第11話 ラッカ金貨の謎


 ──ザスタバよ。……こいつは二本で、六〇〇だな


 あの老鶏ろうけいじみたすれ声が、今も耳に残る。


〈バルナローカ商会〉――。


 プーラの町で顔役を兼ねた大商家だ。行政庁や守衛庁はもちろん、王都にも太いパイプがあるため、ひと癖もふた癖もある盗賊から貴族まで、ありとあらゆる人種を相手に商品を買い取り、売りさばく。


 ザスタバは馬上で、あの主人のしわ首にナイフを刺して帰らなかったことを後悔していた。 


 手に入れた金袋の残りは三〇〇と少し。

 たったこれだけで〈ザスタバ盗賊団〉の初仕事を支度しなくてはならない。


 さらにザスタバをイラつかせるのは、集まった手下の数だ。

 わずか三人。本当は四人だったが、飲んでる最中でムラダーの名を口にしたので、この世から即時解雇した。


 シャンドル盗賊団潰滅の噂は、すでにプーラの町にまで届いていた。ならず者の集まる酒場で、憐れみと侮蔑の目がザスタバを少なからず打ちのめした。


(落ち目なのはシャンドル盗賊団なんだ。オレじゃあねえ)


 ムラダーの前で、盗賊団を引き継ぐと豪語した。いまさら後には退けない。

 雇い入れる前金を少し増やし、振る舞う酒も少し上等にした。当然、好き勝手に散財する余裕もなくなった。


 置いてきた連中を含めて、総勢十二人。これから場数を踏んで一味の身代しんだいをデカくしていけばいい。


 だが、ティボルだけは見つけ次第、殺す。


 あいつの言葉を信じて、ブツを一番に〈バルナローカ商会〉に流したのは失敗だった。

 一度でもあの商会に知れた物品の情報は、半日かからずプーラの町の各商会にも知れ渡る。取引をやめても、他の店であの店の付け値を超える評価額になることはない。


 よってその町で、紅牙猪ワイルド・ボーの大牙に、金貨六〇〇以上を即金で払う商会はまず、現れない。


 ここハドリアヌス海沿岸には、プーラの町を含めて三つの大港がある。その一つで、東に四時間ほど馬を走らせると、港湾都市リエカという交易都市がある。そこでなら高級調度品の取引もしている。

 だが、あそこは他国からの交易船も出入りするネヴェーラ王国の国港で、衛兵の目の厳しさは他とは比べものにならない。商会登録証のない者が品物を持ってぶらぶらしていたら品物を取り上げられるか、明日の朝を牢屋で迎えることになるだろう。 


 ザスタバ盗賊団は期待よりはるかに軽い金袋をくらげて、足取り重くキャンプのある森まで戻ってきた。


「……あ? んだこりゃ。誰もいねーじゃねぇか」


 洞窟前で焚き火だけが森の闇に浮きあがり、パチパチと静やかな音を弾けさせる。

 新盗賊団の頭目は、そんなワビサビよりも、留守番がいないことにキレた。


「おい。ロシェっ、ギーツ、どこだ。返事をしろっ!」


 がなり立てても返事がない。

 いや、返事はせずとも最初から、留守番はいた。すぐそこに。


 人間に勘定できぬ異形のために、ザスタバの思考が無意識にその存在を除外していのだ。


 あのムラダーが目をかけていた狼男が、ひとりで戻ってきていた。

 背中に二本の矢を受けたはずだが、今はピンピンして洞窟前の焚き火で肉を焼いている。


 肉は、棍棒ほどもある紅牙猪のモモ肉の一部。大きな肉塊を両手で炙り回しながら、焼き上がるのを今か今かと見つめている。


「てめぇっ、生きてやがったのか! つか、勝手にオレ達の食料を――」


「待った! 肉の表面に肉汁がにじみ出たのを確認。ただ今より第二行程へ移行する。こまかく砕いたこの岩塩をかけ、肉の旨味を引き出す。――了解っ!


