第14話 しかし幸せは長く続かなくて 後編


【 パラミダ義勇団なる雄志、アスワン帝国軍を急襲。システアを奪還せり。

  ネヴェーラ軍中将スペルブ・ヴァンドルフ殺害 】


 ようやく盛り上がっていた祝宴ムードが一気に吹き消された。

 ヤドカリニヤ一家とエディナ様、〝黒狐〟の冷ややかな眼差しが、場の空気を読まない地方長官に突き刺さる。彼らはこのことを忘れないだろう。


 わずか十三機の手勢で、ビハチ要塞を陥落させたことになっているパラミダが義勇──という名の戦闘衝動に駆られて蜂起したとしても、さほど悪い報せではない。

 問題なのは、たぶん下の句だった。


「まずいことになったな」

 黒狐が伝文をとなりのスミリヴァル族長に渡す。

「……ええ。これはわたくしも想定してなかったわ」エディナ様も声を低くした。

 重鎮二人が表情を曇らせた。その時だった。

「うー……んっ」

 スミリヴァル族長がイスをひっくり返して卒倒した。

 ブロディア夫人とカラヤンが慌てて助け起こして、家政も急いでやってくる。

「なんか、今日はいい日なのに、可哀想になるくらい散々よね……」

 男二人で運び出される族長を見送り、ハティヤがしみじみとため息をついた。

「彼のせいでは、まったくないんだけどね」俺も追従する。「ハティヤ。もうちょっと近くの席行こうよ」

「またそうやって。すぐ首つっこもうとするぅ」流し目でにらまれた。

「パラミダを野に解き放ったのは、俺だからね。一応だよ」

 ハティヤは喉の奥で唸ると、俺の腰に腕を回してくれた。


   §  §  §


「殺されたという将校スペルブ・ヴァンドルフ中将は、ネヴェーラ王国の〝良心〟とまで言われた英傑でな。その用兵のうまさと良識采配は、周辺国にまで聞こえてる。ここ最近じゃ、ネヴェーラ国王の第一王女オクタビア様の婚約者で話題になってるな」


「ネヴェーラ王国には国王を二〇〇年支え続けた二つの大貴族があるの。それが西のエスターライヒ家と、東のヴァンドルフ家ね」


 先を争うように、黒狐とエディナ様が教えてくれる。嬉しいんだが今の俺は、首を左右に振るのもつらい。


「でも、カーロヴァック戦役では町を守り切ったんですよね? なのにそんな大貴族が敵に捕まってた。変ですよね」


 かわりにハティヤがエディナ様に尋ねる。


「そうね。──ゲルグー。カーロヴァック戦役の情況。聞いてるかしら」

「いや。まだ集まってきてねぇな。どうも箝口令が敷かれてるみたいでな」

「箝口令? でも、戦場のことなのだから将校達から話が漏れてくるのではないかしら」


「今回に限ってはどいつもこいつも口が貝になってるみてぇでな。その理由がたった今わかったところだ。だから、もう少し時間がかかる。それよりもパラミダってのは、ここの倅だったよな」


「ぱ、パラミダは、もはや当家とは無関係だ!」


 メドゥサ会頭が花嫁衣装で、ヤドカリニヤ家の総意とばかりに言い放つ。花嫁の剣幕に黒狐も呆気にとられてから、苦渋の顔を浮かべた。


「まだお前さんの弟が、ヴァンドルフ中将を殺ったとは言ってねぇだろうが」

「し、しかし……っ」


「急報の伝文書式からこう書くしかなかったんだろうが、当主は額面通りを読んじまって頭から血の気が引いた。それだけだ。ヴァンドルフ中将は殺された。これは間違いない。だがパラミダが町を落とした前後での話だ。

 そもそも、パラミダってのは、ここの町からビハチ要塞を襲ったんだろう? なんで交戦真っ只中のカーロヴァックを飛び越えて、反対側のシステアなんて町に現れた?」


「そ、それは……私にも、わかりません」

「だろ? だからもう少し情報を待てや。待てないんだったら、自分から情報を取りに行くこったな。それが儲けるコツってもんだ」


 花嫁姿で、商家の先輩である豪商から説教スピーチを受けるメドゥサ会頭。


「カラヤンなら、数日のうちに動き出すかしらね。昔から待てない性格だから」

 メイドから紅茶の給仕を受けながら、エディナ様が言った。


「ああ。とくに、ヴァンドルフ中将はカーロヴァック戦役の総司令官だったはずだ。それは間違いない。軍が勝利して、総大将が敵に逮捕。腑に落ちねぇ。カラヤンなら気になって仕方ねぇだ

