第13話 狼、温泉宿をつくる(7)


 お姫様との旅。

 響きはいいが、下々にとってはこれほど気を遣う旅はない。


 食事、宿に始まり、馬車の乗り心地や休憩のおやつにまで気を配り、ご機嫌を損ねれば、他の民衆への評価にかかわる。


「その他世間一般の下々なんてザコっしょ。搾取して摂れなくなったらポイっしょ」


 そんなクズ姫になったのは、俺の接待が原因……とか、考えたくもない。


「いやあ。それは狼が考えすぎなんじゃないの?」

 即刻、馬車係に笑われた。


 カプリル・アラム・ズメイはとてもいい子で、馬車で歌などを謡ったりする。声はよくて、他の子供たちから拍手が起きると嬉しそうに照れていた。


 馬休憩になると、棒杖を持ち出して木の幹に打ち込みを始める。日課なのだそうだ。

 身体を動かしていると寂しさも忘れるだ、と。

 俺は、寂しさに抗う子供の健気に弱い。〝ハガネタクロウ〟の前半生がそうだったからだろう。

 つい手を貸してしまう。


 馬車に常備してある測量用──路上の水溜まりなどの深さを測る──の樫棒を楕円に削る。おそらく、カプリルが使っている棒杖は円形だ。


【風】マナを使って三分で削ってしまう。リンクス婆さんから「マナの無駄遣い」と嫌味が飛んできた。苦笑しながら表面をヤスリで粗磨き。【火】マナで棒をいぶす。やや黒ずんだ褐色まで燃焼を進めて木を締める。それからまたヤスリで本磨き。獣皮でニカワを塗り磨けば二時間で完成。移動中の暇つぶしにしては上出来だろう。


「カプリル様。これを使ってみてくれませんか」

「ん? 重っ……おっ。でもなんや、えろぉ持ちやすいな」


 二回、三回と素振りをする。それからどんどんスピードアップしていく。やがて風切り音が某カンフー映画のヌンチャクなみの甲高い音に変わる。


 十二歳ほどの少女が持つ、ただの棒なのに。


「うん。これ、ええなあ。楕円になって握りやすぅなったわ」

 上機嫌な笑顔があどけない子供そのものなのに、なんか怖い。


「ウルダ。ちょっとこっち来て」

 俺はウルダを呼んで、その棍を持たせる。


「あの幹を真っ直ぐ突いてみて。その際に……」


 レクチャーはするが、俺自身はできない。自分にできないことを子供に無理強いさせる親がここにいます。


「ん。やってみるっちゃん」


 ウルダが棍を腰だめに構え、木の幹を鋭く突いた。衝撃で古い小枝が降ってくる。

 俺は二人を呼んで、木の幹にできた激突痕を指で示す。


「およっ、楕円のはずなのに円形になっとるわ」

 カプリルは興味深げに言った。俺が説明する。


「棍を突き出す時、ただ力任せに突き入れるのではなく、棍に回転をくわえさせました。そうすることで破壊力が増して、相手の身体に衝撃を強く押し込むことができます」


「ふーん。せやから棍棒は円やないわけか」


 普段から使っているだけに飲み込みが早い。


「はい。突きの練習をする際はぜひ取り入れてみてはいかがでしょうか。──スコール」

「んー、なあに?」


 木剣を持って素振りをしていたスコールがやってくる。


「棒術の基本の型を見せたい。ゆっくり打ってきて。上段から」


 スコールが打ちかかってくる。それを俺は棍で左右に受け流すようにかわし、その線回転を利用して横へ回り込んで、スコールの後頭部で棍を止める。それを三パターン。


「このようにして、槍の穂先を想定した力だけで攻めるのではなく、相手からの攻撃に際しての合理的な攻守の流れ。運動量を減らし、無駄のない足捌きも考えながら動いてみてください」


「おうっ。わかった! ジブンすごいなっ」


 カプリルは俺に尊敬で目を輝かせながらスコールとウルダを相手に練習を始めた。

 俺がすごいんじゃない。説明しただけでイメージできてしまう、君らがすごいんだよ。


「狼」

 夕暮れ間際。

 子供たちの稽古をぼうっと眺めていると、木の上方で望遠鏡を覗いていた馬車係が声をかけてきた。


「来たみたいだよ。オラデア方面から距離五〇〇。数7。並列。速度・駈歩キャンター


 並列は、横一列に並んだ隊列で、臨戦態勢を意味する。駈歩は、時速二〇キロくらい。


「治領線にくるまで隠れていたか。総員迎撃準備。戦闘レベル2(掃討)。俺は今から陽動で馬車をティミショアラに向ける。追尾する敵の背後から叩け。彼らの馬は迷惑料でもらい受けるから連れてきて」


