第20話 狼、カラヤンと戦う/ 次鋒・中堅・副将戦ウルダ


 二陣(次鋒)

 ラムザという中肉中背の人だった。

 やっぱりいつの間にかルールが変わっていて、三試合やらされた。


 第一フェーズ。

 彼は、俺の顔にジャブとフックで様子を見る。狼毛で効いてないことを確認するとすぐにボディに攻撃を切り替えてくる。


 逆に俺は、顔面を二、三度合わせてからの、片足へのタックル──レスリングのシングルレッグ・テイクダウン。両腕を使って相手の足を抱えあげて引き倒し、馬乗りからの顔面打ち。

 五発目でカラヤンのストップがかかったのは、助かった。総合格闘技は見よう見まねだから、どこまで叩けばいいのかわからない。


 第二フェーズ。

 ラムザは組みつきを警戒して距離を置き、カラヤンから注意を受けた。周りのギャラリーからも囃し立てが起きる。

 そのヤジに、彼の表情がむっと強ばったのを俺は見逃さなかった。


 俺は膝にローキックを入れてよろけさせる。と、すぐにタックルの構えを見せた。

 案の定、彼はそれに即応した。タックルを阻むため、上体を下げる。同時に顔も下がった。

 そこに渾身の右フックを叩き込む。次鋒戦終了。周囲にどよめきが起きた。


 続いて、中陣(中堅)戦。ロイズという手足の長い色白の青年だった。


 カラヤンの段取り通り、ウルダが彼に入れ知恵をする。

 実直な青年らしく、少女の耳打ちにも真面目な顔で頷いていた。


 試合開始。

 なんと、ロイズはさっきの俺の戦法をそのままコピーし、顔面のジャブから、足へのタックルを敢行。これには俺も完全に虚を突かれた。なす術もなく地面に引き倒されて一本獲られた。ギャラリーもご満悦だ。


