第四章 カラヤンの結婚

第1話 転生者、前世に未練を残す


 ビハチ城塞の襲撃から三日たった。

 城塞陥落の噂が、ようやくセニの町にも届いた。

 カーロヴァック攻略の橋頭堡きょうとうほをしたたかに破壊され、頼みの綱だった〝魔導砲〟六八門すべてが無力化。

 アスワン帝国は、ネヴェーラ王国侵攻の足がかりと決戦兵器を同時に失い、撤退。戦線をシステアまで後退させたらしい。


 セニでは町市場が再開した。

 周辺の町村からアスワン軍の駐留部隊がいなくなったことで、安定的な物資供給が再開されたからだ。


 俺は、今日も今日とて、波止場で鍋をかき混ぜる。

 その後ろで、カラヤンが釣り糸を垂れる。

 ようやく、もとの平和が戻ってきた。


「あれから、ビハチ城塞はどうなりました」

「司令官ジェヴァト・ウサイン・イブラヒムの戦死が確定したようだ。宝物庫に納められていた二五〇万ロットの金塊も消息不明だとよ」


 あらあら。まんまと成功しちゃったか。パラミダの悪運はまだまだ続くな。


「あの、元盗賊団長にお訊きしたいのですが」

「副団長だ。なんだ」


「二五〇万ロットもの金塊。どうやって運びます?」

「そうさな……。サメの革ひもを腹に巻き、その隙間に延べ棒を差して持って出るかな」


 なるほど。パラミダは海賊の知識を持ってる。考えられなくはない。


「だが、話はそう痛快にいけばいいがな」

「というと。宝物庫には金塊はなかったと?」


 カラヤンは竿をあげて、針を手許に戻し、エサを付け直しながら、


「まったくないとは言わん。だが、おれが看守から聞いた話だと、実際は七、八〇万くらいあれば御の字だろう。アスワン軍の攻城戦も攻めあぐねてジリ貧。ビハチ城塞は戦費を前線に送ってやるための中継点だったからな」


「でも、パラミダ達にとっては初戦で大収穫ですよね」

「まあな。そんだけあれば、盗賊団として二年は維持できるか」

「もって、たった二年ですか」


「どこの噂話に乗って、どの国で仕事を始めるかによるがな。コネがないうちは、口止め料ってのが常について回る。その上で、儲けになる情報をかき集めるのに金をばらまく。


 そこに生活費。馬の飼料。手下への給金。あいつらの場合、軍資金に手を出したからにはアスワン帝国の秘密警察が動いてるはずだ。定住はできない。


 毎月ネグラを変える費用もかかる。そのたびに周辺住民が変わって通報されないためのコネを再構築しなきゃならない。だからこの先も大物を狙う必要があるし、失敗は許されねぇのさ」


「盗賊って、大変ですね」

「行商人とそう大して変わりゃしねぇよ。売り買いするか、奪うかの違いだ」

「そして、どちらも定住が夢、ですか」

「ふっ。ま、そういうこったな」


 それからお互いに黙り込んだ。ごっとん。ごっとん。と櫂匙かいさじが鍋底に当たる音と波の音だけになる。


「工場の話、結局どうなった?」カラヤンが切り出した。


「ヤドカリニヤ商会、タマチッチ長官、ヤドカリニヤ家に加えて、バルナローカ商会にも入ってもらおうかと」

「ほう。本格的な設備投資と販路の拡大を同時にやるのか」


「それもありますが、まずは人の管理ですね。やっぱり事業を拡大するには管理者の育成が必要です。この辺りで商売用の本格的な管理態勢を作ろうかと」


「で、〝黒狐〟とっつぁんを呼んだのか」

「はい。熟練の手代でもよかったのですが、ご本人から『参加』と返事が届きましたので」


 ウソは言っていない。


「ったく。くそじじい、老骨へし折ってても元気そうだな」

「ですね。あと、マンガリッツァ・ファミリーにも」

「なぁーにぃ?」


 俺がちらっと振り返ると、さすがにカラヤンも怪しむ顔を向けていた。俺はせっせっと鍋を回しながら。


「えっと。実はヤドカリニヤ商会をリエカに移そうと提案してまして」

「リエカだと? なら、この町はどうする?」

「工場とウスコクの砦だけが残るんじゃないでしょうか」


「は? スミリヴァルはそれで納得してるのかよ」

「あ、いえ。まだ企画提案の段階なので、その辺はまだ。数年をかけて石けん事業を軌道に乗せた上での未来計画です。それを今から根回ししておこうかと」


「はっ。大層な事業だな。まあ、確かにマンガリッツァ・ファミリーの後ろ盾があれば出来るだろう。スミリヴァルの〈セニ商会〉だって、ハドリアヌス海の群島航路を網羅してる。

