第41話 あざなえる禍福は・・・


 前世界で、〝禍福はあざなえる縄のごとし〟という言葉があった。

 良いことも悪いことも一本の縄をあざなう──糸をより合わさったようにできているのだと。


 メドゥサ会頭の懐妊を聞いて、エディナ様は長男とハグをし、婚礼を急かせた。

 一方で、義父となるスミリヴァル会頭代行の危篤を聞いて、家族を困惑させた。


 最初に口を開いたのは、レントだった。

「兄さん。わてに外科手術を調べさせたんは、それですか?」


「うん。どだい抛っておいてもスミリヴァルの余命は残されてねえ。座して待つより抗って、一縷の望みを繋げたい。あいつに孫を抱かせてやりたいんだ」


「ううむ……なあ、わんこ。腹割ってほんまのことを言いよし。わてに回ってきたあの依頼の、ほんまの意味はなんなん?」


 俺はうなずいた。

「この町の医療事情が知りたかったんです」

「医療事情? そんなん、この町の〝医薬院〟行って聞いてきたらよろしがな」


 俺は顔を振った。プーラからリエカに来た時、最初にそれをカラヤンから聞いた。この世界に病院があることが珍しかったからよく覚えている。


「あそこは内科のみでした。骨折と脱臼、打撲、切り傷は面倒見てくれますが、止血と植物由来の生薬がいくつかある程度です。俺が知りたかったのは、そのもっと抜本的な治療。外科手術です」

「あきません。わてにはさっぱ~り、わからしまへん」


 珍しくレントが本気で困惑し始めた。

 俺はこの異世界で知っている限りの知識で一から説明した。


「アスワン帝国において確立している医学という学問があります。それは同時に科学という分野でもあり、魔法魔術とは一線を画す、生命探究の学派だそうです。

 その医学がこの港湾都市リエカで、どの程度の水準に達しているのか知りたかったのです」


「お母はん。それ、ほんまですのん?」レントは母を見る。


「そうね。医学は魔術、占星術、錬金術、冶金術なども組み合わせて、人体に物理的な復調改善をもたらそうとした。起源は南大陸で発明され、三〇〇〇年の試行錯誤を経て、物理的な治療を目的として研鑽けんさんされた実践学と呼べばいいかしら。


 その実績は、ペテンから神の御業まで多種多様だけど、アスワン帝国はそれらを取捨選択し、体系化し、国家保護して何代にもわたって研究が進められてきたわね。

 わたくしもたまにそっちから論文が送られてきて意見を求められることもあるわ」


〝ハドリアヌス海の魔女〟。やっぱりただの情報通花屋じゃなかった。


「エディナ様はご存じかもしれません。先日、同帝国からライカン・フェニア女史が、カラヤン隊に合流しました」


「まあ、あの子。アスワンの政争に巻き込まれず、逃げ出せたのね」

 目を見開き驚きつつも、どこか嬉しそうだった。


「おふくろ。アスワンの大物なのかい?」アンダンテが水を向けた。


「わたくしが会ったのは、一度だけ。黒い眉毛の小さな女の子。でも頭の冴えが凄まじくてね。十歳にも満たない見た目で、研究機関のトップ。主任星導師の地位にいたわね。悪く言えば、カタブツだったけど研究に対して真摯な子だったわね」


 カラヤンの人物評とほぼ同じだ。俺は笑いをかみ殺しながら説明を続けた。


「彼女は、アスワン脱出の折、取るものも取りあえずに古い知己を頼って〝七城塞公国〟へ向かい、玄関都市ティミショアラで俺たちと出会いました。

 その彼女が言うには、外科手術によってでしか、スミリヴァルさんの余命を伸ばすことは叶わないだろう。そのための道具を作ってほしいと」


「そう……うん。この東方世界ではサンクロウ正教会の教義が外科手術を妨げているかしら」


〝戦乱を伴わず神の子の身に傷を付けるは、なんの罪やあらん。

 無垢なる子に罪の傷を付けるは、なんの業なるか──〟


 エディナ様は書物の一節らしい言葉を口ずさんだ。 


「聖職者達が盲信している教典のここの文言は、よく医学の否定に引き出されるのだけれど、実は根拠がないの。もとは平時に殺人や傷害の犯罪行為をするなかれという一般的な戒めだったのにね」


