第43話 狼、セニを駆け回る 前編


 この世界にも、〝乾留〟かんりゅうという化学があった。


 乾留とは、いわゆる〝蒸し焼き〟のことだ。

 空気を遮断して固体有機物を加熱分解すること。またこれと同時に、その分解生成物を「揮発性有機化合物(溜出物)」と「不揮発性物質(残留物)」に分けることも含まれる。


 ここでキモとなるのは、空気を断つこと。自然発火を抑えて熱分解反応だけを進行させることだ。


 実生活で喩えるなら、炭焼きがまさにそれだ。


 よく乾燥させた木幹を窯に入れて薪で窯の中を高熱状態にし、窯の中の木を蒸し焼きにして炭にする。

 この低温炭化(一〇〇〇℃以下)する過程で、木は水、二酸化炭素、木ガス、木酢液、木タールなど(留出物)と炭(残留物)に熱分解される。


 では、この乾留を石炭でやるとどうなるか、である。


 セニの町郊外。反射炉ガラス工房──。

 ガラス職人の朝は早い。


「ねえ、ちょっとお。このクソ寒い中来てやったんだから、さっさと仕事させなさいよね」


 昨日。俺にドロップキックをかましたうるせーのが、朝から愚痴を垂れ流す。


「狼。ノエミを手なずけたんか」

 カルヴァツ工房長がとなりから小声で言ってきた。


「手なずけた、とはどういう意味ですか?」

「あいつは、親父譲りの頑固モンでな。元は十六から十八までメドゥサ様の船にのってたんだ。船を下りてから親父の土器作りを手伝うようになったんだが、愛想が悪くてな。客と揉めてばかりだ。

 去年、親父がいなくなる間際に『お前に商売は無理だ』と窯をぶち壊しちまった。ところがいなくなった後になって、急にあの娘が親の家業を継ぐんだと息巻きだして……みんな手を焼いてたんだ」


 天邪鬼あまのじゃくかな?


「詳しいですね。もしかして彼女、カルヴァツさんのご親戚ですか?」

「ん? まあ……いとこ半だ」


 カルヴァツ工房長は、ばつ悪そうに視線を逃がした。いとこの子供か。

 しかし、またしても商才ゼロの女か。しかもツンデレもち。


「なんで、すぐこっちに誘ってあげなかったんです?」

「はっ。自分が焼きたいのはレンガじゃなくて、土器なんだとよ」


「俺も、土器は作りませんよ? 陶磁器を作る予定です」

「トウジキ? じゃあ、あの窯は何に使うんだ?」


「いろいろですね。今は新窯の熱の流れを見るのに、試しで木炭を作りますけど。それでうまく言ったらすぐ石炭焼きです。彼女のやりたいことはその後か、さらにその後か?」


「石炭を、焼く? 何も入れずにか?」


「ええ。レンガを作る火よりもやや低い火で石炭を焼いていくんです。その状態で最終的に一三〇〇度まで上げて、石炭から今後の材料をいろいろ取り出します」


 カルヴァツ工房長は怪訝な顔をして、

「じゃあ、その石炭は消し炭になって残らねえのかい?」


 俺は顔を振った。


「いいえ。むしろその取り出した石炭(コークス)を使って、今度はそっちの反射炉で工房長達に鉄鋼を錬成してもらおうかと。その石炭で温度は一六〇〇度まであがるはずです」


「ほう、一六〇〇っ!? それが終わったら?」

「さすがに炉を休ませて年越しです。その頃にはガラス窯もできてるでしょうから、ガラス作りは年明けから継続ですかね。石炭はそのまま使えます」


「じゃあ、できた鉄鋼はどうするんだ?」


「二tgほどサンプルとしてティミショアラへ送ります。向こうで合格を認められれば、鉄鋼精錬の大口契約がもらえて、本格的にこの反射炉の──」


 説明の途中で、またしても俺の尻に蹴りが入れられた。


「いつまであたしを放置する気よっ。寒いのよ。早く仕事させろーっ!」

 雇用主を蹴るな。と言おうとしたら、カルヴァツが先に烈火のごとく怒った。


「莫迦野郎っ、仮にもテメェの施主せしゅ(ここでは窯元のこと)を蹴るヤツがあるか! テメェの親父はそんな初歩も教えなかったのか、この跳ねっ返り!」


「なによ、クソジジイ! かかってくるなら受けて立つよっ」


 まあまあまあ。どうどうどう。いがみ合う二人の間に入って、俺は宥める。


(ハァ……こんな状態で本当に間に合うのかな)