 塩は、より高いポイントから三本の指でこするように振りかける。こうすることで、塩をまんべんなく肉に広げられるワザだ。ふぁさふぁさふぁさ……う~ん、ナイスソルト!」


「お、お前っ。しゃべれたのか……っ!?」

「この肉は俺が計画を立てて、罠を仕掛けた分け前だろ。くらいにはな」


「ぐっ。て、てめぇ……っ」


 ザスタバはハゲ頭の天辺から湯気を登らせて、鉄塊のような大剣を背中から抜く。


「おい、ムラダーの野郎はどこだ! それに、ここの連中はどこに行った」

「質問は一つにしてくれ。あと、話はちょっと待ってくれないか。あと少しで待望の肉が焼けるんだ」


「やかましいっ! 両方だ。しゃっきりはっきり答えやがれ! さもなけりゃ、その犬首をたたき落とすぞ!」


 狼男は、はーっと長いため息をつくと、あぶる肉から目線を少し上げて、


「それじゃあ、あんたの後ろを見てみなよ」

「なっ!?」


 ザスタバは素早く後ろを振り返った。

 誰もいなかった。あるのはどこまでも見通せない森の闇だけだった。


 犬畜生にまでバカにされた。ザスタバは殺意をこめて鉄塊を振りあげた。


「クソ犬があ! 脅かせんじゃあねえ。誰もいねえじゃねえか! 誰もっ、誰も?」


 いない。たった今、町から連れてきたのを含めて四人いたはずだ。

 それが一人もいない。いなくなっている。


「おい、バスダっ。ガッティっ。それから……お、おいっ、クソ犬っ。こりゃあどういうことだ!」


「さあね。知るわけないだろう?」

 狼男は、肉だけを見つめてぞんざいに言い放った。

「俺はあんたよりも前から、ずっとここで肉を焼いていただけなんだから」


 それなら、どうして後ろを振り返れと言ったのか。もはやザスタバの浮き足立った思考には懸念として残りもしなかった。


(独りは……ヤバい)


