第20話 狼と鉄狼(7)


 三家将校からの質疑は、一つで終わった。


【 大公が死にました。二将軍への参集を急ぎお願いします 】


 筆談で告げるや、将校たちはすぐに天幕を飛び出し、撤収を決断した。

 俺はティボルの死体を馬車に乗せて、アウラール軍二五〇〇の最後尾について野営地を出る。


 目指す町はオラデアだ。


 その間、ロイスダールをはじめとする中央軍将校の視線が、俺の馬車から外れることはなかった。その一方で、中央軍の兵卒たちは俺の馬車からずっと目を背け続けた。


 一人の商人がこの野営地に連れてこられて、何をされていたのか間接的に知りながら何もできずにいた。その数時間後には、彼を探しに来た仲間から善意で当座の糧食を得たのだ。彼らも人の子だ。良心は疼いたのだろう。


 でも、今回のことは〝おあいこ〟だと思っている。


 俺も彼らに、彼らの帰るべき都が神蝕によって既に滅びたことを言わなかったのだから。


「ひでぇ。ひでぇよ……商人相手にここまですることねーだろっ」

 馬車の中で、スコールが悔しそうに歯がみした。


 ティボルは顔の全面を殴打され、鼻やまぶたは青黒く腫れあがり、無事な肌がないほど紫色になっていた。さらにボロ服を着せられて水をかけられ、風雪の檻に放置された。その服は枯れ葉のようにぱりぱりに凍りついていた。


 純粋な人間ならば、肺炎か低体温で瀕死だったかもしれない。

 まだ俺たちがダンジョンで逮捕通告を受けた時から、二四時間も経っていないのに。


 死が、幸福に思える。それが錯覚だとしても、俺にこの怒りを耐え忍ばなければならない理由が見つからなかった。


 俺は【水】と【風】の相生マナでティボルの顔を治癒した。


 ティボルの体細胞組織は複製体のタンパク質を応用されているので、マナが呼応する。以前、カテドラルターミナルで魔法を被弾した時も、ティボルにさんざん喚かれながら治癒したのを思い出した。気が滅入る。


「うおおお……すげぇ」


 細胞の損傷がひどく、時間はかかったが俺の手を介して破壊されていた顔面が元の美しい顔に戻る。その様を見て、スコールとトビザルが言葉にならない安堵を洩らした。


 それから俺は、右胸にあいた穴に指を入れる。


 マクガイアが見せてくれた設計図によれば、アンドロイドたちの心臓にあたる〝源動核〟ダヴィンチコアは右胸にあるそうだ。


 ところが、ティボルの無識別機は特別製で左胸にある。これは〝メカ長〟と呼ばれたマクガイアの洞察だった。


 そもそも制作者は、あのつむじ曲がりの元囚人ガブリエル・バルマンだ。自分が〝憑依ライド〟するために作ったアンドロイドなら、無意識に人間に近づけるのではないか、と。


 では、本来右にあるはずの心臓部を左にすれば、それによって左から右へ動かされた物はなんなのか。


「まあ、十中八九〝駆動理論制御装置〟シーケンスプログラマブルユニットだろうな」

 マクガイアは断言した。


「要は、アンドロイドにとっての運動脳と脊髄に相当する神経回路だ。日本の科学者で、脳を知覚型と運動型をあえて分担並列処理させれば二足歩行が可能なんじゃないかって思いついたのがいて、その名残だな。

 アンドロイドの上級個体を気取る連中には、この周りにCPUを拡張配置して性能を上げてる改造ジャンキーもいてな。故障するたんびにオレを頼ってきやがるんで参ったぜ」


「では、そこを破壊してしまったら、ティボルも活動停止ですか?」

「ところが、死なねぇんだな、これが」

「なぜです?」


  マクガイアは自分のこめかみを指さした。


「人間でいうところの人格を司る知覚脳が残ってる。そいつは人間の頭部にあるから、オレらは〝頭脳シーケンス〟と呼んでいた。会話記憶や思考パターンの、いわゆる試行錯誤リザルト経験を保管してる。アンドロイドにとって最も重要な情報だから殴ったり蹴ったりしただけじゃ破損はしないブラックボックス仕様だ。

 だから、アンドロイド達にティボルが死んだと誤認させたいんなら、こっちの右胸を撃ち抜くのが迫真だな。破壊直後は約十五分間の補助モードに入って全活動が停止する。再起動後は、戦闘効率は格段に落ちるが、ダイナーの料理運びくらいなら難なくできるぜ」


