第42話 くそ頑固ジジイの本懐
居酒屋〈屋根犬亭〉。
部屋に入るなり、俺はベッドに倒れこんだ。
計画がうまく回っていない。人を救うことの難しさに気が滅入る。
ズィーオ。あんた何もかも承知の上だったのかよ。
バロメッツの魔性を分かった上で、あのマフラーを俺に持たせたのか。
エディナ様に焼き捨てられると知ってて。
それに、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン。
あの白髪の男は、エディナ様にずっと以前から危険視されてきた人物だったのか。
調べればすぐ分かる。どう調べればすぐ分かったんだよ。
──コン、コン、コン。
ノックに返事するのも億劫だ。俺はドアに背を向けるように寝返りを打つ。
「入るわよ」
ドアの隙間から滑り込むその声は、俺をさらに苛んだ。
「
「……」
「マフラー、エディナ様に燃やされちゃったんだって?」
「……」
「ねえ。返事ぐらいしなさいよ」
「……帰りたい」
「セニに? まだ買い物、終わってないんでしょ?」
「前にいた世界に帰りたい。もう、こんな所たくさんだ」
「狼……?」
「なんで、俺ばっかりこんな気を回さなくちゃいけないんだ。人は生まれて死んで、また生まれるんだ。その繰り返し。俺はあっちで死に損なって、こっちで人に生まれ損なった。それでも頑張って生きようって思った。みんなに認めてもらおうって思った。
なのに、どいつもこいつも……。
あれもだめ、これもだめ。あれはするな、これもするな。もう面倒くさい。それなら、もうお前らで勝手にやってろよ。俺はどうせいつも独りだ。誰が死んだって生き返ったって。どことどこが戦争したって知ったことじゃ──ぐぶぇっ!」
背中に衝撃が覆い被さってきて、ベッドに押し潰された。
「んふっふっふっ。あっはっはっはっ!」
「な、何がおかしいんだよ……っ」
「可愛いなあって。狼が」
「はあっ!?」
「拗ねてる狼が可愛いの。本当よ。どんなに追い詰められてもへこたれない人だと思ってた。背中の魔法エンジンで昼も夜もなく働いて、疲れ知らずでみんなの問題解決して。
みんなが感謝の言葉をかける前に、もう次の仕事に行っちゃうような格好いいけど寂しく思える人だと思ってた。今やっと本当に、あなたが心から可愛いと思えてきた。大好きだよ、狼」
「ハティヤ……」
「ねえ。あのマフラー。狼は、エディナ様にどういう気持ちで渡したの?」
どういう気持ちって……?
「それは、だから……情報が引き出せたらいいかなって」
「なら、ズィーオさんは、狼とは逆なのかも」
「逆?」どういうことだ。
「ズィーオさんがエディナ様へどういう気持ちで、あれを完成させたと思う?」
「それは……謝罪じゃないのかな。ズィーオさんが仕事で失敗したのは二度目って言ってたんだ。だから──」
「違うわ」
厳しめに断言されて、俺は肩ごしからハティヤに振り返る。
真摯な瞳が俺の顔を
「違うと思う。あの人は最後までエディナ様に忠誠を誓うって言った。そんな人が、今さら謝罪にマフラーなんか贈ったって仕方ないじゃない。近所の奥さんにこの間のお総菜のお返しを渡すんじゃないんだから」
「確かに。えっ。それじゃあ……っ」
俺は目を見開いた。ハティヤはうなずいた。
「そう。ズィーオさんはエディナ様に〝お別れ〟を言いたかったの。だから昔の仲間と仕事をして信用させ、殺そうとしたのよ。ズィーオさんはマフラーの奪い合いで命を狙われたんじゃない。マフラー作りの仕事を囮に使って、諸悪の根源を引っ張り出したかったんじゃないかしら」
『だが、まあ。ヤツもワシと同じ、いい
『おふくろ。ズィーオがヤツに裏切られるのは、二度目か?』
『三度よ。だからその責任を取って、ツァジンなんて田舎に引っ込んだんだもの。アレハンドロにまでオクタヴィア王女の息がかかっていたなんて、盲点だったわね」
