第14話 飼い主のない羊は群れの王になれず 前編


 ボーイング929ジェットフォイル。

 一九七四年にボーイング社が設計製造した旅客用の水中翼船の名称である。


 当初はベトナム戦争における哨戒高速艇として開発された経緯があるが、日本国内には一九七七年に、民間旅客船として導入された。


「ジェット」はジェットエンジンとウォータージェット推進機によって駆動されることからきており、「フォイル」とは、「鋭い薄い翼」を表わす英語に由来する。


 一般の船舶はアルキメデスの原理──すなわち〝浮力〟によって、船体を海面に浮かべて走る。対して、ジェットフォイルは、全没型の水中翼に働く海中での翼揚力を利用して、船体そのものを完全に海面上へ持ち上げて航走する。


 その推進力は、ガスタービンエンジン駆動のウォータージェット推進機によって、一分間におよそ一八〇トン──25mプールの約半分の海水を吸い込み、強力なウォータージェットとして船尾ノズルから後方に噴射。最高時速八三キロという旅客船としての超高速を可能にした。


 要は、プロペラスクリューで走る船が一般的な世界で、水を噴射して走ろうという船だ。

 

 俺がジェットフォイルに注目して記憶していたのは、その揚力を利用した推進方法もさることながら、自動姿勢制御装置(ACS)と油圧アクチュエータだ。

 常に船体のピッチング、ローリングなどの動揺が制御されているため、乗心地が抜群によく、船酔いをしないという。


 進路を変更する時は、ACSによって水中翼フラップが航空機と同じように上下に作動し、船体を回頭方向に傾斜。同時に、船首部主軸を航路方向に回転させる。これは、飛行機の旋回と同じで、旋回時の遠心力が打ち消されるため、乗客は横に押される感じを受けない。という特性を持っている。

 んで、ガスタービン機関はもちろん自動制御装置を、俺が、この世界でも作れるかという問題だ。

 恥も外聞もなく白状すれば、無理だ。

 あと、この高速船の燃料は、軽油を使用する。無理だ。


 前世界でコンピューター制御された装置を、この世界で再現しろというのがどだい無理難題なのだ。そこはリアルに認めざるを得ない。というか、この世界の人間達が船に船酔いもしないほどの乗り心地を求めてなどいない。揺れてナンボ。転覆せずに、よそより速い船が作れば、勝ちなのだ。


 まず、艇走。通常の船と同じように海面に浮いて走る。次に、離水。徐々に加速していき、滑走状態を経て時速三五キロで船体が海面から浮上、離水し始め、時速四五キロで完全に海面上に浮き上がる。最終段階として、翼走。水中翼だけで海上を航行する状態になれば、前世界と同じ、時速は最速八〇キロ前後まで伸びる。はずだ。


 ところが、あにはからはんや。推進装置がなんと、魔法で確保できてしまった。


「……に、二七ノット(時速五〇キロ)!」


 早朝。中古のヤンチャールにいきなりシャラモン親子が考案した例の精霊召喚術式図の円筒を二基。後部に設置して試運転を始めた。

 船の操舵はゴーダ一家にお願いした


 操舵は、足は弱っても腕は確かな親父さんのゴーダが担当し、甲板はノエミとロカルダの姉弟で走り回った。みんな家族揃っての船出は久しぶりらしく楽しそうだったが、たびたび親父さんの厳しい叱咤が甲板を引き締めた。


 最初はあくまで実験なので、北風を帆で受けて魔法推進筒の併用で行こうと計画していた。

 ところが、セニの沖島(セニの港前に島がある)を出たあたりから、ゴーダが子供たちに帆を畳むよう指示を出した。


「父ちゃん、なんでよっ!?」弟と二人で帆を巻き取りながらノエミが叫ぶ。

逆帆さかほを打ち始めてる。この船の速度と雪風じゃあ帆が右往左往するばっかりだ」


 あとで陸に揚がった時に、この事情をゴーダに訊ねた。


 元ベテラン操舵長によると、本来の船より前進力が速すぎて、航路上で風を捉えたはずの場所をすぐに過ぎてしまい、向かい風の風域に突っこんだそうだ。この日の沖風がころころと向きを変えたらしく、あえて風を帆で受けるのをやめることにしたらしい。


