第39話 路地裏。狂気の研究


 三杯目のコーヒーとライ麦パンのサンドがテーブルに並ぶ。

 それに手を伸ばしかけた時、俺の視界を不穏の影がかすめた。


 窓の外。

 黒いフードローブを着た男三人が、少年一人を追いかけている。

 ガラスがないので、彼らの息づかいがここまで聞こえてくる。


『あのガキ、どこの浮浪者だ』

『見かけない顔だ。ドヴリン地区だろう』

『浮浪者か。なら都合がいいな。病気持ちじゃなけりゃあ、なおいいが』


『それより、誰に雇われたか、だろ』

『ああ。カンシに、セントウ。どのみち金にはならん』

『カートン。そっちから回りこめ。挟みこむぞ』

『わかった』


 俺はポケットからハンカチを取り出すと、ライ麦パンのサンドを包んで同じポケットにねじ込んだ。ちょっと形が崩れたが、まあ大丈夫だろう。


「狼?」

「すみません。謁見には遅れそうです。急用を見つけてしまったので」

「ふぅ……なら、おれも行こう」


「礼服が汚れますよ」


 そう言ったら、逆に確信されてしまった。ニヤリ。据わった目で見つめられる。


「お前だって今日は、普段着じゃねぇだろうが」

「俺は上着を着てます」

「うるせぇ。減らず口はナシだ。さっさと片付けねぇと、おふくろのメシを食いそびれるぞ」


「えっ。エディナ様のお手製ですか?」

「決まってんだろ。おふくろは花屋だ。貴族の未亡人じゃあねえのさ」


 そこがいまいちよく分からないんだよなあ。テーブルに銀貨二枚を置いて、二人同時に立ち上がる。


   §  §  §


 少年は手にハサミのような物を握りしめたまま、雪に素足を取られて滑った。

 自分が握りしめてる物が何に使われているのか知らない。


 でも、大銅貨三枚は悪くない〝仕事〟だった。


 それがあれば、やっと靴が手に入って、パンが一つ買える。


「はい。おしまい」


 黒いフードローブの修道士が二人。前に現れた。

 すぐに起き上がって後ろへ振り返ると、顔にカッと熱い衝撃がぶつかった。木靴で顔を蹴られた。また雪へ身体を投げ出される。


 大銅貨三枚では割に合わない〝仕事〟になった。


「どうする。弱らせるか」

「ああ。ちょうど股関節と大腿筋の連繋研究が終わったところだ。試していいか」

「じゃあ、私は肩の脱臼についてもう少し知識を深めるか」


 男達に、肩や足を掴まれた。ヒヤリと乾いた手の感触が這いのぼった。声も出せない。


「はい、そこまで」


「なんだ、お前は。──がっ!?」


 男の短い悲鳴で、身体を這い回っていた手が止まる。少年は顔を上げた。

 そこにバケモノが立っていた。


「ゴードンっ。なっ、なんだ貴様はっ」

「見ての通り。バケモノですが、なにか?」


「──っ!?」

「いささか外科手術に興味がありましてね。その子に依頼したのは、俺なのですよ」


 そう言って、バケモノは少年のそばに銀貨を一枚おとした。


「これで、ご理解いただけましたか?」

「き、貴様っ。どういうつもりで」


「無痛手術を研究しております」

「な……なに?」男達の顔色が変わった。


「痛みを止めなければ、いくら命を助けようとも殺してしまいます。それで神はお許しになられるでしょうか。あなた方は許されましたか?」


 男達がたじろぎ、拳に力を込めた。


「わ、我々はっ、死体を使っている。誓って神に背くような罪は犯しておらん」

「その割に、子供相手に股関節や肩を外そうと試みておられたご様子。手慣れておりましたな」


「それは……罪人の取扱にどうこう言われる筋合いはないっ」

「ほう。あなたがたは、ここリエカの法規審問官であらせられたか。そのようには見えませんが」


「……っ!」


「いやいや、失礼をば。お互い、素性の詮議をするつもりはありません。ご気分を害されたのならお詫びを。

 俺はただ、あなた方が外科手術にどのような道具を使われているのか関心を持っただけなのですよ」


 バケモノは屈みこんで、少年の握って話さない道具をしげしげと見つめた、


「ふむ。なかなかご苦労されている。道具が、血で錆びてございますねえ。このハサミはなんという道具ですか」


「それは……剪刀だ。それで腫瘍などを切りとる」


「なるほどなるほど。しかし、刃が短いだけでは素早く切れますまい。湾曲させてみてはいかがかな」


「曲げる? ……そうかっ。なるほど、球体に対して刃の接地面を減らすのか」

「おい、カートンっ」


「こちらの道具は……」

「そっち鉗子かんしだ。ハサミの形状だが刃がない。それで腫瘍をつまみ上げたり、薄い皮膜をめくったりする」


「なるほどなるほど。しかし、これはいつ頃の道具なのですか。ずいぶん使い込まれていますね」


「それは……二六〇年前にとある遺跡から発掘された物だと聞いている」

「はあっ、発掘!?」


 バケモノがすっとんきょうな声をあげた。男達にはそれが愉快だったのだろう。くぐもった笑いをこぼした。


 場の空気が緩んだ間隙をついて少年が道具から手を離し、銀貨を掴んだ。

 せつな、その手首をバケモノが踏んだ。

