第6話 魔狼の王(5)


 十五分後。

 スコールとウルダが試運転から戻ってくると、俺は新しい魔導具に蹴りを一発ずつ入れた。


 スコールは立ったまま四、五メートルほど押し切られて最後に尻餅をついた。


「うっはあっ。くっそ~っ。あとちょっとで耐えきれたのになあ」


 ウルダは衝撃と同時に跳躍。スコールのさらに後方まで吹っ飛び、空中で一回転して着地。直後にひっくり返った。


「くぁあ。これが狼しゃんの本気の蹴りとやぁ。痺れた~」


 ウルダは心から楽しそうに笑いながら、戻ってくる。

 スコールの吹っ飛び方で衝撃を目測する機転を利かせたようだが、こっちもそれも計算してさらに力と速度を上げた。二人とも装備を新調して表情はどこまでも明るい。


 狼の群れに育てられた子供たち。

 育てたのはカラヤンだが、奨励援助したのは、俺だ。二人は俺やカラヤンに認められることを誇りに感じている。

 なのに俺は、いまだに頭のどこかでこの環境を持て余している。


 罪悪感。後悔。憐れみ。


 この子たちに、そんな人並みな悲観をむけることは侮蔑も同じだ。

 戦わなければ、殺される。守れなければ、奪われる。

 この異世界はそういう世界。強くあることが正義の世界だから。


 でも今回は、彼らに余計な重荷を背負わせようとしている。

 重荷──。その表現もこの子達に怒られるだろうか。

 この子達は純粋に俺の役に立てることが嬉しいのだ。

 その信頼に応えるために、俺にはこの子達を死なせない義務がある。


「二人とも魔導具はどう?」

「傷一つ、ついとらんよ。スコールはどげんね」

「うん。巻取り速度も落ちてない。問題なし」

 スコールも魔導具を振りながら頷いた。


 俺は二人の前に偵察備品を入れた小さな背嚢リュックを置いた。二人のために小型望遠鏡も入ってる。


「何度も言うようだけど、二人一組。絶対に単独行動はしないでくれ。こちらを察知されたと思ったら即座に引くこと。目的は戦略地図を作ることだからね」

「わかってるって。──ウルダ。行こうぜ」

「了解」

 二人は背嚢を背負って、鳥のように飛び立っていった。


 ああ、心配だあ。


 子供だけで旅行に出す親の気持ちって、こんな祈るような気持ちなのかな。

 とはいえ、俺もアイディアを得るために動かねばならない。


「ご店主。ヴァラディヌム要塞を見に行きたいのですが、場所とか分かりますか」

「この先の道を北に突き当たりまで行ったら川に出る。そこから右だ」

「ありがとうございます。行ってみます」

「狼。次に何かあったらまた言ってくれよ。なんでも作ってやるからな」

「はい。その時はよろしくお願いします」


 俺は店主と握手して、要塞に向かった。


  §  §  §


 アラド神殿の星形城塞。

 地上に描いた五角形の中に星を刻み、そこに地下から湧き出した温泉水(冷泉)を注ぎこんで堀にしたという。


 今、俺の目の前で起こっているのは、かつての城塞の修復と改造だった。


 川の水を堰き止め、城塞の堀水を抜き、そこを三〇〇人からの力自慢ドワーフたちが一気呵成に泥をかき出し、川底を掘り進めていく。

 その作業進捗は凄まじく、半日で三メートルほどだった堀の幅が五メートルにまで拡張したそうな。深さもドワーフ三人が肩車しても地上に戻れない。


 川底には鉄の串を刺し埋めていく。尖端にしっかり〝返し〟までつけて。


 地上。堀の外周に丸太で高さ三メートルの柵塀を作る。〝古文書〟によれば、〝魔狼の王〟は高さ三メートルの障害物に対し、登るのではなく跳躍を見せるとあった。その塀を跳び越えた先には、空堀の中で針絨毯がお出迎えするという寸法だ。


 内郭。つまり島の小高い部分だが、対角線の全長は三〇〇メートル弱。五角形の城館を中心として草野球場くらいの広さがある。


 周囲には古代以来の石塁が高さ三メートル弱。堀底からの全高は八メートル近くになる。

 さらに中央。五角形の城館は五階建て。かなり老朽化が進み、西側が三階から五階最上階までの壁が崩落。そのかわり床と階段はしっかりと残っていた。

 城館の周囲には木材で修復の作業足場が張り巡らされているが、彼らにとってその足場こそが城だった。

 旧城館を中核にして、窓から出入りし武器矢弾の補充や人員の交代などを賄うのだろう。その足場から外へ向けて設置されているのは、大型の弓バリスタだ。


 そして、その城館内部に運び込まれているのは、大量の樽。中身はニオイから菜種、ヒマワリ、ひまし、オリーブなどの油類だ。


 外周の塀で足止めないし、堀に落としてそのからだに油をかけての火攻め。いや、あらかじめ堀底や塀に油をかけておけばいい。そこに火矢を打つだけであっという間に堀はトカゲを煮るための火鍋へと変わるだろう。


