第38話 仕立屋(サルト)の前で昼食を


 マンガリッツァ・ファミリー〝仕立屋サルト〟。

 仕立屋は、紳士淑女の衣服を作る店だ。


 表の商家名は〈メルクーアブル商会〉。


 地上一階建ての石造り。だが玄関ドアを開けると奥が長く、さらに地下へと続く階段の手すりが見えた。天井に達する左右の布棚には筒状に巻かれた布生地がひしめいていた。 


「なんだ、マルガリータじゃないか」

「お久しぶりだね。親方パドローネ


 世間は割と狭い。モデラートとマルガリータが知り合いだった。


「お知り合いだったのですか」

「ふぅ……私がヴェネーシアでこの商会を起ち上げた当時、最初に雇用した針子です」

「へえ。そうだったんですか」


「ベネリ家専属の針子として引き抜かれた後も、執政庁前で被服の祭典がある時などは臨時で来てもらっていました。いいでしょう、彼女なら……腕は落ちてないよな?」


「ははっ。多少は落ちてるかもねえ」

「あと、これが企画書なんですが、デザイン画を入れてみました」


 モデラートは怪訝そうに羊皮紙を受け取ると、少し戸惑った様子で眉が踊った。


「なんだこれは。美しくない……っ」ですよねー。


「返り血を浴びるからいらないんだってさ」

 あっ、マルガリータさん、それ以上はいけない。

「か、返り血だとっ!? そんな話は聞いてないぞっ」


 モデラートは俺を睨み付けてきた。


「いや、えっと。用途は外科手術。機能性一点張りだって言いましたよ。確かに作業着とは言わなかったですが」


 俺が慌てて抗弁する。モデラートは押し黙ると、企画書をテーブルに叩きつけて怒りをため息にした。


「こんな物なら、マルガリータ一人いれば三日でできただろうがっ」

「いや、その辺は……彼女の裁縫の技術を把握していなかったもので」


「なっ!? ぐっ……マルガリータ。来月。とある伯爵夫人のドレスを仕立てることになった。そっちでお前の手を借りたい」


 おいおい。こいつ、客の目の前で別客の話を始めたやがったぞ。


「パドローネ。あんたもずいぶん偉くなったもんだね」

「偉いんだよ。実際に。お前があの町を離れてから、十七年経ってるんだからな」


「それじゃあ、そのあんたがヴェネーシアを離れてるのはなんでなんだい?」

「あっちはフラヴィオに任せてる。五年も前だ」


「は、フラヴィオ? あの〝シワ残し(シワのある服は着れない。転じて使い物にならないの意)〟に店を預けたのかい。はっ、あんたも焼きが回ったね」


「お前がベネリ家を離れてから、あいつもずいぶん努力した。もちろん、私もだ」

「だったらあんたは目の前の仕事をほっぽり出して、何の話をしてるんだい」


「こんなものっ、仕事じゃないだろ。片手間。いや、見習い仕事じゃないか」


 するとマルガリータは太い腕を組んで、仁王立ちになった。


「なら、あたしは手伝わないよ」

 あれ、俺の意向はどこへ。


「そっちだけでやりな。五着全部。期限は今日の夕刻五時までにだ」

「なに、今日中だと?」


 目の前で依頼人もほっぽり出されて勝手に契約が変わっていくんですが。それは。


「客の前でそんだけ偉そうな態度をとれるんだ。それくらいはやってのけられるんだろうって言ってんのさ。

 常に仕事には紳士たれと言ってきたモデラート・アリオーソは、一体どこに行ったんだい。それじゃあ、まるで成り上がりのヤクザじゃないか」


(いや、実際そっち系なんですよ、奥さん)


 やれやれ、交渉決裂か。にらみ合う二人の間で、俺はさっさと諦めた。テーブルの企画書に手を伸ばす。そしたら、モデラートに企画書を抑えこまれた。


「いいだろう。今日の夕刻までに仕上げてやるっ。できたら、お前はその場ですぐ伯爵夫人のドレスの仕立てに入れ。いいよな?」


「ああ、いいとも。喜んでやらせてもらうよ。こっちの依頼にかかりきりになりすぎて、他の上得意の依頼を食いつぶさないよう、せいぜい針子の尻を叩くんだね。──行くよ、狼」


