第25話 少年は限界を超えて


 養父から、冒険者はダメだと言われた時、スコールは人生が終わったと感じた。


 その後の冒険者稼業の苦労話なんて耳に入ってなかった。断片的なところで抵抗してみても、相手は一流の魔法使いと剣士。ガキの生意気にしか受け止められなかったのだろう。


 かなりしょげて諦めかけた。そんな時だ。狼が、手に入れた金で一流剣士から剣を習えと言ってくれたのは。


 家族を守りたい。そのために強くなりたい。それは祈りに近かった。それだけに、あの薦めがどんなに嬉しかったことか。


 それから一年間。たった一年で、自分の世界が一変した。


 ただのクソガキが、剣士スコール・エヴァーハルト・シャラモンになった。

 でも、その現実に見えた夢が、限界にぶつかっていた。


「GRRRYYYYYAAAAA!」


 獣の咆哮とともに、狼の長柄戦斧で徨魔の右の首筋から左の脇腹までをひと息に斬り落とす。さらに短剣の切っ先で鳩尾を刺し貫くと、ぐるんと捻り込んで肉を抉りだす。


「くそっ。くそっ。石の手応えがねえ……っ!」


 狼が見せてくれた黒い石。それが最初の一匹から出たが、二匹目から出てこない。

 どうやったっけ。何がいけない。考え続けるにつれ、苛立ちが思考の芯をチリチリと焦がす。

 二匹目は傷口をみるみる再生させて蘇り、前より殺意を募らせて迫ってくる。腕力が恐ろしく強くて、木箱をやすやすと拳で粉砕した。


 カラヤンが死にかけた時の、あのおぞましい怪物と同じ種類なのはわかる。狼がその弱点も見せた。大口を叩いて引き受けた分、一匹は自力でたおせたのだ。

 なのに、ここにきて残りの敵が人のように斃れてくれない。


『ったく。てめぇにゃ何言いつけても満足にこなせねぇのかっ!』

『おい、チビ助。おれ達が剣の稽古をつけてやろう』

『めくらの神父を哀れんで孤児をひきとってやったのに、とんだ野良犬だったわね』

『どういうつもりだ。下男の分際で、主人を襲うとは。里が知れるわっ』


(うるせぇ、うるせぇっ。おれはもう強くなったんだっ。お前らみたいに身分や生まれにも、しがみついて生きちゃあいねえ!)


 短い息を何度もしているはずなのに肺が膨らんだような気がしない。戦斧を握る手が石化したみたいに重い。目に見える周囲が少し暗い。

 最悪なことにあの怪物が増えたようにさえ見えてきた。

 恐怖が足下から這い上ってくる。


(増えた? ダメだ、怯えるな。構えろっ。このままじゃ……負けるっ)


 スコールは、勝利を目前にして、追い詰められていた。


  §  §  §


「兄貴、船倉の最後の一体が二体に増えとるでっ」

 マシューの報告に、別のことを考えていたマクガイアは目線を上げた。


「増えただと? ポータルは狼が破壊したんだろ。原因は。誰が船倉に残ってる」

「原因不明。残っとるんは、狼んとこの若造じゃかったかのぅ」


 確かスコールと言ったか。


「もしかすると、コアを体内で切断しちまった、か?」

 マシューは思わず振り返った。


「兄貴、そりゃあどういうことなら」


「直感だがな。結集した直後の細胞は、早く身体を復元しようと再生能力が向上してる。それが結集したコアにも及んだとしたら──」


「再生能力が破損コアの修復に回ったんかのぅ?」


「そういうこった。コアを二つに割った直後に再生が働いた。結果、二つのコアが修復され、徨魔が二つできあがる。即席のクローンだな」


「厄介じゃのぅ」


「そう呑気にも言ってられんぞ。スコールはまだ十五やそこらだったはずだ。ナイフ一本で一体ほふっただけでも大したもんだが、追加で徨魔二体は荷が重いぜ」


「ほしたら、はよう狼に伝えとかんとおえんかの?」


 マクガイアは押し黙って、大画面を見あげた。

 三姉妹は第4階層。狼とサナダは第17階層。問題発生は船倉(B1)だ。それらの階層から船倉までの直通エレベーターはない。三姉妹にマナスラスターで向かわせても、最短で七分はかかる。