 マンガリッツァにも船はあるが、操船技術は大したことはねぇ。向こうにだってメリットはあるな。

 リエカには協商連合、帝国、果てはアスワンも相手にする海運業がひしめいてるが、マンガリッツァの後ろ盾でセニ商会の船ならすぐに定着するだろう」


 俺はうなずいた。


「メドゥサさんも同じ意見です。やはり流行発信地のヴェネーシア共和国を見据えて軌道に乗せつつ、石けんを他国へ輸出したい考えのようです」


「うん。だが大丈夫なのか。〝金豚〟と〝黒狐〟を噛ませたら絶対もめるぞ。工場を作っても、いつの間にか利権をかっさらわれないようにしねーとな」


「そのためのカラヤン顧問相談役だと思いますが。それにもうマンガリッツァ・ファミリーにも『参加』の返事をもらってますし」


 うん。ウソは言っていない。


「お前。なんか、随分手回しがよくねぇか?」


 どきり。


「当初から工場建設が遅れてましたからね」

「いや。そもそもそれだって、お前の個人工房はとっくにできてたんだったよな? なんでいつの間にかそんな大事おおごとになってるんだ?」


 どきどきり。


「カラヤンさんが捕まってる間に、そうなってたんですよ。行政庁とウスコク族長の間で」

「あいつら……ははあん。町の産業発展と失業者対策だな。抜け目ねぇヤツらだ」


 ほっとしたところに、こちらに近づいてくる人の気配を嗅いだ。

 顔を向けると、平民服の気楽な格好で〝転生者〟がやってくる。


 前世は、アスワン帝国の拠点防衛司令官だったが。


  §  §  §


「どうだ。気分は」

 カラヤンが声をかけた。

「まあまあです」そう答えて、彼はカラヤンの横に座る。「〝ナディム・カラス〟という名がまだにしっくりこないですが、腕はだいぶ」


「そりゃ何よりだ。ゆっくり馴染んでいけばいい」


 ジェヴァト・ウサイン・イブラヒムことナディム・カラスは、少しやつれ、無精髭を生やしたあごを引く。


 カラヤンに助け出された後、セニのシャラモン神父まで運ばれた。蘇生魔法を受けるためだ。

 魔法ってこういうとき、不条理なまでに便利だと思える。


 ただ、魔法にも限界はあるようで、神父は「彼を失血死で殺す気だったのですか。間に合ったのが奇蹟です」と珍しくカラヤンを叱りつけた。


「助けられたことの感謝は、しばらくできそうにありません」

 敵意のくすぶる眼差しで、海に向かって釣り糸を立てるハゲ頭を見つめる。


「ああ。かまわねぇよ」

「その上で、訊ねたい。なぜ、私を助けたのですか」


「言ったろ。お前の能力が欲しかった。ヤドカリニヤ商会にな。あと、ビハチ城塞でおれと会った時、ずっとアウルス帝国語だったろ。

 アスワンでアウルス帝国語を話せる軍人は出世するらしいが、お前のそれは、そこの狼と同じで高い水準だった。だからその頭脳が欲しくなった」


 俺は褒められた気がして、ちょっと鼻が高い。

 ナディムは苦虫を噛みつぶしたような顔で、俺を睨む。


「ずっと囚われの身だった人間が、そんなことを考えていたとは思えませんが」

「なら、こう言って欲しいのか。魔女の予言を覆してみたかった。お前はそのいい実験台だった、ってな」


「……っ」

「なんでお前のところに魔女が現れたのかは、おれにも分からねぇよ。けど、魔女の予言は当たった。いや、当たったことにして予言を解除することができるのか、というおれの疑念を晴らすにはちょうどいいと思った。それも、正直なところだな」


「それで」

「文字通りの図星だった。魔女が死ぬと告げた相手の〝存在〟さえ予言通りに死ねば、身代わりは可能だ。もちろん、身代わりになった人間は〝犠牲〟と言うべきだろうがな」


「では、私の身代わりになったのは?」


「さあな。あの部屋に入った時には事切れていたよ。たまたまお前と同じ体型で、たまたま同じ右腕を失って死んでいたから服を取り替えただけだ。まあ、情況から見て副官だったんだろう」