 そして沖合で、帆のない船の速度を計測した。砂時計とロープで簡単に測れるのだそうだ。そして、昼前。最初の計測で二七ノットを叩き出した。


「狼さん。この筒をつけた船は、竜だよ。おれも何度か舵を持っていかれかけたからね」

 興奮した様子で、ゴーダさんが言った。


「今、〈ロソス造船商会〉でこれ専用の船を建造中です。完成すれば海の中を船が飛びますよ」

「海の中を飛ぶ? よくわからないが、そもそも一体、誰がこいつの舵をとれるんだい?」


「えっ。えーと……な、内緒ってことで」


 船のことばっかりで、肝心の操舵手を忘れてた。俺は船舶免許さえ持ってない。


 ともあれ、この実験結果をゴーダの口から聞いたわが研究開発チームのじっつぁま六人衆は大爆笑。計測事実を信じてないか、笑うしかなかったのだろう。


 ちなみに、精霊召喚魔法筒を開発したロギは、達成感を胸に家で爆睡中。よって実験航行の臨検には不参加。まったくお疲れ様である。


 その一方で、造船地区の解体撤去作業も、順調にはかどった。


 セニ住民。ノボメスト住民。元ギャング他総勢九〇〇余人を動員して、撤去作業にいそしんだ。

 難民街の働き手の中には六、七歳くらいの小さな子たちも参加。三人で鉄釘をバケツいっぱい拾っておとな達を驚かせた。そんな侮れぬチビっ子三人組にも小銀貨三枚の労働対価を支払った。あとクッキーをボーナスで現物支給。渡す時に手が破傷風にならないようこっそり治癒魔法もかけておいた。幼い子供の純真な頑張りに俺は弱いのだ


 鉄や銅などの金属は即日、反射炉に入れられ、インゴットに変えられた。それを後日、建築資材としてまた新しい釘やに変わる。木材は建材や燃料に変わり、レンガも再び建材に使われる。街も人の生活も同じようにリサイクルしていくのだ。


 こうして、いろんな意味での復興支援事業が、わずか三日で終了した。


 炊き出し、風呂、空き家を使った寝床の確保。それらの三日分の費用は俺の財布から出した。それでも五〇万ロットいかなかった。割と有意義な金の使い道だったと、胸を張りたい。


 タマチッチ長官ら行政庁も予算さえ目の前にあれば、その辺の手配りは迅速を極めた。入国手続きもこの際ぶっちぎったのはさすがだ。人を助けるのに国境はいらないからだ。


 あと、少しだけ問題も生じた。


「ふ、ふふっ。これでセニにおける古参の有力者達は、当分の間、ヤドカリニヤ商会に頭が上がらなくなりましたよ。わ、わが軍の圧倒的勝利です……っ」


 だんだん、カラス専務が名前の通りに黒くなっていく件。

 会頭の留守中にうちの商会内で、大事件が発覚し、内心はすごくヘコんでるくせに。


   §  §  §


 夕方の難民街。

 ベンチを一つ置いて、そこから凍つく白い荒野を見はるかす。

 紺碧こんぺきの海が、群青色に変わるのを望遠鏡で眺める。


 そこへ、リエカから一台の六頭立て駅馬車が近づいてきた。

 駅馬車とは、この世界でいうバスだ。駅馬車に見えたのは、天井の荷物置き場に旅行トランクがこぼれ落ちそうなほど積み込まれていたからだ。いや、もう個人の所有者であろうとそうでなかろうと、どっちでもいい。


 馬車は難民街を素通りしかけて止まり、やがて一人小さな影を吐き出した。

 十歳ほどの少年。言葉にするほど子供でもないのかもしれない。


「ねえ、何を見ているの?」


 望遠鏡で海を見ているのが気になったのだろう。近づく馬車がないかも観察していたが、それは見られていないはずだ。


「ねえ、何を見ているの?」

「アッシュ、よせっ。何考えてるっ。馬車に戻れ!」


 馬車から似たような顔立ちの少年が顔を出した。俺と目が合うなり引っこめる。


「お兄ちゃんが呼んでるよ」

「いいんだ。ルカはいつも心配性なんだ。ねえ、それ望遠鏡でしょう?」

「見るかい? もう夕方だから大した物は見えないけど」


「うんっ。いいんだ。星が見たいから」

 そう言って、アッシュは俺のとなりにぴったりと座って望遠鏡を目の前に構えた。


「あれー。まだ星が見えないなあ」


 俺が望遠鏡の筒を誘導して、東の空に向けてやる。


「あっ。あった。大きいっ。はははっ。すごいやあ!」


 無邪気に足をばたつかせて、少年は楽しそうに筒の中の星を眺めた。


「ユミルという名前に、聞き覚えはあるかな」


「うん。あの子には悪いことをしたと思ってるよ。望遠鏡を壊してしまったからね。あの子の兄貴にぶたれたのも仕方ないと思ってる。でも声のデカい子の飛びひざ蹴りは反則だと思うんだ」


