第20話 特異詠唱(ユニークスペル)
「もう心配なかろう。
額にひんやりとした手の柔らかさに懐かしさをおぼえ、目が
遠くに置いてきた感覚。聞き覚えのある声で、カラヤンは目をうっすら開ける。
目の前に黒絹の帯で眼許を巻きつけた女が覗き込んでいた。
(……違った、か。いや、探すのは、とっくの昔にやめたんだ)
若い頃は、会えるものなら恨み言を言いたかった。復讐を誓ったこともある。
でも今は、あの人に会って言いたかった。
〝おれも親になります〟と。
「スコール……いるか」
「なんだ。おっさんっ」
眼帯女のとなりに少年が安堵した笑顔を出した。
「スコール……」
「ん?」
「敵だ」
言うなり、カラヤンは寝袋から剣をひっ掴んだ。
鞘を歯で挟んですばやく刃を引き抜き、馬車の幌壁に投げつける。
切っ先はライカン・フェニアの鼻先に突き刺さった。
うたた寝していた科学の魔女は眼前に剣が現れ、目を見開いた。さらに幌壁から刀身へ赤い雫がしたたるのを見ると、息を飲んで腰を抜かした。
スコールとウルダが幌を飛び出そうとするのを「出るなっ!」と一喝してその場に縫い止める。
起きぬけに怒鳴ったので、くらりと目眩がした。まったく忌々しい風邪だ。
「周囲警戒っ。──ウルダ。メドゥサはっ」
「現在、騎馬三〇騎と交戦中。狼、ハティヤと一緒」
「交戦? おれが寝てる間に、なんでそんなことに。──スコール。ティボルは」
「さっき小便行くって、林の方へ」
カラヤンは下着姿で寝袋から這い出すと、幌壁に突き刺さった剣を引き抜いた。切っ先に
「あの野郎。肝心な時に、いっつもいねーな。敵と鉢合わせしてなきゃいいが」
「カラヤン。すまんな。妾が呼び込んでしまったようだ」
眼帯の魔女が見えないのに見上げてくる。こっちも夢であって欲しかった。
「だからずっとお互い会わないようにしてたんだろ。帝国魔法学会の〝
「それだけ、王国にほころびが生じたということだ。だが、その日がお前の傍で、妾は
カラヤンは困ったもんだとうなずくと、弟子二人を見る。
「スコール。ここがお前の戦場初陣だ。敵は練度の高い特殊兵士だ。危険だが、今のお前の実力なら凌げる。頭は常に冷静を保って無理に押し込むな。ヤツらの気を引いて、敵の数と配置に注意を払え。こっちのメンツが揃ったところで一気にたたみ掛けるぞ。合図を待て」
「おうっ」少年は顔を上気させて勇んだ。
「ウルダには、狼へ伝令を頼む。この雪だ。敵の装備に飛び道具は必ずある。だが、ムトゥ殿から受けた基礎を忘れなければ、大丈夫だ。
飛んでくる矢・魔法はすべてボウガンだと思え。高く飛ばなくていい。遮蔽物をうまく使って身を隠しながら進め。遠回りしてでも敵の射線を切るんだ。スコールとお前で、敵をきりきり舞いさせてやれ!」
「ん、了解っ」
カラヤンは剣で床板を突き抜いた。ソリは車輪の時と違い、荷台の床と地上までの距離は短い。そこから出られるのは子供たちだけだった。
「わ、吾輩は何をすればいいのじゃ」
「その口調……っ。ライカン・フェニアか?」
ペルリカ先生が小さな驚きを声にのせた。
カラヤンは自分で作った幌の孔から外をうかがいつつ、
「例の魔法薬、まだ持ってるか。グレイブに使ったヤツだ」
「凍結触媒液のことか。ああ、少しだけなら持ってきているが」
「それをもらおう。あとは彼女と二人で行動してくれ」
ペルリカ先生は美貌に難色を残す。
「お前はどうする。その格好で今から討って出られるものでもあるまい?」