 宗教を後ろ盾に、自分達の理解できない技術を糾弾する。どこの世界でも姑息を弄する臆病者はいるということか。


「子供に盗まれた外科道具を追って、路地裏で出くわした修道士も言っていました」


『──我々も病を克服せねば、文明そのものが絶えてしまう。医学で人を救わねば、国が滅びるのだ』


 エディナ様も神妙な面持ちでうなずく。

「ここリエカや他の地方都市で、教皇庁みたいに教義だけを振りかざすのは現実的ではないかしら。絶対的に人が足りないし、アスワン帝国侵略の際にもたらされた医学が現にこの町の人々を救ってもいるもの。

 医学は症例数が説得力をもつ統計的学問という側面もあるから、国や信仰、身分を差別しなかったのね。その公平さ寛容さが医学の拡がりに結びついたの。

 でも、まだそれを理解できる人達は少数派かしら。わんちゃんは知らないと思うけど、かつて聖十字侵攻って馬鹿なことをした大遠征作戦があったのね」


「はい」

「その時にいくつかの良心派・野心派といわれる寺院騎士団が、向こう側の医学者達と交流して医学を輸入したの。

 でも、その中に外科手術と拷問技術が混在したために、サンクロウ正教会はそれを教義異端として厳しく処罰したわ。

 無宗教であったはずの医学知識を、まったく畑違いの宗教観念に無理やり当てはめて否定し、あまつさえ公式にその進歩を止めてしまったのよ」


「なるほど。ということは現在、医学を宗教と結びつけて解釈したサンクロウ正教会の誤りを訂正できる知識人が誰もいないために、医学の道は閉ざされたままというのが実情。ということでしょうか」


 エディナ様は良い生徒を見る目で、俺に微笑みかけた。


「だから、医学はいまだ秘密主義や神秘主義と言われて迫害されているわね。わんちゃんがレントに頼んだことは、とても危険なことだったし、医学を使うなら人助けはこれからも危険と隣り合わせになると思うわ」

「はい。肝に銘じます」

「セニの町の司祭はシャラモン君だったかしら。セニの中でやる分には安全よね?」


 お母さんが長男を見る。


「まだシャラモンじゃねえよ。正式な司祭はとっくに楽隠居生活してるがな。おふくろの方で根回ししてくれねえか」


 すると、母親が子供にそうするように、三〇半ばの長男の側頭を指で押した。


「甘えないの。そこは正式ルートを使ってなんとかやりなさいな。わんちゃんのおかげでお金、あるんでしょ。タマチッチも使ってうまくおやりなさい。大事の前の小事じゃないの」