「間に合わねぇ……いや、手はある」


 苦り切った顔でこめかみのカレントに触れようとしたマクガイアは、なぜか直感的に内線電話を掴んでいた。


  §  §  §


 幻覚じゃなかった。本当にもう一匹増えていた。


 怪物の拳を短剣で受けて吹っ飛び、木箱に叩きつけられた。中身が武器だったらよかったのに、リンゴだった。


 ひたひたと近づいてくる音がする。敵の姿は見えない。

 スコールはとっさにリンゴを掴んだ。掴んだものの、それを投げつけようとしてその無意味さに絶望した。


「ここ、までか……っ」


 カラヤン隊第1班長。できたばかりの商会のお抱え自警団。序列は上から三番目。書類上の部下は六〇人(ウルダが部下の面倒を見ないので、実質、第2班も管掌)。


 世間からしてみればヤクザの子分頭みたいな地位だが、それでも地位だった。


 報告や連絡事項は多かったし、雑務も多かった。隊員は時間にルーズ。町衆とのいざこざが起きれば、その仲裁もした。せっかくの地位も、腕っぷしよりも言葉に頭を使う場面ばかりだ。


 実は自警団内でスコールは、ウルダに次ぐ年少組だった。部下たちはみな十七歳以上の少年少女ばかりだった。カラヤンが採用するのに年齢規定を設けたからだ。


 それでも体力も腕っぷしも隊員の中でトップ。その上で稽古に余念がなかった。本気を出せる稽古相手は常にウルダ。彼女は天才肌で稽古するといつも発見があった。そのウルダによく負けたがなんとか勝ち越してきた。

 カラヤンという一流剣士の背中を追いたかったし、自分の背中を押してくれた狼の期待にも応えたかった。


 そんな日々が楽しかった。一人で森を駆け回ったり木剣を振り回すだけの、時間の浪費じゃない。給料が支払われて、強くなっていく自分が楽しかった。


 そんな時、ハティヤに言われたことがある。


『狼が忙しくしてるんだから、たまにはそっちも手伝いなさいよ』

 その時、自分はなんと答えたか。

『えー、修行になんねーよ』だったか。いや、あの時一瞬ハティヤを言い負かしたはずだ。

『手伝いなら、ハティヤがすれば言いじゃんか。お前、狼に惚れてるんだろ?』


 今にして思えば野暮ガキだ。ハティヤの一瞬、悔しそうな顔が思い出された。

 恋する前から恋に破れたような泣き顔が。


『狼はね。誰かが見てないと、すぐどっかへ行っちゃいそうな人なの。優しくて穏やかな人だけど、そういう危なっかしいところがあるの。だから私たちがしっかり見てないとだめ』


 そう言ったハティヤがいなくなり、狼の悲嘆を目の当たりにもして、スコールはあの言葉の意味を遅ればせに実感した。


 看視してないと、狼は帝国に殴り込んでも二人を連れ戻そうとする。太陽に捕らわれていたら太陽へも反逆しただろう。そのせいか無茶にも拍車がかかった。


(そうだ。ハティヤの代わりに、おれが狼を見てないと……けどっ)


 もう限界だ。もうすぐ、コイツらにおれは食い殺され──。


「お前さんの実力なら、まだまだ諦めるのは早いんじゃねぇのかい?」


 どこかで聞き覚えのある声がするや、スコールは首を掴まれた。引き上げられる。徨魔の力は凄まじく、少年の靴底が軽々と地面を離れた。


 目の前に、卑猥な形をした頭部がぱくりとタテに開いて、その奥で蠕動ぜんどうする闇が広がっていた。


「お、れの……実、力……っ!?」


 掴んでいたリンゴが指から離れた。次の瞬間だった。

 口を開いた徨魔の横面に黄色い拳がめりこんだ。

 一緒にスコールも投げ出される。目の前にリンゴが転がってきた。


「ずっと、お前さんを見てたよ。マナ、使えるようになったんだろ? アイツみたく、それでも食って、もうひと踏ん張りするんだな」


 冷たいコンクリートの地面から顔を上げる。黄色い精霊が腰(?)に手を置いて、転んだ息子を見るような目で見下ろしてくる。


「助けてくれたのか……サラー」

「狼との約束──その最後の一発さ。約束は守ったからね。アイツにそう言っといてくれ」


「サラー。その……ありがと」

「ほほっ。やめてくれよ。成仏しちまうだろ。……じゃあな。しっかり生きるんだぜ」


 黄色い精霊が暑苦しい笑顔で、空気に溶け込むように消えていった。

 その場に残されたのは、スコールの短剣。徨魔の酸にやられて腐食していたのに、今は黒く輝いていた。


 スコールはリンゴを無言で掴むと、ひとかじり。酸っぱくてあごが痺れ、目が覚めた。剣を掴むと、刀身が赤く燃えあがった。


のぞむ兵 たたかう者 みな じんつらねて まえく……っ!」


 刀身の紅蓮ぐれんが全身を包んだ。その時だった。


Freude schöner Götterfunken, (フロイデ シェーナー ゲッターフンケン)

Tochter aus Elysium, (トホター アウス エリージウム)

Wir betreten feuertrunken,(ヴィアー ベトレーテン フォイアートゥルンケン)

Himmlische dein Heiligtum!(ヒンムリッシェ ダイン ハイリッヒトゥム!)


