第26話 難民、勝手に町を建てる


 セニの町に戻るまでには、カーロヴァック市から馬車で、さらに三日かかる。


 久しぶりに見るセニの港町も雪で真っ白。そして海は相変わらずの真っ青。


 ティミショアラで十四日の足止めをくらって、四〇日ほどの長旅となった。

 たった一ヶ月ちょっと離れていただけなのに、そこはかとなく町が大きくなって見えた。


「町の外に、知らない町ができてる?」


 ひとまず俺は自分の貨物馬車を町外れの反射炉へ向かわせる。カラヤン夫妻を乗せた寝台車は、ヤドカリニヤ邸にくつわを向けた。


 反射炉の前ではレンガ職人兼ガラス職人兼精錬工が、出迎えてくれた。

 工房長のカルヴァツ爺さんと握手する。


「ただいまです。石炭と鉄鉱石を買ってきました」

「鉄鉱石だとっ? 〝七城塞公国〟のか?」


「ええ。ティミショアラと鉄鋼精錬の仮契約をとってきました。その鉄鋼インゴットをこっちで試作するための材料です」


 とたん、カルヴァツ爺さんの顔が険しくなった。


「するってぇと何かい。それで向こうが承諾すりゃあ、ここはガラス窯じゃなくて鉄鋼精錬所になるのか?」

「そうなりますね」

「ばかやろう」勘弁してくれ。そんなニュアンスを多分に含んだ声で嘆かれた。「あのザマを見りゃあ,分かんだろうが」


 親指で後ろを指さされて、俺も頷く。

 人が増えてる。ガラス瓶も増えてる。いわゆる、フル稼働という状態だ。


「お前の造ったハドリアヌスガラスが、ワイン醸造所を中心にあちこちでウケにウケまくってるらしい。ヤドカリニヤ商会から毎日、発注がやってくる。嬉しい悲鳴だが、どうにも人がたりん」


「それなら、人を増やして増設しましょう。もう一基。今度はガラス窯のちゃんとした物を造りましょう。ガラス製造には大きすぎる精錬炉なので、燃料効率に余剰がありましたから」


 カール爺さんは、顔を忙しく左右に振った。お前はまるで分かっちゃいねえよとばかりに。こういう芝居じみた感情表現をするアメリカ的な人は嫌いじゃない。


「だったら。このクソ忙しい最中に、引っ越しせってのかい?」


「どの醸造所でもワインの瓶詰め作業は終わっています。今注文されているのは来年分のはずです。ガラス製造は今を乗り切れば、春頃には暇になりますよ。それまで頑張りましょう。

 ガラス窯はとなりに耐火レンガを積んで造るだけです。反射炉と違って、そんなに大きなものはいらないですから、少し作業が楽になりますよ」


 あとで図面描きますね。そう約束して、馬に空荷車をつなぎ換えてヤドカリニヤ商会へ向かう。

 ヤドカリニヤ邸では、人がひっきりなしに出入りしていた。


「おーい、そこの馬車」

 馬車を敷地に入れようとしたところ、知らない若者に呼び止められた。

「荷馬車は裏に回ってくれ。ここは来客用だ」

「あ、はい」


 言われるまま、馬車を壁沿いに裏へ回る。すると、ずらっと荷馬車が七台も並んでいた。すべてヤドカリニヤ商会の運搬車両だ。

 なんか、すごいことになってきている。ナディム・カラス専務も今ごろ、きりきり舞いしているんだろうか。


  §  §  §


「きりきり舞いと言うほどでは、ありませんね。それなりです」

 ナディム専務はクールに言った。

 ヤドカリニヤ家居館・食堂。

 披露宴会場から化学実験まで幅広く使われた場所で、俺の到着を待って報告会が始まった。


「ただ、有り体に申し上げて、ヤドカリニヤ商会はあなた方がいない間に営業範疇を越えました。商会としての経験も不足もさることながら、深刻な人材不足です」


「たった三〇日でか?」

 カラヤンが言った。チャンドラ専務はうなずく。

「そうです。たった約三〇日で、です。マンガリッツァ・ファミリーおよびバルナローカ商会から発注を受けた件数は合わせて五六三件。


 石けんの個数で、十六万八四七一個。ガラス瓶二万八二六〇本。概算売上げ推定額約四〇〇〇万ロットの黒字を計上しております。しかしながら──」


「これ以上の事業を拡大するには、人手がほしいってことだな」

「はい。それも数字に明るい優秀な人手。強いて申せば、商人。ヤドカリニヤ商会の正式な手代(従業員)の増員が不可欠です」


「相わかった。それでどうすればよいのだ? 手頃な人材はいるのか?」

 メドゥサ会頭が言った。


「ございます。ノボメストの難民の中に何人か」

「この町にノボメストが?」


 チャンドラ専務は眼鏡を押し上げて、


「いいえ。町には入ってきておりません。ですが、町の外。リエカの領内に集落を造り始めたのです」

 そのせいでセニの町が大きく見えたのか。


「勝手にか?」

「勝手にです。先日、タマチッチ長官も側近を使って彼らに勧告を通達したようですが効果はありませんでした。現在、五〇〇〇人規模を展開。文字通りの集落となりつつあります」


「賢いな。リエカはネヴェーラ王国領内だからな」

 セニの町は、ジェノヴァ協商連合ヴェネーシア共和国の飛地とびちだ。


「そして、彼らは食料調達のため、禁漁海域で漁業を始めました。それで今度はスミリヴァル会頭代行が頭を痛めておいでです」


 メドゥサ会頭が顔をしかめた。


「父上は、漁業組合の組合長もしている。国境付近で漁業税をどちらに払わせる権利があるかで、リエカ漁業組合と揉めかねないな」


 カラヤンが面倒くさそうに首筋をかく。

「追い払うかどうかは、領主の胸ひとつだ。港湾都市リエカは国王直轄。禁漁区域の所管はリエカ地方長官だが、この冬の時季に同じネヴェーラ王国民を無下に扱うのも忍びねえ。ああ、それで領主が動き出す前に、こっちでまず商人を引っぱろうって話か」


