第12話 魔霧の森林戦 前編


 ロマーヤの森。

 カーロヴァック市郊外の南西部に、そう呼ばれる雑木林がある。

 公式な地名ではなく俗称のようだ。


 この森はカーロヴァック市の西──セニ方面の道沿いにあるらしい。ここで〝旅団〟がよく野営キャンプをしていたことから、その名がついたとされる。


 翌朝。まだ空も明け切らぬ薄暗い時間に、町を出た。


 パーティは、俺。シャラモン神父。スコール、ウルダ。という主力メンバー。

 そしてゲストに、ミチル。顔を合わせるなり大欠伸を連発していた。


「あの、子供たちが起床する前に、私は戻りたいのですが」


 シャラモン神父も長女が連れ去られて、昨晩は眠れなかったようだ。目許に疲労がたまっていた。

 俺だって、早くこんな胸くそ悪い調査は終わらせたかった。


 移動車あしは、陸運業を営むリンバロムナ商会から一番安い三〇〇ペニーで小型馬車をレンタルした。それに採掘道具と乗せて向かうことにする。


 俺の顔を見て怪しむ商会の手代に、「トリュフを掘りに行く」と伝えた。この辺の名産らしい。


「でも、おたくら。農具以外にも武装もしてなさるがね」

 俺は魔法戦斧。スコールとウルダは短剣と魔導具である。

「そりゃあ、まあ……森から狼とか出てきたら恐いでしょ?」

「狼は、おたくでねーか」


 誰がうまいことを言えと言ったか。

 道中。俺はミチルに種明かしをした。カラヤンの手紙を渡したのだ。


 ミチルは最初、きょとんとした表情で羊皮紙の文字を追っていた。それから二度、三度と読み直す。やがてポロポロと涙をこぼし始めると、悲しみが声となって絞り出されるのはすぐだった。


「その手紙に書かれてる少女が、エステルと決まったわけではないんだ」

 俺は馬車を止める。目的の森に到着した。

「だけど念のため、きみにエステルの私物を何か持って来てくれるように頼んだんだ」


 犬の嗅覚は人のおよそ二五〇倍と言われている。つまり人の二五〇倍、情報を拾える。その嗅覚が俺の鼻にも備わっているとすれば、さらに魔力で強化できることも昨夜で実証済みだ。今回もいけるだろう。


 ミチルが持ってきてくれたのは、青いリボンだった。

 俺はあえて受け取らずに鼻を近づけるだけで、背中の魔法陣を発動させる。


 果たして、煙の筋は現れなかった。


 代わりに、森の木々の間にぼんやりとした白い人影が現れた。

 こちらをじっと見つめている。俺は全身に鳥肌が立った。


「し、神父。広域索敵をお願いします。──スコールは俺と採掘道具の運搬。ウルダは周囲警戒。行くぞ」


「狼。あたしは?」ミチルが身を乗り出す。

「強制はしない。ここに残って待つのも、俺たちと来るのも、君に任せる」

「そ、んな……っ」

「ごめん。正直に言うよ。魔力を使って俺の鼻に記憶したエステルの匂いの感度を上げた。それで今、俺の前。森の中からこちらを覗く、白い人影が見えてる」


「──ッ!?」ミチルだけでなく他の仲間も俺を見る。


「俺たちはそれを追っていくことにする。どこへ導かれるのか、俺にもわからない。でも目的地に何が待ってるのかは、もう想像つくよね」


「……っ!?」ミチルは静かに息を呑んだ。

「今日、俺たちは哀れな死体を掘り起こすことしかできないと思う。けど、君にならエステルを見つけてあげられる。見つけてあげてほしいと思ってる。だから来てもらったんだ」


 その時にはもう、ミチルは泣いていなかった。

「行くっ。行きます。あたしもっ!」

 頷くと、俺はスコップを持って馬車の荷台から飛び降りた。


  §  §  §


「敵影接近中。方位北北東。距離450。数3です」

「狼。同じ方向。馬の音。だく足(やや速い)。こっち来る……っ」


 白影が指さした地面を、俺とスコール、そしてミチルは泥だらけになって無言で落ち葉や土を外に掻い出す。

 やがて、膝の深さまでどかした泥の中から人の生白い肩が出た。スコールとミチルが思わず後退った。


 俺は手を止めずに遺跡土から女神像を掘り出すみたいに、その周りの土を丁寧に取り除いていく。やがてそれすら面倒になり、犬みたいに両手で土を掘り出し、土の中に腕をつっこんだ。それから死体の前へ手を回して、抱えた状態でひっこ抜く。


