第18話 魔狼の王(17)
デーバの町は、宿場町だった。
城壁をくぐると、二車線の馬車道を挟んで左右に長い建物。
「ティボル。これ、何の施設?」
「あん? ああ、それが大浴場」
「これが、風呂っ? いや、デカすぎだろ。何区画あるんだよ」
「あーっと、四区画って言ってたかな」
野球スタジアムかよ。
火事になったという割にその印象がないのは、景観を損なわないために徹底的に掃除されたからだろう。荘厳なバロック様式の宮殿を思わせる建物が、銭湯とは。
「随分と整備された町だな」馬車が全然揺れない。
「まあな。アッシマー男爵は、元は南東のコンスタンツァって港町が生まれでな。会計士の息子なんだと。父親も会計士で、十四歳でヴェネーシア共和国の主計学院に留学。
十九歳で主席とって地元に戻ってきて会計士をしてたところを、家政長アッペンフェルド様の目に留ったらしい。そのまま十九で初登庁して二八で男爵位で初の産業相。三〇でこの町の領主になった」
さすが業務提携パートナーだけあって、詳し……過ぎるな。
「タマチッチ長官みたいに地方長官じゃないんだ」
「みたいだな。バトゥ都督補とアッペンフェルド様は士官学校以来の盟友だが、お互い我が強いらしくてな。バトゥ都督補はちょっと人材を借りるつもりだったのに、アッペンフェルド様はがっつり町を乗っ取るつもりだったらしい」
「えっ。公然と乗っ取るつもりなのか?」
「あっははは……。それくらい仲がいいんだよ。そこでお互いに交換条件を出した」
その先は俺でも読める。
「アルジンツァン家から有能な人物を領主に据える代わりに、町収益の半分をアゲマント家が接収するってとこか」
「ふん。相変わらず勘がいいな」
「だとしても、よくアッシマー男爵はその条件を呑んだな」
「いや、むしろあいつは、好条件だったって言ってたな」
あいつ……。
「どういうこと?」俺はとなりを見た。
ティボルはどこか遠い目をして、言った。
「男爵は生まれが平民で行政官上がりだから、領主とは名ばかりの〝町長〟だ。平民行政官だと男爵が最高爵位なんだと。所領はもてねえ。だが所領がないことの裏を返せば、一般税の半分をアゲマント家に上納すれば、町住民の兵役が免除になる。この町から働き手を取られないことになる。
さらに、この町は西のティミショアラと南のコンスタンツァからは交易品。北はオラデアから鉱物と木材が集まる中継都市だ。あとは町を活かすも殺すも自分次第だと考えたそうだ」
「なるほどね。それじゃあ、アッシマー男爵はこの国が戦争になると?」
「ああ、読んでたんだろうな。だから収益半分の条件を呑んだ。なのに、この町の税金が驚くほど安い。そして揉め事を起こした時の罪が、国内で一番重い町だ」
「へえ」
「道にゴミを棄てただけで、三ロットの罰金だぜ。まずあり得ねーだろ」
ここは大英帝国かシンガポールかよ。
「じゃあ、ここの住民達の生活ゴミはどうしてるんだ?」
「町の行政官が五日ごとに収集に来る。それを風呂を焚く材料に回すわけだ」
ゴミ処理施設に併設された温水プールの熱リサイクルか。これがいつか火力発電に回せたら、この町はもっと大きくなるだろう。
「頭いいな」
「ああ。だが、今回ばかりはさすがに弱り切ってるだろうな」
「〝魔狼の王〟のこと知ってたのか?」
「当然だろ。衛兵の八割も食われたんだぞ? あいつは当事者だよ」
「ああ、そうだったな。確かに……あいつって?」
ティボルはそれきり黙り込んだ。やっぱり話す気はないらしい。
§ § §
カラヤンの指示で、役割分担が決められた。
アッシマー男爵との接見は、カラヤンとティボル。町の情報収集はグリシモンとアルバストル。カラヤン中隊第1小隊(三〇騎)が担当。
第2、第3小隊(計六〇名)は、俺とヴェルデで町の周辺と地下水路の偵察に向かった。
また、第5は、オラデア郊外の根拠地で別働。第6は、セニからの第7小隊(三〇名)とティミショアラで合流の上、病み上がりのスコールとウルダとともに情報収集を兼ねた後詰め(後続部隊)に回ってもらった。到着は、あと半日後の予定だ。
俺は、町の北東に見つけた地下水路排水口の前で、ブリーフィングをおこなった。
「今回の目標は、戦場偵察だ。地下水路排水口ならびに、地下へ続く不審な洞穴の位置を確認することだ。地図に印をつけて、排水の行き先が地図と間違いがないか確認すること。
また注意事項として、くれぐれも水路内に入ってはならない。各班携帯の松明は、所在確認用だ。仲間の松明を見て互いの位置を確認しろ。