 俺が考える、この籠城戦の問題は三つ。


 一つは、町の住人をすべてこの城塞の中に収容できるかという問題。

 マクガイアは地元ドワーフの住民六〇〇人余りと買付け客の収容を見込んでいた。だが今朝、ジェットストリート通りを行き交う買付け客や温泉客は、俺が見てもざっと二〇〇人前後。しかもみな馬車で来ている。

〝魔狼の王〟が攻め飽きて、残された馬や逃げ遅れた人々に目移りすれば、籠城戦においてそれを守る術はどこにもない。むしろ敵の背に矢を射かける好機とも言える。それが人道的に犠牲だったと言えるかどうかは、俺は評価する立場にない。


 二つは、〝魔狼の王〟がこの町をいつ襲うかなど、敵の情報をどうやって確保するのかという問題。

 これは戦争なのだ。戦争は情報が命だ。マクガイアが、スコールやウルダが持ち帰る情報を当てにしているとも思えない。これは後で訊いてみるしかない。


 三つは、長期戦になった時の備えだ。

〝古文書〟によれば、敵は見た目こそトカゲか蜘蛛という異形だが、実際はヒルやミミズの類いである。それらが一つの〝魔狼〟を作り、四割から三割近くまで損耗すると気絶するとあった。

 だが〝魔狼の王〟が気絶するより早く結束を解いて分離し、別個体に再組成をする可能性は、充分考えられる。

 そのための火攻め策をとっているのだろうが、もし、決戦当日に雨が降ったらどうするのか。ちなみに今日は、曇天だ。


 そして、十六頭のうち旗艦となる〝魔狼の王〟はデカい。

 駆逐艦級の尖兵がたおれても自分の身体から分離し、後詰めとして前線を手当てされたら、籠城策は消耗戦を強いられる。


貪狼どんろう愚狗ぐくさず〟という帝政ロシア時代の戦術史書の一節を思い出す。


 飢えた狼は、飢えや渇きを満たすために遮二無二襲ってくるが、愚かな犬のように無策ではない。戦場で敵を侮ってかかると後で思わぬ敗北を喫するという意味だそうだ。


「よお、狼」

 声に振り返ると、オルテナが軽く手を挙げてやって来た。

 俺は少し戻って彼女を迎えた。


「おはよう。今回は無理な急ぎ働きを頼んで申し訳なかった。ありがとう。感謝してる」


「いいさ。事情は飲み込めてるからな。こっちも面白い仕事をさせてもらったよ。まあ、白さで売ってるミスリルを黒く塗るって発想は〈ジェットストリート商会〉にはちょっと屈辱だったがな」


「ごめん。〝魔狼の王〟が徨魔の一種なら、極力、音を出す命取りになると思ったんだ」


「音? だからって胸当てスケイルはともかく、甲板をタールで塗り固めちまうなんて徹底的って言うか、やり過ぎじゃねぇのか」


 俺はかぶりを振った。

 歩きながら、俺はダンジョン亜空間で徨魔と戦った時のことを説明した。

 時空のゆがみに漂っていたブローニングM2重機関銃と手榴弾で徨魔を迎え撃った。その中で、コッキングボルトを引き上げた音で、二〇〇メートル以上彼方からゼロ距離まで急接近された。あの耳の良さは、まさに悪魔そのものだった。


「あのことは、今回の〝魔狼の王〟でも警戒すべきだと思ってね」

「ふっーん。なるほどね」

「ついでに言っておくと、ヒルって動物は二酸化炭素と熱に敏感だと言われている。ミミズは振動に敏感なんだ」


「へぇ。そうかい。生物学は専攻してなかったから、そいつは初めて知ったよ。なら聞くけどさ。塗って音さえしなけりゃあ、コールタールも蜜蝋もおんなじじゃねえか?」


 オルテナは軽口を叩きつつも俺を見上げる目は職人のそれで、真摯しんしそのものだった。


「蜜蝋では融点が低い。体温で溶けちゃうだろ。それに腐食も防げない」

 教本通りに答えておく。

「ん。まあ、そりゃそうか。じゃあ、タールのニオイはどうする?」


「コールタールくらいの強いニオイなら、人間のニオイそのものをかき消せる。連中は人間のニオイさえしなければすぐに興味は持たないはずだ」


「タールの質量は、飛翔速度を落とす」

「ミスリルは鉄よりも耐斬・耐衝撃効率が上がり、かつ軽量。腐食に強いタールを塗ったところで感覚的な過重を感じても、おつりが来るよ」


 科学技師の禅問答のようだった。こういうのも、嫌いじゃない。


「なら、ミスリルで武器を作らなかったのは?」

「ミスリルの良さ──軽量性を殺す。そもそも刀剣は重量で斬る道具だからね」


 稀少金属であるはずのミスリルを武器に使用しているのは、日本のゲーム界だけ。軽くてヨシ。守ってヨシ。着飾ってヨシのはずの希少金属を、損耗の激しい武器にするのは不見識だ。と、ファンタジー作家でもないツカサが物申していた。