「会ったら注意しておくよ」

「君が、狼だよね」

「うん」


「なぜ、グラーデンを殺さなかった?」


 声から幼気が消え、言葉が妖魔の邪気を帯びた。


「あの時、俺は過労で倒れてベッドから起き上がれなかった。十二時間眠ってた。気がついた時には、グラーデン侯爵も帰った後だった」


「チッ。相変わらず悪運の強いジジイだ」

 口汚く吐き捨てながらも、望遠鏡から目を離そうとしない。


「難民街の代表者は、きみ達か?」

「最初はな。でも途中からヘタを打ってしまってね」

「リエカのビゴール商会か?」

「そう。儲け話があると言って、あの兄弟から兵隊を二〇人ばかり借りた。さすがに連中の締め付けが厳しかったみたいだ。暗示が解けて街を飛び出したわけさ」


「暗示?」


「グラーデンが反乱を失敗し、戦死した──という暗示だ。あの家畜たちにとっての楽園は失われた。もうあの街でしか生きていくしかない。そう思わせて、あの〝牧場〟を作った。

 そしたら、ビゴールの手下たちが欲をかいた。法外な値段で物を売りはじめ、住民達の財産を吸い上げ始めた。あとはもうわかるだろう? まったく余計なことをしてくれたものだよ」


「違うな。そうじゃないだろう」

 俺は夕海を眺めながらとなりに言った。


「きみ達はビゴール兄弟の手下を操って、難民街から金を吸い上げていた。そしてその一部をビゴールに上納していた。その金できみ達はリエカで派手な暮らしをしていたのだろう。そこをビゴール兄弟に懐を見透かされた。つまり、上納金の値上げを迫られた。

 だから、きみ達はビゴール兄弟に難民街を食い散らかされないよう、あの街を壊すためあの難民街の暗示をきみ達自身で解いたんだ。そしてこうして逃げている。違うかい?」


 ──ノボメストに帰る金がない。


 あの今さらとも思える彼らの言葉がどうにも引っ掛かっていた。どうして金のあるうちに帰らなかったのか。


 数百人に及ぶ住民たちへの大規模な暗示。

 彼らの正体は、魔法使いグラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンの弟子だった、のだ。


「住民たちがリエカではなくセニの町に助けを求めたのは、難民街の中で影響力を持つビゴール・ファミリーの監視があったから、国境内のリエカではなく国境の外の町に頼らざるを得なかった。

 だが、俺にはわからないことがある。きみ達は師匠グラーデン公爵が欲している石けんの製造レシピを狙った。なぜだ?」


 フハハハハッっ!

 子供らしからぬ哄笑とともに、少年は望遠鏡から顔を上げた。幼いのに狡猾な獣のようだった。


「きみは僕たちのことを何も知っちゃいない。この冬の間、僕たちはあいつらの王だった。グラーデンとは無関係さ」


「それは違うな」

「違わない!」


「いいや、違う。グラーデン公爵が君たちを殺そうとしたのは、法に触れるのを覚悟して森の樹を切った男の家族への愛を、為政者として手討ちにしなければならなかったからだ。上に立つ者として下の者を飢えさせたからだ。

 彼はノボメストの民を愛していた。住民達も彼を信じて、慕っていたんだろう。でなければ、こんな馬鹿馬鹿しい反乱計画に耐えられるはず、ないじゃないか」


「黙れ! 民は領主の家畜だ。誰かが統制してやらなきゃ、自分達の進む方向すら決まらない放牧の羊だ」


「それじゃあどうして、力でさえつけた? ビゴール・ファミリーなんて飢えた狼を街の中に入れても」


 アッシュは押し黙っていたが、ふいに少年の笑い方になった。


「僕たちだって幸せになりたいんだ。裕福になりたかった。貧乏は嫌だろ? お陰でほら、見てよ。この毛皮のコートや帽子、金貨でしか買えない高級品だよ。リストランテにだって行ったんだ。ノボメストの領館の食堂とは段違いのきれいな場所だったなあ。あの馬車だって──」


