第16話 狼と鉄狼(3)
──Yuki・O`hara……respawn complete. Reboot.──
リンクスが、再誕した。
再会の喜びを祝して抱きしめようとしたら脇腹を殴られた。
激痛に動きが止まったところへ膝裏をローキック。
体勢が崩れたところを肘で顔面を殴られ、追い打ちに頭部への踵回し蹴り。
見事なフルコンボに、俺は凍りついた床を滑り、しばらく立てなかった。
「最っ低! こっちは裸なんだよ。一〇分前からぼくの前で待ち構えやがって。さっさとどけよ。このド変態動物がっ!」
散々に罵られて蹴っ飛ばされて、更衣室へ飛び込まれた。
一緒に付き添って来てくれたアルサリアが哀れむ目で眺めてくる。
「狼。あれは、お前が悪いよ」
「うぐぐっ。ど……どの辺でしょうか?」腹を押さえながら真剣に訊ねる。
「裸をずっと眺めてた上に、抱きついていこうとしたんだから、普通の乙女なら刺すね」
「ええぇ……。そんな。初対面でもないし、俺は別に悪気は……
「こういうことは、お前の気持ちの問題じゃないだろ。野暮天だねぇ」
更衣室前での待機も差し止められて、俺はアルサリアに再組成培養ルームから摘まみ出された。
「狼しゃん、バカちんたい」
廊下でウルダも生温かい目で叱られて、俺は目線を逸らしつつ跋悪く耳を伏せた。
「いや、誰かが迎えに行ってれば安心かなって。ライカン・フェニアの時もそうだったからさ。下心がなければ……いいと思ったんだけどなあ」
「せやけん、余計にタチ悪かよ」
「ええぇ……うん、反省しとく」
「あとでティボルに訊いてみればよかっちゃ。あいつ、そういう感覚だけはちゃんとしとーけん」
「えっ、いや。でもさ……。うん、そうする」
何がなんだかわからないまま、俺は敗北を受け入れることにした。
それから少しして、廊下の向こうからドワーフがやって来た。
「おい。狼」マクガイアがごつい肩に製図ケースをかけていた。「言われたブツを引っ張り出してきたぜ。ちょっと俺のオフィスに顔貸せ」
「わかりました。でも、あと五分だけ……」
「あん? あとでいくらでも拝めばいいじゃねえか。とっくに見るもん全部見ちまったんだろう?」おっさん、言い方。
「疚しい気持ちは本当、誓ってありませんからっ!」
俺が抗弁を力ませると、マクガイアは痛々しそうにウルダを見る。うちの子は手のかかる弟をあやすお姉さんみたく肩をすくめて見せた。颯爽としすぎて閉口するわ。
「いいから、来いっ。時間がねぇんだろが」
上着の腰を鷲掴みされて、俺は廊下を引きずられていった。
§ § §
狼が連れ去られて、五分ほどすぎてドアが開く。
部屋からエキゾチックな
アルサリアおばちゃんのとなりに立つと、ウルダより頭二つ分も高い。
リンクス。名前はたしか、ユキ・オハラだったか。
天の川を模した
ウルダにはその服装が、なんだかよく分からないながらもどきどきした。布の色彩や形に目が吸い寄せられた。
「ふぅ。きみ、ウルダだったよね。狼の……娘だっけ?」
ウルダはとっさに顔を振った。
「従者。あの……本当に、あの時のお婆しゃん?」
「んふふ。まあ、ね。新しい身体だけど間違いないよ。それより、狼は?」
「マクガイアに連れて行かれた」
「あら、そ」
ボーイッシュな少女はあごでウルダに移動を促すと、サンダル履きで歩き出す。
「お婆しゃんの印象がない。なのに狼は気にしてない。それ、とても変なことだと思う」
思ったことを言った。異彩を放つ少女は嬉しそうに潤んだ目を細める。山猫のように。
「アイツもあんな
「わからない。狼は、ティボルのこともあなたのことも、深くは教えてくれない。訊けば教えてくれる。けど……教える必要がないと思うこと。狼、言わないから」
「ふーん……そっか。きみは知りたくないの?」
「事情はいい。それより狼。ティボルを殺そうとしてる」
「ティボル……ティボル・ハザウェイ?」