周辺環境で気になった物はすべて地図に書き込め、とくにヒルやミミズなどの小動物に注意しろ。攻撃目標である魔物の可能性がある。木の上にも登ることがあるから気をつけるように。集合は四〇分後だ。以上。なにか質問はっ」
「あの、副隊長」俺のことだ。副官二人はカラヤンと一緒にいる。
「なんだい」
「昼間で、地図も町の壁も見えるのに、松明が必要ですかね」
もっともなことを言ったので、俺も答える。
「その松明は所在確認用だと言ったろ。仲間の班に何か異常があった場合、その松明はどうなると思う?」
「えっ、そりゃあ……地面に落ちる? いや、振り回す?」
「そうだ。それを見て、お前たちは逃げるか助けに行くかの判断をしてくれ。救援困難だと思ったら、無事な松明の班を見つけて本部(俺のこと)に救援要請しろ」
「ええぇ……」
「繰り返すが、敵はヒルやミミズの小動物であるため、知らない間に攻撃されていることがある。それだけ今危険な調査をしているという自覚を持ってくれ。魔物の巣を調査している自覚が持てれば、なおよし。集中しろ。他には」
「あの、副隊長。副隊長は、ここで何やろうとしてるんっすか?」
「見ての通りだ」
「いや……、焼肉パーティ始めてるようにしか見えないんっすけど」
俺の背後には、キャンプスタンドに小ぶりの
あと蒸留酒のボトルが五本。
「四〇分して何事もなく戻ってきて、残ってたら、お前たちのランチにしていいよ」
「マジっすか!?」
「ああ、無事に残ってたら。な」
そのふくみに、隊員たちは生唾を飲み込んだ。それが食欲だったのか恐怖だったのかは、俺の知る所じゃなかった。まあ、大丈夫だって。
「他に質問がなければ、行動開始だ。……よし、かかってくれ!」
隊員たちが散開していくと、俺は黙々と肉を回した。
そこにヴェルデが戻ってきた。
「狼。だめだった。この辺の動物たちはみんな逃げてる。声がない」
「そうか。じゃあ、最初に声を見つけた距離はどの辺になる?」
「一〇キール先にリスがいた。木の実で気を引いて話聞けた」
「そうか。寒波がいつ来るかは、聞けた?」
「うん。でも、もうすぐとしか言わない」
「ふふっ。そりゃそうだ。日付けがあるのは人の世界だけだもんな」
のんびりと炭火を煽りながら、言った。
「あの、狼。旗艦は産卵を始めると動かないんだよな?」
「そうだな」
「なのに……護衛艦をおびき寄せるの?」
「ううん。俺がおびき出したいのは駆逐艦のほうだ。俺がオラデアで旗艦を殺した時、戻ってきた護衛艦は五、六隻いた。そのうち三隻が、このデーバの町で死んだ。護衛艦としてではなく、駆逐艦としてな。
どうも、旗艦を失った護衛艦は、あの巨体を有しながら駆逐艦に格下げにされるみたいでさ。だからヤツらは尖兵として町に突入し、大暴れして人を食い、欠片に戻ってデーバの女王アリと結束する道しかなかった。それならあと二、三匹の元護衛艦が駆逐艦として生き残ってるはずなんだ。そいつを今のうちに仕留めたい」
「狼が。一人で?」
「まあ、なんとか……。やってみるさ」
「あ、あの……おれにできること、ある?」
少しずつこの若者にも誰かを守りたい気持ちが芽生え始めているのは、喜ばしい限りだ。
「寒波の正確な時期が知りたい。それを知ってそうな人物を捜して、いつになるか聞いてきてくれ」
ヴェルデは困った様子で空を見上げて、やがてぼそりと呟いた。
「そうだ。もしかしたら〝崖の下の婆さま〟なら知ってるかも」
「誰だって?」
「アルバ・ユリアで傷薬を作ってる老婆がいる。みんなから崖の下の婆さまって呼ばれてたんだ。何でも知ってて、みんなから当てにされてた。すごいおっかない人だけど酒に目がないんだ。ワインをもっていくと大抵のことは教えてくれる」
「ヴェルデが会ったことは?」
「小さい頃に、母ちゃんと一度だけ。めちゃくちゃ恐かったのを憶えてる。『いい耳を持ってる』って言うから、耳を食べられるかのと思った」
俺は笑いながら、腰の金袋から金貨を一枚取り出した。
「町でワインを買って、その婆さまに寒波がくる時期を聞いてきてくれないか」
「ワイン買うのに、こんなにいる?」
「ヴェルデ、そうじゃない。金貨一枚分の上物ワインを買って、その婆さまに聞き出す代償としてちらつかせるんだ。ちゃんと答えるまではそのワインを渡すんじゃないぞ。そういう婆さんは、ワイン一本分だけ世界を操る方法を知ってるんだ。俺のようにね」
「悪賢いんだ」
「フッフッフ。そういうこと。じゃ、頼んだぞ」
「わかった」
ヴェルデが町の中に消えるのを見送ると、俺は焚き火の薪を足して腰を上げた。
「さて。俺の悪賢さが、あのバケモノどもを
