第19話 冒険者になるのはやめておけ(3)
「先生は、冒険者になろうと思ったことは?」
スコールがテーブルに身を乗り出して質問する。
シャラモン神父はちょっと小首を傾げて、
「ありませんね。もちろん、宮廷からの公的調査や討伐隊支援、魔法研究の一環としてダンジョンに潜ったことは何度もあります。
もともと宮廷仕事が忙しかったこともありますが、それなりに高給取りでしたし、武勇を誇らずとも帝都の女性にモテました。だから、自分から好んでわざわざ暗くて臭い、ダンジョンに降りていく必要性をまったく感じませんでしたね」
ぐおっ。
うぐっ。
……ぐすっ。そこまで言わなくても。
別のテーブルで、冒険者と思われる男たちがジョッキ片手に背中を丸めていた。
シャラモン神父はそれらを歯牙にもかけず、懸命にわが子を諭す。
「私はね。地道に働いて人と関わり、友人を作り、恋愛をして結婚し、子をなして、家庭を養っていれば、価値ある穏やかな人生が得られると思うに至りました。
それを捨ててまで、わざわざダンジョンに潜ってケガをして、心を病み、すさみ、人間性さえも失っては、地上で待っているのは墓穴だけでしょう」
「ひどい言われようだが、否定のしようもねぇな」
給仕からビールのおかわりを受けとりながら、ムラダーはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「おじさんは昔、どんな依頼を受けてたの?」
養父の説教に飽きたのか、ハティヤが興味津々に目を輝かせた。
「さっきあそこのバーテンが言っていた、[奪還]の依頼が多かったな。町で衛兵に追われたコソ泥が思い余ってダンジョンに逃げ込むことがたまにある。その逮捕と盗品回収だ。あとは負傷した冒険遭難者なんかの捜索救助か。他は地上の仕事で[配送]とかだな」
「はいそう? ……ああ、お届け物ね」
「おっさん。その[奪還]って、賞金稼ぎとは違うのか?」スコールが訊く。
ムラダーはビールをぐびりとやってから頷いた。
「賞金稼ぎは、執政長や地方領主が、殺人や脱税などの重罪犯の逃亡または広域潜伏した犯罪者に懸賞金をかけて、領主の名の下に逮捕権を代理して捕まえる公的な仕事だ。
だいたいは生死を問わずというが、どこに逃げたか情報収集を一から始める。不可抗力で壊した器物の損害も報酬からの減額ですむ。あと、こっちは冒険者に限定はない、くらいか。
一方で[奪還]は、個人が冒険者ギルドにそれなりの報酬を積んで、引き受けた冒険者に盗まれた荷物を取り返させたり、誘拐された女子供を取り返させたりする。
利点は、とにかく早い。ギルドが近隣の町と
だから、冒険者は確実無事に奪り返すことが絶対条件となる。死なせたら死なせた犯人を、壊れたら壊した犯人を連れて戻らなければ、罪にはならんが信用が落ちる」
「なぁんだ。それってとても真っ当な仕事じゃない」
ハティヤが声を弾ませる。ムラダーは厳しい表情を横に振った。
「言うは易しだ。昔、コソ泥がダンジョンに飛びこみやがってな。依頼人から、犯人の逮捕はあきらめるから物品の回収だけ頼むと言われて追いかけてみたら、目的の品物が窃盗犯もろともアークスライムの胃袋の中だった時は、依頼人を恨んだぜ」
「アークスライムってなんです?」
俺が、つまみの燻製サーモンのソテーを口に入れながら、ムラダーを見る。
答えたのは、シャラモン神父だ。
「
また、自身の体表面で育てたキノコ類を目当てに寄ってくる大型昆虫を護衛につけていることもありますね。
強酸の体液を吐きかけてくるため、調子づかせると厄介ですが、火と乾燥に弱いので火矢などで遠くから射かければ、さほど強敵ではありません」
「へー、さすが先生。博識~っ」
娘にニコニコと褒めそやされて、シャラモン神父はとっさに笑顔を作りかけ、慌てて渋い表情を作った。あくまでも子供らの冒険心に徹底抗戦をがんばるのだった。
それから少しの間だけ、場が沈黙した時だった。
店に帽子をかぶった男が飛び込んできた。
§ § §
「ああ、いたっ。旦那っ。ここだったんですかっ」
ティボルだった。顔色に余裕がないことから、よほどのことが起きたのだろう。
