第9話 灯明は西の彼方に消えて


 黒い剣に胸を貫かれた像は、まるで杭を打たれた吸血鬼のようだった。

 もっとも、現実はそんな痛快には終ってくれなかったが。


「ああぁ、オレが、死んだ……なーんてな」

 ティボルの半面だけが醜悪な笑みを浮かべる。それにしても器用な顔だ。

「ティボル」

「いや、ちょっ。待てよ。……くそっ。最後の詰めで抵抗されてるっ」


「まだだ。オレはまだ終わらんぞ。オレの思考データを中央軍将校三〇〇人に送った。ここでオレが死んでも、ダンジョンへの攻撃は止められんぞ」


「うん、知ってる」

「知ってる?」


 ティボルの顔がきょとんとした様子で一致した。顔面でスロットするのやめろよ。


「俺は再誕するリンクスに、護ると約束した。あんたが複製体の耳目と共有リンクしているとわかった時点で、四家政長と暗闇で連繋して、その救出計画〝ラーマズブリッジ〟を進めてきた」


「やっぱりお前が反乱の首謀者だったのかっ」


「違う。俺は……リンクスをもっと自由にしてやりたかった。人生は楽しいものじゃなく、もっと能動的に楽しむものだって教えたかった。そのためには、複製体の感覚情報データを掌握する大公あんたと、それを基にリンクスを追いかけ回していたディスコルディアが邪魔だった。だから龍公主たちの四肢再生を手伝ったに過ぎない」


「反乱の狼煙を上げる役割ではなかったのか」


「それは、あんた側の理屈だ。四肢再生が、龍公主四家の反乱の意思表示だと見なすことは聞いてる。その役目を俺がすすんで買って出たことも、確かだ。

 だけど、狼煙は行きがかり上に過ぎない。

 俺はこの世界で、自分の欲望に忠実に生きようと決めている。今回は子供たちに春節祭──歳を重ねるお祝いをしてあげたかった。その料理をつくるのにダンジョンの食堂の厨房にあるガスオーブンを使いたかった」


「春節祭だと? ダンジョンの、食堂の厨房……ガスオーブンっ? そんなっ、そんなことのために、ここへ来たの言うのか」


「だから言ったろ。リンクスと春節祭を祝うためには、あんたら二人の事情や思惑なんてどうでもよかったし、邪魔だったんだ。ただ、二万五〇〇〇の兵が中央都に戻らなかったというグリシモンの報告で、ダンジョンの前に居座ってリンクスの再誕を待ちかまえることは予想できた。

 それが、俺にとって不都合だった。

 無粋な兵士に見張られてたら、せっかくのお祝い気分も冷める。

 だから俺は、その演習司令官二人を誘拐して演習中の指揮系統を麻痺させ、三龍公主をダンジョン内で四肢再生させることを条件に、ダンジョン内でのに引き込む計画を立てた。

 家政長らは、その俺の〝春節祭計画〟が反乱に使えると見込んで乗ってきたんだ。ここに俺が来たのも、ティボルとグリシモンを奪還するついでに、できれば大公あんたが何を企んでいるのか知るための情報収集と、ついでに複製体の共有リンク──ここにある通信機械をこの際、破壊できれば御の字。それがこの計画の一環だった」


「欲張りすぎだろっ!」


 そのツッコミがティボルかバルマンかわからない。もう面倒くさいので気にしない。


「待った。待てよっ。まだオレにはティミショアラに駐留軍五〇〇〇だっているんだぞ!」


 往生際の悪い詰め将棋みたいに大公の亡霊プログラムが食い下がってくる。

 俺は嘆息して肩を落とした。ハッカーが自分をデータ化して知り合いのスマホから話しかけられてる気分だ。正直ウザい。早く成仏してくんねぇかなあ。


「それがどうした。都内の政治と軍部の重要拠点が五つあるとして、それらを五〇〇〇全軍で攻めかかるのか? 中央軍はティミショアラ都民にとっては余所者。後のことを考えれば、愚策すぎるだろ」


「それは……っ」

 痛いところを突いたらしく、ティボルの半面が片目だけ動揺で目を泳がせる。キモい。


「ティミショアラは、オイゲン・ムトゥが三〇年間も治安を安定させてきた交易都市だ。そこを武力制圧すれば都民と外来商人の信用を失う。誰も中央軍を次のボスとは認めないだろう。なら、関係各所を秘密裏のうちに急襲する必要がある。兵数は多くとも兵力の十分の一である五〇〇。夜間強襲ならその半分程度でいいはずだ。

 だけど、それくらいの動きなら俺にだって読める。カラヤン隊がニフリートへ報せに飛んで、彼女の信望かおを使って迎撃準備させれば即応排除できる。カラヤンさんがここにいるということは、うちのスタッフがすでに動いてる証拠だ」

