第15話 狼と鉄狼(2)
「──雪崩?」
[肯定。〝ナーガルジュナⅩⅢ〟甲板から三メートルの積雪が三〇メートルにわたって崩落。六〇名はその下敷きになったようだ]
「避けられなかったと?」
[そのようだ。山頂は風鳴りが強い。音声による兆候探知や警告交信は困難と推定。また、ラトゥール班のオリジナル体1名を回収。死因は胸部圧迫による窒息死と推定。外傷はあるが、交戦による生活痕は見当たらない]
「通気孔は」
[進入不可。厚い雪で埋まっている。内部からの産業排気による雪溶けで最短で32時間後と推定。我々3人で掘り出してここを通るのは作戦上の遅滞と具申しておく]
「フェルメール。あえて訊ねる。通気孔の周りに何か人為的な障害物のようなものはなかったか。プッサンとラトゥールが雪崩の兆候を回避できなかったとは思えない」
[否定。ない。あるのは雪ばかりだ。あればヤツらもアトリエに報告していたはずだ]
「……確かにな」
[それよりもアトリエ──ロイスダール。早く指示をくれ。このままでは我々の人工髄液も凍りつきかねん。二次災害は作戦リスクだ]
「了解。てった……いや、ちょっと待て。フラゴナールからの緊急コールだ]
──十五秒後。
「フェルメール。今から地図と
[……西400に北部の山道?]
「肯定。何人登っていったのか、痕跡の有無を確認するだけでいい」
[確認だけだと。追跡はいいのか。どういうことだ?]
ロイスダールは少しだけ頬を引き上げた。切り札を手に入れた人間がそうするように。
「ドゥルダの町で密告があった。心ある公国臣民を気取りたかったのだろう。〝ウェアウルフ〟の仲間と思われる男を捕縛した」
§ § §
アルサリアから教わって、俺がどうやって造られたのかはわかった。
カラヤンの実弟ジョルトの魂魄との融合は後付けだとしても、根本の真意はアパ=シャムエルという魔術師を捕まえるしかない。異世界を飛び回れるほぼ神に近い魔術師なら、いつ捕えられるか分かったものじゃない。もう俺の転生の秘密はここで打ち止めにして、あとは忘れておいた方がいい気もしている。
それよりも、これからの生活、商売、リンクスや子供たちの身の振り方。ハティヤとライカン・フェニアのこと。考えなければならないことは山ほどある。
当面は、大公が滅びる間際に送った情報を基にダンジョンに攻め込んでくるアンドロイド達を凌ぐこと。
(リンクスが再誕したら、ダンジョンから一刻も早く退避。これが一番ケガの少ない次善策なんだけど……)
ところが、ティボルがアンドロイドと気づいてしまった時点で、この逃走策はボツ案になった。アンドロイドの体内時計がリンクスの再誕に合わせないはずがない。彼らは大公の呪詛を受けてリンクスを逮捕し、〝新アルマゲスト五次元座標星儀〟を手に入れて徨魔の巣を討伐する旅を再開させるつもりなのだろう。
正直、面倒くさい。
いっそ、リンクスを拝み倒してその地図をアンドロイド達に渡し、「そんなに行きたきゃ、お前らだけで行ってこいよ」と言ってやりたい。三〇〇〇年以上もの間、未達のまま放置した使命を今ごろ果たして誰が得するんだか。
その一方で、彼らがリンクスと合わせて求めて来るであろう〝ナーガルジュナⅩⅢ〟のほうは渡せない。
あの採掘艦には、五〇〇〇人分の複製体の元素となるオリジナルが眠っている。あれを戦闘必至の採掘艦に乗せたまま飛び立たせるのは認められない。
彼らと争いになるとすれば、ここになる。
技術面の話し合いですむものなら、会談の場を設けて平和解決するべきだ。
俺は士官系の学校を出たが、拳を振り上げるのは最期の最後。そう教えられたことを誇りに思っている。
「狼、やつらは行ったのか」
甲板に残った雪の陰からそっと地上を覗きこんで、俺はカラヤンに振り返てうなずく。
「ええ。ただ、来た道を戻ってる感じではないですが」
「カラヤン……っ。狼……っ」
風鳴りにまぎれて、誰かが呼ぶ。
声の方を見ると、甲板の床ハッチからカンテラがまばたきしていた。アルサリアがすでにその傍にいて、声をかけたのは彼女のようだ。
俺とカラヤンは腰を低くしたまま甲板を走って近づいた。
カンテラを持って甲板の下で待っていたのは、カプリルだった。
「お疲れさん。こっちや」
「状況は。みんな無事ですか」
船内に入ると雪を軽く払って、十五歳になった赤褐色の髪をもつ少女に尋ねる。
「中腹部の船底も封鎖して、外から侵入できる場所は第17階層正面玄関だけになっとる。そこの障壁がさっきバーナーで破られたんやけど、なんでか撤退してな。おかげでみんなぴんぴんしとるわ」
「撤退した? 他の障壁は」
「そっから上にあがるごとの各階にあるわ」
