第68話 狼、陶芸にも手を出す 前編


〝霧〟のグリシモンは、〝影〟とすれ違った。

 カラヤン・ゼレズニーが勝利宣言をした後のことだ。


 いきなりやってきた騎兵隊のために町が総出で世話をすることになり、町の広場に大きな焚き火が建設された。


 年越しを目前に控え、ちょっとした祭りのような騒ぎになった。

 何を勘違いしたのか商魂たくましい出店が数軒建っていて、けれどそこに騎士たちが半甲冑姿で行列を作っていた。


 カルヴァツ工房も駆り出されて、ワインボトルを入れた木箱を持ってヤドカリニヤ家の屋敷に向かう。


「工房長。これ、なんすか?」

 グリシモンは御者台に乗った工房長に訊ねる。


「知らねぇ」

「は?」

「お前らが来るずっと前のことだ。狼が〝七城塞公国〟に旅に出たことがあった。その時に、誰かが大ケガや大火傷をした時に、これをかけてから手当てしろだとよ。なんでも酒から摂った魔法の水なんだそうだ」


 アルコール消毒液のことだが、もちろんグリシモンもそんなことは知らない。


「へえ。じゃあ、飲んでも大丈夫すよね」

「酔っ払ってるヒマはねえぞ」


 あんたは、しっかりできあがってんじゃねえかよ。

 グリシモンら〝霧〟四人は、そのまま手伝いとして荷台に乗り込み、発車した。


 今夜はロシュからアルブが狼の監視についている。狼は鍛冶屋に入って四時間出てこず、鎚の音をさせていたらしい。もうあの働き怪人の行動にツッコミを入れたら負けのような気がしてきた。


 広場に馬車を入れられず迂回した時、人気のない道を徒歩で戻ってくる三人の男女とすれ違った。


『グリシモン……妙だな』


 となりのロシュが〝犬囁〟シャアプタで声をかけてきた。御者台の工房長には聞こえない音域で会話する。


『ああ。三人だった。四人じゃない』


 監視の交代なら、一人。報告なら四人。三人は──。


『本国に飛んだかな』

 グリシモンは眉を寄せた。一人、〝七城塞公国〟へ戻ったらしい。

『狼に報せるか』

『何をだ? 報せるとして、やつらの何を言えばいい』


『それは……』

『あっちは正規の監視任務。こっちは、オマケだ』


 ムトゥ様の個人的な興味で狼男に付けられた。監視対象に正体を見られた上に、ヤツらの行動にまで首を突っこんだら、その首を刎ばされかねない。


『第一、監視対象からの頼みは完遂済みで、オレ達は本来の監視に戻った。違うか』

『グリシモン。何ムキになってんだ。お前』

 向かいに座るロシュがニヤついた視線を投げてくる。


『あん? ムキになってねえし』

『なら、後悔しているのか。オレ達まで巻き込んだことを……』


『うるせぇよ。その話はナシだ』

 会話を打ち切ると、グリシモンは建物の間から広場の様子を垣間見た。


「まるでタチの悪い戦争芝居を見せられているみたいだな」


 その惨状をつくりあげたのが、自分達が見張っている怪人の作った〝魔法〟だとわかっていても、いまだに信じられなかった。


 この戦いを〝霧〟は本国に報告していない。おそらく〝影〟も報告していないだろう。

 報告は監視対象が、「本国に重大な影響を及ぼす知識を漏洩させた場合」に限られた。


〝霧〟は、狼に脅迫買収されていたことを除いても、この戦いに使われた狼魔法の原料が〝石炭煙突のけむり〟では、口を噤むしかなかったのである。


 彼らは、この世界の住人だった。

 異世界の知識はまったく持たされていなかったのは、上司オイゲン・ムトゥの落ち度だった。


  §  §  §


 年が明けた神現祭(仕事始め)。

 天気のいい乾燥した朝。俺はまず、炭焼きから始めた。

 ノエミが粘土の湯飲みを持って家に現れた。


「店。潰したから」

「うん。わかった」


 それ以上、会話はいらなかった。用意はできている。

 馬車にノエミ、ロギを乗せ、途中でカルチとヨージ兄弟を拾って、ガラス工房に行く。

 グラーデン騎馬隊がいなくなって、丸二日。

 町の燃料が不足気味だという話をロギから聞いて、炭を焼くことにした。


 工房は既に陶芸小屋を建ててあり、室内には足蹴り轆轤ろくろも作っておいた。


 仕事始めにやって来ていきなり現れた小屋に驚いたのは、カルヴァツ工房長。俺を見るなり、さすがにいい顔をしなかった。でも儲けの二割は土地の賃貸料にすると言ったらしぶしぶ納得してくれた。