「あ、はい」

 俺は、のっしのっしと店を出て行く彼女の背中を追って店を出た。


「おっ、やっと出てきた、な……どうしたんだ?」

 店の外で待っていたカラヤンがすぐ異変に気づいた。

 俺はうなずくだけで、歩き出した。


  §  §  §


「だから、なんでお前は、そう話をややこしくするんだっ」

「ええっ。俺のせいですかあ?」


〈メルクーアブル商会〉が見える喫茶店に入り、コーヒーをいただく。

 マルガリータにはハティヤ達と合流してもらい、買い物組に回ってもらった。


 この異世界で初めて正規の喫茶店に入る。いい。ここの木造の雰囲気、いい。


「俺の目の前で、勝手に二人で売り言葉買い言葉で商談をまとめられてしまったのですよ。俺が口を挿む余地なんて、どこにもありませんでした」


「モデラートは数年前から、飛ぶ鳥落とす勢いで服飾界のトップ集団を走り続けて、仕事量が半端ないんだ。いくらおふくろのお気に入りだからって、お前は一見いちげん客だ。それを無理やり横からねじ込んでるんだから、多少雑に扱われても、仕事さえキッチリしてりゃ、お前だって文句はねえだろうが」


 正論なんだが、お兄ちゃんが弟を庇っているようにしか聞こえない。あー、聞こえなーい。


「いや、だからですね。マルガリータさんが……時間、大丈夫ですか?」

「ん? ……すまん。今、何時頃だ?」


 給仕に時間を尋ねると、店の外まで出てくれて、十一時半だという。鐘楼に時計があるらしい。


「エディナ様の予約は何時なのですか」

「十三時だ。あの店は昼メシ時になると、花がよく出るらしくてな」


 そうだった。マンガリッツァ・ファミリーのボスの本業は花屋だった。それだったら謁見というより、会食になるのかもしれない。


「今回。ご兄弟は、誰が立ち会うんですか」

「ダンテとレントだ。今回のことはレントに言ってあるから、大抵の物は揃う」

「宛てがあるんですか」

「うん。今朝会って話をしたら具体的にどこだとは言わなかったが、一応聞いてみるとは言っていた」


 マジか。外科手術用の器材がこの世界に存在してたのか。詳しく聞きたいな。


「それに、スミリヴァルの外科手術というのは、結局、お前じゃなくライカン・フェニアがやるんだろう?」

「そうですね。彼女です」

「大丈夫なのか。ムトゥ殿にバレると、まずい技術なんじゃないのか」


「どうしてです?」

「いやな、レントが珍しく神妙な顔で言うんだよ」


あにさん、それどこから耳入れはったんですか。手術道具はその筋では門外不出ですよってなあ。持ち出すんにしても、ちょっと難儀しますで』


 俺は肯定した。


「確かに、彼女は普段からその技術を隠していました。ですので、スミリヴァルさんの病状を見かねての勇断だったと思います。ムトゥ家政長は、その技術流失を防ぐために、彼女に国外で技術を公開しないことが、赦免の条件にした可能性は高いですね」


