第2話 葬滅の都(2)


 中央軍司令官誘拐から、二日後の夕方。

 また雪が降りだし、周囲はひどく薄暗かった。

 丘陵を登り切ったところで、ようやく都が現れた。

 東から南にかけてぐるりと山脈の腕に抱かれる、公都クローンシュタット。

 

 石油コンビナートをそのまま都市化したのだろうか。城壁内の各所に六基の石油精製塔が町を睥睨へいげいしている。


 間違いなかった。公国は〝技術〟を独占することで地方貴族を抑え込んで、いた。

 もっとも、それはもう、過去のことになりそうだが。


「狼しゃん……あの町、人の気配がせんっちゃ」

 都を呆然と眺めて、ウルダは不思議そうに訊ねてきた。


「中央都が〝神蝕〟されたんだ。〝獣の王〟によって」


 鉄壁の向こう。市内のあちこちから黒煙が幾筋も立ち昇っている。

 公都は喩えようもない静寂が支配していた。外界を隔てる堀の深淵から寒風が吹きあがる。ひゅうひゅうと鳴く音が都市という巨人のあばら骨から聞こえてくるようだった。


 馬車が四台ほどもすれ違える大鉄橋に巨大な紅牙猪が何頭も殺到していた。城壁に牙を突き立て、頭部を圧壊させていた。都市の玄関口である大鉄門はその怒りを受け止めきれず、ひどく湾曲して、屈辱の胸襟きょうきんを開かされている。


「ウルダ。二キール後退して馬車を隠す。再度、都市を探索する。ここへ入るには武器の他に野営装備も必要かも知れない」

「ん、了解っちゃ」


  §  §  §


 いったん出直して、改めて城門から市内に入る。

 布で鼻と口を覆っていても、石油の臭いにトラウマが疼く。


 人間側も無策ではなかったようだ。町のあちこちにバリケードを厚く築き、路面に石油を撒いて、火をつけたのだろう。黒く焼け爛れた魔物たちが狂態の抜け殻を晒している。


 俺は少し、魔物が向かっていった先に興味を覚えた。


 都市の城門は二つ。北と西にあって、どちらとも破られていたが、市内に入った魔物達は同じ目的を目指しているようだった。ただ怒り狂って遮二無二突っ走っていたようだ。


 俺もウルダも疑問を口にすることなく、黙々と歩く。手をつないで。

 それからしばらく歩いていると、ふいに町の風景が途絶えた。


「これは……っ」


 足を止めた先は、直径一キロ近い大きな穴だった。斜面は階段状の急傾斜。いわゆる露天掘りとよばれる掘削の跡だった。眼下の層は深く、底におびただしい数の魔物がひしめいていた。


「ウルダ」

「まさか降りるとか、言わんっちゃろね」


 ジロリと半眼で見あげられた。


「何もないことを見てくるよ。。そっちの〝郭公ククーロ〟と〝飛燕〟ラスタチカの鉤爪を合わせて、そのめいっぱいの距離まで降りてみる」


「目的が変わっとーとよ」

「ちょっことだけたい。心配なかけん。早よはよ」


 急かして俺は傾斜を降りていく。勾配とよぶには段差がはっきりしていて、間隔の広い階段を降りている気分だ。途中、何度も紅牙猪や灰色グマの背中を着地点に選んで衝撃をやわらげ、素早く降りた。


「……ここから、もう地質が変わった」


 岩盤が花崗岩質層から玄武岩質層に変わった。露天掘りしてあるのだから当然地底には鉱脈があるのだろう。だが目的の鉱物がダイヤモンなのか金なのかはよく分からない。


(実入りなし、か。ただの寄り道散歩だったかな)


