第10話 仲間討ち(フレンドリーファイア)



 月のない夜の森は、洞窟の中よりも暗い。

 そんな日は森が魔性に目覚めるからだと、先生から教わった。

 スコールはしかし、自由に闇の中を駆けた。

 高いモミの木枝に取りついたところで、眼下から金属音を聞いた。


「ひぃい!」


 スコールの下を悲鳴とともに人影が駆け抜けていく。


(――次こそは、オレ一人で……ってやるっ)


 スコールは両腕を翼のように広げ、木の枝から跳躍した。


【風】ヴェチェルよ、あれ……っ」


 左腕には鉤爪ハーケンつきの手甲。鉤爪が飛び出して前方の樹幹に刺さる。スコールの身体は振り子運動によりフクロウさながら無音で滑空し、獲物の背後に迫った。

 右手には短剣。感覚は、鹿のうなじを断つ時と同じだった。


「くはっ!?」


 男の断末魔は襲われたことさえ気づかない、怪訝を含んだ驚きだった。

 やぶ草の上を滑る男の頭上を飛び、スコールは短剣を持ったまま鉤爪を飛ばして、別の樹の枝に着地した。


「ハァっ、ハァっ。……っんだよ。やれば……できん、じゃんかっ」


 手甲型の魔導具ドラグーン梟爪サヴァー〟を使って振るう短剣はいろんな獣で試した。どの部位を狙えばひと息で絶命させられるかわかっていた。


 人を襲ったのは初めてだった。貫いた瞬間、心臓がこ凍えるほど緊張した。けれど、過去の経験で冷静に対処できた。動物とは違う。

 この経験をこれからの覚悟で支えるのだ。


 スコールが十二歳の時だ。

 養父シャラモンから使用する時は、約束事があった。


 森の中で行うこと。家の中では外すこと。家の外で無くさないこと。家の外では袖の中に入れて隠しておくこと。である。

 だが、使ってはならないとは一度も言われてなかった。


『先生。これ、これからも使っていいんですか?』


 養父は飄々と肩をすくめて見せた。

『私に黙ってそれを持ちだしたくらいです。今さら使うなと言って、言いつけを守れますか?』


『へへっ……無理かも』

『スコールは、それが気に入りましたか』

『はいっ。これで森の中を飛ぶと、風になったようで気持ちがよくて』


 スコールは力強くうなずいた。シャラモン神父は微笑みを浮かべて、


『その〝梟爪サヴァー〟が使いこなせるようになったら、夕飯のおかずでも狩ってきてもらえると家計が助かります。もちろん、狩る時はちゃんと精霊樹にご挨拶をし、必要以上に駆らないことを誓うように』


『はい』


『まったく、いい返事ですね。ああ。一番大事なことを言い忘れていました。その魔導具は帝国製なので、村人の誰かに見られて村長から王様に知られると、私が牢屋に入れられてしまうので注意するように』


『えっ、マジで?』

『ええ。マジです。だから練習は夕食後、夜に二時間ほど森でやるといいでしょう』


『はい。……夜に森か』

 そして、その約束の中に〝人を殺す目的で使ってはならない〟という条項もなかったことを、スコールは今更ながらに気づいてしまった。


 §  §  § 


 馬鹿野郎が。旦那がいねーと、みんな気分で動きやがる。


 統制などあったものではない。ここに残ったのも、ムラダーにもう一度媚びを売って、考え直してもらいたい。そんな思いだった。


 ところがちょっと目を離した隙に、見張りは五人から三人になっていた。ヤーノシュとヨジェフだ。だが、誰の指図で動いたわけではない。引き留める言い訳が思いつかなかった。