Deine Zauber binden wieder,(ダイネ ツァウバー ビンデン ヴィーダー)

Was die Mode streng geteilt; (ヴァス ディー モーデ ストレング ゲタイルト)

Alle Menschen werden Brüder,(アッレ メンシェン ヴェァデン ブリュダー)

Wo dein sanfter Flügel weilt.:(ヴォー ダイン ザンフター フリューゲル ヴァイルト)


 格納庫のスピーカーから、歌──たぶん歌が流れてきた。

 声はマクガイアだったが、スコールの知らないメロディだった。


 徨魔がその歌に反応し、天井を見上げて棒立ちになった。


(ハティヤ。おれがお前の分まで狼のこと見ててやるからな……っ!)


 〝梟爪サヴァー〟が獲物の間を翔け抜けた。

 

  §  §  §


「ガイ兄ちゃんの音痴は知ってたけど。今日の第九番は飛び切りだったぜぇ!」


 戦闘指揮所。

 オルテナが傑作とばかりにさっきからずっと笑いっぱなしだ。兄マシューにたしなめられても、壊れたみたいに笑ってる。


 艦内放送でマクガイアが歌ったのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『交響曲第九番』第四楽章斉唱のサビだ。歌詞はシラーの『歓喜に寄す』。この歌詞は世界中で翻訳され、多くの人々に愛唱されている。

 俺は日本語の歌詞は知らないのに、ツカサに「覚えとくとモテますえ」とそそのかされて、歌う場もないのにドイツ語の歌詞だけ覚えさせられた。


 とにかく、このマクガイアの機転で、スコールの窮地を救われた。


「うわぁあああ、すこぉるぅうううっ! ごめぇええんよぉおおおっ!」

「お、狼っ。うううっとうしい! もういいって、キズはきれいに治ったって!」


 生き残っててくれたスコールを抱きしめるなり、俺は全身全霊で治癒魔法を発動した。手足はもちろん、腹や背中、顔にまで酸を浴び、薬品火傷で赤く爛れてしまっていた。


 スコールは短剣一本で、徨魔を三体も斃した実績をあげ、サナダが有望と褒めていた。

 けれど俺のほうは手放しで褒められなかった。スコールの実力なら徨魔の死点さえ教えれば勝てるだろうという、またしても俺の浅慮の皮算用が作り出した窮地だった。スコールのズタボロの姿と苦戦報告を受けて、俺はその場に両膝を屈しそうになった。


(そりゃあ、俺だって四〇超える数の徨魔を斃したけどさ。でも俺なんて、どうせ魔法お化けだしさ。でもスコールは違うし。人間だしっ)


 自己嫌悪の権化ごんげ。本気で、落ち込んだ。 


「マクガイアさん、スコールを掬っていただき、本当にありがとうございました」


 俺は保護者として腰を九〇度に折って、頭を下げた。


「あの歌がなければ、スコールは──」

「あーっ、もうっ。勘弁しろぉっ。お前までオレの音痴をイジってくれるなよっ!」

「いえっ。本当に俺、感謝してますからっ」


 力いっぱい気持ちを伝えようとするほど、マクガイアは羞恥しゅうちで顔を赤くした。


「それで、この後どうするんだい?」

 アルサリアが女ドワーフの肩に手を置いて言った。笑いがピタリと止まる。

「結構な窮地だった割に、実入りナシじゃ。進歩がないじゃないか」


 艦長然としたグラサンドワーフが、天に嘆かんばかりに両手を広げた。


「進歩どころか、余計に面倒な事態コトになってきてるぜ」

「ん。そりゃどういうことだい?」


 マクガイアは舎弟を呼ぶ。すると大画面に映像が映し出された。

 どこかで見覚えのある城塞都市だった。その壁の外でうねうねと黒くて太い影がのたうっている。

 あえてリアルに言うと、アリの群れに飛び込んで大暴れする数匹のミミズの、それ。


「さっきまでの大騒ぎは狼や三姉妹、それと魔女さん。あんたらの足止め策だったみたいでな」

 マクガイアは大画面を見あげながら億劫そうに言った。


「本命は、中央軍九〇〇〇を〝餌〟にすることだったのさ」




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