第40話 人をダメにするマフラーの正体


 マンガリッツァ家で、カレーライスが出た。


 小学生のころ。同級生のお誕生日会に一度だけ呼ばれたことがある。

 そこで出されたカレーがレトルト物じゃないかと俺以外の参加者が気づき、その場がなんとなく居心地悪いものになったのを憶えている。


 だが後で聞けば、そのレトルトカレー。一食五〇〇円だったそうで。見栄の割に味が伴っていないと俺の中で笑い話として更新されたものだ。


「お帰りなさい。ちょうどよかったわ」


 小ぶりの寸胴鍋を前にエディナ様お手ずから供されたのは、シャラモン家で俺が作っているカレーだ。もちろんライス付きである。


 門外不出にした覚えもないが、味の再現に俺は上座を見た。


「エディナ様。この味、どなたから?」あえて訊ねる。

「えっとね。モデラート」

「ええっ?」

 意外な人物の名前に、俺は虚を突かれた。


「モデラートが、珍しく女の子から教わってきたのよね。心当たりある?」

「えっと。二人くらいでしょうか」


 ハティヤとフレイヤくらいだ。メドゥサ会頭は料理にはあまり興味がない上に、もう女の子でもなかろう。ウルダはまだジャガイモを茹でることくらいしかできない。


「ふうん。そうなの。ウルダ。元気にしてる?」

「はい。里帰りもすませましたので、吹っ切れたようです」

「そうみたいね。鉄鋼運搬の護衛の件。こちらで受けてもいいわ」


「あ、ありがとうございますっ。よろしくお願いします」

 俺は頭を下げた。


「それから、いただいたマフラーのことなんだけど」

「はい」


「あれ、ちょっと問題があったの」

「えっ!? なんでしょうかっ」

 俺はスプーンを皿に置き、膝に手を置いて姿勢を正した。


「羊毛の品質が常軌を逸してるの。あれはだめね。人をダメにするマフラーかしら」


 どこかで聞いたことがあるフレーズだ。俺が返答に困っていると、カラヤンが対岸で笑った。


「おふくろ。それ、褒めてんだよな?」

 エディナ様はニコリともせず、きょろっと長男を見た。


「アレグレット。あなた、あのマフラー試したの。巻いてみた?」

「いんや。現物を見てすらいねぇよ」


「あの。実は、あのマフラーを巡ってすでに製造元でトラブルも起きていまして」

 俺はズィーオ牧場で起きた織り師の造反を話した。


 カラヤンのカレーの手は止まらなかったが、トラブルを嗅ぎ取った難しい顔になっていた。


「おふくろ。その現物。どうした」

「うん。わんちゃんとズィーオには申し訳ないのだけど、焼却処分させてもらったわ」


 燃やしたっ!? ズィーオの苦労が偲ばれるだけに、素でショックを受けた。


「もちろん、あなた達の好意には感謝しているわよ。だけど、あれは……魔女の持ち物ね」


 ここでの魔女の意味合いが、重い。名刀に対する妖刀に似た禍々まがまがしさを感じた。


「エディナ様には最上の物をと思い、ディーオさんに話を持ちかけたのですが」

 心から釈明すると、エディナ様はにっこりと朗らかに微笑んだ。


「うん。ありがとう。とてもいい品だとは思ったのよ。でも……やっぱり温厚であっても魔物なのね。あれは人を狂わせるわ」


「おふくろがそこまで言うんだったら、おれも一度拝んでおきたかったな」


 すると、エディナ様。ふぅっと嘆息。席を立つと食堂を出て、少しして布袋を持って戻ってきた。俺も見覚えがある、あのマフラーを入れていた外袋だ。


