第14話 翅を伸ばすには狭すぎる(3)


 彼女の背中──ブラウスの下から、緑光の詠唱痕タトゥが発動した。

 俺は、それを止められなかったし、彼女も止めて欲しくなかったのかもしれない。


(怪力の秘密は、付呪魔法……?)


「なら、先月の貴様は〝爆走鳥亭〟で何をした。酔いに任せて、私の起業を手伝ってくれているロジェリオを斬り殺そうとしたんだっ。あまつさえ、あそこは町の公の集会所。ロジェリオはその主人だぞ。

 その場にカラヤン・ゼレズニーが居合わせた幸運がなかったら、町すべてがウスコクを不穏分子として処断していたと、なぜわからんっ」


「ガタガタうるせぇんだよっ! この町は先祖代々ウスコクのもんだ。それも、次期族長のオレのもんだっ。ロジェリオはウスコクを裏切った。てめぇも片肺の死に損ないだから、族長たちに哀れまれて見逃されてるのを勘違い──」


 メドゥサ会頭は、最後まで弟の妄言に耳を貸さなかった。胸倉を掴むや、自分と同体格の弟をハンマー投げの容量で振り回し、海へ投げはなった。

 俺はしばらくその放物線を眺め、防波堤からたいぶ離れた海上にあがった水柱を見届けた。


「バカラル。ヤストログ。お前らも後を追って頭を冷やして──」

「はい、そこまで」


 俺は、横からメドゥサ会頭の両肩を掴んで押しとどめた。せつな、俺の魔法陣が彼女の体内にたぎる魔力をうまそうに吸いこんだ。


「っ!? 狼どの。今なにを……っ?」

 俺は両手をハンズアップして顔を振り、それでも痴漢はやってませんとアピールする。


「あれなら、しばらく戻ってこられません。今ならちゃんと彼らの面接ができます」


 扇動者がいなくなると、こうも違うかという態度の変貌だった。二人は年齢相応に緊張し、怯えた顔で押し黙る。俺はじっと見据えた。


「きみらもメドゥサさんの下について仕事がしたいんだろう? ならさっきも言った。きみらの得意なことを教えてくれ。もちろん。破壊や暴力以外で、だ」


 二人は揃って尾羽うち枯らした様子でうつむいた。


「得意なことっつっても……字もそんなに読めねぇし、計算もできねぇし」

「あと……やれそうなことって言ったら、船動かすくらいしか」


 あるじゃないか。得意なこと。


「どの程度の船なら動かせそうかな。釣り舟とか?」

「馬鹿にしてんのか。お前」割と真剣に睨まれた。


「すみませんね。陸育ちなもので」一応あやまっておく.


「……ちっ。マルヴァジア級──はさすがに無理だけどよ」

「マルヴァジア?」

 俺はメドゥサ会頭を見る。彼女は冷めた顔で嘆息する。


「中型貨物船だ。水夫が二五人から必要になる。しかし小麦袋なら四〇〇袋まで積載可能なのでハドリアヌス海近海の主流になってる商業船だ」


「でも姐さんっ。おれ達、ヤンチャールなら仕切れるっす。積載は少ないけど、あれならヴェネーシアまでだっていけるんだ!」


「たわけ。ヤンチャールだと? 五人乗りこめば一杯になる遊行レジャー帆船セールではないかっ。お前らは、わが商会の金でヴェネーシアへ遊びに行くのか?」


 鼻先で小馬鹿にするメドゥサ会頭。弟の取り巻きだ。文字通りの坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのだろうか。軌道に乗りかけている自分の会社に、放蕩息子二人コネ入社させるのも不本意で仕方ないと顔に書いてある。