「だったら、服を着る時間を作ってくれんのか? エウノミア叔母さん」
ペルリカ先生はふんっと鼻を鳴らして、
「今は、ペルリカだ。元はといえば、妾が招き寄せた厄介ごとだからな。とはいえ、詠唱魔法であの女に居場所を知られるのは不都合でな。補助なら任せてもらう」
言うと、馬車の床を踵で二度叩いた。
すべてが闇に包まれ、馬車の幌壁が透過していった。
馬車の外から敵の動揺する声がした。
「な、なんだこれはっ!? 急に夜になったぞっ」
「エウノミアの
馬車の外で人の形をした影が右往左往している。
「ふふ、無駄だよ。
どうする。と眼帯の美貌を向けた。闇の中に輪郭として浮かぶ敵の数を眺めながら、カラヤンはロングパンツに足を通す。それから靴を履きながら短く唸った。湿った靴底が冷たかったのだ。
「見る限り、探索犬28。魔法士17。ってとこだな。ただし、軽装の連中も簡易魔法が使えるはずだ。ここら一帯は人家がない。馬はどうだ。どうやって近づいてきた」
「しばし待て。……あったぞ。この先の森の奥に、馬車が三台。二頭立てだ。見張りは御者が一人ずつ」
(この雪の中を一個小隊も駆り出して、二頭立て馬車がたった三台?)
カラヤンは気に入らなかったが、今は保留にした。
「この魔法の持続時間は?」
「ない。だが、ずっと眺めているだけでは埒もあくまい。狼たちが彼らの後背を
「そうするにはまず、スコールとウルダをここから出すのが前提だ。魔法でヤツらを威嚇できるか。当てなくていい」
「当てなくていいのなら簡単だが。本当にそんなのでいいのか」
カラヤンは下着の上から革の半袖シャツを頭からかぶって、
「ヤツらが小者でも、あんたが会員を殺せば、それだけで懸賞額と面倒が増える。五〇〇年にわたって危険視されてきて、これ以上、学会を逆なでする無駄がどこにある」
「確かに一理あるか……なら、適当にばらまいてみるとしようか」
直後、馬車の幌周辺に、数十本の氷槍が重装歩兵の
「おい、待てっ。ペルリカ。数が多すぎるっ。他の魔女を呼び寄せるのはダメなんじゃなかったのか」
カラヤンが静止をかける。だが、ペルリカは意に介さなかった。
「周りのマナをちょっと性質応用しただけのハリボテだ。妾のマナ消費はない。当たっても刺さりはしないさ。たぶんな。ふふっ。どうか……当たりませんように」
無責任な不吉とともに、氷槍が周囲へ一斉に解き放たれた。
「うわぁああっ! こっちにきたぁ!」
「魔女のマナは底なしか。散開っ! 散開ーっ!」
「よし、今だ! スコールっ。ウルダっ。出るぞ!」
カラヤンも叫んで、剣を構えて幌馬車を飛び出した。
先に敵に捕捉されたのは、素早いほう。馬車の下から飛び出したスコールとウルダだった。
二人は水面を蹴って飛翔する水鳥のように雪面を右と左へ別れて滑っていく。
帝国魔法学会の小隊は、相手が子供であろうと目的の魔女でなかろうと条件反射的に魔法弾を放った。二人の背後に次々と雪柱があがる。
そのストレス的パニックが、病み上がりの剣鬼を
カラヤンは、敵兵の前でゆっくりと剣を振り上げた。
「そっ、そんなっ。いつの間にっ!?」
「先に言っとくぞ。もうやめとけ。あの魔女は、お前らが束になっても敵う相手じゃねえんだ」
敵から仕掛けてきた隠密戦において、数と配置が把握できた時点でカラヤン隊に負ける要素は微塵もなかったのである。
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