 衝動的完全犯罪。俺はこの将校を連れて帰る気はなかった。パラミダを宝物庫に釘付けにするカギと、カラヤンの安全だけで頭がいっぱいだったし。だから、俺はいまだにカラヤンが直感的に助けたこの男の必要性を理解できていない。


「彼は……優秀な男でした」

 ナディムの沈んだ声に、カラヤンは軽くうなずくだけだった。


「それなら彼の存在は、どうなるのでしょうね」

「ヤツの軍服は、あの場に着弾した炎にくべた。上官の部屋で下官が立ち振る舞うには妙な位置に立ってたことになる。副官がお前を庇って魔法の直撃を受けて爆散したと善意的に解釈されるのを願うばかりだ。実際、現場にはちぎれた右腕が二本、残ってるわけだしな」


 ナディムは大きくため息をついて、目を閉じた。


「お前、家族は」

「母と兄弟が六人です。妻はいましたが、子供はまだでした」

「会いたいのか」

「……はい」


「死ぬぞ。前世のお前が蘇れば、おそらく魔女の呪いも復活する。会いに行くなら、ナディム・カラスとしてだが」

「かまわないのですか?」


「ああ、勝手にしろ。ただし、お前が女房に声をかけた瞬間に呪いが発動するのか。女房にジェヴァト・ウサイン・イブラヒムの生存を自覚されてからなのか。そこはおれにも分からん」


「それなら、手紙とかどうでしょうか」


 提案したら、カラヤンに釣り上げたばかりの小アジで顔をペチリとやられた。生臭い。


「いらんことを言うな。中途半端に家族とまた関係を持っちまったら、面と向かって会えないだけ、余計に苦しくなるのはコイツだ。女房も手紙の筆跡から亭主がまだ生きてると気づいて呪いが発動してみろ。誰が得をするんだ。目も当てられんだろうが」


 俺は耳を垂れてうつむいた。悪くないと思ったが、配慮が足りなかったらしい。


「では、代筆すればどうでしょうか」ナディムが言う。

「お前っ。本気か?」

 目を剥くカラヤンに、転生者は力のない瞳で見つめ返した。


「カラヤン・ゼレズニー。アスワン帝国は、私の祖国なのです。あの土地に、家族に、妻に、私が積み重ねてきた歴史と時間があるのです。良いことも悪いことも全部。いきなり他人から与えられた別の人生など、すぐには受け入れられるはずがないでしょう」


 固い声音で吐き捨てるナディムの目に涙がたまっていた。

 わかる。めちゃくちゃわかるよ。それ……っ。思わず両手を取って握手したいくらいだ。

 カラヤンは静かに見つめた。


「さっきも言った。どうするかは、お前が決めていい。だがこれだけは忘れるな。お前はもうナディム・カラスだ。死に損ないの佐官じゃねえ。おれはお前を必要だと思ったから、助けたんだ」


 ナディムは無言で立ち上がり、本来失ったはずの右手でアスワン帝国式の敬礼をして立ち去った。それが彼がこの先も向き合っていかなければならない幻肢痛のように思えた。


「なあ、狼」

 小アジを逃がしつつ、カラヤンが声をかけてくる。

「お前がこの世界の人間じゃないとしてだ。どうだ。こうして生活しているのを割り切ってるか?」


 俺は軽く回していた鍋の櫂匙かいさじを止めた。


「割り切ってなんかいませんよ。少しも。でも俺はムラダー・ボレスラフに出会えた。彼からこの世界にいていい理由を教わったんです」

「お前は、またそういう……。前の世界で残してきた、親や兄弟は?」


 俺はかぶりを振った。


「孤児なんです、もともと」

「ほほうっ。そいつはシャラモンも知らないことだよなっ」


 カラヤンの顔に喜色が浮かぶ。俺は小さな失言に緊張した。あの流れから俺にその話を振るのはずるくないか。


「さりげなく聞いてくるのって、ひどいですよ」

「今のはカマをかけたつもりはねぇよ。知りたかったから聞いたんだ」


 竿を立てて針を引き上げると、カラヤンは立ち上がって波止場を悠々と戻っていった。

 あの人垂らし。あとで覚えてろよ。

 俺は彼の背中にむけて、口の隙間から長い舌を出した。

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