 十五歳前後の少女だった。肌は石膏せっこう像のように冷たくて白かった。比較的深い場所にあったせいかうじいておらず、きれいな状態だった。


「ミチルさんっ。水っ!」

「は、はいっ」


 水筒を手にミチルが震える手で死体の顔を洗ってやる。その時のミチルの顔も洗ったようになっていたのは霧だけのせいじゃないだろう。


「うっ、くっ。うわぁああっ。エステル、ごめん……ごめんよぉっ。ずっと気づいてあげられなくてっ。エステルぅ!」

「ミチルさん。本当にエステルさんなんだねっ。エステルさんで間違いないねっ!?」


 俺も感情の高ぶりで怒鳴っていた。ミチルは嗚咽を漏らしながら何度もうなずいて、冷たい身体を抱きしめた。

「狼っ。来るっ」

 ウルダから警告が発せられた。俺は命じた。


「各員、臨戦態勢。戦闘レベル3。敵一体を捕縛せよっ」

「「了解っ」」


 ウルダが霧の中へ消えた。遅れてスコールもスコップを捨てて〝梟爪サヴァー〟を装着しながら飛び出していく。

 ちなみに、戦闘レベルというのは三人で決めた俺の基準だ。

 1で、駆逐。2で、掃討。3は──殲滅のことだ。


 悪いけど、噂に釣られてノコノコ現れたエサを逃がすわけにはいかないんだ。


  §  §  §


 あの森にまた〝旅団〟が出入りしている。

 しかも今度は、町でいなくなった家族があの森に埋められていると聞いて、掘り返しているのだとか。


 ロリゲスが酒場で仕入れてきたネタは、教区衛兵内部で問題視された。

 あの場所は、かつて教区衛兵隊が〝狩り場〟にしていた森だったからだ。


 キャンプを襲い、女子供構わず撫で斬りにした。証拠は残さず土塊つちくれに混ぜた。

 それが予防作戦だ。必要なことだと大隊長から言われた。教区衛兵は軍政区営兵のような飼い犬であってはならないのだ。犯罪が起こる前に潰せる時に潰すのだと。


 村を焼き払った盗賊が聞いても噴飯物の、詭弁きべんだった。

 こいつら、ただ大司教の威光をかさに着て弱者をしいたげるのが好きなだけだ。


 そして自分もまた、その片棒を担いだ。言い逃れる気はないが、毒を食らわば皿までになるのは避けられない。

 盗賊もクソ。衛兵もクソだ。結局、やるかやらないか。覚悟の問題だ。


 数日前。この森に少女を一人追い込んだ。

 大司教が最近お気に入りにしていた玩具人形トイドールだった。どういうことか、あの牢獄を脱出して町の外へ逃げた。脱獄ってのは一人でやってできるもんじゃないんだが。


 孤児といえどもカールシュタットまで逃げられるのは、まずい。大司教の醜癖が火種となって旅団の怒りを拡散させることになりかねない、とかなんとか。真面目な上官が頭を抱えていた。

 なら、殺すしかないだろ。

 で。案ずるより産むが易し、だった。


 あの大司教は、娘が神に召されたと報告されて、童貞小僧の失恋程度の落胆はあったものの、あっさり受け入れた。人形の代わりは他にいくらでもいると思ってるのが透けて見えた。どうして死んだのか、理由すら聞いてこなかったのだから。


 そんな非人間に、おれは仕えているわけだ。

 盗賊から兵士に転職した気にならないこの現状、どう言やいい。渡る世間はクソばかりってか。


 しかし、この間の娘の死体が運悪く掘り出されても面倒。という割には、大隊長のイライラがなぜか深刻だ。

 たかだか孤児に、あの苛つきよう。あの娘に殺すとマズいいわくでもあったのか。

 とにかく、噂通りかどうか現場を一度、視察に行くことになった。


「隊長っ。たーいちょ。隊長……っ!」


 カミックが何度か声をかけて、ようやく上官が馬上で我に返った。お可哀想に。この人も相当まいってるようだ。


「……どうした」

「大丈夫ですか。……ロリゲスを亡失ロストしました」


 はぐれた? 上官は手綱を引いて馬を止めると後ろを振り返った。

 カミックもそれに習う。だがどこを見回しても白い霧の壁。奇形な樹木は決して侵入者に現在位置を教えようとはしてくれなかった。


「おれ、捜してきましょうか?」

「捜しに行ったとして、この濃い霧だ。私のいるところまで戻ってこれまい」


 カミックは上官の思考がまだマトモであることに安堵した。


「まあ、難しいとは思いますけど。ロリゲスに泣かれるよりはマシでしょう。見つけ次第、森の外を目指します。隊長は先に森を出てください」


 上官は疲れた笑みで、そうだなと言った。その笑みが消えると、視線が前を向いた。

 霧の奥から騎影がゆっくりと近づいてきた。

「やれやれ。噂をすればってヤツですかね。──おい、お前どこ行ってた!?」

「いや、待て。何か様子がおかしい」


 上官が緊張を引き上げる。剣を抜くと同時に、カミックも弓を構えた。

 騎影は霧を脱けて、教区衛兵の鎧姿で現れた。


 残念なことに、二人にはそれが一緒に来た同僚かどうかわからなかった。

 カミックは思わずつがえた矢を取り落としていた。


「ロリ、ゲ、ス……っ?」


 首がなかった。

 首を失った騎士を乗せた馬が、二人の間を抜け、後方の霧の中へと消えていった。


「ロリゲスは、我々の後方にいたはず。……どうして前から」


 上官はあ然と疑問を口にした。剣先を震わせながら。


「くそっ」カミックは馬のくつわを返した。「隊長。いったん退きましょう。いつまでもこの霧の中にいたんじゃあ手詰まりです」


「くっ。そうだな」

 二騎は来た道だった道程に馬を向けて、腹を蹴った。


 走り出した矢先だった。突然、上官の馬が前足を揃えて転倒した。上官の身体が投げ出されて顔から地面へつっこんだ。


「ヴォース隊長っ!?」


 カミックが叫んだ直後、首筋に冷たい閃撃を覚えた。

 敵はどこから。その疑念を払うことなく、白い視界が宙を舞っていた。

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