 あきらめて鉤爪を巻き上げようとした。その時だった。

 噛み合わせていた鉤爪が外れた。


「あら?」


 俺は傾斜を滑って、獣たちの骸の上に背中から落ちた。

 せつな、充満する血と獣の臭いに全身が総毛立った。一面、狂走の終着の果てだった。


「狼しゃーんっ!?」

「大丈夫ーっ。ケガはないよーっ」


 上から届くウルダの声が遠くに感じた。こちらも声を出す。空気が薄いのか、とっさに意識が飛ぶような強い圧。周りを見回すと、薄暗い壁面で何か粒がキラキラと光っている。


「これって……まさか」


 立ち上がってその光粒まで近づき、鉤爪ハーケンで掻いてみた。岩盤から剥がれ、ころっと小さな石が手のひらに落ちてきた。


「この感じ……マナ鉱石」


 俺はさらに集めた。どれも小石ばかりだがマナの含有は食物の比ではない。それをひと握り分をポケットに入れた。〝飛燕〟を空へ放って上に登る。

 そういうことだったのか。ここは石油コンビナート──石油の精製施設なんかじゃなかった。それ以上の施設なんだ。


「もうっ、なんっしょっとね!」

 地表に戻って、ウルダにメチャクチャ怒られた。


  §  §  §


「よぉ。ずいぶん、遅かった、じゃ……ねえか」


 グリシモンは、生きていた。拷問を受けてボロボロだったが。

 地下牢獄。

 その一房に、グリシモンは両手を壁の鎖につながれたまま座っていた。


「ここへ入って、何日経ってた?」

「二八日、かな……たぶん」


 治癒魔法で回復。グリシモンは差し出した水筒から水を貪るように喉を動かす。


「〝神蝕〟が起きたのは?」

「……くふぅ。さあ。ここが騒ぎ出したのは、三、四日前だったかな」


「他の囚人は?」


「自決用の毒を飲まされた、らしい。一斉に苦しみだして音がやんだ」

「お前は飲まなかったのか?」


「ああ。おれには入ってなかったらしい。あんたが来るのを見越して残されたんだろう」

「なら、俺に感謝しとけよ」


「ふんっ、誰のせいで、こんな寂しい闇の中で独り飲まず食わずで待たされる羽目になったんだかねえ。おまけに。お前が来たらきたで、鎖を外さず尋問だ。次にどんな目に遭わされるかわかったもんじゃねえ」


「この状況で、ぼやきが長いよ。……もういいだろう。?」


「あぁ?」


 グリシモンが、不安な怪訝をこちらに向けてくる。俺は構わず、目の中を覗きこんだ。


「このタイミングでこれ以上の小細工はナシだ。神蝕も、俺が探しに来ることも織り込み済みのはずだ。しらばっくれるのなら、もう帰っていいんだな」


「おいっ。狼。ふざけてんのか? 早く拘束を外せ……っ」


「あんたは俺にこうやって話しかけられるのをずっと待ってた。気づいてもらいたくってな。俺へのメッセンジャーとして、この男をここへ残したくらいだ。だから、こうしてお前に話しかけてやってる。次はどこに行けばいい」


 すると怪訝そうにしていたグリシモンの表情が急にシラけた目をした薄笑みに変わった。グリシモンなら絶対にできない知的ぶった笑みだった。


「なぜ、分かった?」


 俺はにべもなく顔を振った。


「質問もナシだ。俺はこの国で充分、お前たちの〝犬も喰わない〟イザコザに巻き込まれてきた。正直、食傷気味だ。早く決着ケリをつけよう。

 さっさと行き先を指定して、グリシモンを自由にしろ。間違っても、用済みにして記憶デバイスに圧をかけて殺したら、俺は都市から出るからな。こんな男でも俺の役に立ってくれたし、こんなバケモノでも待ってくれてる人がいるんだ」


「……」


「この都市はとっくに死んだ。複製体を一匹逃がすくらい、アンタの計画に支障はないだろう。それより早く場所を指定しろ。外はもうすぐ夜だ。松明片手に男の部屋に忍び込む趣味はない。あとな──」