 そんな連繋だったから、見張っていた館から実は見張られていたことにも気づけなかった。 


 屋敷から飛び出してきたムラダー・ボレスラフの目は、もう盗賊仲間を見る目ではなくなっていた。


 三人は恐怖のあまり、その場で両手をついて離反を謝った。

 団長への反逆意思は、斬罪だとしてもだ。


「シャンドル盗賊団も今宵こよいかぎりだ。さあ、お前ら立て。そして剣を抜け。後からザスタバも追わせてやる」


 静かに促されると、素直に従った。従うほかなかった。

 悪いのは、選ぶ上司を間違えた自分だ。でも剣を抜くが手に力が入らない。恐怖で。


「しっ、死にたくねぇよぉ……」

「ああ。だったら、おれを斬って生きろ」


 ムラダーは、まだ剣を抜いていなかった。


「お、オレらはただ、シャンドル盗賊団にいたかっただけなんだよ、旦那っ!」

「シャンドル盗賊団がなくなったら、俺達どうすればいいんだよ!」

「なら、それをザスタバに言ったのか?」


「オレらの気持ちが、あの馬鹿に理解できるわけねーよ。旦那っ」

「だったらなぜ、アイツについた」

「……ううっ。畜生っ」


「剣を抜け。おれ達はシケた野良犬の寄せ集めで渡世を張って、悪事に手を染めてきたんだろうがっ。今さら怖じ気づいても、誰も助けちゃくれねぇんだ」


 叱りつけられて、三人はやむなく剣を構えた。


「畜生っ。畜生ぉっ! あんたがあんな狼野郎なんかに目をかけなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ!」


 ムラダー・ボレスラフの顔は夜の木陰に隠れてよく見えなかった。


「言いたいことは……それだけか?」


 ぢくじょお! 死の恐怖で涙と涎にまみれた絶望の形相で斬りかかった。

 破れかぶれの突進である。決死の一撃はしかし、あっさりと横へかわされた。


 そのガラ空きになった背後から心臓を一突きされ、男は断末魔さえなく昏い枯れ葉の中に沈んで見えなくなった。


 ムラダーが、いつ剣を抜いたのかさえわからなかった。


 所詮は盗賊――平民だ。騎士ほどに勇敢や潔さを見せても褒めそやす者はいない。

 無理だ。仲間の死を見て、二人はムラダーから脱兎のごとく逃げだした。


 それからすぐに、となりを走っていたはずの仲間もいなくなっていた。


 ムラダーはまだ追ってこられないはずだ。なら、この森に棲む別の何かにやられたのか。だとしたら、この森には何がいるというのか。


 もう嫌だ。助けてくれ。誰でもいい。この場から解放してくれ。


 残された男は半狂乱で走り続けた。こけつまろびつしながら茂みをかき分け、やがて森を脱けて草原に出た。

 あと少し、あと少しでここから脱けられる……っ。


 森を出るなり、男は草原のほの明るさに安堵した。先を眺めれば村集落。家屋の窓の明かりに目が奪われた。

 思わず足を止める。解放された夜気を思い切り吸い込んだ。


 助かった。足を一歩前に出す。


 ストッ──。小さな衝撃が胸に突き刺さった。


「あえ?」


 気の抜けた声とともに、すぅと足下から力が引き抜かれる。

 視界の先に馬と少女がこちらを見つめていた。馬上で弓の残心をたもつ。その凜と輝く灰緑色の瞳の美しさに見とれた。


 その感動もすぐに薄らいで、何も感じない闇が訪れた。


「ごめん……わたしにも守りたいものが、あるから」

 ハティヤは小さく呟くと、手綱を返してペロイの村を目指した。


 ひとりは仕留めた。あと二人。

 森を出たヤツよりも、まだ森の中にいる最後を狙おう。

 枯れ葉を踏む乾いた音が近づいてくる。まるで自分の居場所を周りに報せているような大きな音だ。


(いや、逃げろって言ってるのか?)