「了解」

「おっしゃ、狼。うちも出るでぇ!」


 龍公主が新しい棍を地面に突き立てて、イキる。


「なりません」

 あっさり顔を振ると、カプリルは地団駄を踏んで焦れた。 


「狼~っ。敵目の前にして出られへんとか殺生やで、ほんま!」

 まるでベテランの戦闘機乗りみたいな口調。誰から教わったんだか。


「敵は格下です。秘密兵器は温存して、ここぞという時に投入するのが俺の方針です。だから早く乗ってください」


「お、そうか? まあ、うちが秘密兵器っちゅうことなら、温存はしゃあないな」


(((チョロい……っ)))


 他の子供たちが含み笑いする中、俺はカプリルが幌に跳び乗ったのを確認して馬車を走らせた。

 追っ手が誰の差し金か、誰の入れ知恵か別に知らなくてもいいだろう。どうせアゲマント治領に入れば追ってこれなくなる。まあ、その前に潰すんだけどな。

 それよりも、これからメドゥサ会頭に会わなければならない。今の俺にはそっちの方が気が重かった。


  §  §  §


「よお。早かったな。ベビー・シッター」 

「補助馬が多めに手に入ったんで早く着けたんだよ。成り上がり」


 正装が板につき始めたティボルと軽く握手する。

 おたがいに友好の握手じゃない。試合開始の握手だ。


〝タンポポと金糸雀カナリヤ亭〟。子供たちは馬車で将校団地に向かった。


「まず、ヴァンドルフ軍の動きを知りたい」

「ヴァンドルフ軍二万は、昨日キキンダ平原で旧王国軍とにらみ合った後、一騎打ちで勝敗がつかず、即日撤退している」


 俺はうなずいた。予定通りだ。ん……一騎打ちとは?


「四龍旗は」

「昨日、ティミショアラに入った。一兵も欠けずに旦那と一緒にな」

「そうか」まずはひと安心。「カラヤンさんは?」


「その旦那だが、左肩を負傷した。重傷だ」

「え、重傷っ?」


 ティボルが呆れたように肩をすくめかぶりを振った。整髪料のニオイが鼻をついた。


「命に別状はねーよ。てか、もう治りかけてる。一騎打ち中に、背後から敵の矢を受けた。向こうはてめぇの大将を助け出したい一心だったようだが、卑怯な真似をしやがった。

 幸い貫通矢でヴァンドルフ軍の早い治療もあって、大事には到ってない。今、自宅療養中」


「ほぉ……。そっか。よかった」

「で。相手は、お前も知ってる。あのパラミダだったそうだ」


「なんだってっ!?」俺は目を剥いた。


「旧王国軍パラミダ・ヤドカリニヤ・アルハンブラ。一騎打ちの前にそう名乗ったそうだ。旦那いわく、向こうでかなりの場数を踏んだらしく手強かったようだ。一瞬の差。あと一歩寄りきれなかったんだとよ。もう田舎の不良じゃなくなってるらしい。ほんのわずかな判断が遅れていたら戻ってこれなかったそうだ」


 予想外な展開に、指先が冷えた。


(こんな時に、またアイツが……アイツの武運は怪物か。底が知れない)


「それで?」

「今朝未明。ヴァンドルフ軍二万を足止めしていたアルハンブラ大隊五〇〇〇が旧王国軍を離れて、西へ向かった。おそらくエスターライヒを頼ったものと推測されてる」


「作戦中に一軍ごと戦線から脱走した?」


「旦那もバトゥ都督補もそう見てる。もともとアルハンブラは旧王国時代に二万の騎馬を差し出して尚、冷遇されていた立場だったらしいからな。ここで尻まくっても、誰にも文句を言われる筋合いはねえと踏んだんだろう。見事な退き際で夜陰に紛れてドロンだ。旧王国軍もヤツらをいまだに追ってない。案外ヴァンドルフ軍の抑えとして、使い捨てにされる予定だったのかもな」