「……っ?」


「俺は、あんたのことが嫌いだ」


 顔が一瞬無表情になると、高笑いを始めた。グリシモンの声で。


「この都市の中央にある一番高い建物を目指せ。その最上階に来い」


「照明とエレベーターは」

「生きている……」

 うすら寒く笑って、グリシモンは小さく舌打ちすると沈黙。ガクリと脱力した。


「お、狼しゃんっ!?」

 房の外からウルダが顔を出してきた。


「大丈夫。グリシモンは生きてる。馬車まで運んでくれ。俺はちょっと行ってくる」

「うちも行くっ!」

「朝になって戻らなかったら、背嚢にスコール宛ての手紙を入れてる。それを持って──」


「いやっ、そげんこつ絶対にイヤっ!」

 小さな身体が俺の背中にしがみついてきた。

「待っとるけん。二日でも三日でも待っとるけん。帰ってきて!」


「ウルダ。聞いてくれ。お前の主人の命令として聞いてくれ」

「……っ!?」


 ウルダが初めて怖がった顔で見あげてくる。

 俺もこんなずるい説き伏せ方をするのは初めてだから、つらい。


「さっき、〝秩序の昏瞑〟をこの町にかけた。マナの反応がない」

「それが?」


「公国の宮廷魔術師エリス・オーがいないんだ。裏をかかれた。混沌の魔女ディスコルディアはもうこの都を捨てて移動している。俺が目指していた最後の魔女はとっくに逃げだした後なんだ」


「せやったらっ。こげなとこ、用はなかろうもん」

 食い下がろるウルダに、俺は顔を振った。


「ティボルがまだだ。ここでやるべきことは、俺のしたいこととは別なんだ。この町の中枢にあるはずの視聴共有プロトコル集積装置を破壊する。それを切らなきゃ、この国の反乱は起こせないんだ」


「何言うとるか、わからんっちゃあっ!」


 ウルダがカンシャクを起こして地団駄を踏む。子供心に、俺がもう戻らないかもしれない不安を抱いている。

 俺はとっさにいいデマカセが思いつかなかった。この子だけは悲しませたくない、恨まれたくない。娘に弱い父親の見本だ。もっと偽善に徹しなくては。


「わかった。もうわかったからっ。それなら、グリシモンを馬車に積んでから、この町の外まで馬車で迎えに来てくれ。仕事が早く終わったら俺が町の外で待ってる。一緒に帰ろう。でも一時間して俺が出てこなかったら一番高い建物の最上階に来て、俺を回収してくれ」


「狼しゃん、戦闘想定しとーとや!?」


「俺がやろうとしているのは、大公が長い間ずっと握ってきたこの国の支配の根元だ。話し合いでどうにかなることじゃないし、全力を出さないとこっちが殺される。マナも体力も全部つかう。春節祭の前にすませるには、それしかない」


「あ、年越し……っ!?」

「そう。年越し。カツを揚げて、みんなで甘いお菓子を食べて十四歳になろう」


 ウルダは不安と喜びがない交ぜになった泣き顔で、俺を見つめてくる。


「でも、でもぉ……っ」

「ウルダ。これは俺がやらなくちゃいけないんだ。俺にしかできない、囮役なんだ」


「──っ」

「俺はウルダのことを信頼してる。だから。俺が倒れた後のこと、頼んでいいか?」


 健気に上着の袖でごしごしと目許を拭くと、ウルダはまた機動剣士として仮面をかぶった。


「了解っちゃ。そのスケジュールで行動すっとよ」

「ありがとう。馬車まで気をつけて戻ってくれ」


 ウルダはグリシモンを、ひょいと肩にかついで牢屋を出て行った。


「ごめんな……ウルダ」


 俺を呼びつけたのは、落日の亡霊か。それとも執念の妄霊もうりょうか。無事に帰れる保証はどこにもない。

 でも、あの子だけは無事に返す。この命に替えても。

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