第7話 魔狼の王(6)


 悪い予感とは、それが的中するまで、人を落ち着かせなくするものだ。

 だから不安とは、的中するまで絶望に向かって落ちている中で抱く、そわそわした感情なのだ。きっと。

 ツカサから最後の電話を受けた時も、京都行きの新幹線の中でも、同じことを思った記憶がまだ少しだけある。


 スコールとウルダが、夜になってもかえってこない。


 時間は、夜の九時二四分。この町には電気時計が町の中央にある。それが〝クマの門〟の部屋から垣間見るのが余計に俺を不安にさせる。見なければいいのに、不安で見てしまって不安になるのスパイラル。


「もぉ~だめだっ! 限界だ。待てない!」


 俺は旅装にこの町で買った馬だか牛だかのブーツを履き、背嚢を背負った。

 ヴェルデの部屋に向かう。彼は起きていて俺の姿を見るなりすべてを察した顔になった。


「狼。二人を、探しに……?」

「うん。ヴェルデは入れ違いに二人が還ってきたら、絶対ここから出るなって言っておいてくれ。朝までには戻るよ」


「ごめん。おれ何も役に立てなくて……」


「何言ってるんだ。ヴェルデが報せてくれたから、ドワーフたちは急いで作業できてるんだ。何か思い出したことでもあったら、聞いておくけど」


 ヴェルデは少しの間うつむいていたが、


「動物たちが……ヤツらが巣を作り出したって」

「巣?」


 ヴェルデは小さくうなずいた。


「群れのメスが身籠もってるらしい。巣になりそうな場所を探して北の森に入ってきたんだって。オス達はメスを守るために、凶暴化して襲ってくるらしい。みんな大急ぎで西に逃げてた」

 

 俺は腕組みして、下あごをもふった。


「獲物の少ない真冬に産卵期に入った……。あ、そうか。この辺りは地熱がある。巣作りに地下へ向かう気か?」

「狼。スコールとウルダは弱い者イジメが嫌いな性分だ。もしかしたら、動物たちを逃がそうとして残ったのかも」


 充分あり得ることだ。俺はヴェルデの肩に手を置いた。


「ああ。まったく世話の焼ける最強コンビだよ。〝クマの門〟の店主に頼んで、たまに覗きに来てもらうようにするから、安心して寝ていてくれ」

「うん……」


 ヴェルデは目を閉じると、気を失うように寝息を立て始めた。


   §  §  §


「そろそろ来ると思ったよ」

 そんな夜のご挨拶は、マクガイアの自宅前にあるベンチからした。

 オルテナだ。旅装姿で。

 他にも兄マシューと他にドワーフが三名。分隊で出かけるつもりらしい。


「マクガイアさんに黙って出かける気はないよ」

「残念だったな。兄ちゃんは今、会議中さ。カラヤン達と旧市街に乗り込む手筈をつけてる」

「ホリア・シマの容疑が固まったのか?」

「さあな。あたいは興味ねぇから知らね」


 面倒くさいなあ。その乙女心。


「言っとくけど。ドジ踏んだら死ぬからな」

「はっ。見損なってくれるじゃねぇか。あたいらがヘマすると思ってんのか?」

「ドワーフは勇気があってパワーはあるが、身体が重いからな」

「ふんっ。そのためにこれがあるんじゃねえか」


 馬頭型の籠手を見せる。五つ。


「俺の分は?」

「ひひひっ。見りゃあわかんだろう? 欲しけりゃ力尽くで手に入れるんだな」


 理解した。中学の時にも、こういう小悪党ヤンキーいたわ。


「それ一個八〇〇〇ロットするんだったよな。あとで違約相殺してもらうからな」

「はっ。そういう口は奪い取ってから──」


 言い終わるのを待たず、俺は急接近して【土】マナを叩き込む。オルテナの鳩尾みぞおちを貫くほどに。


「う、そ……っ!?」


 倒れかかってくるオルテナから籠手をはぎ取った。彼女は両手で腹を押さえて地面に頭から突っ伏した。


「マシュー。それも渡せ」

「な、なんでじゃっ。今そこにあるじゃろうが!」


「足りない。予備と、予備の予備と、布教用と、保存用が必要だ」


「はぁあ!? なっ、なんじゃそりゃあ。わけわからんでぇ!」


「みんなもこっちに渡せ。情報は必ず、朝までに持ち帰る。棄てるほど勇気があるなら、決戦まで取っておけ。興味本位で覗いてこれるほど、ヤツらは甘くないぞ」


 すると、ドワーフたちは次々と俺に籠手を投げ渡してきた。三つ。これで合わせて四つだ。


「おい、お前ら。ちぃっとは根性みせぇや!」

 マシューが怒りの唾を飛ばして喚く。

「いやぁ。マシューさん。やっぱ、夜間偵察っちゅうんは危険ですけぇのう」

「ワシ、嫁と子供が三人おるんじゃ。泣かせるわけにはおえんけぇ」


 姐御がやられて分が悪いと感じたのか、ドワーフ達が調子のいい弁解を始めた。


「じゃあ、マシューは来るんだな。危なくなっても見捨てるからな。多分その時、俺の両手は塞がってると思う」最悪のパターンだが。


「うう~ぅ。……行く」


「えっ!?」

 俺は思わず目を瞠った。この流れだと残る方に乗ると思っていた。


「わしゃあ、やっぱりこの目で見てこんと気がすまん。知識でも技術でも兄貴には遠く及ばんが、これでも技師の端くれじゃ。現物を見て防備修正や改善くわえんと、バケモンには勝てん気がする」