ムラダーはやっぱりティボルが嫌いなようで、うんざりした顔を見せた。
「ティボル。今のおれは旦那じゃねえよ」
「何言ってんすかっ。んなことよりも、大変なんですよ。ザスタバのヤツが、あの村の聖堂所に火をかけて逃げたらしいんですよ!」
「何っ!? 死人は」
ムラダーが眉をひそめて睨む。ティボルは急いで真顔を振った。
「死人はいないそうです。けど、延焼して家を数軒焼いたみたいで、村の連中カンカンみたいですよ」
「あの野郎……いらんことを」
ムラダーが太い腕を組んで唸る。すると、
「あのぉ」
ハティヤが身体を小さくして、おずおずと手を挙げた。
「それ、私かも」
「あん?」ムラダーの左眉が跳ね上がった。
「聖堂所を飛び出した時、テーブルの上にあった燭台を倒しちゃって、そのまま逃げましたっ。ごめんなさいっ」
少女は席を立って、ぺこりと頭を下げた。
「ハティヤ。なんてことを……」
シャラモン神父がこめかみを押さえて、嘆息した。
「だ、だって。ロンドさん達が家のドアをドンドン叩きだして、『やっぱり神父は何か知ってるんだ』って喚き始めるんだもん。なんだか怖くなっちゃって」
「やっぱりって?」
俺が聞き返す。ハティヤは顔を振り、養父を見返した。
「シャラモン。あの森のことか」
先に踏みこんだのは、ムラダーだった。
「あなたも気づいていましたか」
「あの村から少し離れた森で〝神〟に飲まれた廃村を見つけた。そことあの村の村長の家の配置が同じだったからな」
すると、ティボルが顔色を真っ青にして、
「旦那。もしかして〝神蝕〟のことですか?」
「ん。どうしてわかった?」
優男が罪人を糾弾するように、俺を指さした。
「昨日の夜。コイツが、あの森で〝ケルヌンノス〟を見たって」
すると、ムラダーが天井を仰ぎ、シャラモン神父が額をおさえてうなだれた。
「お二人とも、どういうことなんですか。説明をお願いします」
俺は二人を見比べると、ムラダさんがビールを飲み干す。
「シャラモン。頼む」
「わかりました……。この東方諸国は、森の世界です」
「待てまてっ。シャラモン。神話から始めたら明日の朝になる。現実的なところだけでいい」
ムラダーが苦笑まじりに止めた。
シャラモン神父はそっと
「まだ明確な周期が確立したわけではありませんが、ある時期を境に森が急激な繁殖を見せるのです」
「急激な、繁殖……?」
「それを一般に、〝神に飲まれる〟あるいは〝神蝕が始まる〟と言ったりします」
「その言葉の違いはあるんですか?」俺が聞き返した。
「特にありませんが、強いて言えば信仰心が強い人は〝神蝕〟を使いたがりますね」
「うちのボスはサンクロウ正教会に寄付をしてますぜ」
「それはそれは、かたじけなく」
シャラモン神父が儀礼的にお礼を言うが、話の腰を折られて不満そうだ。
「森の急激な繁殖は、森全体の拡張を意味します。これに伴い、森に棲んでいる魔物が巨大化および凶暴化。人間への攻撃性が高まり、森の拡張の先兵として村や町を襲うようになります。
その最終告知をするとされるのが、精霊王と通称される〝ケルヌンノス〟という巨大な精霊集合体の目撃です」
「ティボルから、命と豊穣、そして死を司っていると聞きましたが」俺が小首を傾げる。「でも最終告知って何なのですか?」
シャラモン神父は頷くと、
「〝ケルヌンノス〟の姿が目撃された森は、数日の後に魔物の大群が人間集落を襲い始めます。
私が記憶している中で最大規模の町は紀元前三世紀に起きた〝
「一夜で、三〇万人が全滅?」
「はい。そう伝えられています。そして六日間でその都市は森となりました」
「対策はあるんですか」
シャラモン神父は前にほつれた髪を撫でしつけながら、色っぽく吐息すると、
「森を焼き払うしかありません。しかし〝ケルヌンノス〟が現れた段階で森を焼いたところで、果たして効果があるかどうか」
「どうしてですか?」
「植物の繁殖には水を伴うからです。水は、硬い土を緩め、動物の糞を溶かして養分を土に浸透させ、苔を土着し、そこに水を蓄えさせて樹木を育みます。
最終告知を受けた後はその速度が進むと見られていますから、火が草木を燃やす速度に対し、草木が生長する水の速度が凌駕しているのです」