「きみらの技量でヤンチャールに乗って、ヴェネーシアまで何日で行ける?」

 俺は訊ねた。ただのヒラメキとして。


「狼どの。この者達の話に乗ってやることはないぞ」

「彼ら働かせられることが、今後の商売として重要なことですよ。会頭」


 俺は目顔で、メドゥサにも真剣になるよう促した。


「きみたちも勘違いするな。これは雑談じゃない。試験だ。このセニからヴェネーシアまで、何日で行ける? 何日で帰ってこられる?」


「えっ、マジかよ」

「なんだ、嘘かよ」ちょっと茶化してみる。


「嘘じゃねえって! バカラ……四時間か?」

 ヤストログがとなりに真顔の声をかける。


「おれとお前で? ……うん、だな。今の時期なら群島を抜けた直後に風を掴めればそれくらいで着けんだろ。帰りは、潮にのって沖を廻れば、往復で半日か」


「三人いれば?」

「はっ。ヤンチャールは頭数じゃあねえよ」


 誇らしげに船を話す彼らの目は活き活きと輝いていた。よほど船に乗るのが大好きなのだろう。


「操舵と航海士と甲板の割り振りがないんだ。二人いれば舟のすべてをやれる。三人目はむしろ荷物だ。船酔いでもして船室に転がっててくれた方がいいや」


 ベテラン船乗りじみた生意気な口ぶりに、メドゥサ会頭が無言で少年達の胸を優しく小突く。そこでようやく二人に余裕が生まれたのか笑みが浮かんだ。


「でも、きみらはいつも三人組だったよな?」

「……っ」二人が現実に立ち返った顔で、ちらっと海上を見る。


「正直、パラミダさんとはもう……な?」

「ああ、ついて行けねぇってか……うん」


 主従の人間関係でたまりにたまったうみが出てきた。俺は踏みこむ。


「パラミダの得意なことって、何かありそう?」

「得意……物を壊すことと、酒飲んで暴れること?」


「あいつが飲み始めると、女も怖がって寄ってこねぇし」


 真性のクズかな? いいとこ無しか。取り巻きも見出せない、リーダーの長所。

 俺は、使用者を見た。


「メドゥサさん。ヤドカリニヤ商会に船は?」


「まだない。ないが、族長に頼んで一隻くらいはなんとか都合できる。しかし狼どの。もう販路拡大を海の向こうに求めるのか?」


 マチルダから商売の基礎を吸収しているようだ。俺を訝る目が輝いている。


「もちろんです。でも本格的な進出は今ではありません。だからヤドカリニヤ商会は先を見て考えるために、周辺国への市場調査が必要と考えます。

 それに、当面の商会目標として、マルヴァジア船を一隻持つことをマチルダとも会議しましょう。それにはまず水夫二名、確保しておきましょうか」


「まぁ……狼どのがそこまで言うのであれば」


 波止場で下手くそな戦略プレゼンテーションだったが、メドゥサ会頭は納得してくれた。本当に個人的事情から嫌々といった様子の会頭とは対照的に、男子二人は握手しあって採用を喜んだ。いや、単に舟に乗れることを喜んでいるのか。


 俺は、そこに五寸釘を差す。


「喜んでばかりもいられないぞ。ヤドカリニヤ家からヤンチャールを一隻借りられたら、それでヴェネーシアまで情報収集をしてもらう。失敗は許されないからな」


 そこまで言って、俺は海を見た。

 海面に浮かんでいるはずのタコ頭は、もう見えなくなっていた。


  §  §  §


 夕食後、会議はいつもの〝爆走鳥亭〟のテーブルで行われた。

 新装開店ヤドカリニヤ商会の石けん販売は、品薄状態が続いている。


 個数限定というのも、お客様の購買心を刺激する物らしい。毎日必ず出店しているせいか、客足は遠のく様子は今のところない。


 製造部門に、ロカルダという少年が加わっても、翌日に在庫を残せるほどの絶対必要数が確保できていない。


 マチルダは、販売部のマルガリータの人脈を使い、製造の人手を集めてもらってはどうかと提案してみた。

 でも、狼さんの「営業と違い、製造工程の秘密保持の対策が遅れている」という点から、はねられた。狼さんの意見が不勉強な自分にはよい教師だった。


 今日から週ごとの事業報告は、主計課長になったサルディナさんがやることになった。


 金髪に近い黄銅色の髪に潮風のダメージ皆無。メドゥサ会頭からサリーと呼ばれていた。付き合いは長いらしいけど、どこか不機嫌そうだ。そして、あの元闇塩の売り子。


「──以上、再出店第二五日目における総売上は四八万ペニーとなり、前年の年間総売上額の二〇倍となりました」


 みんなで拍手しながら、マチルダは思わず涙ぐんだ。

 闇塩売りの時が最悪すぎたんだよお。これまでの黒歴史はおしまい。がんばれ、ヤドカリニヤ商会。


「なお、狼氏から求償されました石けん製造に使用された蒸留器の購入費やオリーブオイルなどの材料費。町市場の警備費、人件費、その他雑費を除いた現在の純利益は……二万三一八〇ペニーとなりました」


「二ロットも利益が出ただとっ! ひと月足らずでもうロットの黒字……信じられない」


 驚くところ、そこなんだ。メドゥサ会頭の放心を、マチルダは半笑いで眺めた。

 これが来年になったら、驚きもしなくなるんだろうな。なってほしいんだけど。


「とにもかくにも、売る物が足らなすぎるか。なあ、狼」

 完全に社外取締役ヅラで、カラヤンの旦那がビールジョッキ片手に批評を入れた。


「そうですね。石けんに香油を混ぜるのはいいアイディアだったと思ったんですが、ここまで手が回らないのは作業工程を広げすぎた感は否めません。

 当初は、闇塩売りでのヤドカリニヤ商会のお貴族商売イメージを一刻も早く払拭ふっしょくするために華々しく始めました。でも最初は無香料で、ネヴェーラ製との洗浄力の比較で足場を固めるべきでしたね。

 あとマルガリータさんの人脈を軽視し過ぎていました。今日、客層の中にリエカからの旅行客。上流階級の女性が混じっていたそうです」


 それはマチルダも気づいた。しかもそのご婦人は三種類全部買っていった。五〇〇ペニー程度のささやかな物だったけど。これが一〇人二〇人となっていけば、利益は大きい。

 たぶん最初の時に、マルガリータさんに渡した五つの石けんの流れ先が、リエカだったのかもしれない。


「もう暢気に波止場で鍋調合しているヒマはなさそうです」

「なら、どうする」


 狼さんは席を立って、わたし達を見回した。


「セニの町郊外に、関係者以外出入禁止の工場を造りたいと思います。将来的にも石けんの製法を外部に奪われるわけにはいきませんし、大量に造る必要があります。

 そこに蒸留器やオイルタンクなんかも集めて、一気に大勢で造ってしまった方が手間が省けます」


「でも、まだそこまでの資金がないのでしょう?」

 シャラモン神父様が指摘する。


「はい。そこでシャラモン神父。二〇〇〇ロット。お貸し願えませんか」

 狼さんが神父に申し出た。


「かまいませんよ。元もとあなたのお金です」

「またぁ。それを言わないでくださいよ。もう終わった話なんですから」


「ふふっ。その担保代わりに、ちょっとお願いを聞いていただきたいのですが」

「はい。なんでしょう」狼さんに躊躇いがない。


 シャラモン神父様は、難題に自虐的な笑みを浮かべる。不安? 妥協?

「ハティヤとスコールが、あなた達の仕事に加わりたいといっているのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る