 その心意気に感動すら覚えたが、俺はあえて冷たい目で見つめる。


「本当にいいんだな。何があっても俺は助けられないからな」

「むしろ、オルテナを止めてくれたんで充分じゃ。こいつ、昔から兄貴の気を引こう思ぉて無茶わやばぁするけぇ」


 気づいてたのか。さすがお兄ちゃんだな。俺は籠手三つ、背嚢につっこんだ。


「じゃあ、行こうか。こいつの使い方を教えてくれ」

「はぁ~……なんなら。散々わしらにでけぇ口叩いて、しまらんのぉ」

「仕方ないだろ。本当に初めてなんだから」


 それから五分ほど説明を受けて、俺とマシューはヴァラディヌムの町を出た。

 俺はこの世界にきて初めて、空を飛んだ。

 ──つもりだった。


   §  §  §


〝飛燕〟ラスタチカ

 まず、進む目標に向かって、鉤爪ハーケンを打ち込む。ザイルが伸びきった時や、鉤爪が目標に刺さってから、くいっと籠手を上下に返せば、巻き取りが始まる。

 それとほぼ同時に左右どちらかへ跳躍。鉤爪の打点からできるだけ外側に飛ぶようにする。

 このわずかな跳躍により、水平遠心力による位置エネルギーを働かせ、無重力的慣性をつかって巻き取り負担を軽減、かつ前に飛ぶ推進力を得る。

 これが初動スタートになる。


 言葉で説明するのは難しい。


 右、左とスキーストックを雪上に刺す感覚で鉤爪を飛ばして、身体の重心を左右に振り、〝飛燕〟の巻き取り装置にぶん投げられるようにして前に進む。

 言うは易しで、二〇〇メートル進むのに六度も地上を引きずられ、八度も木や壁に激突した。

 もう顔はドロドロ、服はボロボロになってしまった。それでも子供たちのことが心配で、焦りに任せて鉤爪を前に飛ばす。

 今度は、雪おろし後と見られる納屋の前に積まれた白い山に叩きつけられて、俺はしばしの間、動けなくなった。


「おーい。狼。生きとるかあ?」


 毛ほども同情のない口調で、マシューが声をかけてくる。〝飛燕〟を飄々ひょうひょうと使いこなせているこのドワーフ野郎が恨めしい。


「オルテナは昔っからスピード狂でのお。その〝飛燕〟だけは、巻き取り速度がオリジナルの三倍にしとる。いくらあのガキどもでもさすがに使いこなせりゃあせんじゃろう」


「す、スコールやウルダの魔導具より、はや、い……?」


(こいつ……っ。それ知ってて、今まで言わなかったな)


 ギッと睨むと、マシューに上着のえりをむんずと掴んで引き上げられた。


「狼。おどれ。もしかして、高所恐怖症なんか?」


 俺は思わず目を見開いた。とっさにマシューから目をそらす。


「これでも兄貴と〝龍〟の整備技師メカニックやっとるからのう。後ろからずーっと眺めとったが、おどれ低い所ばぁ飛んどったろうが。あれじゃあ、次の鉤爪を飛ばすほどの滞空時間に余裕がありゃあせんじゃろう思うとったわ」


「で、でも。この先はずっと農地ばかりだし。低空に慣れておくのは悪くないかと」


「素人が、見よう見まねで小賢しいマネしたらおえんでっ。わしゃおどれの上司じゃねえけぇ、これ以上いらんことは言わんど。けど早よせんと、子供たちがヤバいんと違うんか?」


「ううっ……」言い逃れできない。

「狼。しっかり飛べや。ワシの妹殴り倒した、あの度胸みせんかいっ」


 俺は、荷物から予備の汎用型〝飛燕〟に取り替えて装着する。

 鉤爪を前方に飛ばして跳躍。冷たい風が身体を包む。


「うおーっ……今度は周りの景色がちゃんと見える」

「狼。徐々に高度を上げろっ。遠心力を利かせて空に向かって飛べ!」

 後ろから指示が怒声で飛んできた。

「やっ、やってみる!」


 それからわずか二〇分ほどで、目的地の北の森が見える丘まで来た。やっぱりうちの子達ならすぐに帰ってこられる距離だった。


「なんじゃあ……こりゃあ」

 声もなく立ち尽くしている俺の横で、マシューが呆然と呟いた。


 暴食ぼうじきの爪痕。

 かつて広大な黒い森であったであろう場所は、名状しがたい邪悪によって蹂躙じゅうりんされていた。踏み潰された草葉や、へし折られた樹木。そこかしこにヘドロのような汚物が吐瀉としゃ物のようになすりつけられていた。