 悪党の感が、処世本能が、もはやここにいてはならないと叫んでいた。

 ザスタバは大剣を握ったまま大股で馬へ駆け戻った。


「大丈夫だ大丈夫だ大丈夫なんだ。金貨三〇〇もあれば数年は食っていける。その間に、めぼしい盗賊団を探して、それから――」


 馬に跨がった直後、森の奥から闇を切り裂く音が飛来。鞍に矢が突き立った。

 たちまち馬が驚き、高くいなないて竿立ちになった。容赦なく主人を振り落とすと、一目散に闇の向こうへと消えていった。


「この馬鹿っ。おい待て、オレの金っ。クソ、戻ってこーい!」


 その間も、狼男は焚き火から腰を上げず、肉にご執心。

 ザスタバはその場に口汚く悪罵を吐き捨てると、馬を追って闇の向こうへ走り去った。

 そして――、


  §  §  §


「できたっ!」

 真っ暗な森の中で独りえつに入って、俺は文字通りの手塩に育てた肉を惚れぼれと見入った。


「この香り、この照りっ。マックス上手に焼けましたあ! ではいただきむぁ~す」

 がぶり。噛みつくや、歯を押し戻してくるような弾力に、俺はうっとりと目を細めた。


 これは拒絶ではない。食の欲望に対する食材からの媚態びたいなのだ。

 噛みちぎり、嚙めばかむほどにあふれ出す肉汁と肉の滋味に酔いしれる。


「ほぉふほぉう。ん~。これだよ、これ。こういうのを待ってたんだよ、俺……っ」

 そこから先は言葉など不要。俺は、ひたすら肉を貪りにむさぼった。

「なぜ、ザスタバの野郎を殺させなかった」


 背後の洞窟の中から、人影が現れた。ムラダーである。顔といわず頭といわず細い傷を負っていた。森で、スコールとかち合う事故があったらしい。


「俺は、あの男にはまだ利用価値があると思ってまふ」

「利用価値だぁ? ふんっ、おれにはそうは思えねぇがなあ」


 ムラダーの登場にあわせるように、森の闇から弓を持ったハティヤとティボルが現れた。

 さらに少し遅れて、ザスタバの馬が逃げた方角から、スコールが手に金袋をさげて徒歩で戻ってきた。少年の頬やアゴにも傷をいくつかつくっていた。


「スコール。ザスタバはどこへ向かった?」

 口の周りを脂でギトギトにしながら、俺は訊ねた。


「馬を追ってった。金袋がないことにも気づかずさ。けど、ものすごく軽いぜ、これ」


 少年がムラダーに金袋に投げた。それを横からティボルがパスカット。片手で受け止めて、口の端を歪めた。


「なんだ、これ。三〇〇もないぜ。ザスタバの野郎が使い込んだにしても、ウチのボスにずいぶん買い叩かれたもんだ」

「ティボル。いいから、こっちによこせ」


 金袋をひったくると、ムラダーは焚き火の前に腰をおろした。

 最初、外から重さを確かめ、首を傾げる。おもむろにその締めヒモを解いて中を覗きこんだ。


「なるほどな。――おい、ガキどもっ。分け前をやる。ちょっとこっちにこい」


 ハティヤとスコールはお互いの顔を見合わせ、いそいそと焚き火に寄っていく。


「ほら、手を出せ。一人、金貨五枚だったな」

「えっ?」


 驚く子供らに、ムラダーは真摯しんしな目を向けた。


「よく聴け。今から渡すのは、おれからの報酬だ。お前らは金が欲しくて人を殺したんじゃねえ。家族を守るため、生き残るための戦仕事いくさしごととして、やむを得ず人をあやめたんだ。その線引きの意味をよく考えろ。いいな」


 そうさとすと、金袋から一枚ずつ取り出し、火にかざしながらスコール、ハティヤの順番で手に金貨を置いていく。


「ムラダさん。さっきから何やってるんですか?」

 肉をもぎゅもぎゅ頬張りながら、俺が訊いた。ムラダーは答えなかった。


「おお、すげぇ。金貨だ!」

「すごい、きれい」


 子供たちが満面の笑顔で金貨を見つめるのを、ムラダーは少し苦み走った様子で眺めた。それから気持ちを新たにして、名前を呼んだ。


「よし、次――。ティボル」

「えっ。旦那。あっしもですかい?」

「そうか、いらねぇのか」

「いえいえいえいえ。いりますいります。頂戴いたしますとも~ぉ」 


 びる笑顔で手もみしながら焚き火へにじり寄ってきて、両手で器を作る。

 ムラダーは彼にも焚き火で一枚ずつかざした金貨を乗せていく。一〇枚。


「こいつには、オレ達の倍なのかよ」

 スコールが何気なく不平を洩らした。けれどムラダーは怒らなかった。


「スコール。おれが、お前らに要求したのはなんだった?」

「えっ、そりゃあ――」

「家族のために、人を殺す覚悟。よね」


 ハティヤが神妙に答えた。ムラダーはうなずいた。


「そうだ。そしてお前らは立派に戦闘を切り抜けて生き残った。北の森でおれとスコールが交戦したのは、お互い連絡を取り合ってなかったことの事故だ。評価に入れてない。だから少し多めに渡した。

 これは軍隊でいうところの、生存報酬ってヤツだ。そして、そこの優男には戦いの中で人を殺す技術と経験が、お前らががんばって生き残った結果よりも上回っていた。わかるか?」


「うん。わかるよ」ハティヤが伏せ目がちにいった。「この人、弓の使い方に慣れてた。暗闇の中であんなに早く、躊躇いもなく三人を馬から射落とすなんて、私にはまだできない。お金に値する戦う技術って、そういう差だと思う」