 少年はもがいたが、靴底にがっちり押さえつけられて抜けない。


「あなた方の医学は、その遺跡から進歩していないのですか?」


「違うっ。そうではないっ。誰も目を向けておらんのだ。人の生は神より賜れた物、死もまた神より賜るものだと、現実から目をそらしておる。

 病を得れば、それは神の試練。苦痛を逃れ、平癒するためには神の御名を呼び、祈るほかない……そう信じられてきた。我々はそれを正す必要があるのだ」


「ふむ。実に崇高だ」

「……う、うむ」


「しかし、それで子供を殺めては、本末転倒。違いますか?」

「仕方ないのだ。その道具は人の目に触れてはならない。今は」

「今は?」


「医学はこの世界、いやサンクロウ正教の禁忌に触れている。しかし医学は、アスワン帝国の異教徒達の方が遙かに進んでいる。彼らは禁忌を恐れないからだ。

 我々も病を克服せねば、文明そのものが絶えてしまう。医学で人を救わねば、国が滅びるのだ」


「カートン、もうよせ。相手はバケモノだ。話を合わせて我らを取り込もうとしているのかもしれん」


 仲間が知性ぶって世迷い言を吐く。バケモノは鼻でせせら笑った。


「どうやら、崇高な対話を根拠のない常識で振り払おうとする。そこのあなたからは、医学の進歩がないようだ」


「なっ。なんだと!」


 修道士が顔を真っ赤にしてくってかかった。

 バケモノは銀貨を拾い上げると、その男に投げた。


「この子の免罪の布施です。道具も拝見させていただきました。持って帰っていただいて結構です。わが知識の良い糧になりましたよ」


「貴様、一体何者だ」


「ある重い病を患った人を救いたいのです。ですが、この世界にそれを救う手立てがあるのかどうか。なので、まずその手始めに、無痛手術。これを模索しております」


「不可能だ……」

「カートンっ、もうよせ!」


「はい?」


「無痛手術など、無理なのだ。酔っ払いで試しても、眠っている者で試しても、みんな最初の痛みで飛び起きてしまうのだ。

 死を覚悟をした献体でさえも、恐怖と苦痛の中でようよう患部を取り除いたところで、その後、病ではなく苦痛で……死んでしまうのだ」


 医学研究に死体を使っていると言ったのを、自分から撤回する気になったらしい。学問の大義に酔っているのか。ぶつかっている難問の壁に真摯に向き合っている弊害なのか。


「では、俺からも一つ知識をお渡ししましょう。今、この子の腕を踏んでおります」


 バケモノはさらに子供の腕に体重を乗せて踏みつけた。子供が痛みに顔を歪ませた。


「この時に、踏みつけた場所に針を刺した場合、この者はどちらの痛みを感じるでしょうか。針でしょうか、それとも靴でしょうか」


「それは靴に決まっている」

「《《クツウ》》だから。とかいう理由だったらぶっ飛ばしますからね……」


 少年の腕から足をどかすと、バケモノはポケットから布包みを差し出した。


「ご苦労様。〝狼に道具を奪われた。約束の物をくれ〟。そう伝えれば話が通るはずから」


 少年が踏まれた自分の腕をさすりながら、バケモノを恨めしく睨み付ける。眼前に差し出された布包みから食い物の匂いがした。

 誇りはあったが空腹に負けた。布包みをひったくって路地の奥へと走り去った。


「そうか、麻痺だっ。先発した痛覚に後発の痛覚は混同されていくんだっ。麻痺……確かそんな調剤法があったはずっ」


 みるみる男の落ち着きがなくなっていった。


「カートンっ、しっかりしろ。あんなバケモノの言葉を信じるのか?」

「うるさいっ。今やっと何か光が見えかけているんだ。ほっといてくれ!」


 完全に自分の世界モードに入ってしまった男は、そのままブツブツと何か呟きながらその場を歩き回る。

 バケモノは、優雅に一礼してその場を立ち去った。


   §  §  §


 路地を曲がってすぐ。カラヤンが声をかけてきた。


「すみません。時間がかかりました。急いでお店に行きましょう」

 早足で向かう俺に、カラヤンがくくっと笑った。


「なんですか?」

「いやな。てっきりあいつらを叩きのめして、締め上げるのかと思ってたんだが、まさか仲良くなっちまうとはな」


「仲良くなってはいなかったでしょう。力尽くで仲裁に入っても、ただ恨みを買うだけですから。痛い思いなんてできるだけしないに越したことはないですから」


「まあな。それにあの小僧の、レントへの取りなしも忘れなかったな」

「彼の仕事を依頼主みずから邪魔したわけですから、そこの手当は必要でしょう?」


「細けぇ配慮は子供だったからって言いたいのか。そうじゃないだろ。お前に将の器ができてきたのかもな」


「ええっ? もう、カラヤンさんっ。勘弁してください。俺はそういうガラじゃないですから。ダンジョンに入って隊長役は懲りましたよ」


「隊長役と将の器は、別だ。お前がハッタリを噛まそうと、真っ直ぐ歩くだけで周りに人が集まってくる。今のおれみたいにな。それが将の器ってもんだ」


 俺は聞かないフリをして、花屋に急いだ。

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