第29話 狼、温泉宿をつくる(23)


 高い酒は、やっぱりうまい。これから禁呪魔法を使うとは思えない。


「なあ、狼。私にも一杯くれないか」

「これは、ここの人たちの絶望を救うために飲んでるんです」


「なんだそれは。だとしても、うまそうに飲み過ぎだ。固いことを言うなよ」


 グラス二杯まで飲んだところで、残りをメドゥサ会頭と奪い合いになり、妊娠中を理由になんとかボトルから手を引き剥がす。


「狼。この場での一杯の恨みは、あとで後悔することになるぞ?」パワハラかよ。

「やめてくださいよ。それじゃあ金貨十八枚。商会の経費につけていいですか?」


「ぐっ……い、一杯くらい良いじゃないかっ」


 とはいえ、この人に本当に恨まれると、後がマジ恐い。仕方なくショットグラスを持ってきて、そこに注ぐ。


「少ない……うまぁいっ」


「いやぁ、本当に残念です。妊娠中でなければワイングラスに注げたのですが、ねっ」


 なんで男の俺が、奥さんでもない人の胎調を考えて飲酒をいさめてるんだかなあ。

 それと──、


「なんじゃと、お前さん〝原転回帰リザレクション〟までできるのか!? 見たいっ。知りたいっ。使いたい!!」


 がぶり寄ってくるでかいフクロウを部屋から押し出し、俺は禁呪を使う。


「よかったじゃないか。マクガイアさん、オルテナのことすごく大事に思ってくれてるみたいで」

「まあ、なんだ……うん」

 女の顔をしてオルテナはそっぽを向く。でも朱は戻ってこない。


「てか、お前。酒臭ぇよ」

「悪い。さっきこの町で指折りの上等なワインを飲んだ」

「あぁ? なんの祝杯だ?」


「儀式みたいなものかな。この魔法を使う時に飲むようにしている。だから滅多に使える魔法じゃない」


「酒で使える魔法が変わるのかよ。変な魔法使いだな、お前」

「一本金貨十八枚。そう言ったら、普通に効果がありそうな魔法だって思ってくれるだろ?」

「っ……知るか」


 俺はオルテナの右腕をとる。手首から先を失った腕の軽さは、寂しい。血を吸った包帯を解き、魔法で止血だけされている状態を見て、うなずく。


「オルテナ。頼みがある。この魔法が完成した後、俺はしばらく気を失う」


「は? そんなに……そこまでするかよ」

「今、マクガイアさんの怒りを静められるのは、きみしかない」


「本気で兄ちゃんがキレたら、あたいでもどうしようもないぜ」


「だから、俺からマクガイアさんへの伝言を頼む。──計画は、要人略取。開始時期は、競売終了直後。それまで生死不明でいてほしいって」


「要人、略取? あいつらを誘拐? ……なんですぐ殺っちまわねぇんだよ」

「ホリア・シマで懲りたからだよ」


「シマ? ……嘘だろ。あの急な出兵、お前の仕業だったのか」

「魔物の巣へ、誘導した。でも失敗だった。あいつには法の裁きで絞首台まで蹴り上げるべきだったんだ。ここは、マクガイアさんには内緒にしておいてくれ」


「……そいつは、違うぜ。狼」

「えっ?」


 俺は顔を上げた。少しやつれても真っ直ぐな目とぶつかった。

 オルテナは声をひそめて、ぼそぼそと言う。


「ヤツは、テメェの首を絞首台にぶら下げるのが嫌だった。だからそれ以外の死を選んだんだ。なんせ旗艦は、とっくにお前と兄貴が仕留めたことになってたからな。〝魔狼の王〟が二チームもいたなんてはなっから頭にねえ役人思考だ。

 郊外の町に出たっていう駆逐艦も、カラヤンの部隊が撃退した。なら、みんなの頼れる家政長ホリア・シマ様の出る幕はどこにもなかった。

 なのに部屋に戻った時、あるのはテメーでこさえた借金証書の山。しかも全部が公金横領ときてる。ほらな、誰だって死にたくなるだろ?」


「現実逃避で……死を?」

 隠蔽的自殺。ホリア・シマの心理状態まで、深く掘り下げてこなかった。


「狼。こいつは可能性の問題だ。だがな、ヤツはまんまと現実からトンズラこいちまったのは紛れもない事実だ。その死で、黒幕が泡食って穴から飛び出して、火消しに回らなくちゃならなくなったわけだからな」


