第十四章 葬滅公路

第1話 葬滅の都(1)


 ラーマズブリッジ。

『ラーマーヤナ』は、古代インドの大長編叙事詩で、意味は「ラーマ王行状記」。全七巻。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、成立は紀元三世紀頃。

 詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされる。


 この叙事詩は、ラーマ王子が誘拐された妻シータ王子妃を奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いている。

 その第五巻スンダラ・カーンダ(美の巻)で、風神ヴァーユの子であるハヌマーンが、南部の海岸から跳躍してランカーに渡り、シータを発見する。

 ハヌマーンはラークシャサらに発見され、インドラジットに捕らえられたが、自ら束縛を解き、ランカーの都市を炎上させて帰還した。


 その後、第六巻ユッダ・カーンダ(戦争の巻)で、ラーマ王子がランカー島に橋を架けたとされるのが、ラーマズブリッジだ。


 俺がこの作戦名にしたのは、橋の方ではなく、シータ王子妃の方だ。


 本作戦は、討伐作戦ではない。奪還作戦となる。


 ここ五日。中央都にいるはずのティボルとグリシモンからの連絡が途絶えた。


 二人は複製体だ。つまり元〝ハヌマンラングール〟の乗務員──複製体ホムンクルスだ。大公が盗み見・盗み聞きしている可能性を承知の上で、彼らからもたらされる情報を当てにしていた。

 その情報がなければ、リンクスと再会することはなかったし、マクガイアの家族と大公との接点もわからなかった。


 その定期連絡が、途絶えた。

 最後の連絡はグリシモンの、【中央軍、中央都に戻らず。行方不明】というものだった。


 大公かその側近が、これまで泳がせていた魚をもはや看過できなくなったと見るべきだ。さもなければ、二人がなにか重要な大公の秘密を掴んだのかもしれない。


 中央軍は現在、ティミショアラに五〇〇〇の駐留部隊を残して中央都へ撤退中のはずだった。それが中央都に戻らなかったとすれば、行き先は間違いなく〈ナーガルジュナⅩⅢ〉だ。

 目的は、三龍公主の四肢再生の阻止、逮捕。

 そのまま中央軍総指揮官ヴァシレ・アッペンフェルド(白銀龍家政長)が兵二万五〇〇〇を北に向かわせたとみるべきだ。


 それなら兵二万五〇〇〇の補給はどうする。それを賄うのも、ティミショアラの役目になるだろう。大公の、二人の家政長への踏み絵は続いていると見ていい。

 ここで、北西オラデアは新家政長の下、財政復興が始まったばかり。北東ジュニメアは地理上、北方への備えと距離的にも遠いから問題視されなかったと俺は見ている。


 四肢欠落を神聖視することで龍公主へ信奉を集める政策でやってきた大公にとって、龍公主の四肢再生という不文律を打破する者など現れないはずだった。


 ところがニフリートの四肢再生でそれは一変した。当時の主犯格はライカン・フェニアだが、そこに関わった俺とティボルが今回、ふたたび他の龍公主の四肢再生に動いておる。

 それに合わせて中央都の様子を探っていることにも感づいたとすれば、ティボルとグリシモンの身に危険が迫っている可能性は高い。

 だから俺は、春節祭を待たず動くことにした。


 その一方で、俺は、いまだ彼女たち龍公主の四肢欠落の意味や、四肢再生の禁忌性というものをあまり深く考えてこなかった気がする。

 ようは、彼女たちの四肢が戻ることで攻撃性の高いステルス戦闘機〝龍〟が扱えるようになり、この世界の戦力バランスが崩れる。あるいは、世界に散っている〝死ねない人ヴァンパイア〟にとっての〝旅〟が再開されるメッセージが送られる。その程度だろうと考えていた。


 他にもまだ何か不都合があるのだとしたら、余計なコトしてごめんと謝るほかない。


  §  §  §


「報告します。斥候部隊が【蛇遣宮ミィオーセス】第37階層から第17階層に潜入。いまだ人の気配ナシとのことです」


 某所。中央軍野営地──司令本部


 天幕で報告を聞いた総司令官ヴァシレ・アッペンフェルドは長いため息を吐いた。


「不毛だな」

「なら、私はもう帰ってよいな。アッペンフェルド」

 バトゥ都督補がコーヒーカップ片手に、気が抜けた声をこぼす。


「野戦演習にしても、いま少し張り合いがあってもよかろうに。魔物も湧かぬ無人のダンジョン相手に兵二万五〇〇〇を投入し、日程三日間では国庫の浪費だ」


「バトゥ。これも仕事だ。やれと言われたのだから、やるほかあるまい」


「斥候部隊の報せは通例どおり、第17階層まで無人だそうだぞ。この上は、盗掘屋一人に二万五〇〇〇でかかっていけたら成果ありとするのか。その盗掘屋も今夜一回の盗みが高くついたものだな」


 バトゥ都督補の軽口に、他の幕僚達から笑いが起きた。


(もっとも、斥候部隊が捜索できるのはそこまで。そこから先は管理者権限がなければ一歩も入れないようになっているがな)