 五〇〇〇もの兵士を使い捨てにする幕僚の能動案があったとすれば、その軍は終わってる。


「その後、旧王国軍は?」

「ここから南に行った川沿い、ベオグラードって城塞都市がある。元は旧王国最南の直轄都市で、そこを落としてひと息ついてる。グラーデン公爵に奪られていたものを奪り返した形だな。兵力は三万五〇〇〇から三万前後ってところだ。士気はまあまあ高いらしい」


 そこへドアがノックされて、アルバストルが入ってきた。俺に目顔で挨拶した後、メモ紙をティボルに渡してさっさと部屋を出た。


「……旧王国軍が、アスワン帝国の都市ヴェルシェを落としたらしい」

「いつだ」

 ティボルは正装のポケットから懐中時計を出して、

「三時間前だ。これで今後のティミショアラは南からの物流が止められたかもな」


「いや。それは、ないかな」

「あん?」

 聞き返すティボルに、俺は人差し指と親指で輪っかをつくってやった。


「あー、はいはい。関税策ね。軍費を稼がなきゃ、貴族達は自領に帰るってか」

「ただ、あまり悠長に二都市で満足してると、グラーデン公爵が諸侯への切り崩しにかかるだろう。共和国がこのまま何もしないわけにはいかないからな」


「とはいえ、ミュンヒハウゼン軍は、もう兵を動かすだけの金がねえ。本人が出張って貴族どもの反乱意思をそぎ落とす。調略戦か」


 俺はうなずいた。


「そして、グラーデン公爵とこそこそ密談してると、オクタビア王女の疑心を買って粛清が始まる。かもな」

「おーこわっ。遅かれ早かれ、旧王国軍は自滅の道か」

「ただ自滅するならいいけど、周りを道連れにされちゃあ目も当てられない」


「ああ、まったくだ。で。オレとサシで話したいってなんだ?」


 俺は耳の後ろを少し掻いて唸ると、

「ちょっとマズい相談がある」


「あん? 温泉宿のアイディアのことでか。ボス(メドゥサ)も乗り気だったぞ?」


 子供たちには競売カタログを持たせて、カラヤンとメドゥサ夫妻の居住地に向かわせた。今、この居酒屋の個室には、俺とティボルしかいない。


「すまない。本っ当に悪いんだけど。ティボルにしか相談できないことなんだ」

「えっ? えええっ。お前がオレにそう言う時って、一番ヤバいやつだよな。金か?」


「いや、女の話だ」

「はっ、女? マジかよ。お前、ハティヤに黙って何やってんだ?」

「違うちがうっ。俺のトラブルじゃ、ないんだけど……」


「じゃあ、なんだよっ、もうはっきり言えよっ」

「その、実は……カラヤンさんのトラブルなんだ」


 沈黙。


「マジか? 旦那の浮気?」


 俺はこくこくとうなずくと、背嚢リュックからペルリカ先生の妊娠診断書を封筒ごと、ティボルに手渡した。

 ティボルは封筒を開いて中の書簡に目を走らせる。

 やがて彼の額に脂汗の珠が浮きあがり始めた。


「おい。これ、マジやべぇだろ。これ!」

「うん。だから、ティボルに相談してるんだよ」


「このラリサって確か、旦那がずっと可愛がってた弟子だったよな」


「うん。元冒険者で、剣士志望だったから、カラヤンさんも昔の自分に照らし合わせて肩入れしてきた。それが俺も知らない間に……こうなってました」

「旦那は? このこと──つまり、その。ラリサの妊娠は?」


 俺はうつむいたまま顔を振った。


「ボスは?」

「セニのカラヤン隊の話では、メドゥサさんがある日、急にラリサを指名して十八番の乱取り稽古を始めたんだって。かなり苛烈な攻防だったらしくて、炎の十八番と呼んでる。

 メドゥサさんはあの強さだからボッコボコになることはないけど、ラリサはどうなったかは聞いてない。ただ、その翌日からずっと稽古を休んで雑用ばかりしてたって」


「おい、おいおいおい。そいつは結構な情況証拠じゃねーか。ボスは気づいてるぞ」

「やっぱり?」


「あの人は、男相手に海で大暴れした元女海賊だぞ。商才より剣才の人だ。理論より直感で、自分の男を寝取った敵に気づいたら、容赦なんてすると思うか?」


「うううっ。なあ、どうしたらいいと思う?」

「どうしたらって……いや、おれに聞かれてもなぁ」

 さしものティボルも、弱った様子で顔をしかめる。


