第5話 魔狼の王(4)


 公国法執政条例第二五条──


1 龍公主は、健康で文化的な生活を営む権利を有する。


2 家政長は、龍公主のすべての生活面について、財産、福祉、保安及び

  衛生の向上および増進に努めなければならない。


「つまり、どげんこと?」

 ウルダが俺のベッドに寝そべった状態で頬杖をついてこちらを見つめてくる。


 俺は小テーブルの上に『公国法大全』の羊皮紙で作られたページを開いたまま言う。


「家政長は、龍公主様の生活面の一切。お金の出し入れや清潔な環境を調えることに努力する義務があるんだ。

 もっと簡単にいっちゃうと、龍公主様が過ごしやすいように、毎日の食事やおこづかい、ベッドにも困らないようにしなさい。という決まり事だね」


「そんな当たり前なこと。おっさんから家政長に言ったって、だからなんだって言い返されたら終わりなんじゃねーの?」

 スコールがベッドに腰掛けて、ブドウジュースを手に言った。


 俺は目許に笑みを浮かべて、

「ところがね。昨晩カラヤンさん達から聞く限り、ここの家政長はこの条項を満たしていないどころか、長年放置していたことになる」


「どういうこと?」

「城壁が未改修のままであることさ」


 城塞都市オラデアは、赤銅龍公主にとっては〝自宅〟も同然。家政長は龍公主の執事でもあるから、その家の補修をする義務がある。

 なので、執事が主人の居住環境の保持向上をおこたるのは、執事としては致命的失態と言えた。


 前世界。この考え方は、民法の委任による善管注意義務違反や、会社法の支配人(主人にかわって運営一切を取り仕切る商業代理人のこと)による任務懈怠けたいにあたる。

 もちろん壁の修繕費は主人の財布からでるわけで、領主としての収入。町の税金だ。それを預かってアラム家を運営していく家政長の立場でありながら、百年以上も時間を空費して滞らせ、かつ修繕は完了していない。

 なら、主人としては、使用人をクビにするしかない。

 と、主人・大公が知ったら、そう考えるんじゃないだろうか。


 昨晩。

 俺は、この国にも法律があるのなら調べてみる必要があるんじゃないかと提案して宿に戻った。

 