 それも毎度のこと。だからダンジョン演習などは冬場にしたくないのだ。

 バトゥ都督補は不意にコーヒーカップを取り落とした。

「おっと」

 我ながら手が滑ったか。急いで拾った──つもりで、急速に視界が揺れ始め、狭くなるのがわかる。

「なに……っ。アッペンフェルド──」

 注意を促す前に、コーヒーカップの向こうでアッペンフェルドが膝をつき、やがて倒れた。さらに、幕僚将校らもバタバタと倒れ始める。


「ね、むり、こう……なるほど、敵を騙すには味方ごと、か……」


 バトゥ都督補は混乱する思考の中で、ちらりと我が娘の顔がよぎったのを自覚した。

 すまんな。異世界のタクロウ。勇者ばかりに重荷を背負わせて……後のこと、頼む。


 暗転。


  §  §  §


 眠り香。どんな物か嗅いでみたら、植物系の甘いニオイがした。

 とっさにウルダが練り香をはたき落としてくれなかったら、俺はその場で昏倒していただろう。遅効性で、後頭部を引っぱられるくらい眠気に襲われた。恐ろしい効き目だ。


「〈串刺し旅団〉が作っとぉヤツは、そこらで出回っとぉヤツより濃かけん。狼しゃんは鼻が利くけん危なかよ」


 これを親指ほどの量だけ練炭に詰め、幕僚天幕そばの暖房用の木炭箱に投げ込んだ。直接暖炉に投げ込まない分、待ち時間はかかるが確実だという。


 盗んでいくのは将軍二人。知らない顔でもないから、狙いやすい。


 覆面をつけたウルダは、バトゥ都督補から鎧をはずしてひょいと肩にかついで天幕をでる。さすが元暗殺者。子供だてらに手際のよさはプロである。俺もアッペンフェルド将軍の鎧をはずしてかつぐと後を追った。


 鎧を置いていくのは重量を軽くするためもあるが、連れ去った証拠を残すためだ。暗殺ではなく誘拐であると知れれば、幕僚達は受身となり、犯人の出方を窺おうとする。それで軍団の動きをしばらく麻痺させることができる。


 ウルダはいろいろ知ってて、追っ手が犬を放つことも考慮して惑わし香の作り方や、足跡を残さないやり方もスキルとして持っていた。俺が使わないようにしていただけだ。

 その上で、魔導具を駆使して高速移動するのだから、中央軍の追跡探索は難航するだろう。


 ウルダは、自分がつちかった知識技術が俺に披露できて誇らしいのか、誘拐作業にもかかわらず、なんだか楽しそうだった。


 そして、俺たちが人質をかついで向かったのは〈ナーガルジュナⅩⅢ〉である。


 中央軍斥候部隊の報せでは、第17階層まで調べたらしい。

 彼らはその範囲で魔物や人の姿がなかったことを知っている。最新の情報では、最下層の魔空間が浄化され、元に戻っていることも再度確認したかもしれない。

 だが、それが彼らの限界だった。


 偵察が、誰も何もなかったと断言した所に、自分たちの最高指揮官二人が隠されていると思うだろうか。先入観。固定観念。思い込み。どれでもいいが、その確定情報を打ち破ってダンジョンへもう一度入ることを上申する兵士がいるのなら、それはまごう事なき〝敵〟に他ならない。


 俺たちが全力をもって戦わなければならないのは、そういう〝優秀なへそ曲がり〟だ。


〝ナーガルジュナⅩⅢ〟に戻ると、管理権限者カード〝ティコ・ブラーエ〟を使って研究棟に運び込み、そこの仮眠室の二段ベッドにおっさん二人を寝かせる。

 ここから先は私語厳禁なのはあらかじめ人質二人に指示してあるが、念のためにもう一枚〝白紙の書き置き〟を残していく。


【ティボル消息不明。中央都へ向かう】と。


  §  §  §


「タンパク質成長促進漿液、注水開始」

「注水開始」


「漿液バラストタイマー、九時間二八分」

「漿液バラストタイマー、九時間二八分。ヨシ」


「水槽内温度二七℃。外気マイナス七℃。確認」

「水槽内温度二七℃。外気マイナス七℃。確認ヨシ」


 ガラス窓の向こうでドラム型洗濯機のような箱の魚眼窓にウルダが中にいる少女に手を振っている。相手は、赤銅龍公主カプリルだ。


 一方で、操作卓コンソールをあやつっているスコールは、真剣そのものだ。


「よし。これで朝頃にはカプリル様の四肢再生が完了するはずだ」

「ふぃ~……疲れたあ」

 イスの背もたれに背中を投げ出した。

「あと二人いるからな。頑張ってくれよ。スコール反乱軍司令官代理」

「狼ーぃ。早く帰ってきてくれよぉ」


「始まったばかりなのに、泣き言が早いよ。なるべく早く帰ってくるつもりだけどな」


「ティボルのこと。死んでても連れ返してきてくれよ」

「うん……、そのつもりだ」


 俺はマイクボタンを押して、ガラスの向こうに声をかける。


『ウルダ。そろそろ行こうか。──カプリル様。四肢再生後は秘密兵器カプリル・アラムをいよいよ投入します。再生後はスコール相手にしっかり準備運動をお願いしますね』


 魚眼窓から少女がこちらに目を細めるのが見えた。俺はうなずいて回線を閉じた。

「あの姫さんも戦闘に?」

 スコールが伸びをした状態で行儀悪く俺を見あげてくる。


「龍公主全員だよ。相手がここを攻めるのなら、まとまった数で来る。スコール一人じゃ、さすがに負担も大きいからね。それも大公の息がかかった特殊部隊だ。カプリル様は、カラヤンさんから初顔合わせで一本獲ったらしいから、戦力として期待できるよ」


「ハァッ!? おっさんから? マジかよ」

「カラヤン隊じゃ有名らしい。できるだけ早く戻ってくる。それまで頼むよ。司令代行」

 俺は少年の肩を叩いて、制御室を出た。

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