「家政長たち、なんて言ってます?」
「一枚一枚ぶち破ってくるのは埒あかんから、別の手を使うんちゃうかなって」
「なるほど。賢明だ」
「でもな。博士がメチャクチャ不安がってる」
「マクガイアさんが?」彼も合流したらしい。
カプリルは暗闇の廊下をカンテラ一つでためらいなく進みながら、言った。
「相手はあのディアブローグやから油断ならん。えげつない手使ってでも目的を達成してくるやろって」
「ディアブローグってなんです?」
「あ、うん……ウチらが宇宙におった頃の統括評議会で発言力を持ってた軍部の連中でな。ウチら四姉妹に特攻を企画立案して博士と大喧嘩した相手なんよ」
「えっ、特攻ぉ?」
俺は思わず聞き返した。近未来兵器まで作っておいて、戦術が今さら過ぎる。
カプリルは当時の記憶をまだ持っているようだ。口端にちょっと悔しさを噛む。
「徨魔の巣を発見できた後の話やねんけどな。ウチらにクウェーサー爆弾を抱えて巣に突っこめって。それで博士がめっちゃキレてくれて、ロイスダールって将校をゲシュタポ呼ばわりで殴ったんやて。そのせいで博士は評議員から外されたって艦内で語りぐさの事件になったんよ」
ゲシュタポ。
第二次世界大戦時におけるナチスドイツの秘密警察のことだ。特定の人種狩りや反乱分子の摘発に大鎌をふるった悪名高い治安組織だ。恐ろしいのは、戦争が激化していく中で彼らの逮捕権をドイツ国内だけでなくヨーロッパ中にまで広げ、ドイツへ被疑者(事実上の有罪人)を移送していたところにある。
ディアブローグは、そんな血も涙もない大公の親衛隊と見なされた連中のようだ。
「なるほど。それ以来、カプリル様はマクガイアさんのことが大好きなんですね」
「ちょっ。なな何言うてんの、こんな時に……もう不意打ちやめてぇっ」
振り返りざまに睨まれたが、顔に書かれた内容がカンテラの明かりでもわかる。
「ところで、俺たちはどこに連れて行かれるのですか」
「第7階層の戦闘指揮所に決まってるやろ。そこにみんな集まっとんで」
「スコールやウルダも?」
「うん」
「あの。俺、マクガイアさんに褒めてもらえそうですかね?」
ちょっとニュアンス的な質問を投げてみる。
カプリルは前を向いたまま小首を傾げた。
「どっちかって言うたら、〝狼ならなんとかできるんちゃう〟みたいな?」
「マジかあ」
この時、俺はまた性懲りもなく楽観的だった。
§ § §
百聞は一見にしかず。という言葉がある。
百回あるいは多方面から聞くよりも、自分の目で見た方が理解が早いという
「嘘だろ……っ?」
正面のメインモニターにでかでかと上半身を脱がされた男が、後ろ手に縛られていた。拷問を受けたらしく顔に折檻の痕がある。
捕まっているのは、ティボルだった。
速すぎる。修道院で別れてから、三時間も経っていないのだ。
考えられるとすれば、俺たちが飛び出していった直後に修道士たちに襲われて、そのまま検問していた中央軍に引き渡され、すぐさま敵の本営に護送されていったことになる。
「狼……」
バトゥ都督補が何か言いかけて、押し黙る。
「ご心配なく。アイツとはそんなに仲がいいわけじゃないですから……面倒かけられっぱなしですし。それよりも要求は?」
マクガイアが舎弟にうなずきかける。マシューがキーを操作して、メインモニターの映像が動き出す。
『侵入者に告ぐ。宮廷魔術師エリス・オーの命令によりダンジョン山の登攀は禁止である。にもかかわらず、登攀した者並びにそれを幇助した者は、厳罰を与える。
しかし、直ちに下山を開始するのなら、明朝8時までに下山合図の狼煙を焚け。くり返す、明朝8時までに狼煙を焚いて、その施設を明け渡して下山せよ』
「やれやれ。下山したところで、罪を減じてくれる気すらなさそうだな」
誰かに言うわけでもなく、俺は呟いた。
「狼。何があった」
アッペンフェルド将軍が上司の顔で言った。
俺は三時間前のドゥルダでの事を説明した。大した話じゃないからすぐ終わった。
「修道院長が、恩を仇で返してティボルを売ったわけか」
「恩だとは思ってないでしょう。もらえる物はすべて神への供物。それが宗教思考というものです」
「ふんっ」
「修道院としても、トラブルはもちろん犯罪行為への関与とみなされるのは避けたかったのでしょう。俺は、町から隔絶したあの修道院にまで登攀禁止のお触れが達していたことに驚きですが」
「狼。そう自分を責めるな」
バトゥ都督補が憮然と言った。俺は目線を下げた。
「いいえ。完全に俺の人を見る目がなかったせいですから。というか、商人根性で相手の足下を見すぎていました。
「
「ヴォルデマナス?」