 ファミレスでフロア係をやるティボル。女子高生に人気が出そうで、なぜかムカついた。


「あの、ここの装置。破壊後の換装は」


「もちろん、可能だ。中古になるが、お前との友情にかけて、傷の少ないヤツを探してきてやるよ」


「よろしくお願いします」

 俺はまた、日本人気質で頭を下げていた。


  §  §  §


 魔法工学という分野の確立は、割と最近のことだ。


 安易な実験人形や留守番、金庫番としてのゴーレム。家庭内作業の助手としてオートマタ。広義の意味での防犯装置は、いかに低廉で盗掘冒険者の撃破数をかせぐかがステータスだった。


 その魔法工学の第一人者でもある大魔術師アパ=シャムエル。元皇帝という経歴からしても、人を惹きつけるカリスマは、世界創始の予言者マダーに比肩する。


 彼から薫陶を得た弟子は八人いるとされる。


 弟子はすべて女性。恩師は偶然だと笑ったが、その実、女性魔術師への世間の風当たりは思いのほか、強い。

 魔男ではなく魔女という呼び名の定着からもわかるように、女性魔術師は男をたぶらかす、卑しい女の代名詞でもあった。その中で、恩師はその冷遇された魔女こそ才能の原石だとみていた節がある。


 魔女が嫌われた理由は、不老。歳をとらないからだ。魔術師の中には、男ですらわざと老人のフリをして人前に出る者もいる。それも面倒くさくなると、場所を転々とする。いつまでも不老のままでいると噂が立ち、バケモノ扱いされて身の危険がある。

 魔術師とて、不死ではないのだ。


 閑話休題それはさておき。……何の話だったかな。


 アルサリアが〝樹形連環陣〟セフィロトエンジンに携わったのは〝狼〟の改造手術が初めてだ。また、その後に恩師アパ=シャムエルが実験体に逃げられるという大失態を演じたのも初めて聞いた。

 あの時の恩師の慌てようは、斬新な驚きと安堵として昨日のことのように思い出せる。それほど恩師は完璧で、平凡なミスという人間くさいことをする魔術師には見えなかった。


 この時の〝狼〟捕縛要請を、アルサリアは一度断っている。


 二人の息子が魔法で喧嘩をして、二男ジョルトが事故死した。


 どうしていいかわからず、悲しみを通り越した思考停止が何日も続いた。


 ある日。ふと誰かに声をかけられた気がして顔を上げたら、長男のアーサーではなく恩師が目の前に立っていた。

 恰幅かっぷくのいい大柄な体格で、クセのある長い白髭と白髪。サンクロウ正教の聖人ニコライの肖像にそっくりだった。


『アルサリア。せがれの魂を余に預ける気はないか』

『先生……、正気ですか?』


 久しぶりに出した声は、老婆のようにしわがれていた。


『例の〝狼〟に収めた魂が不安定でな。ジョルトの〝知性〟で〝樹形連環陣〟セフィロトエンジンを支えてもらいたい』


『先生。あの子はまだ五歳でしたよ』

『そうではない。人には生まれ持った器というのが備わっている。ジョルトは大器だ。そなたに似てな』


『あの子なら、もうダメになっちまったんですよっ。終わったんです! ほら、あそこに』


 指さした我が子の遺体はしかし、数日が経ったはずなのに腐乱していなかった。それどころか魔法事故によるただれもなかった。安らかに眠っているようにしか見えない。


『先生……先生の仕業ですか。そうなんですね』


『すまぬ』恩師は視線を泳がせた。『この事態の予見はできていた。知りながら、しかし余は兄弟の悲劇を止めなかった』


『なぜっ。どうしてっ!?』

 思わず掴みかかろうと腰を浮かせ、イスから立ち上がれない自分の情けなさに涙した。


『ジョルトを残せばアーサーが、確実にのだ』


『くっ……うっううぅ、ぐぐぐっ』

 アルサリアは長い黒髪をかきむしりながら頭を膝の間に入れた。


『聞け。聞いてくれ。アルサリア。アーサーは父ペルカーンと同じ、惇狼とんろうの宿星。武の道へ進めば大成する。一方、ジョルトは特異点だった可能性が高い』


『特異点……無明むみょう(無知であること)の宿星』


『そうだ。だが法性ほっしょうの星を持つ〝群青の魔女〟の息子だ。非才であるはずがない。しかも、無明は、死を単なる死と受け入れることもできない稀有な暗黒星〝ワイルド〟だ。

