投獄されていたそうですよ。まったくバカげた話です」


「あのぅ」

 俺は陶器製ジョッキをもの珍しそうに眺めつつ、割って入った。


「ダンジョンで残り十七人になった兵士の方は、その後、どうなったのですか」

 シャラモン神父は大きな呼気の塊を吐くと、


「十人が二頭のキマイラのオモチャにされ、騎士を含めた四人が私の目の前で発狂して自刎じふんしました。運良く逃げおおせたはずの残り三人とは、結局、私が迷宮を出た後もその姿を見ていません」


 ハティヤもスコールも表情を凍りつかせ、生唾を飲みこんだ。

「それで? お前はその魔導書を上司に渡したのか」ムラダーが訊いた。


「ええ、もちろん。上司はねぎらいの言葉一つなく受けり、即日、皇帝陛下に謁見。そして二人で仲良く異界へ旅立っていかれましたよ」


「は?」

 全員が注視するのも意に介さず、シャラモン神父は黒ビールを優雅に傾けた。


「罠ではありません。魔導書『黄昏たちの囁き』とは、そういうものなのです。魔法の素養がないものが不用意に開けば、魔導書の中にいる魔神があちらの世界へ引きずり込むのです。宇宙の生贄としてね」


「で、お前はどうした?」


「ご覧の通りです。魔導書は謁見の間から忽然と消え去り、皇帝陛下と上司は失踪。私はダンジョン風邪をひいて寝込んでいたので、皇帝暗殺の関与も疑われることなく、なし崩し的にくり上がりで次期皇帝の宮廷魔術師に就くことになりました。めでたしめでたしです」


 ちっともめでたくなさそうに、シャラモン神父はグラスをあおった。


「でもね。つい最近まで。あのダンジョンで死んでいった兵士達の悲鳴や恨み言がなかなか耳から離れなくて、よわりましたよ」




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