どんな仕事だったのか分からない。幹部が失敗して責任を自ら取るくらいだから、ドナチェロ・アレハンドロと組んだ仕事はよほど大きな企画だったのだろう。
ズィーオの悔い──。相棒の裏切り。
目的は相棒アレハンドロの口から〝真犯人〟を引き出すこと。その人物こそが、オクタヴィア王女だったのか。
「ハティヤ。俺は……」
わが主様は、俺の瞳を覗きこんまま顔を左右に振る。
「これは善いこととか悪いこととか、そんな価値基準じゃないと思う。最初、あなたはいつもの突飛なアイディアを出し、それにズィーオさんは乗ったのよね。バロメッツを増やし、マフラーを作った。でも、そうすると、ちょっとおかしいわよね。
魔物を増やせたことも、魔物からできた糸のことも、マフラーを織ったことも。エディナ様が燃やすほどマフラーが危険なことも。ズィーオさんは共同計画者のあなたに何も連絡をよこさなかった。
こちらから連絡して、なお同じ牧場のラリサって子に私たちのことを報せていなかった。あなたの顔を見た段になってようやく、完成品を見せたのよ。それで、あの襲撃になった」
胸が痛い。悔しいんじゃない。ただ、痛いんだ。
「ハティヤ。俺は、ズィーオにアイディアを盗まれたのかな?」
「そうね。ズィーオさんは、あなたのアイディアを自分の計画に利用したんだと思う。復讐に。そしてあなたをエディナ様への
俺は振り返って、ハティヤにむしゃぶりついていた。子供のように。
〝次を作ればいいじゃないか──〟
牧場を去り際、俺は二人を仲裁する意味で気軽に言づてを残した。
そうじゃなかった。彼らにはもう明日がなかった。あそこが死に場所だった。
明日がないほど老いさらばえた者同士だから、俺には殺気だって殴り合っているように見えなかっただけで。
「ハティヤ。俺、俺は、あの〝頑固ジジイ〟に死んでほしくなかったんだ……っ」
「うん。でも、ズィーオさんはズィーオさんなりの事情があった。自分が許せなくて裏切りが許せなくて、あなたに詫びていく暇もないほどの事情だったのよ。きっと」
おそらく、もうズィーオは生きていないのだろう。
いつの間にか蚊帳の外に押し出されていた俺には、そう思うことしか許されない。
「ありがとう、ハティヤ。助けてくれ」
「……うん。いつでも」
俺は彼女を抱きつつみ、頬を、その頬にすり寄せた。
§ § §
翌日の夕暮れ。
門限ギリギリにセニの町に戻ってきた時、いつもの門番に呼び止められた。
「スミリヴァルさんに、何か?」
「いや。あいつらがよ。お前の知り合いだって言うから、話聞いてやってくれねえか」親指で後ろをさした。
その団体を見て、俺は目を見開いた。手綱をハティヤに渡して馬車を飛び降りる。
「いつから?」
「今日の昼過ぎだ。あそこでずっとお前らの帰りを待ってた」
「わかった。ありがとう」
俺は、ふらふらと迷いながら歩み寄ってくるがっちりした体躯の少女とハグをした。抱いた肩はすっかり冷え切っていた。
「子供たちを連れてよく来たね。ラリサ……っ。ズィーオはっ?」
「死んだ。燃えるバロメッツと一緒に……っ。最後に、自分はあいつに怨まれる側だから、あいつを……怨む、なっ、て」
ラリサは俺の肩で声をあげて泣きだした。とたん、周りの子らまで感化して泣き出す。
くそ……っ。俺は彼女の肩を叩いて離れた。
「うん。わかった。もういいんだ。これで全員? ケガはない? 寒かったろ。もうすぐだからな。とりあえず落ち着く先を──」
言い終わる前に、俺の脇腹にドロップキックが炸裂した。
上半身と下半身でくの字に折れ曲がったまま、俺の身体は地面に二度ほどバウンドして雪泥の上を滑った。まったく、故人を偲ぶ暇もないのかよ。
「おんどりゃあっ! このド鬼畜クソ犬公があっ! 人の店になに嫌がらせしてくれてんのよぉ!」
〈ブランツィン商店〉の女店主だった。