「ちっ。〝七城塞公国〟が鎖国してきた理由が見えてきたぜ。要は、手術道具を門外不出にしている連中と同じってこった。そういう技術を出し惜しんでるわけだな」


 俺は首を傾げるだけで同意はしなかった。

 外科手術。この異世界で麻酔の存在さえいまだ確認していない。カラヤンは彼らの医療技術がこの世界では宇宙人レベルだということにまだ気づけていない。


 四、五歳くらいだった女の子が、数時間で十九歳にまで成長したことの重大性に、ペルリカ先生以外、誰も気づけていないのが、その証拠だ。


「にしても、お前。そんなすげぇ女に惚れられてんのか」


 不意打ちの指摘に、俺は耳をピンッとそばだてただけで、返事が遅れた。


「んんっ、えっ。急に何の話です……っ?」

「あいつら。お前の親衛隊か、さもなきゃ親犬を守る子犬みたいになってたぞ」


「ちょっと。勘弁してくださいよお」

 苦笑する俺に、カラヤンはひとしきり笑うと、急に真顔で見つめられた。


「ところで、お前。ちゃんと毎朝、奮い立ってるのか?」


 急にボーイズトーク・ウィズ・オッサンが始まったぞ。


「心臓動いてませんから、その……ないです」

「そうか。そうだったな。だったら、お前。罪作りだろうなあ」

 カラヤンが少し考え込むような表情で首を振った。


「カラヤンさん。俺、どうしたらいいんでしょうか」

 土器製カップからコーヒーをすすって、カラヤンは笑みを納めた。


「知るかよ。お前のことだろ──と、突っぱねるのは簡単だが、普通は三つかなあ」

「というとっ?」

 俺もつい前のめりになる。


「彼女たちの花の嵐が過ぎるのを、近からず遠からず、頭を低くしてじっと待つか。手っ取り早く一人ずつベッドに引きずり込んで、失望の罵倒を受けるか」


 ウルダはまだ十三歳。事案ですぞ。いや、数年先の話として聞けばいいのか。


「あと一つは?」

「別に女を作る。決まってんだろ?」

「鬼畜だ。鬼畜です。三人とも、どこに出しても恥ずかしくない器量良しですよ?」


「うっははは。それこそ知るかよ。そもそも誰も選べない。選ぼうとしないお前が一番、悪い」


 ぐうの音も出ない。俺はコーヒーカップの池に身投げしたい気分でうつむいた。


「まあ、あの子らもまだまだ見ておくべき世間が多い年頃だ。そのうちふっと興味が他所へ向かうかもしれん」


 そう言った本人が、その可能性を否定する顔で俺を見る。


「まず、ウルダは、マンガリッツァ・ファミリーの契約でお前の所有物状態。他に行きようがない。むしろお前から手放すこともできない。

 その上で、お前が養育者として受け入れたのは、罪を背負わされたあの子にとっての幸福だ。あの子にしてみれば、頼みの綱はお前しかいないとも言えるがな。


 あの子はもしかすると、男女の色恋より先に、家族の愛情欲求が強いのかもしれん。シャラモンが大所帯に受け入れた判断は英断だったかもな。


 次、ライカン・フェニアは、三人で一番年上らしいが、ありゃあ相当な奥手おぼこだな。一度お前に心を寄せちまってるみたいだから、今後お前以外の男に目を向けられるほど度胸がつくかどうかは未知数だ。下手をすれば男性不信ってことにもなりかねん。


 なにより厄介なのが、あの子の場合、魔女と呼ばれても仕方がないほどの探究心が無尽蔵すぎる。案外、恋人よりも自分の知識に追従できる友達が欲しいのかもしれん。


 んで、ハティヤに到っては、この二人の先に立つ品格と度胸だ。もし向こうから告白があってお前が断ったとしても、なお射落とそうとする自意識と芯の強さも充分だろう。十五にして非の打ち所がない心胆だ。盤石だ。向こうが本気になったら、お前に逃げ場はねぇだろうよ」


 盤石ってそういうとき使わないよな。それにもう、堕とされてるんだよなあ。しかも内面までしっかり精神分析されてるし。ツカサ再登場したら殺すって言うし。


「見事な……人物眼ですね」

「まあ。それだけが、おれの取り柄みたいなもんだからな。まあ、結局お前次第だな」


 カラヤンは誇るでもなく、肩をすくめた。

「それで? あの子らをここまで連れてきたのは、ライカン・フェニアを補助させるためか」


「はい。卑怯なのは分かってます。彼女たちなら、逃げないと思って」

「そりゃあな。お前に命令されたら、嫌とは言わんさ」


「カラヤンさん、もうからかわないでくださいよ。もう……限界です」


「からかっちゃあいねえよ。事実だ。お前の頼みだから、あの子らやスコールもお前を信じて、よく踏みとどまって戦ってる。だからお前も、あの子らの拠り所、指揮官として振る舞うんだな。今までとやってることと変わらんだろ。

 あと、手術が成功したら報酬はしっかりはずませる。あの子らにしっかり振り回されて、甘えさせてやれよ」


 いつの間にかカップが空になっていた。俺はコーヒーのおかわりを頼んだ。


「なにか、軽く食べておきませんか。お腹がすきました」

「ああ。だがその前に……その面を拭けよ」

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