「そこまで人道的な理由ではありません。商家繁栄のため、背に腹は替えられないというのが、偽らざる本音です。自分は信用取引権はお預かりしておりますが、人事雇用権はスミリヴァル会頭代行の職権です。

 現状、この町の経済・安全保障の観点からもリエカとの連繋を彼らによって綻びを生じさせるのは得策ではないと愚考いたします」


 言葉の端々にちらっと前職が混じったが、誰も気にしなかった。


「狼。どう思う?」

 カラヤンに水を向けられて、俺は首を傾げた。


「正直、流れてきた町が分かっていても、今の忙しいヤドカリニヤ商会に余所者を引き入れるには相応の覚悟と度胸が必要ですね」

「だなあ」

 カラヤンも即座に首肯した。


 忙しさにかまけて見ず知らずの商人を雇って、横領や背任行為をされるおそれがあった。

 ネヴェーラ王国は今、帝国との戦時下にある。ノボメスト商人はそれまでの商売をかなぐり捨てて逃げてきているはずだ。そこにきて、まとまった金を手にしたら、それが商家の公金でも元の生活を買い戻しに走ることは充分考えられることだ。


 実はヤドカリニヤ商会の石けん販売ルートは、今の戦争特需に乗っていない。


 販売輸送する商人が交戦地帯に巻き込まれて商品と一緒に消息不明に陥る可能性があったからだ。儲けに固執するあまり、大事な手代を失っては元も子もない。

 他の商会にも、商品生産が追いつかないことを理由にして了承を得ている。


 軍に売りつければ儲けが莫大でも、株仲間という枠の中で寡占商品を扱っているために、外部商家との繋がりがおそろかになる。

 商売ルートを二大商家に頼っておんぶにだっこされている現状では、長期的に安定したヤドカリニヤ商会独自の流通網は築けない。


 しかし、ノボメスト商人は、そうは見ないだろう。

 難民の立場で見てきた情報を元に、リスクを推して雇用商家の意向に反しても軍へ石けんを売り出せば、濡れ手に粟だとすぐ気づける。


 現に元ノボメスト衛兵隊長ラシュコー中尉は、ノボメストで石けんを使っていたらしい。商人であれば、商品認知だけでなく、どれだけの儲けを出す商品かまで弾き出せるだろう。

 そのまま商品と売り上げを持ち逃げされては、商会の沽券に関わる。


「ですが、このままでは製造所の手代が倒れてしまいます」


 ナディム専務の忠告に、メドゥサ会頭が眉をハの字にする。


「当面の人員か……父上は?」

「今日は商工会で会議です。お帰りは夕方になるそうで」


「あの、バルナローカ商会やマンガリッツァ・ファミリーから人手を回してもらうことはできますか?」


 俺のうかがいに、ナディム専務は厳しい顔をした。


「実は、バルナローカ商会にその旨の書簡を送りましたところ、ティボルさんとマチルダさんのどちらでもいいからレンタル移籍契約を解除できないかと返信が来ました。二日前のことです」


「レンタル移籍契約の解除ですか?」俺は目をぱちくりさせた。


「バルナローカ商会は暖簾のれんを割って、帝国側と王国側双方の兵站へいたん提供に動いているようです」


 カラヤンはハゲ頭をペチペチと叩いて、大きなため息をついた。


「とっつぁんもさといねぇ。帝国もこっち側の商家を丸め込むことを隠さなくなってるな。──ナディム。ノボメストは今、王国側が奪還したぞ」

「えっ」

 ナディム専務がカラヤンを見る。


「十日前だ。〝七城塞公国〟の情報機関筋から聞いた話だから間違いねぇよ」

「ヴァンドルフ中将亡き後の王国が、帝国を押し返した。にわかに信じられませんね」


「うん。おれもそう思う。だが、そうなるとノボメストの難民がここに定住する構えをみせてることが、逆にきな臭くなってやしねぇか?」


「単に、彼らに情報が届いてない、とも考えられます。あるいは、春になれば、また戦況が動く可能性も残っています。冬いっぱいを比較的暖かい海で様子を見る気なのかもしれません」


「なるほどな。だが、それだけの余裕綽々の難民生活なら、とっくにテメェの町に帰ってるだろ。ノボメスト三〇万人がごっそり町を捨てたんだ。帝国も王国も、ノボメストをどう扱うかが見物みものだな」


「のんびり見物けんぶつしている場合ではないぞ。カラヤン」


 その声と共に、スミリヴァル族長が入ってきた。

 ひと目見て、彼は太っていた。


「スミリヴァル。夕方まで会議じゃなかったのか?」

「三日続けて妙案が出なかったから、さっさと散会して帰ってきた。この町の老人達は相変わらず思考停止だ」

「父上……あの、お太りになられましたか?」


 娘のメドゥサ会頭が思わず指摘したくらいだ。服のボタンも窮屈そうだ。

 父は四〇日ぶりの再会を喜ぼうと、娘に両腕を広げた。


 そこに俺が、牧羊犬のごとく割って入った。


「申し訳ありません。親子の抱擁の前に、うがいと手洗いをお願いします」

「うがい? なぜだね、狼どの」

「そのご報告も、後ほどメドゥサ会頭からございます」


 父は怪訝そうに娘を見る。けれど娘が恥ずかしそうにうなずくと、すぐに察したらしく、急いで食堂を出て行った。

 廊下で奥方の名前を呼びつける声も軽やかにスキップをし始めた。

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