ろうよ。──それに奇妙と言えば、お前さんもな」


 そういって黒狐は、ずっと立ったままのタマチッチ長官を冷ややかに眺めた。


「お前さんのことはこっちで調べさせてもらったが、ヴェネーシア時代に〝キャノン〟とかいう兵器の密造密輸でパクられたベネリ家から女房をもらったそうだな。ウスコクここに恨みがあったんじゃねえのかい?」


 タマチッチ長官は悄然とうなだれて、


「それは……もう済んだ話です。妻も今回、この家の慶事に招待を受けたことで、遺恨を流したものと思っております」

「誰が招待したんだ?」


「私です」メドゥサ会頭が言った。「お互い言いたいことを吐きだしたので、この場で手打ちができればいいな、と直接声をかけました」

「なるほど。弟以外には気前の良いことをするんだな。なかなかの器量じゃねえか」


 褒められているのがわかったのか、怒るに怒れない顔をする花嫁。本当にパラミダのことを憎んでいるらしい。


「で」

「で、とは?」

 察しの悪い新米会頭を、黒狐はムッとしてにらんだ。

「商家の会頭として、これからのヤドカリニヤ商会の展望を聞かせちゃあくれねえか」


 このてんやわんやの中で、今それ聞くのかよ。


「ちょっと、黒狐さん。さすがに今日は──」

 ハティヤもさすがに諫めようとしたが、黒狐はギロリと一瞥して払いのけた。


「婚約式ってのは、もう終いだろ。めでたしめでたしってな。今晩あたり、カラヤンと好きなだけよろしくやってくれりゃあいいさ。

 だがな、ヴァンドルフ中将が死んだ。この情報を商人として聞き流すんじゃあねえ。たった一つの巨星が墜ちたことで、ネヴェーラ王国はこの先ガタつくだろう。その情況を、周りの国や国内の諸侯達が黙って放置するわけがねぇ。政治を無視した商売ができるのは旅商人だけだ」


「は、はいっ!」

 起立して返事したのはマチルダだった。条件反射だろう。頼りないヒナたちを見回して、黒狐は不機嫌そうに嘆息した。


 それでメドゥサ会頭も表情を改めて、黙考する。

「っ! 皆さんの人脈を借りて、ヴェネーシアで〝サローネ〟を開くのはどうでしょう」


 サローネ。

 これはサロンのことだと思う。サロンは、〝客間〟を意味するフランス語で、貴族や富裕層の夫人が日を定めて客間を開放して人々を招き、文学・芸術・学問その他の文化全般について、自由に談話を楽しむ。いわゆる社交界の現場をさす。


 社交界が出会いの場となるのは当然にしても、実際は公開講義のような場所だったりする。 


 なので、日本におけるヘアサロンやネイルサロンとはまったくの別物だ。また、酒を出す飲食店にもサロンと銘打っている時代もあったが、これは誤用。サロンではアルコールを出さない。酒類を出すのは晩餐会だ。


 ラノベでも、「社交会なんて嫌い」という貴族のお嬢様がたまに出てくる。

 それはリアルに考えると、場所が遠いか。サロンの中で紳士淑女がひけらかす知識があまりにも上っ面か。知識の内容についていけないか。香水の臭いがきつすぎるか。出される軽食が美味しくなかったか。のどれかだと思う。


 ただ単に人に会いたくないからというのもあるだろうが、上の爵位家から招待状が来て断ることは身分制においては、まず許されない。なので、親から勘当されることも覚悟しなくてはならない。

 ともあれ、メドゥサ会頭は、流行発信地のヴェネーシアにいきなり乗り込んでいって、新作発表会をやろうと構想を思いついたらしい。

 この発案に感動したのはマチルダだけで、二大商家は顔を見合わせるばかりだった。


(あ、見合わせてるんじゃないか。すでに張り合い始めてるよ……っ)


「レント。サローネの場所を早急に手配してちょうだい。ジェノヴァ協商連合〝四地方元首〟クアットロ・ドージエ元首夫人ドガレッサに親書を書くから。それ用に」

「オ・カピート、マンマ(了解や、お母はん)」


「ならこっちは、ネヴェーラ王国の貴族夫人十四人に招待状を送る。帝国貴族も十二、三人選んで送っておいてやるぜ。──メドヴェ、抜かるなよ」

「承知ですっ、ボス」

 怖っ。ヤドカリニヤ商会は順風満帆どころか二方向からの強風で空まで飛んでいけそうだ。


「大丈夫なの、狼?」

 おそるおそるハティヤが俺に訊いてくる。

「だ、大丈夫じゃないかな。二人に任せておけば。ヤドカリニヤ商会は急成長──」

「そうじゃなくてっ。石けんつくるの、まだ狼なんでしょ?」

 そうだった。

 早く石けんの製造レシピを売ってしまおう。これで流行ったら、俺の命に関わる。

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