第2話 堕落の聖杯(2)


 時間にして、20時24分。

 ロイスダールは、馬を駆ってティミショアラの城壁に近づいた。

 閉じられた城門の前では、篝火が煌々と焚かれていた。


 まだハーフマイル(約800メートル)離れていたが、顔認証システムの範囲内だった。

 その中央には円卓。翡翠の甲冑を着た十五、六歳の少女が卓の最奥に座っている。

 ニフリート・アゲマント本人に相違なかった。


(Vマナーガ装備を解除していない。ならば、いつでもあの円卓が武器になる)


 龍公主の右を固めるハゲ男は記録にないが、左につく女騎士には検索ヒットした。元龍公主付き護衛役メドゥサ・ヤドカリニヤだ。着任期間は、ほんの40日。


 宮廷では切れ者で変わり者。ニフリートが個人的に登用したお気に入りの衛兵という情報がある。女性の身で近衛騎士と立ち合って八人抜きをし、翡翠軍近衛屈指の剣士と賞されている。

 付記事項に、女官からたいそう人気で退官して故郷に帰る際は、泣き崩れる女たちも多かったとか。


(それが、なぜここにいる……っ)


 駐留軍幕僚の間で、拠点制圧に動く際、厄介な抵抗を受ける要注意人物の上位と目されていたのが、あの新人騎士だ。駐留軍が手間取っているのは、この女が魔狼の王討伐に呼び寄せたカラヤン隊と称する傭兵集団を連れて帰国するのを待っていると思っていた。


(もはや今更だ。あとデータに引っ掛かるのは……レイ・シャラモン!?)


 帝国魔法学会の上級枢機員。通称〝水蜘蛛〟。10年前の帝国政変で旧体制ラウルス2世側に汲みしていたことで逮捕され、今上皇帝から登用の誘いを断ったため、流刑を宣告。その後、行方知れずになっていた大魔術師だ。いつ公国入りし、アゲマント家と知己を得たのだろう。それにしても、


(ベラスケス。レンブラント……なぜ連絡を寄こさないっ)

 思わず馬上でうなだれて、ロイスダールは同胞を呼びつづけた。その時だった。


【EMERGENCY】【EMERGENCY】【EMERGENCY】【EMERGENCY】


 突然目の前が真っ赤になり、聴覚センサーに敵襲を報せる警告アラームが叩きつける。

「こちら、アトリエ。──ローランドソン。敵襲か。どうした」


『アトリエ、応答せよ。ローランドソン、クルックシャンク、ビアボームが〝聖杯〟に喰われた。応答せよ、アトリエ──ロイスダール。指示を──』


 ──〝聖杯〟に喰われた?


 思わず馬を止めて後方を振り返り、発声していた。


「なぜだ。エリス・オー。あの呪わしき聖杯を……なぜ我々に」


 エリス・オーがこのタイミングで裏切った。

 なぜだ。ナゼダ。WHY……WHO? 


 誰を。


(あの魔女は一体何のために、?)


『あなた。を見たことはある?』

『質問の内容が不明瞭です。お答えできません』

『でしょうね。洒落っ気もなしか……気詰まりな優等生ね。統括評議会はものね』


〝この人でなしっ。あんた、すら見たことないんでしょうっ。このロボット人間っ。タクロウを、私の友達を、本物の人間を見殺しにしてきて、戦場の英雄を気取るんじゃないわよ。このゲシュタポ! ファシスト!〟

 

 削除したはずの音声ファイルの断片が、聴覚センサーに再再生された。3000年ぶりになる二つの声紋が同調した。ロイスダールは自分が驚くという表現に脱力を選んだ。


「電気ヒツジ……っ。おのれ、おのれぇええあの女ぁあっ。ミユ・ハセガワ・ホープキンス。謀ったな。謀ったなぁああっ!?」


 ロイスダールは、人がそうするように魔女に届かぬ怨嗟を吠えた。こんな汚濁した声が出る自分に驚いたし、失望を禁じ得なかった。

 中央軍司令官代行は、講和会談の直前、くつわを自軍へ戻して馬の腹を蹴った。


  §  §  §


「お馬さん、帰ってくーっ!」

 城壁の上からギャルプが望遠鏡片手に叫んだ。持ち主(取得時効中)のユミルはフレイヤと炊き出しを手伝っている。

 円卓のおとな達は一様に眉をひそめた。


「何かあったようですね」


 シャラモン神父が、カラヤンを見る。


「ああ。このタイミングで龍公主の召集拒絶だ。よほどのことがあったな」

「カラヤン。どうする」


 メドゥサが鋭い目を向けてくる。戦う気満々だ。カラヤンはうなずいた。


「ここを引き払って、城内に入るぞ。──シャラモン。上の子供たちを降ろせ。──ニフリート。翡翠軍を北に集めろ」


「承知しました」

「了解っ」

「それと」

「バトゥとアッペンフェルドを呼ぶのじゃろう? わかっておる」

「うん。頼む。中央軍本隊とぶつからないようにな」


 ニフリートは快活にうなずくと、腕を振って城門を開けさせた。


「ねえ、ちょっと聞きたいのだけれど」


 突然だった。篝火の影から声をかけられて、その場の全員が凍りついた。

 黒いフードローブ。白い仮面が篝火の後ろ、いや火影の闇から顔を出す。


(魔女……っ!?)