ウルダはこくりとうなずいた。
「どうしてか、わからない。二人ともお互いのこと嫌いだっていいながら、会うといつも仕事の話する。困ったら相談してる。狼しゃんもティボルもお互い本気で助けた。なのに今回は、狼しゃんがティボルを殺すって言い出して。わからない」
リンクスは要領を得ない表情で視線を逸らした。うまく伝わらなかった。ウルダにはそう思えた。
「それで、ぼくに何が訊きたいわけ?」
「……っ」自分でもわからない。うまく言葉にできない。
「んー、あのさ。狼って、どういうヤツだと思う?」
「どういうヤツ?」
ウルダの怪訝を押しのけるように、リンクスはじっと目の中を覗きこんでくる。とっさに口にする言葉に困った。
「それは……家族が大事?」
「ふっ。なあんだ。わかってるじゃないか」
「えっ」
リンクスはパタパタとサンダルで廊下を進みながら、
「狼にとって家族が大事。じゃあ、あいつにとっての家族って何だと思う?」
「えっ。家族って……群れ?」
「ふんふん。なるほどね。すこし理解が進んだ」
清涼な笑みに
「ウルダ。ぼくにも明確に答えてあげられるほどの言葉はないよ。人の心だからさ。あの馬鹿なヤローどもがどこまで本気で
「でも?」
「狼が家族を殺そうと思い立ったのなら、それは嘘だよ」
「嘘っ? 本当に?」
「だってあいつの星は……っと、これはナシか。うーん、そう。あいつはこの世界に放り出されて独りぼっちで生きてた。そんな中で好きも嫌いもする、いろんな人に出会ったわけ。その人たちを殺したら、どう? また独りぼっちにならないか?」
「それは……そうかも」
「うん。だから、う・そ。そうに決まってる」
「でも、何かみんなで準備してる」
「んふふ。なら、きみの経験から考えてみなよ。あの派手な頭をつけてる狼が殺しなんてできるのかい」
ウルダは顔を振った。
「ない。バレたら追われる。狼頭が目立つ」
「そ。だから逆に派手にやるのさ。敵に殺したと思わせるためにね」
「……でも、ティボルはそのことを知らない」
「知らなくていいんだよ。むしろ、ティボル・ハザウェイにしたって大嫌いな競争相手に借りを作ろうとしてんだよ? 死にたいくらい悔しがってるはずさ。だから殺してくれた方がいいと思ってる。あいつらはそう考えて動いてるよ。たぶんね」
「競争、相手……っ」
ウルダは心の中で何かが収まるところに収まった感触を憶えた。
「敵よりも本音を見せられない相手さ。きみにとっては、ほら。あの少年──スコールだっけ? 彼みたいなものさ。狼がやろうとしてるのは、敵を騙すなら味方ごと。きっとそういうトリックさ」
『ウルダ。マクガイア・アシモフのオフィスまで来てくれ』
突然、天井から狼に声をかけられ、ウルダは飛びあがった。
「なにっ、今の……天井からっ?」
「ほらおいでなすった」
『あと、リンクス。アルサリアにも相談したいことがあります。至急、同オフィスまで』
「ん? なんだろね」
「リンクス。あんた、なんか楽しそうだね」
アルサリアおばちゃんがやわらかく微笑んだ。
「まあね。ペルリカやエディナから、アイツはやめとけって言われたけど、付き合ってみると意外と退屈しなくて、助かってるよ」
「まったく。よく言うねえ、この子は。さっきまで蹴ったり殴ったりしてたじゃないか」
「んふふっ。あれで頑丈だからさ。割と気に入ってるんだ」
ぬけぬけと言って、リンクスは薄暗い廊下をサンダルで闊歩していく。
§ § §
某所。中央軍演習野営地。
「ここに踏みとどまるだとっ!? ロイスダール管理官、気は確かか?」
早朝。
白銀軍将校が三人、黄金軍将校二人が天幕にやって来て、軍団の中央都への帰還を談判しにやってきた。
ロイスダールの答えは、追加二日間の駐留だった。たちまち将校たちは反発した。
「情報管理官。ティミショアラからの
「ならば、総司令官と都督補お二人の足取りも掴めず、手ぶらで中央都に還れるのですか?」