 俺は、ロイズから差し伸べられた手を断って、自分で立ち上がった。そして足下をふらつかせた。


「おい、狼。大丈夫か?」カラヤンも心配そうに声をかけてくる。

「ええ。今のところは。この試合が終わったら、ちょっと休憩いいですか」

「わかった」


 俺は、ウルダをじっと見つめた。不自然なくらいじ~っと見つめた。するとウルダがおろおろし始めて、カラヤンの後ろに隠れた。


「おい。やめろよ。彼女は悪くないだろう」

 ロイズは英国紳士なみの気配りを見せた。少しムキになって庇ってくる。


「そうだな。でも、これでもう余計な入れ知恵をされずにすむだろう?」

「おいおい。ちょっとした助言程度で崩れたからって、彼女に八つ当たりはお門違いだろう? 逆恨みだ」


「かもな。でも、あんたもそのちょっとした助言で、俺から一本獲れたことであんまり調子に乗っていると、痛い目を見るよ」


「ほぅ……ふっ。じゃあ、次は私が実力で、君から獲れれば文句ないんだよな」

「ああ。どの程度の実力かは、まだ知らないがな」


 その直後、両拳を構えるロイズの目つきが一変した。


 第二フェーズ。

 開始と同時に、ロイズは間合いを一気に詰めて、右ストレート。渾身の拳撃だ。

 俺はそれを額で受け止める。正確には前頭部の一番固い所で。


「ぐあっ。なん、だと……っ!?」


 抗しきれず、ロイズルの拳がくずれる。俺は勢いのままに無理やり相手の懐へ押し入った。

 当然、ロイズは後方へ逃げようとするが、額打ちで伸びきっていた右腕を俺に掴まれていた。


「こっ、のっ!」

 左フック。それを右肘で受ける。からの、右フック。白い顎が跳ね上がる。間髪を入れず、脇腹への右拳を叩き込んでから、彼の右腕を離す。

 ロイズは腹を押さえてよたよたと後退した。


 その時、俺は追撃を迷った。タックルで押し倒してラッシュを直感する。


 だが一瞬の欲をかいた隙に、もうロイズが間合いを詰めてきた。

 渾身の左のストレート。俺の〝眼〟はそれを捉えていた。腕を掴んで懐に潜りこみ、伸びきった腕の慣性をかって、彼の身体を背負う。


 一本背負い投げ。


 やわらかい地面に叩きつけられたロイズは目を開けて意識はあったが、地面でか細く呻くだけで、すぐには起き上がれない様子だった。


「そこまで。勝者、狼。──よーし、ここで一旦休憩にしよう。おい。誰かロイズに肩を貸してやれ」


 カラヤンの号令で、小休止になる。俺はその場にへたり込んだ。息が切れたのだ。


「あの、狼しゃん……?」

 恐る恐る近寄ってきたウルダを、俺は息切れしながら泥まみれの姿のままで抱き寄せた。


「俺の作戦ば逆用するとか、やるなあ。ウルダ。あれはたまがったぞぉ!」

「狼しゃん……怒っとらんと?」


 俺は鼻面をぶんぶんと振った。


「ウルダの助言は、最初からカラヤンしゃんの指図やったとやろが。いっちょん怒っとらん。ふふっ。やけん、ウルダを利用して彼を怒らせてやったと」


「あっ。……ふふふっ。えずか人っちゃ」


「兵法は、詭道きどうなりったい。敵ばあざむくには、まず味方からいうの知らんとや?」

「なん言うとるか、ちぃっとも分からんと」


「そげんうちわかるばい。そしたら、次の相手は……ウルダか」

「うん。うちと仕合うん、嫌と?」


 ウルダはしげしげと俺の目を覗きこんでくる。


「もちろん嫌ばい。ウルダの可愛い顔は殴れるか自信がなか。ばってん楽しみでもある。ウルダがどんだけ自分の弱点ば隠しくきれっかな」


「全力ば出せば、弱点なんか関係なかよ」

 俺は頷いた。ウルダは賢い子だ。まさにその通りだ。


「これ以上は、敵に塩ば送らんからな。自分が不利になるけん」

「ふうん。意外に心の底が浅かねえ」


 目を細めて口をへの字にするとウルダは俺とハグする。それから背中を叩いて、カラヤンの方へと歩いて行った。


 励まし方がハティヤに似てきたな。将来は、格好いい美女になりそうだ。それにしても……。


「ああ……っ、きつか~っ!」

 俺は這うようにして水の方へ進んでいった。


  §  §  §


 後陣(副将)戦。ウルダ。十三歳。

 ウルダの弱点もまた、フィジカルの脆弱さ。その弱さは未成熟女性ということもあるので、スコールよりもさらに劣る。男女の性別がもたらすフィジカルの溝も深く、鍛錬だけではいかんともしがたい。


 だが、ウルダはそのフィジカル面を補って余る暗殺技術がある。人体の急所攻撃は的確で、敏捷性においても男性に引けをとらず、時にスコールも舌を巻くほどだ。

 だから俺はあの子から敏捷性を奪い、地上に引きずり下ろさなければ負けるだろう。


 いや、別に負けたっていいんだろうけどさ。そうすると、ウルダが「手抜きしたっちゃ」と怒り出しかねない。勝負事には、カラヤンよりもうるさい娘なのだ。

 そうならないように、言い訳対策は、すでに打ってあるんだけどな。


 とにかく、ここからが本番といったところ。


 向かい合うと、アラサーのおっさんと中学一年生の女子児童。

 身長体格差は比べるべくもないが、今日のウルダは背が少し大きくなった気がした。それでいて落ち着いた眼差し。


(これは、強いかも……)

 俺は固唾を呑んだ。

「始めっ」


 開始とともにウルダは後方へ跳び、俺との距離をとった。組みつきを警戒したらしい。実に賢い。それから、


「──っ!?」


 分身した。


 ギャラリーからも驚きの声が上がる。


 影分身の術。

 いわゆる忍者フィクションにおける〝分身の術〟は、忍術の一つで、〝何らかの方法〟により、術者が複数名いるかのように相手に見せる攪乱かくらん術のことだ。

 白土三平の漫画『カムイ伝』で、残像を応用したとされる分身の術が使用された。これ以降、あらゆる創作物で登場することとなる。


 結論から言ってしまえば、残像を応用した分身の術の実践は、科学的に不可能だ。


 そもそも、残像(残像効果)とは、主に人の視覚で光を見たとき、その光が消えた後も、それまで見ていた光や映像が残って見えているような現象をいう。

 残像を利用した物で、〝ソーマトロープ〟というものがある。

 これは、円板やカードの表と裏に絵(例:鳥と鳥かご)を描き、円板が回転することで両面の絵が交互に見え、残像現象によって一つの画像(かごの鳥)に見えるというオモチャだ。十九世紀。英国ヴィクトリア朝時代に一般的な玩具として広まった。


 発明者は諸説あるが、英国人医師ジョン・エアトン・パリスが、一八二四年ロンドンの英国王立医科協会で視覚の性質をデモンストレーションするのに、ソーマトロープを使ったことで知られている。