 スコールはなぜかそんな気がした。

 だとしたら、コイツがリーダーかもしれない。


「【風】よ、あれ……っ」


 鉤爪ハーケンが支点を得る手応えを掴むより早く、スコールは森の闇へダイブしていた。数瞬遅れて、鉤爪が木の幹に刺さる。


 せつな、少年の身体を引き寄せるようにザイルを巻き取る。振り子運動と巻き取り動力を掛け合わせた速度により、スコールは夜狩りのフクロウとなって標的に急速接近した。


(……もらった!)


 ――キンッ!


 硬い金属が弾けた音。スコールは驚き、即、怒りに歯噛みした。


(盗賊のクセに、いい勘してるじゃんか)


 すかさず鉤爪を別の樹に打ち込む。

 空中で慣性を殺し、内臓が見えない巨人の手であらゆる方向から同時に押し潰してくる重圧を覚えた。だが、今さら慌てるような事象ではない。

 スコールはすでに知っている。

 この重圧を耐えれば、新たな〝風〟を掴むことができる、と。


(次の風で――、決めるっ!)


 しかし、スコールはこの段階になっても、気づいていなかった。

 必殺となるはずだった一撃を受け止めた標的が、いまだ動揺の声を上げたり、悲鳴

や驚きがないことに。

 〝風〟を待っていたのは、少年だけではなかった。


 §  §  §


 初撃を後頭で受けた時、ムラダーはどこか懐かしさを覚えた。


 戦いに次ぐ戦いの人生において、背後から剣尖が向かってくるのはたまにある。だとしても、死角となる中空から鳥のように襲ってくる経験は、そうそうあるものではない。


(ありゃあ、どこの騎士団だったかな……)


 かつて、そんな特異方位から攻撃を仕掛けてくるが、いたのだ。


(おれも歳くっちまったな。こういう小せえことがすぐ出てきやがらねぇ)

 あれこれ記憶の隅っこをひっくり返している間に、


 ――コォン……ッ


 はるか前方で丸太に釘が打ち込まれる小さな穿孔音を耳が捉えた。


(そうだ。あの音っ……思い出したぜ)


 直後、ムラダーは剣を納剣すると、鞘の留金で剣をロック。腰からも外す。 

 そこへ、後方上空より風が吹いた。


「ふんっ。いい風だ。だがそんな真っ直ぐな風じゃあ、おれの首はやれねぇって言ったろ。なあ……エヴァーハルト!」 


 思わず追憶にのみ生きる友の名を呼んで、ムラダーは鞘付き剣を後方へ投げた。


「ぎゃあ!?」


 闇の中から子供の悲鳴が、風とともに去った。


「子供っ!? まさか、あのクソガキが魔導具だと!?」


 深い落ち葉の中から自分の剣を拾い上げると、ムラダーはすぐに襲撃者の後を追った。


「シャラモンのヤツ……まさかっ。おいクソガキ。大丈夫か、おい!」


 ムラダーは木陰に小さな背中を見つけて声をかけた。相手が応じないので、思わず少年の服を掴んだ。その瞬間に、顔が自分の迂闊うかつを知って強ばる。


「ちぃっ! ――空蝉デコイっ!?」


 突如、頭上から〝落竜颪ダウンバースト〟がムラダーに襲いかかった。

 直下型の下降気流により、その場の樹木に残る葉がすべて吹き飛ばしてしまった。


「やるじゃねえか。……スコール」


 頬やひたい、頭皮を数カ所の風裂傷を受けながらもムラダーは満面の笑みを浮かべた。


「……おっさんも、な」


 上半身裸で、左の鎖骨に大きなアザを作った少年も笑みを浮かべた。

 直後、スコールの一撃を受け止めたムラダーの鞘が砕けた。


 §  §  §


「先生っ?」


 聖堂所の裏口から入ってハティヤは室内に声をかけた。

 返事はなかった。食堂ではまだ暖炉に火が燃えていて、テーブルには貴重なロウソクの燭台が灯された下に、羊皮紙の書き置きが挟み込まれていた。


〝愛する我が子、ハティヤとスコールへ

 子供たちを連れてプーラの町に向かうことになりました

 あなた達も、彼らとともに向かいなさい


 この村は、近日にも〝神〟に飲まれます


 私は村長にその予兆を伝えたのですが、耳を傾けてもらえなかったのです

 昨日、旅の資金にめどがつき、ここを離れることにしました

 あなたの目で、必要なものがあれば、持ち出してくれると助かります

 