「ぐっ……それは」
苦る将校のとなりに立つ黄金軍の将校が、前に出る。ヤマガタ中佐だ。
「ロイスダール管理官。昨日ここにドゥルダから連行してきた商人風の男を詮議しているそうだな。その者が本件について何か知っているのか」
ふん。さすが黄金軍将校か。ダイスケ・サナダ警備局長の薫陶が行き届いている。原始人にしては耳聡いことだ。
「あれは別件です」
「別件だと?」
「両司令官蒸発後。ダンジョン山の立入りを禁じましたが、彼の仲間がそれを破って登攀した
「ダンジョンの立入りを禁止? そんな話、我々は聞いていないぞっ」
さっきの白銀軍将校が声を荒げる。
「緊急措置として宮廷魔術師エリス・オーの名義で発令しました」
「エリス・オーの? なぜだ」
「中央都兵部省に連絡を出しましたが、返信が戻ってきません」
「返信がない? 発出はいつだ」
「無論。事件直後です」
「三日前に出して、まだ届かないだと……伝令部はどうなっている?」
平和ぼけだな。もはや公都が機能していないとは夢にも思わないのか。
「我々はその返信を待たなければなりません。ニーベルン兵部尚書(軍部長官)の裁可を待たず二万五〇〇〇の進退を決めては、障りがあります」
「うっ。ぐぬぬぬっ……それならっ、兵站はどうするっ」
食べなければやっていけない人間には同情に値します。応接用例集で頻度が高い慣用句だ。
「緊急事態ゆえ、ティミショアラ、オラデア、デーバの町へ購入に走るしかありません。冬の演習で徴発などしていては民の暴発は目に見えています」
「くっ。それなら……行動費(軍資金のこと)は」
ロイスダールは一通の書類を彼らの前に差し出した。
「……ッ!?」
「たっ、たった、たったこれだけかっ!」
「演習ですから」ロイスダールはにべもなく応じた。
「申し上げますっ」
フラゴナールが入ってきて敬礼する。
「〈ヤドカリニヤ商会〉と名乗る獣人が、責任者に面会を求めております」
来たか。だがこちらが猶予した予定時刻より三時間も早い。諦念。自棄。それとも……。
「こんな朝っぱらから、獣人がこの軍野営地に何用だっ」
白銀軍将校が小うるさげに吐き捨てる。フラゴナールがロイスダールだけを見て報告する。
「それが、朝食用のパンとチーズ三万個を持ってきた。味は悪いが、腹の足しにしてくれと」
おおっ。将校達は手放しで驚きと安堵に歓声を上げた。
ロイスダールは目を鋭く
こちらの補給事情をなぜ知っている。どうやって知った。なぜこのタイミングで現れた。
「フラゴナール。積載検査は」
「検査済みです。武器らしいものは何一つ所持しておりません。荷台は大量の食糧袋で人が手を入れる隙間もありませんでした」
賊に襲われることはないと踏んで、武器を所持していないのか。ということは近場の町。しかし、周囲一〇マイル圏内は田園と荒野ばかり。三万人分の食糧を調達できる場所など──。
(──ある。〝ナーガルジュナⅩⅢ〟以外にどこがある)
ロイスダールはおもむろに席を立ちあがった。
「フラゴナール。その獣人をここに通せ。それから、あの収監の警備を怠るな」
「ロイスダール少佐……?」
五人の将校が怪訝の眼差しを向けてくるが、意に介さなかった。
「了解」
フラゴナールが天幕をでていくと、ロイスダールは将校にも退出を促した。
「ロイスダール管理官。何を考えている」
根拠があって訊ねたわけではない。けれど今この瞬間、ロイスダールの表情のない瞳に見据えられ、将校たちは固唾を呑んで凍りついた。
(大公の生体信号が途絶えたこの好機。お前たち原始人に、こちらの思考を知る必要はないのだ)
「言ったでしょう。これは別件なのですよ」
(……どうせ、お前たちは。我々が知らないところであのバケモノの〝エサ〟になるのだ)
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