 渡る異世界は金ばかりだな。


「あの、それでですね。レントに頼んだのは、外科手術の技術事情を知る一環として、手術道具に彼らの道具を参考にしようと思い立ったわけです」


「そうなの。できそう?」

「はい。もっとも、二六〇年前の遺跡から採掘された器具だそうですが」


 エディナ様が思わず四男を見た。レントは目を見開いたまま「わては、なんも知らしまへん」と小刻みに顔を振った。やーい。


「本当に、大丈夫かしら?」

「正直、ライカン・フェニアの納得いく道具が揃わないので、いろいろ問題が多いです。でも、彼女となんとか間に合うようにやってみます」


「そうね。諦めたらそこで終わりだもの。スミリヴァル・ヤドカリニヤに星の巡りがあらんことを」

 ここでいったん話題が途切れ、食事が進んだ。


   §  §  §


 カレーライスの後のコーヒーは、なぜかうまい。

 器用にコーヒーをすする俺を、横からレントが珍獣でも見る目で眺める。


「狼。あの絵を」

 カラヤンに促されて、俺はロギが描いた絵をテーブルの中央に押し出した。

 それを全員で見て、家族の食卓を長い沈黙が支配した。


「アレグレット」

「ん?」

「彼から、手を引きなさい」


「おふくろ?」

「わんちゃん。ズィーオに会ったのよね?」

「はい」


 エディナ様は鼻息して、ゆるゆると顔を左右に振った。


「あなた達は自分の家族の誕生とスミリヴァルの延命だけを考えなさい。彼が英雄になるか反逆者になるかは歴史が決めることかしら。彼もその覚悟をもって舞台に昇ったのよ」


「もし、おれがそこへ首を突っこんだら?」

「彼に舞台へ引きずり上げられて、死ぬまで踊らされ続ける羽目になるかしら。勝っても負けても、家族には二度と会えないと思うことね」


「おふくろ……っ」

 何か言いかけたカラヤンを遮って、エディナ様は三男を見た。

「ダンテ。彼から〝石工屋〟への傭兵斡旋要請は」

「今のところないねえ。逆に王国側から、警備依頼が二〇〇件を超えた」

「えっ?」


 俺はその数に言葉を失った。アンダンテはこちらを見て、


「ノボメストだよ。ノボメスト難民が国王直轄領の都市ばかりを相手に、近接町を造って不法占有を始めてる。交通の要衝の町じゃあ、地元住民の三倍から五倍の人口を要する町を建設した。あまりにも手際が良いんで、さすがに都市住民が不安がってるらしい」


「ヴェネレドーロ商会その徴募に応じたのですか?」


「おいおい。狼の。このリエカだって国王直轄だぜ。〝石工屋〟は、国が滅んでもおふくろの護衛が最優先事項だ。町から出せねえよ」


 それを聞いて、カラヤンは安堵の表情を垣間見せると静かにうなずいた。


「わんちゃん。気づいているのね。彼の思惑を」

「漠然と、ですが」

「どこで彼を知ったの?」


 俺はズィーオから謎かけをされたことを伝えた。

 エディナ様は傾くこめかみを指で支えて、「そう、やはり気づいていたのね」と小さく呟いた。


「アレグレット」

「ん?」

「何度でも言うわ。あなたは生まれてくる子供のことだけ考えなさい。彼は、後世で英雄に連なるかもしれない。けれど。あなたの子供に平和な未来を見せられる人物じゃないわ」


「おふくろ。なぜそこまで、俺を言い含めようとするんだ?」


 怪訝をまぜた真顔で訊ねる。いつもの母親らしくないのだろう。

 するとその瞬間だけ、エディナ様は魔女の顔を見せた。


「彼は今、ムラダー・ボレスラフを探してる」

「なっ、なにっ!?」


「十五日前よ。プーラの城門前に晒されたムラダー・ボレスラフの骨首が、晒し台から転落し、踏み砕かれていたそうよ。その前後、付近で長い白髪の男が目撃された。

 十三日前。ここリエカでも、同様の風体をした人物が目撃された。

 そしてこの絵が描かれたのが十一日前──。


 彼は間違いなく、ムラダー・ボレスラフが死んでないと信じてる。


 あなたを見つければ、耳障りの良い世直しを謳うか。莫大な恩賞を約するか。それとも家族を人質に脅すか。それはわたくしにも分からない。

 けれど、いずれにしても自分の陣営に入れて一軍を預けて、帝国より先に王都を堕とせと命ずることは、火を見るより明らかよ。


 さっきの望遠鏡の子は、ユミルといったかしら。彼女の望遠鏡が北東を向いていたことで、彼がセニの町に近づくことを躊躇わせたのだとしたら、それはあなたにとって幸運なことだったのよ」


 グラーデン侯爵が、カラヤンの足跡を追いかけてセニの間近にまでやってきた。

 それをユミルが、望遠鏡の反射光で追跡の意欲を削いだ……。


(その発想は、なかった)


 あざなえる運命の縄は、どちらが禍福かも見分けられないほど絡まっていた。

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