§ § §
ここでまた一つ、俺は賭けにでた。
行き当たりばったりに、上司命令をぶっちぎる。せっかく今やれる精いっぱいなはずの人海戦術の調査。それを無視するような独断専行だが、どうしてもこちらの人的損害なしに敵戦力を削っておきたかった。
デーバの旗艦が産卵に入ったのなら、護衛艦は食糧調達には動かない。あくまで女王アリを守る軍隊アリに徹するはずだ。
なら、オラデアの残存とあわせてデーバの駆逐艦がどれだけいるのか、俺にもまだ把握できていない。だから巣をつついてみて、それを確かめる必要がある。
よって、これから威力偵察をする。
(あとで、カラヤンさんに怒られるかもだけど、俺なりに理由もあるんだ)
実は、〝魔狼の王〟全部を相手にするには、予算が足りなかった。
俺のにわか火炎魔法で、また地下水路を隅ずみまで蒸し焼きにできればいいのだが、それをすると地下から地上へ火炎が噴きだして、町がまるごと火炎地獄と化す。
それなら、人海戦術で封鎖作戦をやればいいのだが、そのための燃料がまったく調達できなかった。
この冬の時期、油各種の値段が高騰。薪の値段が高騰。木炭石炭に到るまで高騰して、隊員の宿泊滞在費で手一杯。備品費まで回らないと、副官二人から愚痴を聞かされた。
親征軍三万の養いで、きりきり舞いしているバトゥ都督補に魔物退治の費用を請求しても、いい返事など期待できなかった。もちろん請求はするけどな。
やっぱり戦争は、金だよ。
「おほっほっ。いいニオイしてきたぞ。……うお、くぅ。これは禁断症状が、たまらんっ」
じゅるり。
焼いているこの肉や薪だって、俺のポケットマネーだ。ほんのちょっと。ちょっとだけ味見していいよな。
ナイフでバラの所を切り取って、口に入れる。
「おふっ、おおふぅ。ん~、じゅうすぃ~……来たな」
古い石造りの地下水路の奥から八つ眼の狼頭が這い出てきた。
あと少し……っ。
俺はうなぎ屋の渋うちわよろしく肉の煙を懸命にあおり立てる。
左右の壁にクモ脚を這わせながら出てきたのは、やはりアフリカゾウサイズの魔狼。オラデアの元護衛艦だ。
黒い狼頭が、殺気だった速度で地下水路から町の外へ出た、その直後だった。
ところてんを押し出す器具を〝天突き器〟というが、まさにそれだった。ぬらりと碁盤目状に断裂して静かに地底へ落ちていった。
排水口の手前にぽっかりと空いた穴は直径一〇メートル。地上から地底までの落差は目測で五〇メートルほど。十三階建てのビルくらい。足を滑らせて落ちたら、俺でもひとたまりもないはずだ。
俺が肉を
【土】マナは性質上、重力落下推進力があり、上から下への軌道抵抗は素直だ。そこにらせん状に回転させることで、機械掘削とは違って、スムーズに静かに溶けるように掘削できた。
また一頭分の肉に火を通すのは結構時間がかかるものだ。火を通す時間を使って、地下水路の出口にミスリル性の糸を釘で打ち込んで格子網を作った。
その糸に微量の【水】マナで刃物状に尖らせて。
魔狼が、排水口からにゅるにゅるとこぼれ落ちていく
その後も、地下水路から次から次へと出るわ出るわ。〝魔狼の王〟様ご一行、大行進だ。
ワラワラ、カサカサ。ワラワラ、カサカサ。
焼肉のニオイに誘われるままの
あまりにも呆気ないので、肉を焼いておびき寄せる必要があったのかすら疑問をおぼえた。他の水路へ迂回することもなく、一心不乱に向かってくる。
彼らの姿は盲目的で、独善的で、
しばらくすると、地下水路から何も出てこなくなった。
作戦の潮時だ。俺は下のヤツらに止めの一撃を加えることにした。
さっき買う燃料がないと言ったな。あれは、本当だ。
だが可燃物まで買えないとは言っていない。むしろ使用量が少ない分、油より安かった。
俺は精肉屋のとなりの店で、蒸留酒を買った。
店のオヤジに「雪山で遭難した奴が一口飲めば、一発で月まで吹っ飛ぶヤツをくれ」と頼んで勧められた、とびきりの蒸留酒だ。それを五本。
その名も
ボトル口にボロ布きれをつっこみ、【火】マナで着火。穴の中に放り込む。
手向けの言葉はかけなかった。ヒル相手にかける慈悲などありゃしない。
だって、俺はコイツらとの生きる賭けに勝ったんだから。
そんなことよりも俺は、カラヤンにこのうまくいきすぎた前哨戦勝利をどう報告しようか悩まなくてはならない。
「あ、クヒヒッ。このままあいつらに肉食わせれば、もう一蓮托生じゃんか。よし、そうするか」
証拠隠滅は腹の中。完全犯罪である。
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