「今からでも、街の人達が故郷へ帰るお金を返してやる気はないか?」


「あはは。おかしなこと言うなあ。これは正当な取引をして得た、僕たちの金だよ? 他の相場より高かろうとその品物を買ったのなら、商売は成立。返す道理なんてあるはずないじゃないか」


「他に買える物を選ぶ機会を与えなかったのは、きみ達だろう」

「アッシュ、もういい加減にしろっ! その〝魔人〟に構うな!」


 馬車から年かさの少年が勘気のこもった声で弟を呼ぶ。


「もう行かなきゃ。楽しかったよ。狼。さようなら」


 望遠鏡をベンチに置き、少年は馬車に戻っていった。

 馬車が動き出し、セニの町に向かう。

 俺はそれを見送らなかった。


「おい、クソ犬」


 後ろからリタルダンドが声をかけてきた。俺は頷いた。

 リエカで噂を広めてもらった。新聞社に情報を買わせた。セニの造船所が最新式の高速小型船舶を建造していると。その性能にグラーデン公爵も注目している高価な船だと。

 釣り糸を垂らすように待っていたら、本当に食いついてきた。


「あいつらが、全部引き起こしてたことなのかよっ。けっ、胸くそ悪りぃ」

「ムラヴ……」

「はっ?」


「結局、あの子らを指して言われていた〝蟻〟という名前の意味を聞き出せなかった」

「んだそれっ」


「リタ。石けんのレシピ。ビゴール・ファミリーには渡ってなかったんだな」


「ああ。それは間違いなさそうだ。自宅やオフィスの金庫。愛人の家も調べて確認した。間違いなく、あのガキどもが後生大事に持ち歩いてる」


「ちなみに、ビゴール・ファミリーの財政状況は。マンガリッツァの手を借りるまでもなさそう?」


「部外者がいらん気を回すんじゃねーよ。……そこの難民街で難民達の逆襲に遭って使える手下の半数を失ったのが、大きな痛手だ。マンガリッツァ。イベリコとのシェア争いから早晩脱落する。当分は後釜は決まらねぇな。バカが名を上げようと勝手に跳ねそうで今から面倒だぜ」


「そっか。ありがとう」

「あと、〝仕立屋サルト〟からの伝言押しつけられちまったぞ」


「いらない。どうせまたお金で解決されるんでしょ。俺はヤドカリニヤの食客だ。マンガリッツァの肩なんか持ちませんよぉ。明日にでも、お断りの手紙送っておくよ」


 肩ごしに金貨が入った小袋を投げた。後ろは振り返らなかったが、握った音はしたのでヨシとする。別れの言葉は交わさなかった。

 まだ友達じゃないんだ。今日はこの辺で。


   §  §  §


 その夜。

〈ロソス造船商会〉から試作中のヤンチャールが盗まれた。


 持ち主は俺だが、舵も外していたし、帆もついていなかった。防犯上の管理に怠りはなかった。にもかかわらず、それを全部突破して船を盗んでいったヤツがいる。


 普通の中古ヤンチャールを。


 精霊召喚魔法筒は外して、俺が管理している。むしろ、今のところ俺かシャラモン神父しか管理できないので、俺が外して相殺術式シートをかけて保管している。

 なので、実害は船本体の損害のみ。割と高かったのに。


 盗まれたヤンチャールは明け方になり、船から出火。

 昼前に漁船の通報によって、守衛庁は四人の焼死体が発見した。


 みな、十代の子供のようで、町の外から来た金持ちの息子が悪戯目的で船を盗んでいったものと推定。守衛庁は、リエカの新聞にセニの最新式高速船が掲載されたのを把握していた。


 子供の身元について調査されたが、また身元を証明する物もなし。親元からの問い合わせもなく、焼死体に外傷もみられなかったことから、窃盗と事故で処理された。


 だが、守衛庁は致命的な見落としをいろいろしていた。

 彼らが、人間であったゆえに。


 船内で火災になった原因は、ランタンから転倒してこぼれ出た灯明油。燃え残ったトランクは四つ。それらは少年たちの着替えや所持金だった。総額二万ロット。


 しかし、灯明油がこぼれて燃え上がった火災にしては、はっきりと顔を確認できないほど死体の炭化が進んでいること。さらに、五つ目の特別なトランクを持ち去られていたことも気づけなかった。


 なぜなら、事件現場の船は、陸から一・三キロも離れた海の上だったから。





※参考資料※

 川崎重工業HP『ジェットフォイルは、なぜ、"海を飛ぶ"のか?』Copyright © Kawasaki Heavy Industries, Ltd. All rights reserved.

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