「ほら、ティボルなら女性関係豊富だと思うしさ。こういうことは」

「確かに別れ際でトラブったことはあるし、あちこちで聞きかじってもいるが、おれはそこはちゃんと処理してたって」


「じゃあ、お金で解決?」

「まあ、それもあるし、相手が妊娠したと勘違いして独りで盛り上がってたり、手切れ金を吊り上げるための狂言だったり。とかな」


 結構、トラブってるな。イケメンもいいことばかりじゃないのか。


「でも。名薬師ペルリカ先生のお墨付きだよ? しかも本人は産みたいって」

「産みたいって言うなら、産ませりゃいいじゃねえか」

「ティボル。簡単に言うなよ」


「簡単じゃねえよ。ただ、認知はダメだと言い含めなきゃならねーだろがな」

「う……やっぱりそうなるか」


 ティボルはぴしゃりと自分の膝を叩いた。


「当然だろっ。今や飛ぶ鳥落とす〈ヤドカリニヤ商会〉の跡目が絡む問題だぞ。外野の手代ごときがこう言っちゃなんだがな。メドゥサ・ヤドカリニヤは、旦那を手放す気は更々ないぜ」


「うん。そう……だろうね」


「ましてや、ボス自身も旦那の子を妊娠中だ。お腹の子の父親が他と浮気して弟だか妹だかを孕ましてましたなんて、裏切りどころの話じゃねえだろ。……まあ、デキちまったもんは今さらだけどよ」

「いや、まったくその通り……だから困ってるんだよ」


 また沈黙。


「……黙ってろ」

「えっ」

「今は、黙ってろ。とにかく情況がバラバラすぎて火消しなんて無理だろう。だからしばらく黙って何も起きてませんって顔してろ」


「俺、これからメドゥサさんに会いに行くんだぞ?」

「ばか。オレもだよ。お前をそこへ連れて行くために呼びに来たんだろうが。そのお前が話があるって言うから、残ってるんじゃねーか」


「あ、そうだった。うん。感謝してる。でも……」


「狼。このことに関して、お前は混乱するな。動揺もするな。とにかく今は黙ってろっ。どう騒いでもオレ達は完全な外野なんだ。この場をやり過ごして問題を先送りにすることしかできねーよ。お前、まだラリサ本人にも会ってないんだろ?」


「うん。今回の派遣隊に加わってなかった。やっぱりお腹の子が気になったのかも」

「それか、初めてだから不安で、先生のそばを離れたくなかったのかもな」

「ああ、そうだった。うん、そうかも」


 ラリサにとって、ペルリカ先生は母親代わりも同然になりつつある。


「このこと、他に知ってるヤツは?」


「さっきも言ったセニのカラヤン隊の先遣五名。口止めはしたけど、みんな仲間だから情報共有は始まってると思う。あとは馬車係と、スコールとウルダかな」


「カラヤン隊はボスから遠い。あいつらは今いいとして、問題はスコールとウルダだな」

「二人とも口は固いから大丈夫だって」


 ムキになって抗弁したが、ティボルは厳しい顔を振った。


「口の固さじゃねーよ。ボスとの距離感だ。口べたなウルダはともかくスコールが一番近い。不意を突かれてラリサと旦那のことを振られたら、とっさに緊張するし、口も滑る。身内から情報が漏れるってのはそうやって起きるもんだ」


 さすが情報担当。茶化したいのに、お互いの顔が苦み走る。


「はぁ~。くそ面倒くせぇ話を聞かされちまったぜ。……せめてハティヤがいてくれたらな」

「それは激しく思った」


 同じ女性で、周りに気配りができる聡明なわが主がいてくれたら、俺の出る幕なんて最初からなかったように思う。無い物ねだりはわかっていても、口惜しい。


 ティボルはどっこいしょとベッドから腰を上げると、


「まあどっちにしても、今夜を凌ぐぞ。ボスはお前からラリサの情況を聞き出したい気分になるかもしれねえ。その時は、なんとか仕事の話に引き戻して、そっちで手当てしろ」


「うん、わかった……ありがとな」

「ああ。じゃあ、行くぞ。また〈ヤドカリニヤ商会〉でお前の〝魔法〟を見せてもらおうか」


 ティボルは俺の肩を叩いて、部屋を出て行った。

 くそっ。なんか最後のクサい決めぜりふが、かっこよく響いて悔しい。


 こうして、長い夜が始まった。

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