                          レイ・シャラモン〟 


「──追伸 この手紙と火の始末をよろしくお願いします、か。はいはい」


 筆跡は、間違いなくシャラモン神父の手によるものだ。目が見えないせいか少し傾いていたが、それでも単語のスペルや文法のならびは健常者と見劣りがない。


 室内には日用品の大半が残されたままだが、鍋や当面の食料。書籍を含めた価値のある物は綺麗に持ち出されていた。弟妹たちはいまだ幼くても、日常でハティヤがすることをよく見ていたらしい。そのことが、なんだか嬉しい。


「でも、村が〝神に飲まれる〟ってどういうことなんだろう?」


 ハティヤは手紙を暖炉にくべると、燭台を持って子供部屋に入る。

 一番に、ユミルが大切にしている人形ベッキーを床で見つけた。これがないと眠れないと泣きべそをかくほど無二の親友だ。それが無造作に床に投げだされていた。


「ロギね。もう、あのいたずら者っ。……あとは」


 長女として弟妹たちの衣類や雑貨を肩下げ鞄に詰めていると、あっという間にまん丸に膨れあがった。


 そして最後にベッドの下に潜り込む。

 壁ぎわの床板を外し、中から大人の拳ほどの革袋をひっぱり出した。


「あった。……よしよし」


 一家の大黒柱たるもの、いざという時のための蓄えは怠らない。

 金貨はないが、この中にはスコールが数日前にクビになった奉公先の精肉店で、ハティヤに握らせてきた銀貨も数枚入っている。ひと冬だけなら薬代になるはず。旅が長引けば、体調を崩す子が必ず出てくる。そのために、これが役立つはずだ。


 その時だった。玄関ドアを叩く音がした。

 ハティヤは驚いて思わずベッドで頭をぶつけた。目に涙を溜めながら部屋からそっと顔を出してみる。


「お頼み申します。お頼み申します。夜分遅くに恐れ入ります。神父様。ロンドでごぜぇます」


 玄関の前で男が小声で訴えてくる。ロンドならよく知っていた。製材所で働く三〇代の男で、妻と二人の子供がいる。夫婦でとても熱心なサンクロウ正教徒だ。休日学校では養父の、薬にも毒にもならない説教を熱心に耳を傾けていた。


「おい、ロンド。神父様の馬車がねえぞ」

 別の男が不安げに声を荒げた。


「なんだと。……そういや、狼男を追いかけて村を出たスコールは帰ってきたか?」


 やがて、次にドアを叩く音に遠慮がなくなっていた。

 ハティヤは身の危険を覚え、床を軋ませぬように食堂を通り過ぎて裏口のドアを目指した。


「おい、返事がないぞっ」

「やっぱり様子が変だ。ドアをぶち破れ!」 


 ドアに男たちが体当たりを始める。その狂轟きょうごうする音に紛れてハティヤの膨れあがった鞄がテーブルを蹴った。


 置いたばかりの燭台がぐらぐらと揺れて倒れた。ロウソクの火がテーブルクロスに燃え広がる。


 ハティヤはとっさに裏口へ飛び出した。ついで今朝、狼が薪割りに使っていた斧を持つと振りかぶった。

 ガキッ!

 斧はドアノブごとドア柱に深々と刺さりドアを縫い止めてしまった。


「ごめんなさい。さようならっ!」


 ハティヤは裏口ドアが叩かれる音を振りきって、馬に跳びのった。

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