「う……っ」


「あんたは翡翠軍主幹(幹部)を取り込まず、自前の軍だけで制圧しようとしたこと自体が失策だったし、粛清対クーデターは、数よりもスピードの勝負なのは歴史的常識だ。

 なにより、あんたが裏切り者として処断したニフリートのカリスマは、オイゲン・ムトゥが慈愛と厳格をもって修復し、ここの三〇年で強硬に築き上げてきた歴史そのものだ。

 これで、あんたの王様ゲームは終わりだ。あんたが再び王になる番は二度と巡ってこない。悪あがきの後始末も、みんなでしてやる。だから安心して。死ね」


 ティボルの首がガクリとうなだれ、彼の声で無機質な読み上げが始まった。


「……人格データ、ティボル・ハザウェイ。変更なし。レジストリキー削除。環境変数最適化……一〇〇パーセント完了。オールグリーン。管理者アクセスコード……全権掌握。した」


「お疲れ。ティボル……おかえり」

 再び上げた顔にそう言ってやると、ティボルは顔をくしゃくしゃにして押し黙る。


「あんたと大公について確認したいことが山ほどある。でも今はここを出るぞ」

「くふぅ……。へっ、いへい。後でいくらでもしゃべってやりますよ」


「ウルダー」

「んっ!」

 ウルダは怒った顔で、とてとてやってくる。ティボルへの信用価値は大暴落。短剣を抜いたまま彼を凝視し続ける獣の目がちょっと怖い。


「そこの石膏像とその裏にあるモノ、すべて破壊だ。遠慮はいらない」

「ん、了解っ」


 俺は西壁の穴に向かい、冬にしては暖かな風を浴びた。燻り続ける葬滅の都を見下ろす。


「ここからこうして見ると、あの動物たちはマナ鉱脈を守ろうとしてたのかもな」


 ただの感傷だ。彼らの命がけの暴走は、彼らの魂にしかわからない。

 俺は、西の空へ一発の〝灯明マナ〟を放った。


 結局、この場には人の意思というものが存在していなかった。

 権威も、陰謀も、悪意も、欲望も、正義さえもなかった。


 あったのは、たった一個の脳がまどろみ続けた夢。


 肉体を失ってなお、周囲から見捨てられてなお、人として王であり続けようと欲した機関からくり人形が住む、空虚なドールハウスでしかなかった。


 ある男の長い夢を破壊したらしい俺には、そう思えてならなかった。


  §  §  §


「だぁか~らっ。偵察は許可できないっつってんだろうがっ」


〈ナーガルジュナⅩⅢ〉。ミーティング室。


「どうしてかしら。敵は目の前まで迫ってきているのではありませんこと?」


 黒髪に黒戦闘服。黄金龍公主エリダが扇子でぱちりと手を叩いて言う。


 スコールは難色を顔に出していった。

「その情報はデマだ。向こうは二将軍の捜索で指揮系統がまだ混線してる」

「そやったら、むしろ、うちらの攻め込むチャンスやおへんの」


 銀髪に白戦闘服。白銀龍公主セレブローネがおっとりした微笑で反論してくる。


「攻め込まなきゃいけない理由は」

「はい? それはぁ……」


「ないよな。だからオレ達から攻め込むのはナシ。あと、あんたらみたいな派手な格好した人達が威力偵察したら、洞穴をつついて熊を出すようなもんなの。わかった?」


「せやけど。スコール。情報収集は逐次にせんとあかんで」


 赤の戦闘服カプリルが言った。手足が伸びてからは背がスコールよりも少し上回った。ちょっと妬ましいが、三人の中で一番裏表もないし、少しだけ旅をした付き合いもあるので慣れもある。スコールはそっちを向いていった。


「情報収集ならしてるよ。サルトビに向こうの兵站具合を見に行かせてるんだ」


「嫌やわぁ、あんさん。いけず言わはってぇ。ウチら行かさんと、偵察出しとるやないの」


 そんなの当然だろうが。


「セレブローネ様。そんなに偵察に行きたかったら、あの甲冑と武器をつけない条件なら、司令代行として許可するよ」

「むむぅっ。もぉ、いけずばっかり。久しぶりの手足の試運転は必要ですやろ?」


「室内で、できんだろ」スコールはきっぱり言った。「あんた方は秘密兵器だと狼から指示が出てる。戦いの要所に大きな戦果を与える切り札だと。それまでは自重ってもんをしててくれませんかね」