「あのノエミの腕で、本当に儲けになんのか?」

「いやぁ。それは長い目で、どうかひとつ。お願いしますよ」


 そして、俺は今年からノエミに、彼女の助手たちを正式に引き合わせた。

 ロギ、カルチとヨージ、そして最年長のゴーダだ。


「なんで、うちの親父も入ってるわけ?」


 ノエミが半眼で俺を睨んでくる。ゴーダはまだ肩も足も包帯が取れておらず、松葉杖をついていた。


「あたしが頼んだんだよ。バカ娘」


 夫の介添えに付いているマルガリータが娘を圧倒する。

 今回の戦いで負傷したゴーダは、廻船の仕事から引退することにしたそうだ。スミリヴァル会頭代行から堅実な仕事を惜しまれたようだが、本人の意思は固かった。


 とはいえ、まだケガのこともあるが、将来的に何をするか決まっていなかった。その職業訓練的に親戚のカルヴァツ工房へ顔を出した。そこで娘が器作りをここで続けると聞いて、興味を持ったそうだ。


 まあ、俺がマルガリータの推しに負けただけなんだけど。


 とりあえず、まずは炭焼きから見学してもらう。その窯の中に、ノエミが持ってきた粘土の湯飲みも入れた。


「ちょっとぉ。今年最初の傑作を持ってきたんだからね。炭と一緒に焼くってどういうわけよっ」

 早速、噛みつかれた。


「他に実験する器もないし、これで行くよ」

 炭焼きの温度は八〇〇度から一〇〇〇度。湯飲みには試しに酸化銅の釉薬ゆうやくもかけてある。


 うまくいけば、陶器になるはずだった。


 カルチとヨージ兄弟はテキパキと炭材を運び入れていく。器は炭材中央の背丈が少し低い炭材の上に置いた。


 焚き口に火入れをしてレンガと泥で塞ぐと、煙突から白い煙が立ち昇り始めた。

 石炭の黒い煙を見た後だから、白い煙のなんと牧歌的で優しい情景か。


「狼さん。これで終わりなのかい」

 横からゴーダに質問された。


 俺は改めて、炭焼きの手順を説明し、炭のほかにも取れる物があることを付け加えた。ゴーダは聞きながらこくこくと何度も頷いた。。


「もくさくえき……ああ、船の塗料だね。そうか、ここから取り出していたんだな」

 俺はうなずいた。さすが船乗り。ていうか、感心の仕方がロカルダそっくり。なごむ。


「狼さん。試しに入れたノエミの粘土はどうなりそうかな」


 難しい質問だな。俺は下あごをもふった。


「窯の中で火が踊る流れによって、器の表面に変化が生まれます。こればっかりは火の神に祈るほかないですね」


「なるほど」

「ただ、薪や炭が燃える過程で灰を大量にかぶりますから、いくつもまだらができて、面白い紋様になるんじゃないでしょうか」


「斑が面白いのかい」

「ええ。器の表面にできた不思議な紋様を〝景色〟と呼んで、面白がるんです。もちろん、実用的な無地もいいですけどね」


 ゴーダはこくこくとうなずいて理解を深めている。これはもしかすると娘よりも飲み込みが早いぞ。


「それで全部ふさいだ後、どれくらいで取り出すのかな」

「およそ三日ですね」


「ちょっと、狼っ。あんた二日で取り出してたじゃないのよっ」ノエミがうるさい。


「あの時は、石炭を焼く必要があって一日早く取り出したんだよ。あんなことはもうしないから三日かけて窯を冷やすの。でないと窯が壊れるんだ」


「なら、せっかくの自分の窯を自分で壊そうとしてたわけ? バカじゃないの?」


 あー、マジでうるせぇな。と思ったら、念が伝わったのか母親に容赦なく頭をはたかれた。子供たちが戦慄するほどいい音がした。


「せっかく狼が教えてくれてるんだから、ちったあ殊勝な態度ができないのかい」

「マリー、子供の前だぜ」

 旦那様に穏やかに諫められて、マルガリータは素直に従った。


「クソが。娘どついといてマリーってガラでもないだろってのよ、クソババア」

 それは、うん。思った。でもお前、もう二十歳な。いつまでも親に殴らせんなよ。


「えっと。それじゃあ、次に粘土から器の形を作るのを見せますね」

 俺は小屋に入った。


   §  §  §


 実は陶芸をやるのは十数年ぶりだ。しかもその一回だけ。


 ノエミの粘土をろくろのターンテーブルに乗せ、左足で下の板を踏み蹴って時計廻りに回しながら粘土を成形していく。


 まわる粘土のかたまりに濡れ手でゆっくり押し上げ、山を作っていく。それから山のてっぺんに親指で穴を開けるように穿孔せんこうし、徐々に壁を押し広げていく。感覚として、手首を動かすのではなく肘を動かしていく感じ。