「おふくろ、そいつに見覚えがある。狼がツァジンから戻った時、ハティヤに持たせてたヤツだ。だよな?」


「はい」

「中身はもうないけれど、百聞は一見にしかずかしら。あなた。これ、持ってご覧なさいな」

「あん?」


 カラヤンは怪訝そうに布袋を受け取った。せつな、カラヤンがイスを蹴って立ち上がり、慌てて床に袋を手放した。


「ウソだろっ。【艶夢】ディザイア系だと!? もう滅んだって、おふくろ言ってたよなっ」


「復活しちゃったみたいね。外の袋でこれほどよ。魔法の素養があるか、わんちゃんのような特別な存在じゃないと、とてもじゃないけど糸を持ってるだけで危険な代物よ」


(マジか。ハティヤに直接触らせないでよかった、んだよな)


 ハティヤは魔法の素養があった。いや、その彼女でさえ現物を見て目を奪われていた。あれでマフラーに触れていたら、やはり魂を吸い寄せられていたのだろうか。


 そういえば、ラリサもマフラーが売る段になって自分の身体を打つほどに悔しがっていたな。そう言えば、あのマフラーの糸を作った人、どうなったんだっけ。


 あれって、みんなあのマフラーに狂わされていたのか。大丈夫だったのは、俺とズィーオくらい。


「あのぉ、ズィーオさんは、なんともなかったようですが」

「ああ。彼は元々よその魔法使いの弟子だったの。だから魔力に抵抗力があるのよ」


「ええっ!? そうなんですかっ」

 意外だ。あの口の悪いじっつぁまが魔法使いの弟子か。


「そういや。だいぶ前に、知り合いがバロメッツの栽培実験をしてたとか言ってたな。だったら師匠は魔物研究者か何かだったのか?」


「ええ、その人ね。ずいぶん昔にフグを食べて死んじゃったのだけど。その影響で彼自身もバロメッツの栽培繁殖には興味があったみたいなの。

 でも、そこから産するモノが何かまでは興味なかったみたい。ズィーオには手紙で感謝と事情を送ったから、後のことについては彼が考えればいいわ」


 俺は感慨をこめてうなずくしかなかった。

 魔法使いって、フグの毒で死ぬんだ。ダメだ。なんか急に怖くなってきた。これは洗いざらいしゃべっておこう。


「あの、僭越せんえつながら、先ほどの織り師の造反について補足させていただきたいのですが」

「ええ、是非聞いておきたいわね」


 俺は席を立って踵をあわせ、起立の姿勢で報告した。ズィーオから聞いた織り師の名前と、交渉先の名前も出した。


 するとマンガリッツァ親子がテキメンに不機嫌になった。


「ドナチェロ・アレハンドロ。懲りない男かしらね」

「ズィーオがヤツに裏切られるのは、二度目か?」


「三度よ。だからその責任を取って、ツァジンなんて田舎に引っ込んだんだもの。アレハンドロを狂わせたのがオクタヴィア王女だったなんて、盲点だったわね」


「なまじ絹織職人としての腕が良かっただけに、ズィーオの眼も曇りがちか」


「でしょうね。五つの国の宮廷にあげる絹織物はすべて彼とコンビでやってたもの。マンガリッツァ・ファミリー栄華、その四割かしら。メトロノーラの婚礼だってあの二人でまとめたようなものだわ。ファミリーで一時代を築いた相棒を切り捨てられないズィーオの気持ちは分かる。

 でも、その後のアレハンドロの不行跡は目に余った。彼らが心を強く引き締められなかったのは、彼らの落ち度。わたくしもズィーオの長年の功績をもってしても、そう何度も甘い顔はしてあげられないわ」