「ここまで無茶わやじゃとはのぉ。兄貴も他の連中焚きつけて神殿の改造を急がせとるわけじゃあ」


 マシューの独白を聞き流し、俺は背嚢からリンゴを取り出した。

「待ってろよ。スコール、ウルダ。今行くからなあ……っ」


「のう。狼。おどれ……メシ食ったら出すんか?」

「はあっ?」


 こんな時に何を言い出すんだと咀嚼そしゃくしながら睨んだが、マシューは気にした様子はない。じっと俺の食事を見つめてくる。


「メシ食ったら、うんこ出すんかいうて訊いたんじゃ」

「そ、そりゃあ……身体は一応まだ人間、のはずだからさ」


「なら、徨魔バグも食ったら出すと思うか?」

「えっ。いや、わからないよ。戦うのが精一杯で満足に生態なんて観察してこなかったから」


「兄貴はしとったで。目の前で仲間が食われていくのを見続けとった。そんで昔、そんなことを言い出したんじゃ。ヤツらはメシを食った後は、ワシらの仲間をひり出すんか、てな」


「今ここでそんな……もしかして、マクガイアさんが言いたかったのは、その食べた物は彼らの体内でじゃないのか。ヤツらがあらゆるものを貪る目的?」


 なんのために食べるのか。

 マシューは太い指で、俺を指さした。


「そうじゃ。それじゃ。あいつらは元はヒルやミミズじゃ。まともに内臓と呼べるもんなんぞありゃあせん。おまけに消化吸収は、結束中であっても魔狼を構成しとる〝アーテルヴァーミキュラ〟全個体の栄養になっとらんとおかしいで。

 生命維持活動のために人間を食ってきた。ワシらは今までそう見てきとった。じゃが、もしじゃ。もしヤツらが排泄はいせつをせんとしたら……?」


「残りの栄養の行き先は……卵?」ヒルもミミズも雌雄同体だ。


「それじゃ! ヤツらは食った余剰エネルギーを排泄せん。なら、余ったもんはすべて生殖に回しとらんと間尺に合わんで。どんなバケモノじゃろうと生物である以上、生きるからには増やさんとな」


 俺は頷くと、魔法を唱えていた。


「日は香炉を照らして紫煙を生ず

 遥かに視る瀑布の長川を掛くるを

 飛流直下三千尺

 是れ銀河の九天より落つる、也」


 索敵魔法〝秩序の昏瞑とばり〟だ。

 魔法陣の中に、緑と赤の灯火が浮かびあがる。

 マシューは腕組みして、目を眇めた。


「こりゃあ、緑も赤も西へ向かっとるんか」

「どうも、そういうことみたいだ」


「さっきの仮説で、もしあいつらが卵を守るために外敵を追い払っとるんじゃとしたら」

「あるいは、単に逃げるスコールとウルダを追っているのかもしれないけど」


 俺は思わず目を強く閉じる。その情景がまぶたの裏に浮かんだ。

 あの二人は強くて優しい良い子なんだ。俺が逃げろと言いつけても、なんの罪もない動物たちがむざむざと食い殺されているのを黙って見過ごせるはずがない。


「狼っ。しっかりせえっ。今がチャンスかもしれんのじゃぞ」

「ああ、わかってるよっ!」


 やるかたない怒りを吐き捨てて、俺は急いで魔法陣の縮尺を広げた。


「……いたっ! マジでいた。こいつだ!」


 果たして西へ移動している灯火の群れのとは真逆。群れからかなり距離が離れた北東側に、ひときわ大きな赤い灯火がじっと留まっていた。


「シロナガスクジラ級の旗艦個体──。こいつが〝魔狼〟の女王アリだったんだ」


 俺は魔法陣から顔をあげて森を見つめれば、その方面の森だけなぜか被害が少ない。

 明らかに隠れようとしている。

 今、千載一遇のチャンスが訪れている。そういう幸運はだいたい二者択一を迫られる。

「マシュー。この先に洞窟とかありそうか?」

「さあのう。じゃが、行ってみる価値はあろうが」

「ああ……くそっ」


「狼。こういう時、ものは考えようじゃ。ワシらが卵を狙ったら、ガキどもを追っとる魔狼どもが呼び戻されるかもしれんで」

「本当に旗艦を攻撃、するのか? そうなったら偵察じゃなくなるぞ」

「ワシとお前だけじゃ。どうせ勝ち目がねぇのはわかっとる。じゃが策はあるで。乗ってみんか?」


 とっさにスコールとウルダの笑顔が脳裏によぎった。

 危険だが、無茶をする価値はあるんだ。

 俺はうなずいた。

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