第13話 翅を伸ばすには狭すぎる(2)


 メドゥサ会頭のリベンジ成功から、数日後。

 鍛冶屋〈ホヴォトニツェの金床〉がタナボタ景気に湧いていた。


 なぜか、あのトンファーが売れたらしい。守衛庁に。

 

 俺は女将さんのヴェルビティカさんに、ペルニカ先生用の〝ロジャタ〟の試食とバラのリキュールのチェックを頼みに通う。今日で三回目。


〝ロジャタ〟は、クレーム・カラメルの固さ──プルプルしない固めのプリンくらい──を目指して作り直しているが、慣れない薪コンロの火加減に振り回され続けていた。


 リキュールを入れない基礎段階の失敗作はシャラモン一家に大好評。薪の火を睨みつけていると、後ろで「しっぱいっ、しっぱいっ」と節つきで挑発される。


 菓子作りを始めて気づいたのだが、砂糖が目玉が飛び出るくらい高い。

〝ロジャタ〟のために買ってしまったが、それ以外の菓子に砂糖を使う気になれない。もう甘味料ではなく薬だ。いっそ砂糖まで造ってやろうかと思う今日この頃。

 ゼラチンは牛骨をアルカリ処理して、煮こんだ後のコラーゲンをさらに煮詰めて抽出する。


 バラのリキュール蒸留は、やっぱり専用蒸留器を買うことにした。


 ラベンダーの香りが移ってしまえば、バラの香りではないからだ。女将さんから、「女王陛下に献上するつもりで造りなよ」と高すぎるハードルを設定された。


 一方、ヤドカリニヤ商会の石けんは、初日から順調そのもので連日完売御礼。

 品目もバラの香りが加わった。無論、醸造分の余剰を転用した。


 蒸留器アランビックもすぐに大きくし、蒸留用に借りた小屋はバラとラベンダーの香りで……頭が痛い。ただでさえ嗅覚が鋭くなってる身なのに長く吸い過ぎたようだ。


 そうはいっても、もうすぐバラの開花時期も終わるらしいから、商会で漁師町の女子供に小遣いを与えて野バラ摘みに森へ入ってもらう。抽出作業も休めない。


 あと、水酸化カリウムの製造と石けん液の撹拌かくはん作業の量が日に日に増えていく。


 撹拌は、強アルカリ成分を揮発させる作業なので、一歩間違えるとガスを吸って危険だし、お客の顔が溶ける作業なのでこちらも手が抜けない。


「なあ、狼。おれはとっつぁんから魔女狩りの仕事は受けちゃあいねぇんだぞ?」


 帰宅するなりベッドに突っ伏した俺に、湯上がり姿でカラヤンが言う。


 石けんは汚れが落ちればそれでいい、などとのたまわっていた全身無毛(眉毛を除く)おじさんが、今や入浴が楽しくて仕方ないらしい。ラベンダーやらバラやらの匂いをプンプンさせて浴室から出てくる。


「なんで、そんなに疲れ切ってまで、カーロヴァックの魔女に会おうとしてんだ」


 ごもっともな問いは、実は俺にもよくわかっていない。


「なんででしょうね。なんか気になるんです」

「あの〝過去視〟の魔眼が、か?」


「魔眼。それもありますが……」

「なんだよ」


「なぜ、ディスコルディアは、黒狐をバルナローカ商会の店ごと吹き飛ばす必要があったんでしょうか」


「そりゃあ、お前……とっつぁんを確実に殺すためだろう?」

「だったら、直接刺した方が確実じゃないですか。死亡を自分の目で確認できるわけですから」


「魔女は直接の殺しはやらねえよ」

「殺しはやらない? 人を殺しはしないって事ですか」


「違う。魔女は人が人を殺すように誘導こそするが、自分の手は汚さねえんだ」

 俺がじっと顔を覗き込むと、カラヤンは押し黙った。


「カラヤンさん。黒狐はどうして、あらかじめ家財を地下に隠したんでしょうか」

「自分が魔女に殺られて死んだ後のことを考えてだろ」


「そうですね。自分が死ぬとわかっていて、損害を抑えるために人も家財も店から出して空にした。魔眼の真贋にかかわらず争いの種になる物だと知っていたんです」


 カラヤンは腰巻き一枚でベッドの縁に座ると、


「商人は誰にも本音は言わねぇよ。第一、とっつぁんは魔法学会に記憶をいじられてる。本人だって気づかんうちに魔女が怒り狂った時は止められないとわかってたんだろう」


 ──本当に、それだけか?