 マフィアの密談で、背筋が涼しい。責任の一端は俺にもあるのだから。

 そこに廊下から重厚な靴音が二つ。ドアが開け放たれると、ヘビー級のプロレスラーが二人、はいってきた。


「えらい遅ぉなりました」

 入ってくるなり、レントの細目が俺を見た。


「わんこ。お前、なに立ってんねん。立ったままメシ食っとったんか?」


 ツッコんでやらない。ツッコむ元気もない。

 俺は無言で着席すると、レントは俺のとなりに座ってきた。急に食卓が狭くなった。

 エディナ様はカレーを温め直すために寸胴鍋をもって食堂を出る。カラヤンは食事を再開した。


「狼。今度、オレんところへ仕事回してくれるんだってな」

 カラヤンのとなりに座ってアンダンテが腕組みしつつ、もみあげを掻いた。


「はい。お世話になります。まだヤドカリニヤ商会が立て込んでいますので、鉄鋼精錬は少し遅れますが、目処が立ち次第、連絡させてもらいます」


「おう、待ってるぜ」

「あと、初回は、鉄鋼自体はサンプルだから大した量じゃありませんので、ダンテさんの商会はティミショアラまでの道ならしと、先方との顔合わせだと思っていてください。それで、ダンテさんの商会の名前をまだ聞いていませんでした」


「そうだっけな。うちは〈ヴェネレドーロ商会〉ってんだ。場所は埠頭の近くだ。通称〝石工屋ムラトーレ〟はもう知ってるな。基本、傭兵稼業だが、船も出すし、冒険者も手練れを二〇人くらい抱えてる」


 とすると、結構大きい商会なのでは。


「んで、兄貴。今日は、めかしこんで何をやらかしたかね」

「おふくろが戻ってきたら言う。ところで、お前らメシは」

「まだに決まってらぁな」

「お母はんの手料理ですねんで。他所よそで食われますかいな」


 アンダンテもレントも、母親を大事にしている。これもマザコンの部類かもしれないが、親離れできていないのとは違う気がする。母親への絶対的な尊敬を持っている。これはお嫁さんが苦労するんじゃないか。メドゥサ会頭ガンバレ。


 俺はとなりに話を振った。


「レントさん。あの子供はそっちへ来ましたか?」

「ん。ああ、来よりましたで。〝狼に盗られた〟言うてな。こっちが丸損やわ」

「丸損? でも、大銅貨数枚なんでしょ?」


 何の気なしに言って、ギロリとにらみ返された。


「阿呆なこと言うわ。契約で取り決めた成果を出さんモンに金払ったら、そいつの根性が腐りますやろ。また使こうたる時に、仕事もせず〝狼に盗られた〟言うて金をせびることだけ覚えたら、そいつは一生裸足で歩かなあかんことになりますのやで」


 手厳しい。俺は素直に頭を下げた。今日も謝ってばかりだ。


「……すみません。余計なことをしました」

「ふん。──あにさん。依頼の方はこんなもんでよろしゅうおすか?」

「ああ。狼が満足したらそれでいい」


 カラヤンは小さな革袋を四男の前に滑らせる。レントは素早く袖の中にしまった。


「ほな。毎度……で、兄さんら、またぞろ何始めますのや?」

「商人はせっかちだな。商売の話じゃねえよ」


 カラヤンは微苦笑して立ち上がると、皿を持って台所へ向かった。


「おふくろー。ライスはまだあるのかあ?」

「せっかちはんは、お互い様どっしゃろ。なぁあ?」


 レントに同意を求められたので、一応うなずいておく。


「狼の。ウルダは元気でやってんのかい」

 アンダンテは穏やかに聞いてくる。


「はい。里帰りできて、少し吹っ切れたようです」

「そうかい。稽古はどうしてる?」

「たまにカラヤンさんが。でも、一番は同じ魔導具を持ってるスコールの存在が刺激になっているようで、実力がメキメキ上がってます」


「へっへっへっ。だろうな。成長期だ。シゴけばシゴいただけ伸びる時期だ」


 脳筋戦士だが、アンダンテは少年のように無邪気に笑う。

 やがて、カレーの香り漂う寸胴鍋を持ってカラヤンが戻ってきた。その後ろに、ライスを大盛りにした皿を三つトレイに乗せて、エディナ様も入ってくる。


 これからが報告会の本題だ。

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