「この採掘艦内での風紀監視組織だ。ロイスダールはそのリーダー格と目されていた」
「口喧しかったんですか」
「まあな。なにせ規則にうるさいニコ・ブラーエすら取締まった石頭どもだ」
「軍部とは違うのですか」
「うん。組織上は別物だが、強襲兵団〈ディアブローグ〉はほぼ鉄狼に所属していた。まあ……同じ〝種族〟だったからな」
さすがにアンドロイドだとは言えないらしい。
「ということは、リンクスが持っている〝新アルマゲスト五次元座標星儀〟を狙っているのも、その鉄狼ですか」
するとバトゥ都督補とアッペンフェルド将軍は目線を交わした。
「違うのですか?」
「うん……。ヤツらはその地図の信憑性を否定し続けていた。その辺は旅を前進させようとした大公とは意見が異なっていた。ヤツらの目的はこの採掘艦そのものだと思う」
「否定し続けていた。どうしてです?」
「それは本人たちから聞いてみないことにはわからない」
「ティボルも彼らと同じ種族ですが、それについては?」
バトゥ都督補が一番に顔を振った。
「ティボル・ハザウェイは、大公が自分の個人的理由から極秘開発していた
「軍部にも偵察機があったのでは?」
「無論。だがそれは上で雪に埋まってる連中のことだ」
「なるほど」
家政長にとっては動きが読めるレベルか。さすがに敵方にあっさり捕まる偵察アンドロイドは読めない範囲らしい。俺もだけど。
「あげなヤツ、放っておけばいいっちゃっ」
ウルダが鼻梁にしわを寄せて、メインモニターに吐き捨てた。
「ウルダ。そういうこと言わないの」
「だって、狼しゃん! あいつ、一度は狼しゃん刺し殺したやつったい!」
その場の視線が俺に集まる。安心してください。生きてますよ。心臓は止まってるけど。
「あの時は、大公に操られていたんだ。だからしょうがないじゃないか」
「許せんっ。うちはまだ許せんっ!」
俺はうなずいてそれを認める。その怒りもまたこの子の俺への愛情だと思うから。
「それでも、俺はティボルを助けたい。理由は二つある」
俺は人差し指を立てた。
「一つは、あいつにペルリカ先生への贈り物の手配を頼んだ。俺はしばらくまだ公国にいることになる。だからあいつには先にセニへ帰ってもらって、贈り物を作って渡してもらわないと困る」
「……っ」
人差し指のとなりに中指を並べる。
「もう一つは、春節祭のお祝いに、俺がみんなのために歌を歌う予定だった。その伴奏をアイツに頼むつもりだ。捕まった詫びとしてコキ使わないとな」
「えっ、狼しゃんの歌っ?」
「声は期待しないでくれよ。伴奏なしでも歌える歌だけど。音があるとお祝いだって雰囲気がでる」
ウルダは子供相応に唇を強く尖らせて押し黙った。そっと灰髪を撫でてやる。
「俺だってアイツを許したわけじゃないんだ。俺もウルダも苦労して大公をやっつけたよな。でもその中にティボルもくわえていいと思うんだ」
「なんでぇ?」
「ティボルじゃなかったら、俺たちは死んでた。アイツがポンコツだったから勝てた。そう考えなきゃいけない場面がいくつもあったんだ」
黙り込んでいたウルダが思いがけずぷっと吹き出した。
「アイツ。いつもドジっちゃんやけん」
「うん。今回もそうだ。さっさと逃げればいいのにスケベ心だして、ペルリカ先生への土産を手放すのが惜しくて逃げ遅れたんだろう」
「いやらしかあ……仕方なかヤツっちゃねー」
ウルダの怒り顔が少しゆるんだ。うなずくと俺は家政長たちを見回した。
「あの。この艦に、スナイパーライフルってあります?」
「はっ?」
「できれば、マクミランとかSVLK-14Cとか……ないですよねえ。やっぱり」
ファンタジーの世界観ぶち壊しだしな。
「だったら、〝C15〟にしろ。それなら今から用意してやるよ」
正式名はマクミランTAC-50。〝C15〟はカナダ軍の呼称。米軍海兵隊では〝Mk.15〟で呼ばれている。コッキングボルト式で、射程の最長記録は三五四〇メートル。カナダ軍では
「何に使うんだよ。鉄狼の頭でもぶち抜くんか?」
「いや、ここからティボルをぶち抜こうと思って」
俺の決意に、作戦指揮所が計器だけの音に支配された。
「おい、狼。さっき助けるって言ったばかりじゃねえか。何企んでやがるんだ?」
マクガイアが腕組みしてサングラスをきらめかす。
「それに、ここから野営地まで十二キロある。どう逆立ちしたって狙える距離じゃあねえぞ?」
「そこはそれ。ここは魔法世界ですから」
俺はメインモニターを見あげながら言った。
あーあ。捕まってるのが可愛い美少女だったら、助け甲斐は二割増しだったのにな。
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