「カラヤンさん。俺は、あの鍛冶屋の女将さんからペルニカ先生の話を聞いて、魔女に興味を持ったのですよ」


「ちょっと待て。ディスコルディアとペルリカが、どうつながってるって?」

「ペルリカ先生は帝国魔法学会の女魔法使いで、エウノミアも帝国魔法学会に幽閉されていました。エウノミアはディスコルディアが主宰する黄金の林檎会のメンバーです」


「シャラモンも知らない魔女の情報をそっちから引き出すのか?」


「違います。シャラモン神父にしても魔女について本質はなんら語っていませんよ。魔法使いはみんな、彼女たちのことを語らないんです」


 残念ながら──。

 カラヤンは怪訝な顔をしなかった。


 俺の言わんとしていることが理解できたのだ。

 知っているんだ。魔女という特異者たちを。


「とにかく、お前のその考えは飛躍しすぎだ。赤の他人って線も消えちゃあいねぇだろ」

「それは……そうですが。鍛冶屋の女将さんが、ペルリカ先生の好物を教えてくれたんです」

「好物?」


「バラを食べてるんじゃないかってほどの、バラのリキュールが入ったロジャタです」

「ロジャタ……それが?」


「匂いですよ。鍛冶屋の女将さんから教わったロジャタのレシピには、〝バニラの種〟という焼き菓子本来の香料がちゃんと入ってました。それなのに、バラのリキュールをたっぷり入れるんです。バニラの甘い香りをかき消すほどに。

 ペルリカ先生がもし目の見えない人で、信頼のできる匂いを頼りに皿を持つのだとしたら、〝過去視〟の魔眼の元持ち主エウノミアである可能性が出てくるじゃないですか」


「なるほどな。余計な仕事を抱えても、動き回ってる割には大した当て推量だ。だが、論より証拠だろ。実際に会ってみればお前の論説が正しいか間違ってるか全部わかる。おれは行かないがな」


「カラヤンさんは、興味ないですか?」

「ねぇな。だからとっつぁんの依頼を受けなかったのさ」


「でもカラヤンさん……魔女についての知識を持ってますよね。なのに、なぜ魔女を避けてるんですか?」


 我ながら踏みこみすぎたかと怖じ気が生まれた。でもカラヤンは怒らなかった。


「魔女だからだ。狼。そこまでだ。……もう忘れろ」


 いや、怒ってた……。静かに睨まれ、俺は追及をこの場は諦めた。この場は。

 カラヤンは過去に魔女と関わっている。と同時に、恩義があるのか。後悔があるのか。心底、懲りてもいるように感じた。


 今は黙るしかない。彼がこれ以上、魔女に関する心扉しんぴを固く閉ざさないように。


  §  §  §


 それからまた数日がたった。


 晴天の青と海の蒼さを楽しみながら、波止場で買い換えた大鍋を櫂匙かいさじでかき回していると、メドゥサ会頭がやってきた。


 人を何人か雇うことになった。と、

 雇うだけなら会頭の一存でしょう。と返したら、


「四人中三人までが、上層部たってのご下命なのだ。再教育というやつでな」


 採用は決定事項。

 自分も嫌々なんだとメドゥサ会頭は強調する。それから当人達を呼ぶと、どうやら向こうも嫌々らしい。ぞろぞろと近づいてくる足取りが足かせをつけた囚人のようだ。


 カラヤンなら即、不採用を言い渡しているだろう。「やる気のねぇヤツに、背中を預けてたまるか」と。


「すでに知ってる連中だから簡単に、紹介するぞ。右からパラミダ。第二船長の二男ヤストログ。第五船長の二男で、いとこのバカラル。そして、この者はあたしとヤドカリニヤ商会を起ち上げたロカルダ。マルガリータの三男だ」


 最初の三人は知っている。町市場襲撃未遂の主犯格、タコ坊主トリオだ。


 四人目は知らない顔。小柄で温和そうな小坊主さん。この町の男子は船乗りが多いせいか、みんな丸坊主なんだよな。


「この人達は知っていますが、彼は?」


「ロカルダは言うなれば、あたしの傍仕えだ。サルディナと同じでな」

「サルディナという方は今?」


「うん。マチルダのすすめで商会の主計を任せたら、海を得たイワシのように生き生きと動きまわっている。そのしわ──別部門へ担当を増やそうと思ってな。ロカルダを製造部門に回すことにした。ゆくゆくは管理者にしたい」