 今日はライカン・フェニアがロギに手術道具のデッサン画を描いてもらう予定だ。似顔絵の要領で。


 それができあがり次第、その絵を元にホヴォトニツェの金床でライカン・フェニア監修のもと、手術器具製作の打ち合わせにはいることになっている。


 なので俺は、七日ほどで木炭の乾留と窯出しまでを終える。その火力性能が上がった木炭で、次に石炭を乾留。さらに火力性能が上がった石炭で、鉄鋼錬成。そして、出来を確認したらティボルとともにティミショアラへ出荷。という運びとなる。


 一方、石炭の乾留の際に得られるはずのベンゼン(危険物質)で〝ナイロン〟を作り、縫合糸や手術手袋を作らなくてはならない。


 あと、麻酔に次ぐ問題が、人工呼吸器……いや吸気弁か。プラスチックにこだわる必要はないが、弁装置は薄く、軽く、閉じた時に密着する方がいい。

 忙しくて目が回るほどじゃないが、いくつかは窯の様子を見るノエミを窺いながら製作することになる。まあ、親戚筋の工房長もいるのでそんなに心配していない。


 科学は偉大だが、俺のいた世界の何百年分を駆け上がれば、スミリヴァル会頭代行を救える水準まで達するのかわからない。


  §  §  §


 俺が炭焼き窯で知っているのは、土の窯だ。この耐火レンガの窯で、どれくらいの速度で火が回るか、知識がなかった。

 問題点はいろいろあるが、みんな初めてのことだ。


 俺は窯の入口を三分の二。レンガと泥で塞ぎ、焚き口に積んだ薪に火種を投じた。

 地面付近に開けた薪の口や煙突からけむりが立ち昇る。風の道はいいようだ。ここからその煙を頼りに温度を上げていく。


「ラリサ。薪をどんどん足し続けて」

「わかった」


 朝の教会学校を終えて現れたラリサと二人の少年が、昼前に合流。短い期間でも牧場仕事を手伝っていたせいか、炭材を運ぶにも手際がよかった。


 むしろ粘土ばかりこねていた元女海賊がどんくさい。二本運び入れている間に、彼らで七、八本運んでいく。子供らに仕事を奪われた気分なのか、ずっと機嫌が悪い。


「じゃあ、頼むよ。三時間くらいしたら交替に戻ってこれると思うから」

「ちょ、ちょっとぉ。どこいくのよっ」


「〝なぞなぞ姉妹亭〟で新作メニューの実演とホヴォトニツェの金床の所へ新しい道具の打ち合わせに行く」

「じゃあ、あたしもっ」


 なんでだよ。食事してそのまま家に帰るルートだろ。


「あれ。器屋なのに、窯の温度を見れないの?」

「なっ。で、できるわよっ。それくらいっ」


 ふ、ちょろいな。


「まず、煙突から白い煙が濃く出始めたら煙突の口を塞ぐ。焚き口に薪をどんどん足していって。次に、七〇度くらいに達したら窯の中で炭化を報せてくる合図があって、焦げ臭い匂い煙が煙突からまっすぐ噴き出す。この時に、薪の投入口をレンガで閉じて、逆に煙突の口を開く……覚えた?」


 目を合わせると、ノエミの目がきょろっとしらばっくれたみたいに上を向いた。


(あー、これ。ダメなヤツだ)


「ノエミ。この現場の棟梁は、きみだから。ここの窯を任せるからね」

「えっ、うそ。あんたじゃないの?」


 急に狼狽えたように潤んだ目で見上げてくる。頼りないこと、おびただしい。


「俺はあっちこっち顔を出さなきゃならないし、個人的に作らなきゃいけない道具もある。ここを任せるために、きみを雇ったんだ」


「そんなぁ。初日で……あたし、炭焼きなんて……初めて、なんだけど」


 ラリサを始め、少年たちがシラけた目をこちらに向けた。

 まずい。群れがボスを見下し始めた。


「大丈夫。みんな初日なのは同じだ。でも親父さんの窯焼きはずっと見てたんだろ。その経験を思い出して。それともカルヴァツ工房長に頼んだ方がいい?」


「いやっ。あの禿げジジイにだけは頼りたくないっ」

「よし、その意気だ。じゃあ、三時間したら顔出せるように俺も頑張るから」


 ノエミの肩を叩いて励まし、俺は工房長にアイサインを送ってから工房を出た。


 まさかの〝粘土屋〟は窯の扱いすら初めてだなんてな。でも進むしかない。

 時間はないけど、失敗と挑戦を恐れたら進む力さえなくなるのだから。

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