 そうしたら、今朝のこと。


 マクガイアが俺の宿泊している〝クマの門〟に『公国法大全』をもってきた。

 小学生のランドセルなみに厚い法律書である。その一冊だけで部屋の小テーブルが迷惑そうな悲鳴をあげた。


「なんですか、これ」

「昨日言ってたろ。法律があるなら調べる必要があるって。だからよ。これがこの国の法律だ」 


 こんな法律書をもってくるあたり、マクガイアは本気で家政長の地位を狙っているらしかった。


 その割に、頭脳労働を俺にやらせるのかよ。これだから現場至上主義者は。

 眠気の残った頭で不平を思いつつ、ちょっと家政長の法律的な地位だけ調べるつもりでページをめくって眺めていたら、意外とあっさりと出てきた。


 現在。ティボル作製の地図で綻びになっている鎖国の壁の管理責任元。城壁の未改修の管理責任元は、すべて各方面の家政長に帰属していた。

 五年に一度、周辺貴族から公共事業の負担金をとりまとめて、家政長が発議して計画を決め、施行していくらしい。


 だがティボルの地図を見る限り、実際に壁が補修された場所は、ない。


 そこに気づいたので、カラヤンも呼んで二人に聞いてもらう。

 問題となってくるのは、家政長が壁を直さないまま都民から徴収した税金や貴族から集金した未払いの修繕費を、どこへ回していたのか。という背任疑惑だ。


「「でかした!」」


 カラヤンとマクガイアが急にいやらしい笑顔を示し合わせて、〝クマの門〟を飛び出していった。


 また、カラヤンの指図を受けて、家政長のカネの流れを調べるためティボルとアルバストルも朝食を手早く済ませて出かけていった。

 ティボルはともかく、アルバストルまですっかりカラヤンの手駒なのが解せない。


「俺はそんなことより、ティミショアラの龍公主の安全が気になってるし、〝魔狼の王〟の動向が気になってるし、ミスリルのことも興味があるんだけどなあ」


 そこへヴェルデが顔色を真っ青にして飛び込んできた。


「ヴェルデ……どうしたっ!?」

「見つけた。〝魔狼の王〟見つけた。む、群れで森を喰ってた!」

「でかした!」

 思わず俺にもオッサンたちのセリフが移っていた。


  §  §  §


 子供たちを〝魔狼の王〟への隠密偵察に出す前に、俺は〝ホヴォトニツェの金床オラデア支店〟に連れて行った。


「ご店主ー。例の物、できてますかあ?」


 店内に入ると、ゴミ屋敷と見紛うほどのスクラップが壁際に山と積まれている。

 歯車やゼンマイ箱、何かの関節部。おそらくマクガイアの工房やカラヤンが戦ったという魔導関連の残骸部品だったりするのだろう。鉄のゴミ溜めというよりおもちゃ箱のような主人の無邪気さすら覚えた。


 二度ほど呼ぶと、店の奥から布をかぶせた大きなカゴをもって店主カールが現れた。


「今朝、完成したばかりだぜ」

 そういって、店主はかぶせていた布を取った。


「ああっ。新しい〝梟爪サヴァー〟だ」

「これ、〝郭公ククーロ〟っちゃん」


 スコールとウルダが声を弾ませる。まあ、さすがにひと目見たら何かわかるよな。

 ロギが描いてくれたスコールのオリジナル魔導具の内部機関図を基にして、二人の魔導具の新調を頼んでいた。

 とはいえ、まさかたった三日で完成させてしまえるとは思っていなかった。ドワーフの職人力は世界一だな。


「狼っ!?」

「うん。いいよ。試着してみて」


 俺が頷くと、子供たちは嬉しそうに自分のを装着する。


「なんっだこれ。めちゃくちゃ軽いっ!」

「いっちょん重さば感じんっちゃん!」


「ご店主。それでは説明をお願いします」

 穏やかに、でも誇らしげに微笑む店主に説明を頼んだ。


「あー。まず共通しているのは、鉤爪ハーケンはミスリル。ザイルは鉄とミスリル糸を編みこんだ特殊な金属ヒモを使用した。

 技術提供はマクガイアの工房だ。色は見ての通り、ダークグレイ。重量は旧式の四二パーセント減だそうだ」


「パーセント?」俺はちょっと意外そうに聞き返した。


 店主は苦笑して、

「マクガイアの工房では性能割合ってのをそういう単位で呼んでいるんだ。十分の一から百分の一まで増減を表していた。使い勝手がいいんだが、わかりづらいか?」


「いいえ。むしろ分かりやすいかもしれません。索の強度はどうなりましたか」


「ミスリル糸を交ぜたことで、強度は二三〇〇パーセントといっていたな。試しに輸送馬車を吊ってみたら、紐を切ることなく見事に引き上げやがったよ」


 職人は気になったらとことんだ。俺は先を促した。


籠手こての意匠は注文通り、馬頭型ホースヘッドで肘に合わせた。ウルダはまだ幼いから少し余るが、じきに背が伸びればぴったりになるはずだ」


「ですね。あと、二人に個別の意匠紋がついてますね」


「うん。まあ、ちょっとした遊び心で入れさせてもらった。下地がミスリル甲板。その上にコールタールで紅牙猪ワイルド・ボーの皮を貼っつけて、さらにタールコーティングだ。真っ黒だからな。夜の隠密で目立たない程度に、焼き鏝で識別紋様をつけさせてもらった」


「スコールが梟の魔女シーリン。ウルダが交差鎌ですね。夏の渡鳥と草刈りの時期を掛けた趣向でしょうか」


「へへっ、さすがだな。……まずかったかな」


「いいえ。良い意匠だと思います。盾としての湾曲も絶妙でイメージ通りです。この後、例の魔物を追跡させますので、使い心地はぶっつけ本番になっちゃいますが」


「えっ。これからかよ?」


「はい。敵は強い腐食をもっている魔物のようです。交戦になれば表面は溶けてしまうでしょうが、ミスリルは腐食に強いと聞きますから、彼らを守ってくれるでしょう。期待しています」