「ディスコルディア……今度は何を企んだのです」


 シャラモン神父が表情を消して言った。カラヤンもこれまで見たこともない旧友の表情かお。初めて出会った頃の、人を人とも思わない声音だ。


「あっ、あなたには関係ないことよ……

「それが、毎回あなたの後始末をやってきた〝私たち〟への言葉ですか」


「……っ」


「あまつさえ、この私と面を付き合わせておきながら、釈明なくこの場を去ろうというのなら。異端審問官を──」


「わ、わかったわよっ。……〝堕落の聖杯〟を、発動させた」


「停止条件は」

「……つけてない」


 シャラモン神父は、しなやかな指でこめかみを押さえた。


「まったく、多くの高名な魔術師が苦労して酸湖の奥底へ封眠させたあの呪物をどうやって……。あなたはどうしてそう、いつもいつも……っ」


「悪いとは思ってるっ。でも好機を逃したくなかったっ!」

「あなたの私怨を、この世界に持ち込まないでくれとお願いしたことは」

「もちろん、憶えてるわっ。でも……っ。許せなかった。アイツも、アイツを擁護した大公も、この国も全部」


「アストライアには会いましたか」

「人工子宮越しだけど、会った……、口も聞いてもらえなかった」


「そうでしょうね。彼女はあなたを許さないでしょう。それだけのことをしたのです」

「……っ」仮面がしょんぼりと落ち込む。


「ということは、あなた方の欲していた〝新アルマゲスト五次元座標星儀〟は聞き出せなかった。そうですね」

「うん……」


「おい、シャラモン」

 カラヤンが声をかけた。神父は軽く手で制しつつ、まっすぐ仮面を見据えた。


「聖杯から、大姦婦カスディアナは」

「まだ見てない」


「見てない? 師匠の話では、前回真っ先に現れたところで首を刎ねたそうです。ということは、復活は不十分。急ぐ必要がありますね。まったく。なんということをしてくれたのでしょう」


「だ、だからっ、悪いとは思ってるって言ったでしょ!」


「悪事にも程度というものがあります。やる前に取り返しがつかなくなるとわかっていても、悪のたしなみとして、なんらかの最低保護措置を残しておくものです」


「メタかよ……。あの〝堕落の聖杯〟に、どんな保護措置ができたってのよ」

 仮面の裏でグチったつもりだろうが、籠もって逆に外へ大きく聞こえた。


「あなたのような魔法から寵愛を受けた者になら、であってもできたでしょうが」

「知らない。わたしは別格ポジョニじゃないもの」


 その時、城壁の上で悲鳴があがった。

「どうしたぁ!」カラヤンが城壁を見あげる。


「ギャルプが突然目を押さえて倒れましたぁっ」上から護衛役のロイズが叫ぶ。


 冷薄だったシャラモン神父の表情に人間性が戻ってきた。

「聖杯の邪竜を見てしまったのでしょうっ。──ニフリート様。お手数ですがギャルプのそばにお願いしてもよろしいでしょうか」


「うん、任せるのじゃ」

 龍公主はあっさり応じて、その場を跳躍した。マナスラスターでひと息に城壁に到達する。


「すげぇもんだな」カラヤンもあ然と古代魔法技術を見あげた。

「感心している場合ではありません。早急に次善策を。──ディスコルディア。あなたは当事者です。再封印に協力なさい」


「……いやよ」


「いい加減になさいっ!」

 シャラモン神父がいつになく声を荒げた。


「私怨を遂げたければ、適正な道具を使い、あなたのその手で、本人だけを狙いなさい。魔法界の禁呪物を私怨に使うなど言語道断っ。無関係な周囲を巻き込むことは、あなたの私怨を誰にも正当化できないものにしてしまうのですっ」


「それでもいいっ。もう、それでいい……っ」

「なんですって?」


「そもそも、北千歳戦役はこの世界に関係ない事件だったし。それでも、わたしはあの中央軍にいる将校全員を皆殺しにするっ。そのためだけに、あいつらのふねに乗ったんだから。