 ほぼ初挑戦のど素人に何ほどのモノができるか。粘土と格闘すること一〇分。皿とは言えない茶碗のようなサラダボウルができた。

 見ていたゴーダ家や子供たちも感嘆の声をあげてくれて、なんだか結果オーライな成果が気恥ずかしい。


「おもしろそう。おれもやりたいっ」

「ぼくもぼくもっ」

「ちょっと待ちなさいよ。あんた達。まずはわたしが手本を見せてあげようじゃないの」


 子供たちがわいわいやり始めた中で、俺とおとな達は小屋を出て窯に戻る。そこが一番暖かいからだ。

 窯の上に銅製のポットも置かれており、カルヴァツ工房長とお茶にする。俺は通風口を少し開けて薪を投げ入れる。窯の温度は順調のようだ。


「器作りは面白そうだ」

 良識的な大人のゴーダに言ってもらえたのは、なんだか用意した甲斐があった。

「だが、これを商売にするとなると採算が取れそうにねえかな。なあ、マリー」


「そうだねえ。販路はヤドカリニヤ商会があるとして、問題は土器って事だね。どう贔屓目に見ても木や金属の食器より一段も二段も低く見られる商品だからね」


「そうなんですか?」

 俺は聞き返した。マルガリータは難しい顔でうなずく。


「貴族にとって、料理を客に振る舞うのはメンツの賭け時でね。家柄によっちゃあ戦争よりも命かけてる家もあるそうだよ」


 こちらの世界にも〝器量〟という言葉がある。

 その意味の語源も同じで、食器の質と数を指してた。意外な共通点に感心する俺だったが、こちらの世界では言葉の意味は、いまだ事実としてリアルに生きている。いい加減な食器は、客に家格を見くびられるのと同義のようだ。


「へえ。勉強になります」

 殊勝な態度で聞き入ると、マルガリータも興に乗ったらしく話を続ける。


「まず、今のヴェネーシアで、客に土器で料理を出してる貴族は一人もいないね」


 磁器にしても腕のいい陶工は特定の大貴族がだいたい抱き込んでるらしく。その技も外に出にくくなってるようだ。

 もちろんその陶工から買えばステータスにはなるけど、眼玉が飛び出る価格なのだそうだ。


「あと、売るときは必ず一式セット売りが常識でね」

「セットというと四人分くらいですか」

「ううん。ヴェネーシアの貴族家庭なら、ティーセットで十二人分。ディナーセットで八人分だね」


 ダース売り。まずいな、子供の手習いではすまない物量戦争に足を踏み入れようとしているのかも。


「そこにきて、今さらここで欠けやすい土器をやるってのも……。ねえ、カルヴァツ。ここのガラス工房から商品はどうやって運んでるんだい?」


 マルガリータが、いとこの工房長を見る。

 彼はポットから木製のマイコップにお茶を注ぎながら、


「うちは狼と話し合って、羊皮紙でくるんで、おがくずに埋め込んで運ばせてる。おかげで運搬ロスは一個か二個くらいだ。それもたまにだな」


「へえ。美術品なみの扱いだね。とにかく土器はもうダメさ。重いし、壊れやすいし。何より見た目がダサい。ヴェネーシアを向こうに張るなら、華がなさ過ぎるよ」


「まあ、そうかもな」おとな達は肩をすくめ合う。


 そこで俺は、小屋からロギを呼んだ。

「なぁに?」

「ゴーダさん達に、あれを見せてあげてくれないかな」

「いいけど。マジでやるの?」

「うん、もちろん」


 ロギはちょっと物怖じした顔をしてから、提げ鞄を手にもって来た。おとな達の前に来ると鞄から数枚の画用帆布を取り出して、俺に手渡す。照れ屋か。


「ここの窯では、陶器を焼こうと考えています」

 俺はゴーダ夫妻とカルヴァツ工房長に、ロギが描いた絵を見せた。

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