「凄まじいですね。それは、いつまで続くんですか?」
「いつまで……。森の行く先に人がいなくなるまででしょうね」
「えっと、でも冒険者って魔物を退治しますよね」
「〝神蝕〟を相手に、各領主は冒険者に特別招集をかけるとは聞いたことがありますが、果たして応じる冒険者がどれだけいるか。ましてやダンジョンに眠る換金用の宝ばかりを目指して一喜一憂するだけの彼らに、命を賭けて都市を守る気概があるかどうか。どうです、やりますか?」
親が子供二人を見ると、ハティヤもスコールもうつむいてしまった。
§ § §
ペロイの
『いい加減しつけぇな、神父様よ。あんたは黙って神に祈っとりゃあええんじゃあ。森のことはわしらが子供の頃からよー知っとるで。祖父さんのそのまた祖父さんの代からこの森はワシらの家族じゃった。だから何も心配はいらん』
〝神蝕〟の危険性を説いたのは、先々月と先月のことだ。
こちらに向けてくる気配は侮蔑がふくまれているのも気づいていた。
余所者の、
誰のおかげで無駄飯食いどもが養えていると思ってる。
彼から発せられるマナの
(これだから、人は度しがたいのです)
だが忠告はした。五年に渡るこの村での恩は返した。
正直、自分には守らなければならない家族がある。
いらないと払いのけられた手を、こちらから掴んでいって助ける義理もない。
それは勇者の仕事だ。
あとは自己責任で滅びるなり、逃げるなりすればよい。
その判断も万象の摂理だ。
§ § §
「娘の不始末ついでに、私からも謝っておきましょうか」
シャラモン神父はのそりと席を立ち、娘ハティヤのとなりで頭を下げた。
「あん? 今度はなんだよ」
「昨日の未明。たぶん、私はムラダー・ボレスラフを殺していると思います」
途端、ムラダーはビールを霧吹きのように吹き出した。それが真向かいに座っていた俺の顔に全部かかった。
俺もあ然として顔を拭うどころではなかった。
やられた──、そう思った。
「シャラモン。お前、酔ってんのか?」
「いえ酔ってません。魔法使いは余程呑まないと酔わないのですよ」
「いや、もうその妄言から酔っ払ってるが……どういうことだ?」
ムラダーは親子に着席を促す。
シャラモン神父はいたって落ち着いた口調で語り出した。
「ムラダーさんより先に村から出ている途中でした。一人の追いはぎに馬車を止められました。その上でその追いはぎは、ボロ馬車、クソ坊主と暴言を吐き、罵声とともに馬車の車輪を蹴って子供達を怖がらせ、あまつさえ子供と引き替えに私を逃がすという世迷い言の取引を持ちかけてきたのでず。
すなわち、強盗、脅迫、拉致監禁未遂、名誉毀損、そして冒涜的なハゲである罪で、処しました」
(問題は、アレが残っているかどうか、だ)
「先生の判断は間違ってなかったと思います」
弁護側ハティヤの真摯な肯定に、スコールも力強くうなずく。身内票はダメだろ。
「異議ありだ。冒涜的なハゲである罪は、罪として成立しないからな」
判事ムラダーが渋い顔で抗弁する。その論点は、どうでもいいけど。
シャラモン神父も同じだったのか、話を続ける。
「ここから本題なのですが、私はその当時、あの男がシャンドル盗賊団の副頭目ムラダー・ボレスラフだとは気づかなかったので、そのままこの町にやってきたのです」
「神父さん。場所はどこですか。オレが行って見てきますよっ」
ティボルが身を乗り出してくる。ムラダーがその豪腕で彼の首をがっちりロックをかけた。それからカウンターのバーテンに声をかけた。
「おーい、チェコ。ムラダー・ボレスラフの最新の手配書、廻ってきてるか?」
懸賞首になっていることが日常のように清々しく声をかけた。
するとバーテンが、グッドタイミングとばかりに景気よく手を叩いて、カウンター下からA4サイズの羊皮紙を持ってやってきた。
「今朝。王都から最新の人相書きが回ってきてたの忘れてた。お前で貼っといてくれるか?」
「阿呆か。なんで、てめぇの手配書をてめぇの手で貼り出さなきゃならねぇんだよ。いいから、よこせ」
バーテンから手配書をひったくると、その場の全員が彼の手に集中した。