 ムラダーは満足そうにうなずいた。


「さて、最後に狼。お前はどうする?」


 俺は、骨周りの肉を牙でガリガリこそぎ食べなら、

「一枚でいいですよ。実際、何もしてませんし。まだ、この世界の貨幣価値もよくわかっていません。ムラダさんにお任せします」


「ったく。相変わらず変な理屈をこねやがる。お前もおれとおんなじで、人生を損するタチか。まあいい。自分の金は自分で管理しろ。……おら、受けとれ。お前が〝アタリ〟だ」


 ムラダさんは俺に金貨を親指で弾いて投げ渡してきた。

 俺は骨肉を持つ反対の手で金貨を掴み、その違和感にすぐ気づいた。


「この金貨。少し……小さいですか?」


 手を開いて金貨を見る。横からハティヤが見せてくるロット金貨よりも、やはりひと回り小ぶりなのがわかった。 


「ムラダさん。ロット金貨は〝帆かけ船〟ですよね。これ〝熊の毛皮〟ですよ」

「ふふっ。よく覚えてたな。ああ。そいつは、一ラッカ金貨という」


「ラッカ?」


「西方諸国で、今も日常的に流通している金貨だ。一ラッカはこっち東方諸国では価値が下がって、七五〇ペニーくらいだな。だから帝国に行かないと、まずお見にかかれない金貨だ」


 俺の手にある金貨を眺めながら、子供らからへーと感心する声があがった。


「ちょっと待ってくださいよ。旦那っ。ロット金貨の中に西方諸国の金貨が混じってたんですかっ?」


 ティボルが沽券を傷つけられた屈辱的な顔を向けてくる。

 ムラダーはどうでもよさそうに肩をすくめた。


「お前は、あの〝黒狐〟が、そんなくだらんミスをすると思うか?」

 

 優男は真面目な顔で横に振った。


「いいえ。うちのボスに限って、こと金に関してあり得ませんね」

「バルナローカ商会のモットーは」


「売れる物なら全部売る。商う知恵は神の知恵。損をするのはお人好し。得をするのは人でなし……てことは、こいつは何かの符牒サインですか」


「まあ、とっつぁん流の、悪党との知恵競べってところだな。シャンドル盗賊団も最初の頃にやられて、危うく五〇〇ロット分、丸損しそうになったことがある」


 俺は、骨しゃぶりを諦めると焚き火に投げこみ、今度は指を舐めた。横からハティヤに行儀の悪い弟を見る視線をむけられた。


「ムラダさん。このラッカ金貨は。大牙の正規代金がほしければ、ロット金貨の中からこのラッカ金貨の存在に気づき、図柄の熊の毛皮――。つまり赤牙猪ワイルド・ボーの毛皮を持って来いってことですかね?」


 俺の推測に、ラムダーは一瞬目をみはり、ニヤリと笑う。


「赤牙猪はもともと、牙、毛皮、肉、骨、脂肪、内蔵とすべて食料と日用品に加工でき、およそてるところがねえ魔物だ。

 だが、ザスタバは価値の高い牙だけを店に持ち込んだ。だからとっつぁんは、商取引として〝全部売らなかった〟ザスタバの、商品を目利きする見識と取引信用を買い叩いたんだろ」


 ティボルは興奮した様子で手を叩いて、ムラダーを囃し立てた。


「いや。さすが旦那だ。ボスとの付き合いが長ぇことだけのことはありますね」

「褒めてもこれ以上は出さんぞ。――狼。その金貨をティボルに渡せ。ほら、新しいのをやるから」


 俺が脂でギトギトになったラッカ金貨を差しだすと、ティボルは嫌そうに指でつまんだ。


「それじゃあ、旦那」

「ああ。夜に悪いが、今からとっつぁんと連絡つなぎを頼む。伝言は〝森の話がしたい。毛皮をもって会いに行く〟、とな」

 ガッテンです。ティボルはうなずくと、足取り軽く愛馬のほうへ駆けだしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る