「お、おう」

「あと、防具はどうなりましたか」

「それも工房から技術提供を受けた。直にこっちに届くはずだ」


 といったそばから、ドワーフが二人、前と後ろにチェストを抱えて店に入ってきた。


「金床の。例の物を持ってきたぜ。出来たてのほやほやだ」

「おお。今ちょうどその話をしてたんだ」


 俺はスコールとウルダを呼んで、防具の試着をさせた。

 ミスリル板を鱗状スケイルにしてタールで塗り固めた胸当ては、弓道の女性用胸当てそのもの。薄いミスリル細板を縫い込んだ短パン〝股当てクウィス〟。そして、ミスリルに同じ処理を施した黒い〝すね当て〟だ。


「どうかな?」

 スコールとウルダは兄妹のように顔を見合わせて、首を傾げた。


「狼。ちょっと外で動いてきていいか。十五分くらいで戻る」

「いいよ。でも格闘はナシだからな」


「了解」

 新装備をまとって二人がウキウキした足取りで出て行く。それを見送ると、俺はそばのイスにどかりと腰かけ、その勢いでイスごとひっくり返りそうになった。


「おい、狼っ。大丈夫か?」

 俺はばつ悪くうなずいてから、防具をもってきた二人のドワーフを見る。


「マクガイアさんに、〝黒ミミズは北の森を食い始めた。今から斥候を出す〟そう伝えておいてくれ。それと……〝シロナガスクジラ〟だと伝えてくれ。これは彼にしか分からない暗号だ」


「わ、わかった。シロナガスクジラ、だな」


 ドワーフ二人はその場から逃げるように店を出て行った。


「おい、狼っ。水しかねえが、飲むか?」

「ええ、いただきます。……マズいことになりました」

「マズいこと?」


「魔狼の王が大小含めて十六頭。そのうち最大のモノは──」

 銅製のコップで受け取ると、俺はひと息に飲み干した。

「──商業船マルヴァジア級だそうです」


「な、なんだって……!?」

 店主は呆然と聞き返した。


 商業船マルヴァジア級。

 俺だって港湾都市リエカには何度も言ったし、ジェノアでも船の出入りを見ている。商業船マルヴァジア級がどれだけ大きい船か知っている。

 前世界での、三本マストの帆船・キャラック船(あるいはカラック船)くらいで、全長は三〇メートルから六〇メートル。


 全長と全幅が3:1の比率になることから、ずんぐりと丸みを帯びた船体をしているのが特徴だ。排水量は二〇〇トンから一五〇〇トンまで幅広いが、一応動物的行動をとっているので二〇〇トンだろうと思う。思いたい。


 しかし、それが陸上を歩くとなると、デカい。観測上最大級のシロナガスクジラが歩いているとほぼ同形態なのだ。


 見つけてきたヴェルデは恐怖のあまり、今〝クマの門〟で寝込んでいる。よくぞ恐怖に飲まれて発狂することなく、その情報を持ち帰ってきてくれたものだ。


 正直、二人を斥候に出したくない。

 二人はまだ対象のおぞましさにピンときていないのだ。


 確かにこれはもう、災害と呼んでも差し支えない。ただし、都市が丸ごと一つ飲み込んでも尚、止まらない厄災となるだろう。


 公国はこの世界情勢のタイミングで、なんて厄介なバケモノを抱え込むことになったのだろうか。しかも為政者達はこぞって重大視していない。バトゥ都督補だけが気に掛け、執政長でもないマクガイアが、欲得づくながらも対策に乗り出した。


 人は、人知を超えた危険に対して無知で、気づいて危険を回避に動くには、あまりにも無力だ。

 うちの子達を連れて、さっさとこの国から逃げたい。

 正直、味噌も醤油をここに置き去るのは惜しいが、きっとまた次があると信じたい。


 いや、わかっている。もう手遅れなのかもしれない。大型ハリケーン級の災禍はそこまで来ている。


 逃げても無駄。倒さなければ、終わらない死の輪舞ロンドを踊らされる。この世界がその巨大徨魔のために終わるとしたら、泣くに泣けない。

 人命救助最優先。身体に染みついたあの言葉が今ほど重くのしかかってくることはない。


「ツカサ……俺、どうしたらいいんだろう」


 頭を抱え込んで俺はまた、ないものねだりで、友の名を呼んだ。

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