 なるほど。サルディナって人が接客から裏方に廻って実力を発揮し始めたから、それまで裏方にいたこの少年が処理能力で差をつけられたわけか。


「そうですか。──ロカルダ。石けんの作り方は、ちょっと人には言えない秘密が多いけど。守れるかな?」


 小坊主さん。嬉しそうな笑顔でこくこくと頷く。

 あれ? と思った時、会頭がいった。


「ロカルダは、口がきけないのだ」

「えっ」


「十二歳の頃、父親に水練で海に放り込まれてな。そのまま潮に流されて死にかけた。その時の恐怖で声が出なくなったのだ」


「ちなみに、今いくつですか」

「十六だ」

 それにしては身体がやや小さいか。俺が感心していると、タコ坊主トリオは何がおかしいのか馬鹿笑いした。


「それじゃあ、ロカルダは何か得意なことはあるかい?」


 小坊主さんは腕組みをして、真剣に考えこみ始めた。そして、両手で何かをかき回している。


「ロカルダは──」

 メドゥサ会頭が世話を焼くのを、俺は手で制した。


「舟を漕ぐのが得意なのかな?」

 するとロカルダは嬉しそうにこくこくと頷く。


 おや。海に投げ込まれた恐怖で口がきけなくなったという割に、彼は少しも海を怖れていない。口がきけなくなったのは、別の理由じゃないのか。わからないけど。


 俺は手招きして、化学薬品を煮詰めている鍋をかき混ぜる艪を握らせた。


「ゆっくり小舟を漕ぐようにかき回して。この液体が肌に付くと重い火傷になる。飛沫を立たせないように。液体がどろどろっとしてくるまではゆっくりでいいから」


 ロカルダは真剣に艪でかき混ぜ始める。

 俺は彼の後ろから新しい布で口と鼻を覆ってやる。


「この液体の湯気を吸いこんでも危険なのでマスクをするよ。苦しかったら、俺の手を二度叩いて。今、革手袋とエプロンを職人さんに作ってもらっているから、それが到着したら作業中は常に身につけてもらうから。いいね」


 こくこく。俺はようやく素直で真面目な助手を得た気分に安堵した。


「おい。いつまで待たせんだよっ。オレらにコイツと同じことさせる気じゃねえだろうなぁっ」


 パラミダだけが吠え立てる。

 お前は面倒くさいから、牢屋に入ってろ……ヨシ! ああ、言いたい。


「それじゃあ、何が得意なんですか?」


 俺の質問に、とっさに絶句して三人は顔を見合わせた。憮然と横のメドゥサ会頭を見る。哀れみをこめて。


「メドゥサさん。知ってます?」

「知らんな。あたしはコイツらの乳母ではないし、興味もない」


 とりつく島がない。弟を、いやウスコク側そのものを嫌っている。実家アレルギーなのかな。あ、でもロカルダは操舵長の息子か。


「えっと……それじゃあ、残り三名さんは不採用ということで。お疲れ様でした。貴殿の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます」


「おい、ふざけんなよ。この犬野郎っ」


 俺かよ。思わず目を細めた。弟はなぜか連れてきた姉に咬みつかない。怖いか。怖いよな。


「なんだその目はっ。こんな所まで連れてこられて、不採用だあ? ウスコクを舐めるなって言ってんだ!」


 威勢よく向かってくるタコ坊主が、俺に向かってきた。だが、いつもの取り巻き二人が動かない。俺の前にメドゥサ会頭が立つ。


「メドゥサさん」

「潮時なのだ。これ以上、この愚か者一人に誰かが振り回されるわけにはいかん」


 決然としたメドゥサ会頭はしかし、寸鉄一つ帯びていない。護衛もいない。


「おい、どけよっ。オレはそこの犬コロに用があるんだ」

「黙れっ! ウスコクの恥さらしがっ!」


 姉の一喝にパラミダは押し黙ったが、頭までゆでだこみたいに赤くなった。


「貴様はこれまで、何のために拳を振ってきた。ウスコクの血のためか。ウスコクの未来のためか。すべて自分の虚勢のためではないのかっ」


「うるせぇっ! だったら、たかが石けん売ったからって、ウスコクの何が変わるってんだよ!」

 潮騒の中。俺は、メドゥサ会頭の頭上で薄氷が割れた音を聞いた。

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