 俺は枕許にすがって、耳許に囁いた。


「それなら、ヴィサリオ・ウラの襲撃は今夜だ。マクガイアさんが生死不明のうちに、自分の証拠を消したいはずだ。ついでに生き証人の口も永遠に封じられれば最高だ」


「今夜中に舞い戻ってくるだと?」


「ああ。だがウラ本人はまだ無理だ。ドワーフのみんなが警戒しているのは貴族の馬車だけで、それ以外はチェックが甘くなる。それが重装騎兵の〝ウラカン〟であってもだ。

 ヤツらは自宅ここと〝クマの門〟にある帳簿書類を燃やしにくる。ホリア・シマとの癒着の証拠は、それだけヴィサリオにとって都合の悪い事実なんだ。だからオルテナ、頼む」


「はぁ……オーライ、オーライ。後のことは、このオルテナ様に任せな」

 俺はうなずくと、詠唱に入った。


   §  §  §


 一方その頃──。アルバ・ユリアの町。

「やあやあ、どうもどうも」


 ワシ──領主フニャディ伯爵は、館に入ってきた金縁黒甲冑姿の笑顔男に面食らった。

 突然はいってきたから、狼藉者かと思ったら、アウラール家。しかも兜についた房は紫。将官クラスだった。


「アウラール家の方が当家に何用ですかな」ここはアゲマント治領だ。

「失礼しますよ~。アウラール家家政長タイスケ・サナダって言います」

「か、家政長っ!?」

 自分と同じか、それよりも若い治領統括者に対して、ワシは片膝を折った。治領は違えど下位爵位にある伯爵。突然の来訪者にも儀礼をとる。それが身分社会だった。


「お初にお目にかかります。領主ヤーノシュ・フォン・フニャディでございます」


「はいはい。あ。そういうのは軽めにしましょうよ。おれ、非公式で動いていますから。どうぞどうぞ上座に座っちゃってください」


「いや、しかし」

「いやいや、おかまいなく。非公式っすから」


 内密行動にしては、軽薄な笑顔が圧してくる。

 そこに執事のゴドンが足早に部屋に飛び込んできた。


「失礼致します。御屋形様。ティミショアラからカラヤン・ゼレズニーという方が……」


 通した覚えのない客がすでにおり、執事ゴドンは目をしばたたいて若騎士を見る。


「あ、すいませんけど。その人、こっちに通しちゃってくれます?」

「えっ」

「おれ、その人とここで打ち合わせしとかないといけないんで」


 要するにここを待ち合わせ場所に使われたのか。金取ろうかな。口止め料込みで。

 すると、ワシの前に、金袋が置かれた。


「えっ?」

「口止め料っすよ。後で払う予定だったけど、どうも察しが付いたみたいだったから。先払いでとっといてほしっす」


(砕けた態度でも、顔色を読んできた、か)


「っ……ふぅ。では、遠慮なく」

「うん。いやぁ、理解が早くて助かるっすねえ」


 執事にうなずくと、しばらくして禿頭の大男が入ってきた。

 彼があの気色悪いバケモノから町を守ってくれた狼男の上司か。割と普通だな。


「なっ。サナダ家政長様っ!?」

「やっほーい。早かったっすねえ」


(先に来ておいて、早かったとは。大男は困惑している。ワシも困惑している)


「家政長さま宛てのバトゥ都督補の伝令は、私の進発と同時に発ったはずですが」

「うち最近、狼を監視してるんっすよねえ。そしたら送られてくる情報がもうっ、楽しくて楽しくてっ」


「あの、おそれながら、回答になっておりませんが」

「あれ、わかんない?」


「まあ、理解できる方は限られるかと思量いたしますが」


「あー、かもかも。あのバトゥさんですら、たまに訳がわからんとか言われちゃうんすよねー。でもね、あの狼ならわかると思うんすよ。くふふっ。俺が先読みしたって知ったら、どんな顔するかなあ。やっべ、チョー楽しいっ」


((そんなこと、誰もわかんねーよ))


 失礼いたします。黒甲冑の伝令兵が部屋に入ってきた。サナダ家政長に伝文を渡して、敬礼して去って行く。


「……あ?」

 サナダ家政長の顔が鋭くなった。

「……なんだあ。つまんねーの」


 急にやる気をなくして、テーブルに突っ伏した。


「あの、どうかなさいましたか」カラヤンが訊ねる。

「狼が、魔法の使いすぎで寝込んだって。メカ長復調とか。つまんねーの」


((もう本当わけわかんねぇな、この人……っ))