めちゃくちゃ痛かったが、泣く子も黙ったのでヨシとしよう。彼女に対してトラウマにならなければいいが。
「ひと月ほど置かせてください。場所代も後で払いますから。もっともぉ? その場所代程度じゃ、経営の足しにもならないでしょうけどねぇっ?」
「なっ。ぬ、盗っ人猛々しいって、あんたのことよ!」
「もう一度、ちゃんとした店。持ちたくないですか」
「人の店をすでに潰れたことにすんな!」
「だったら、今日の営業で、売れた品物の数は?」
「なっ、なんであんたなんかに教えなきゃいけないのよっ!」
「今日の営業で、粘土以外を見に来たお客は五人以上でしたか。五人以内でしたか」
「うっ……うるさいうるさいっ!」
おいおい、マジかよ。本当に閑古鳥も寄りつかないレベルかよ。
「申し訳ありませんが予定変更です。助手が増えましたのでこちらの計画を早めます。明日の午前、ガラス工房に来てください」
「はあっ!? なんで、あんたに命令されなけりゃいけないのよ!」
「来なかったら、あの土砂で店を潰します。物理的に」
「えええっ!? ちょっと、ふ、ふざけないでよ……そんなっ。横暴じゃない?」
急に弱気になった。推しに弱いツンデレか。
「あなたの知識と経験を無駄にしないためです。あ、それともう一つ」
「なによ! もしかして、あたしの身体? そうなのね、なんて卑劣なヤツ」
子供も見てるんですよ。バカなこと言うな。
「お名前を聞いていませんでした」
「はっ……ノエミ」
「お年齢は」
「じゅ…………にじゅう、いち」とっさにサバ読もうとすんな。
「わかりました。それではノエミさん。また明日。絶対来てください、ねっ」
俺は子供たちを促して歩き出した。後方に停車中のハティヤと次車両のカラヤンへ二本指を歩かせて前進を促し、目的の場所に向かってくれと手話を送る。
「あの、狼。あたしら、これからどこへ連れて行かれるんだい?」
ラリサがやや不安そうにこちらを見る。
「うん。とりあえず、今夜泊まらせてもらえそうな人に頼みに行く。そこで明日の作業を話し合って、ちょっと何か食べて解散かな」
「あの、先に食事って、させてもらえないかな。チビどもが……」
「うん。昼からずっとあそこで待っててくれたんだろ。子供たちも限界だろう」
「ごめん」
「いいよ。あと、できればラリサも話し合いに参加してくれるかな。みんなにも紹介しておきたい」
「えっ。うん……でも、あたし、バカだからさ」
「最初の約束だ。その言葉、次から禁止ね」
「えっ?」
「自分を卑下すると癖になるよ。卑下する人間は周りから馬鹿にされやすい。学がないことを気にしてるんなら、明日から弟たち連れて教会行ってみなよ。文字とかタダで教えてくれるから」
「え。あ、うん……わかった」
「今夜はみんなへの顔見せだから、黙って聞いててくれるだけでいい。あと、難民という言葉に気をつけて聞いててもらえるかな」
「なんみん?」
「君たちはまず、この町の人達から疑われるところから始まる。俺がそうだったようにね」
「……うん。わかるよ」
「ここは国境沿いの町だ。隣国ネヴェーラ王国の戦火が大きくなっている。そのせいでこの町がピリピリし始めてるんだ。余所者に厳しい目を向けられるから、下の子たちのこと守ってあげて」
「わかった……あ、そうだ。それとさ」
ラリサは肩から提げていた鞄から革袋をとりだした。
「馬車代と食い物に三枚だけ使わせてもらったんだけど……。ズィーオからあんたに。返しとけって」
義に厚い頑固ジジイめ。
俺はぎゅっと目を閉じて、その革袋に頭を下げる。それから受け取った。
「これは少しずつ。君たちの給料にさせてもらうよ」
「給料?」
怪訝そうに見つめてくる少女に、俺は頷いた。
「明日の午後から働いてもらいたいんだ。日払いでね」
俺たちの新たな戦いはこれからだ。
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