 普通は、装飾品か貴人用の防具。武器であっても儀礼用の斧槍ハルバートが常識のようだ。


 ミスリル。

 英国の文献学者で詩人、イギリス陸軍軍人だった作家ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの著書『指輪物語』『ホビットの冒険』で登場する金属だ。

 ミスリルの名の語源は、架空の言語シンダール語の「mith(灰色の)」と、「 ril(輝き)」からなる。

『指輪物語』では、「ミスリルの産地はモリアのみ」とされている非常に稀少な金属とされているが、『終わらざりし物語』では「ヌーメノールでも産した」とされている。


『指輪物語』における魔法使いガンダルフの言葉を借りるなら、

〝(ミスリルとは)銅のように打ち延ばせ、ガラスのように磨ける。銀のような美しさだが、黒ずみ曇ることがない。ドワーフはこれを鋼より強いが軽く鍛えることができた〟

 とされる。


 また『ホビットの冒険』でトーリン・オーケンシールドからビルボ・バギンズに贈られた「白銀色のはがね」製のくさりかたびらは、実はミスリル製であった。初期の英語版翻訳である、『ホビットの冒険』にはこのような記載はないが、後の英語版ではミスリル製であることが付記されている。というのは愛読者なら言わずもがなの余談だ。


 では、前世界。現実にこれと似たような金属はなかったのか。

 実は、ある。

 それが、天然アルミニウムだ。


 天然アルミニウムは、一九七八年──奇しくもトールキンの死去から六年後──に現在のロシア・サハ共和国の二カ所で発見されたのが最初の報告とされる。

 天然アルミニウムは新鮮なものは金属光沢を有するが、表面が酸化して帯びている場合もある。

 比重は、鉄の約三五パーセント。モース硬度は一・五~三と極めて柔らかい鉱物だ。地殻において金属の中では最も多い八・三重量%を構成するが、自然物としてのアルミニウムは極めて稀な鉱物だった。


 だから、前世界でアルミニウムのほとんどが、別の金属から人工生産された金属だというのは割と知られていても、具体的にどう作られているのか知ってる人は少ない気がする。せいぜいリサイクル率九〇パーセント以上の金属くらいのイメージだろう。


 アルミニウムは、一般にボーキサイト鉱石を原料としてホール・エルー法で生産される。

 すなわちボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理し、アルミナ(酸化アルミニウム)を取り出した後、ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム(Na3AlF6)とともに溶融し電解精錬法を行う。


 そう、俺にとって、もの作り最大の壁。電気だ。


 しかも、アルミニウムを作るには一万五〇〇〇kWhという大量の電力が消費されることから「電気の缶詰」とも呼ばれていた。

 一トンあたりの電力使用量では、銅で一二〇〇kWh、亜鉛で四〇〇〇kWhだったはずだから、アルミニウムの精錬には銅の約十一倍、亜鉛の約三・五倍の電力が必要となる計算になる。


 マクガイア達の凄いところは、そのアルミニウムを地熱発電からの電解精錬に成功しているところだ。

 そして硬度の足りないアルミニウムに、銅、マグネシウム、マンガンを加えた合金〝ジュラルミン〟を異世界で〝ミスリル〟という名前で売っているわけだ。


 ただ、ジュラルミンにした場合の欠点として、含有した銅が腐食に弱いため、アルミニウム本来の良さが損なわれる。

 そのため、子供たちの魔導具にはコールタールや皮でコーティングし、俺が「腐食にも強いから」と暗示までかけた。

 もっとも、俺が斥候二人を不安に思っているのは、この腐食の心配ではないのだが。


「あの、三機目ってもう出来てたり、する?」

「ん? あー、〝飛燕〟ラスタチカか? 一応できてるぜ。同じ構造だからな。タール塗装はまだだけど」


「ラスタチカ?」


「なんだよ。三機目の命名権はあたいにくれるって話じゃなかったっけ?」

「いや、そうじゃなく、なぜツバメなんだ」

「さあ? なんでだろうねえ」


 むふふっと笑みを浮かべて、オルテナは俺の前を歩き出した。





※参考資料※

 新版『指輪物語』 瀬田貞二・田中明子訳   評論社 1992年

「CO2・熱源・振動・寄主の臭いに対するニホンヤマビルの反応」(小泉紀彰 2011年)

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