 失礼いたします。さっきのとは別の伝令兵が部屋に入ってきた。敬礼、伝達、退室である。組織としての統制はとれているのにトップがだらしないのはどういうことだ。


「ふぅん。よくもまあ、次から次へと欲をかけるもんだ。大人しくしてりゃあいいのにさ」


 サナダ家政長は伝文を持ったままイスから立ち上がった。さっきまでの軽薄な態度はなりをひそめた。カラヤンも反射で立ち上がり、指示を待つ。気まずくて、ワシも立つ。


「ゼレズニー大尉。軽く腹拵えしたら、狩りに出かけないすか」

「狩り、ですか?」


 カラヤンは窓の外を見る。もう外は暮れなずんでいる。


「ええ。ちょっとそこまで、──〝牛〟狩りに」


  §  §  §


「小休止を解除。新市街の城門を突破する。各員、襲撃ポイントを再度確認させろ」

「はっ」


 目標のオラデア城壁まであと七〇〇セーカーという地点。雑木林に潜んだ。

 騎馬五〇。煙は焚けないので干し肉とライ麦パンで空腹を紛らわせる。さっさと仕事を済ませて温かいシチューとビールが飲みたい。兵士なら誰もがする夢想をし、すぐ黄昏に消えた。

 頭にちらつくのは、サングラスのドワーフの言葉だ。


 女ドワーフをかばって覆い被さり、ためらわずその背面を斬った。浅いと感じた。


『に、兄ちゃん!?』

『ぐっ。お前も狩られる側になるがいいぜ、ヴィサリオ・ウラ! ──ここは逃げろっ、オルテナ!』


 だが女ドワーフがこちらに鉄球を投げつけてくる。

 部下が気づいて、女の右手首を切り飛ばした。


『やめろぉおおお! オルテナ、逃げるんだ!』


 妹の前に両手を広げたサングラスのドワーフは部下に斬られた。

 部下もやはり浅いと感じたらしい。小首を傾げる。その時だった。


『マクガイアを助けろぉおおおおっ!』

 次々飛んでくる鉄球の一つが部下の顔面に直撃してもんどり打つ。そして自分にも当たった。


 マクガイア──わが伴侶を奪った罪人の生き残り。


 ドワーフ族でも希代の天才と言われながら、〈ハヌマンラングール〉でエリート集団の研究部を希望せず、機械制御部に配属。数年で機械制御部長と機動兵器開発部長を兼任。周囲から部長ではなく、メカ長と通称される。


 局長級戦略部会では常に棄権票。だが──、


『オレ達はなぁ。あの子らを五体満足のまま、この艦に連れ戻す機体をこさえるのが仕事なんだ。玉砕覚悟の作戦なんざヘドが出らぁ。無策をうたいてぇなら、壁に向かって賛美歌でも謳ってやがれっ。ゲシュタポが!』


 ある時、彼のゲシュタポ発言で部会が初めて紛糾し、彼は作戦司令部の「敵」になった。

 だが、あれを契機として〝首脳たち〟の目の色が変わった。


 その後、彼は開発した重力波動砲の制御実験に失敗。死傷者七名。同実験が艦橋を狙ったことによるクーデター未遂罪で起訴されたが、不起訴処分。

 以降、警備部から第一級危険人物としてマークし続けられた。


 そして〝失楽園事件〟──。

 なぜか彼は、彼だけは動かなかった。


 事件後、重力制御装置暴走の責任だけをとって、千年の艦内保守業務奉仕を科された。

 それこそが真なる反乱の〝準備〟だという危惧が拭えなかった。

 だが証拠がない。彼への不信と不安が募る。


『陛下。それなら疑わしきは罰せよ、ではありませんか? マクガイアを……殺すのです』


 彼女の言う通りかも知れない。

 そう、マクガイアは疑わしき〝地動説コペルニクスの使徒〟なのだ


(やめろっ、やめてくれ。私の知らない記憶が、私の身体を奪おうとしているっ。誰かっ)


「総員騎乗っ。ドワーフを鏖殺せよ」


 その命令は誰の声だったのか、かつての彼が知ることはもう、なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る