 ならば、異端児と呼ばれるに値する運命を背負い、おのれの未来制御が難しい星だったに違いない。余はそう思い到り、ジョルトには補完が必要と断じた。後付けになってしまうが、折を見て……余が預かるつもりだった』


『遅いっ。遅すぎますっ。あの子はもう……ジョルトを、どうするおつもりですかっ』


『先ほども言った。今の〝狼〟には調和を保つ知性がない。だからジョルトにその知性になってもらうのだ』


『あの子の魂を、あの〝狂戦士ベルセルク〟に封じ込めるっておっしゃるんですかっ』


『アルサリア。頼む。魂の解放時期は、ジョルトが望む通りにしよう。それまでお前の息子を預からせてもらえないか』


『っ……なら、先生。あの〝バケモノ〟を作ることに、どういう意味があったんですか』


 巨漢の師は、決然とした眼差しでいった。


『混沌でくらよどみかけた水面に、再び光を創るためだ』


  §  §  §


 古代兵器に〝樹形連環陣〟セフィロトエンジンを乗せるというアイディアは、たぶん恩師も試したはずだ。試したけれど、結局、気に入らなかったから改造人間に使ってみる気になったのだろう、と推測する。


 アルサリアは、この秘儀の施術を恩師からは禁止されていない。だから割とすんなりと狼の要望に応えた。


(それに、ちょっと面白そうだった)


 アルサリア自身は、これまで秘儀の転用を考えてこなかった。


〝樹形連環陣〟は、改造人間の製造こそ秘儀の真価を発揮できると思っている。とはいえ、改造人間を大量生産する気はない。死んだ肉体を蘇らせるには、活きた魂が最低でも三つ必要だ。しかも相性によっては和合しない。それをどこから確保してくるか。ここが秘儀のキモとなる。


 恩師はその問題をなんと別次元から同一人物の魂を二つ引っぱってきた。しかも魂の元肉体には頭すらなかった。そんな絶望にしか見えない状況を、ジョルトの知性でもって補強し、やっと維持できた無理やりな解決策をとった。


 結果は、想像以上だった。まさか時空系の〝原転回帰リザレクション〟を使える規格外にまで成長するとは誰も思ってなかった。親の贔屓ひいき目にも〝樹形連環陣〟が我が子の才能を引き出したのだと信ずるには破天荒すぎた。


 それなら秘儀を動力兵器に使ってみたらどうだろうというテーマは、単純だが悪くなかった。しかも指定された飛距離がおよそ弓矢で到達できる距離ではなかった。兵器技師のマクガイアらドワーフ三人もすぐに難色を示したほどだ。魔法と古代技術の融合。およそ現実的ではない。

 しかし、


「まあ、十二キロ先くらいなら〝見る〟ことくらいは、できるけどな」

 見ることができる。だと。


「アシモフさん。どうやって見るんだい?」


「ん? あー、この採掘艦には周波探知システムっつーカラクリが備わっててな。音の反射音の時間を計ることで広範囲に何があるか距離を知ることができる技術があるのさ」


 音で、見る?


「そりゃ、お前さんらの魔法かい?」

「いんや。低周波って音の領域を分析した結果から得た音の性質だ。こいつは科学だな」


「その低周波の反射ってので、どこまで見えるんだい」


「そうだな。1Gの抵抗があるから……まあ、見えるつっても一〇〇キール圏内の物体と、人間の形くらいだ。でもって、人間ならその身長を元に、男女の性別。痩せか太りか。武器携帯の有無。とまあ、それくらいまでならいけるかな」


「確かにそこまでしたら、見えてるようなもんだねえ。狼は、それを知ってたわけだ」

「まあ。生まれがここじゃないからな。魔法よりも科学寄りの人間だったらしいな」


「ふむ。それじゃあ、あたしはとにかく〝魔法〟で遠くへ飛ばせるようにすりゃあいいんだろ?」


「ああ。んで、こっちは〝科学〟で遠くを見通せればいいわけだ。この世界で科学と魔法の合わせ技だ。実を言うとな。オレもどんなことになるのか割と興味があるんだよ」


 サングラスのドワーフも、どこか楽しげだ。この男も根っからの異端者スキモノらしかった。

 試行錯誤は楽しくなくちゃあ、やる意味がないのだ。

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