「もう結構よ。でしたら、あっちの司令官二人にも訊いてみていただけないかしら?」


 ガンッ。スコールはテーブルの端を拳で殴った。


「いい加減にしろよっ。ここで司令代行のオレの面子を潰そうってつもりなら、次からこの話はしないからな。おれの許可なく独断専行して外に飛び出しやがったら、おれがお前らの家の面子潰してやるから覚悟しとけよっ」


 スコールが静かに目をすがめた。二人の龍公主はすごすごと制御室を退散していった。

 カプリルだけその場に残り、少し楽しそうな笑顔で空席に座った。


「スコールもだんだんリーダーっぽくなってきてるやん。うちのお姉たちに啖呵切って追っ払えるんは大したもんや」


「あの人たち正直、疲れるって……。こっちは余計なくらいプレッシャー感じてるのにさ」


 そこへ、トビザルが部屋に飛び込んできた。


「スコールっ、大変だ!」

「どうした」

「東の空に閃光。狼の報せだ」


 スコールは盛大に手を叩いた。


「よっしゃ来たあっ! 待ちくたびれたぜ。──トビザル。お前はカプリル連れてオラデアへ飛べ」

「スコール。なんでうちだけ戻らんとあかんの?」


 カプリルが席を立って、怪訝な視線を向ける。スコールは精悍な笑顔で言った。


「決まってるだろ。マクガイア・アシモフ家政長に来てもらうんだ。ついでに弟妹にもな。俺は将軍二人とサナダさんにもこのことを報せてくる。忙しくなるぜ」


「おお……うん。まかしときっ」

 飛び出していこうとする龍公主の手首を、スコールは掴んだ。


「カプリル。狼は、マクガイアのおっさんにこう伝えてくれと言ってる。『過去をなかったことにはできないが、未来で終わったことにはできる』って」


「なんそれ。どういうことやの」

「わかんね。でも言えば、おっさんに少し勇気がもてるはずだからって。必ず伝えておいてくれ」


「うん。わかったわ。そしたらトビザル。行くでぇ!」

「えっ、いや。まだ偵察の報告もしてねーよ」

「そしたら準備して待っとくさかい。はよ来てやあ!」


 ミーティング室を飛び出したカプリルが、廊下で言い残して去って行く。


「ったくよお。あの調子だと、お姫様の周りは引きずられまくってんだろうなあ」

 その第一号が自分だと気づいているのか、いないのか。


「トビザル。中央軍の動き、どうだった」

 スコールが真摯な眼差しを向けると、トビザルも表情を鋭くした。


「スコールの言った通りだった。将校ばっかりが集まって準備を始めてる」

「数は」

「三〇〇人規模。指揮官の話では、三地点くらいに兵を分けて登攀とうはんする計画らしいぞ」


 スコールはホワイトボードに貼りつけた、自作のダンジョン山絵図を眺めた。ハティヤに地図描きが雑だと言われてコツコツ練習して、今では龍公主でも理解できる絵図だと自負している。


「将校三〇〇で、その直下の兵士は八〇〇〇くらい。狼の想定内か。めぼしい場所で、地上正面玄関と中腹の船底。それからおれ達が入ってきた大型通気口か」


「向こうは十七階までは偵察済みだから、内部の壁が薄いところを破壊して入ってくる可能性は?」


「だな。敵の弱いところを衝く。トビザルもフクロウ爺ちゃんの授業しっかり覚えてるな」

「ほ、褒めるなよ……。で、どうするんだ?」


「この三点のうち、二つを陽動にして残り一つを本隊にするなら、ここの大型通風口が狙い目だろうと思う。そこからだと狼が命がけで守ろうとしている[再組成培養ルーム]まで直通だ。ここを抜かれるとおれ達の負けになる」


「ふーん、そっか」

「でだ。今、そこをサナダさんに頼んで守っててもらってる。さっき見に行ったら雪だるま二四個も作ってた」

「……ヒマかよ」


「今はな。今の報告をサナダさんと二人の将軍にもしてくるよ」

「そっか。わかった。マクガイア家政長にせつから伝えることはあるか?」


「うん。システム破壊、亡霊三〇〇。そう伝えてくれ」


「システム破壊、亡霊三〇〇だな。了解。じゃ、行ってくる」

「待った。食堂で食い物と飲み物、もって行けよ。休む暇もないけど食えるタイミングで少しでも食っとけよ」


 トビザルは目をパチパチさせた。アウラール家の下級密偵として冷遇されて育ったせいか、まだ仲間の思いやりに戸惑うところがある。


「あ、うん。わかった」


 笑顔でトビザルが出ていくと、スコールは大きなため息をついた。今日最後にイスに座ったのは何時間前だっただろうか。


「これでまだ本番じゃねーってところが……泣かすよなあ」


 独りぼやいてミーティング室の明かりを消して、ドアを閉めるのだった。




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