 ちなみに発音が似ている〝走馬燈〟とは奇遇なる無関係だが、大開拓時代のアメリカで走馬燈型の回転式ソーマトロープを造ったのが、映画の始まりとする俗説がある。

 極めつけは、生身の人間がアニメのような残像を作り出すのに必要な移動速度は、時速二百数十キロで反復運動しなければならない。というトンデモ試算があるくらいだ。


 とにかく。速く切り替えなければ残像現象は起きず、人の視覚処理能力を欺くことは困難だということだ。


 というわけで、もう一つの方法。〝複視〟を誘引した幻覚説がある。


 複視とは、一個の物が二個に見えたり、二重に見える視覚現象のこと。両目の像が重ならないことによる両眼複視と、片目で見ても二重に見える単眼複視がある。


 前者は、眼筋麻痺による場合が多く、後者は、水晶体とよばれる眼球レンズの脱臼や乱視が多い。


 もう、おわかりいただけただろうか。


「くぉらーっ! ウルダーっ!」


 俺は保護者として、イタズラ娘を大喝一声。叱りつけた。


 俺の本気の剣幕に、分身が一斉に怯えおののいて逃げ出す。その中から俺は的確にウルダ本体を追いかけて、奥襟をひっ捕まえた。お尻を前にして逆さに抱えると、腰に小さな匂い袋をぶら下げていた。


 休憩する前まで、こんなの持ってなかった。

 それを引きちぎり、俺は地面の泥に足で埋め込んだ。


「カラヤンさん、ウルダが毒を使いました。彼女の反則負けです。裁定を!」

「ど、毒だとっ!? お、おう」


「みんな、離れてーっ。散開っ。散開ーっ!」


 俺が叫ぶと、兵士達は怪訝ながら輪を広げ始めた。ところが、次々と足下をふらつかせて転倒する。審判のカラヤン、ギャラリーの最前列にいたスコールを含めて、その場の全員が尻餅や四つん這いになるのに時間はかからなかった。


 散布された麻痺毒で視覚による平衡感覚が狂ってしまったのだ。


(ウルダ、マジで優秀な暗殺者……っ)

 忘れていたわけじゃないけど、再確認した。

(訓練で、毒なんか使ってどうすんのっ!?)


 もう大惨事だよ。この状況になる毒をわずかな時間であっさり用意するなんて。

 これくらいなら死にはしないだろうの感覚はあっても、毒を使うことにためらいがなく、日常化すらしている。


 まず訓練に使用するという考えそのものがおかしいと思わない。これは念頭に、〝戦いに勝つことは生きること〟という過酷なサバイバル教育を受けているからだ。


 オイゲン・ムトゥが、秘蔵ッ子にしたくなるわけだ。優秀ゆえに危険すぎる。


 だが今の保護者は、俺だ。

 本心はきっと、俺を驚かせたかったのかもしれない。けれど、結果は試合どころではなくなってしまった。戒めなければならない。

 親の威厳をもって娘のお尻をマシンガン叩き。また【風】マナで周囲の空気を追い払う。


「痛ったた~ぁ。な、なんでー? なんで、うちの位置がバレたとー?」


 地上に降ろされたウルダは小さなお尻を両手でさすりながら、口を尖らせる。毒使用よりも負けたことが解せないらしい。まったく懲りてない。


「そんなことより見てご覧よ、この有様っ。どうしてこうなったか、自分で考えなさい!」

「おかしかね~? 薬剤の量は間違えとらんと──」


 語るに落ちた娘の頭にゲンコツを押しつける。殴りはしない。怒ってることを伝えるだけだ。こういう強い子には、痛みよりも近親者の怒りが一番こたえる。


 格闘訓練でフィジカル面の弱さを補うために毒を使う。その機転奇想アイデイアに舌を巻きつつも、TPOを考えないところはやはり子供だ。


 事ここに至り、どうでもよくなってる分身看破のほうは、見破ったのではなく嗅ぎ破ったのだ。

 さっきハグした時に、俺はウルダの服の背中に薄く俺の汗と泥がつけていた。

 意図したものではなかったが、試合直前に対戦相手のユニホームに泥をつけると弱るという迷信ジンクスを学生時代から信じていた。

 その臭いを追いかけたのだけど、反省を促すためにウルダには種明かしはしない。


「カラヤンさん、この情況ではもう……」


「やるっ!」

 カラヤンはふらつく足下ながらも勇ましく立ち上がり、言い切った。

 うわー。ここにもいい歳をしたでっかい子供がいたよ。

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