[ 指名手配書 ]
ムラダー・ボレスラフ 35歳 罪状 強盗・傷害
手配ランク★★★★★ 特徴:無毛頭 太眉 巨漢 剣技能・注意
備考:生死を問わず
「さ、三五歳っ!?」
「む、む、無毛頭wwww」
俺たちが言葉を拾うたびに、ティボルが首に巻き付いたムラダーの腕に必死でタップを始めた。
(ムラダさん。俺と、六歳しか違わないのか)
なのに親父級の頼もしさと貫禄は圧巻だ。
俺は、改めて手配書のメインとなる懸賞情報を見た。
似顔絵は、ハゲである以外は全くの別人だった。こんな画力で捕まえる気があるのか。
「懸賞金……三〇〇万ロット、ですか」
「みたいだな。あの奇襲で取り逃がしたことに感づいたらしいな。倍になってやがる」
「あの。こういうの、よくわからないんですけど。こんな大金、本当に支払われるのですか?」
「さあな。恐れながらと死体を差し出しても、身元を洗いざらい調べられた挙げ句に懸賞首ではないという裁定で拘束され、口止めの投獄。その一方で、世間にはそっと手配書を引き下げるかもしれねぇな」
「自分達で金額設定しておいて、踏み倒すのに牢屋放り込むなんてセコすぎるだろ」
スコールが顔をしかめた。
「ムラダー・ボレスラフは一度、王国が兵卒に支払う給金を積んだ輸送車両を襲って成功させている。軍としてはなんとしてもその首を挙げなけりゃ、メンツが保てないんだろう」
「すげぇ。その盗んだ金は?」スコールが目を輝かせた。
「総額で約三八〇〇万ロットだ。おれは手下に一八〇〇万を配当し、残りの二〇〇〇万は頭目であるシャンドルが王都の企業投資に全部つっこんだ」
「えええっ、もったいなーい」ハティヤが悲鳴を上げた。
「山分け制じゃないんですね」俺が言った。
「うん。この時の金はちょっと政治的な目的があって、それだけの金を王都に返すことになった。だが一八〇〇万ロットを六〇人で分けたんだ。一人頭三〇万ロット。金貨大袋三つ分だ。三人家族なら五〇年暮らしていける。あの時のシャンドル盗賊団は上から下まで有頂天だった。
今思い返せば、それが運の尽きだったんだろう。団全体に気の緩みが生じ、軍を怒らせて本気にさせちまったことを甘く見すぎてた」
ここは居酒屋だ。周りの客が指名手配中の盗賊の失敗談を講演会会場じみた神妙な空気で聴いている。これがムラダー・ボレスラフの人徳なのか、プーラの町衆の気風なのか。俺は変な居心地だった。
「ちなみに、ムラダーさんの取り分の三〇万ロットはどこに?」
シャラモン神父が訊ねる。ムラダーは磁器ジョッキをあおって、
「おれのは〈バルナローカ商会〉に十五年間で積もりにつもった二六万ロットの借金返済と、残りを
「ならばいっそ、これを機に、あなたも僧侶に転職するべきではありませんか」
シャラモン神父が呆れる。ムラダーは大笑いした。
「性に合わねえよ。十八で兵士。冒険者、盗賊、盗掘屋いろいろやってきたが、結局、どれも最後に残ったのは、この剣と安い酒だけだ。
家族を持たなきゃ、金なんざいくらあっても邪魔だ。家族や部下を養うから金がいくらあっても足らなくなる。これがおれの結論だ。我道自適だ」
「三五歳で、もう人生の結論を出してしまってどうするんですか」
「おい、お前がムラダー・ボレスラフを殺したって言いだしたんだぞ? 辞世の述懐くらいさせろ。なあ、シャラモン。お前は幸運だぞ。天才魔法使いだか賢者だか知らねえが、守るもんがなかったお前は、どんなに優秀だろうと周りから嫌われてた。
だが今はどうだ。守るべき、お前を愛してくれる家族がいることで変わった。これは幸運で、幸福なことじゃあねぇのか」
シャラモン神父は心の急所を突かれた様子で、しゅんとうなだれた。
「っ……それは。ええ、そうですね」
「ああ。俺は二度、部下に慕われたが、前回も今回も全部失った。今は、この狼一匹だけだ」
「ムラダさんっ。ティボル、動いてませんけど」
「あっ」
腕を放すと、ティボルが麻袋のようにドサリと床に落ちた。
大丈夫か。動いてないんだが。
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