 絵が上手だとか。動物と話ができるだとか。六〇〇年先のカレンダーを暗記してるだとか。そんな曲芸を統括評議会が面白がって乗せてくれた。でも、あいつらもクソだった」


 仮面の魔女は二つの穴から、シャラモン神父を刺すように見据えた。


「統括評議会の十六人中一〇人が、北千歳戦役の救助活動をアンドロイド部隊に任せたことを承認した国際連合軍の当事者将校だった。あの採掘艦は厄介払いの方舟だった。なら、わたしは、あの戦役を見捨てる決定を下したすべての当事者を殺してやる。そう決めた。

 この世界に流れ着いたあとも、三千年以上かけてその準備してきた。たったひとりで、一流の魔法使いになって、帝国や公国に取り入って、大公に近づいたっ。

 この世界の誰も、わたしを止められない。わたしはどんな犠牲を払っても、タクロウの──大好きだった友達の仇を討ってみせるっ」


(タクロウだあ? ……まさか、あのタクロウじゃあねえだろうな)


 魔女の言っている内容の半分も理解できなかったカラヤンだったが、最後の名前だけ心当たりがあった。思わず聞き出そうとしたが、横からシャラモン神父が袖を素早く振って制してきた。


「ディスコルディア。もう一度言います。再封印を手伝いなさい。今回の悪業を私に帝国魔法学会へ通報されたくなければ」


「やれば」

「ミユっ!」


「うっさい、もううっさいのっ! でっち上げ。捏造。改ざん。嘘で固めたドロドロ機関、それが帝国魔法学会のやり口じゃないっ。あんたらも統括評議会と一緒よっ。今更うそつきたちに爪弾きにされたって痛くも痒くもないんだから!」


「それが事実だとしても、帝国魔法学会という堅牢な組織を侮ってはいけません」


「ポジョニの名前を担っておきながら、目玉を差し出して自分から脱けたくせに、いつまで説教垂れるわけ? うんざりなのよっ」


 自分から脱けた? カラヤンは困惑する顔を旧友に向けた。

 シャラモン神父は言い返さず、別のことを言った。


「なら、ミユ。なぜここに現れたのです」

「それは……」


「警戒したのでしょう。あの高等魔法を使うむちゃくちゃな男が、またぞろ計画の邪魔をしに現れるかもしれない。追いかけられないように情報を集めておきたかった。

 そこにちょうど折よく、知り合いの魔術師の顔を見つけた。それとなく居場所を聞いてみよう。──違いますか?」


「……っ」

「生憎、彼はいませんよ。まだダンジョンです」


「ダンジョンっ!? ちぃっ、そっちか。アストライア、殺しとくんだった」


 せつな、仮面魔女のいた足下から氷剣が生えた。篝火台が火の粉を散らして高々と吹っ飛ぶ。灯りが失われて闇に戻った地には、白い仮面だけが墜ちていた。


 シャラモン神父は興味が失せた様子で、城門へ足早に向かっていく。


「おい、シャラモンっ」

「ギャルプが心配です。申し訳ありませんが、細々した釈明は事態集束後に」


 我が子の危機に切迫をこめてふり払われては、カラヤンも女房と顔を見合わせるしかなかった。

「おっ、カラヤン。今、動いたぞ……」

「えっ」

「ふふふっ。なんだかな。私が楽しそうにするとお腹を蹴ってくる気がするのだ」


「お前。この状況が楽しいのかよ」

「いや楽しくはないが、ワクワクする。海賊の血のなせる業かな」

「だとすりゃあ、きっと生まれてくるのは豪放な息子だな」

「娘だったらどうする?」


「まあ、なんだ。うちの母親にあやかって……サリアスって名前を考えてるんだ。どっちでも通用する名前だろ。どうかな」


「ほほう。ふふっ。やけに気が早いではないか。亭主どの」

 メドゥサがからかい口調で脇腹をつついてくる。


「いや、中央都で偶然生き別れた母親に会ってな。許可をもらったから、それでいこうかと」

「なに!? そういうことをなぜ早く言わんのだ。ご挨拶したい。いつ会える」


「今、ダンジョンで狼といる。たぶんそのまま、狼が振る舞う春節祭のメシで釣れるんじゃないかと」


「なるほど。了解した。その作戦でいこう。魔女は見たところ、逃げ足が速くて捕まえるのが大変そうだからな」


 カラヤンはうなずき、おもむろに東の彼方を見た。

「夜空に紫電が走ってやがる。和気藹々と家族の親睦を温めさせてもらえるとは思えねぇがな」

 妻の腰に手をそえて城門を潜る。


 中央軍の阿鼻叫喚は、彼らの仲間に攻撃を受けたティミショアラまで届くことはなかった。

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