第8話 魔狼の王(7)


 冬の焚き火にはコツがある。

 拾った薪が雪や霜で湿っていることがあるので、その外皮を削って乾いた芯をだす。そこに硫黄を盛って火をつけると着火しやすい。


 俺はたまたま背嚢の中に木を削るなたを持ってきてなかった。森の中での宵越しを考えていなかったからだ。


 対して、ドワーフ野郎は紳士のたしなみみたいな顔をして、ちゃっかり手斧持ってきていた。


「ワシゃあ、木を削るけぇ、運搬はおどれに任したで」


 不条理な分担だったが、暗黙のキャンプルールで道具がないヤツは持ってるヤツの指示に従わなければならない。

 マシューは直径六〇センチの倒木ばかりを選んで幹に割れ目を作り、そこにも硫黄を植え込んで火をつけた。


「よっしゃあ。狼。突っ込めえい!」


 枝葉も切っていない特大の〝火槍〟である。俺は【土】マナで増強した腕力で洞窟の入口に運ぶ。二本、三本と積んで洞窟内が本格的に煙りだす。

 四本目と五本目は枝葉を切り落とし、炎の上に石垣のごとく組み上げて洞窟の穴を塞ぐ。


 マシューは切り落とした枝をその隙間に詰め込むと、残った硫黄を撒いて追い火をかける。洞窟の廻りはたちまち煙が立ち昇った。

 そこでようやく俺は訊ねた。


「蒸し焼きにできそうかな」

「見たところ風化した洞窟で地下が見えた。ヒルやミミズにとっては脱け穴は他にもあろうがの。飛び出す前にヒルどもを焼き殺せりゃあ御の字じゃ」


 その時だった。


 ズズズン……ザザザザッ!!


 遠くから地鳴りと葉擦れの音が迫ってくる。


「ちっ。旗艦の急難をさとって護衛艦が戻って来たかのぉ。狼。あと二本じゃ」

 六本目の大木を指示される。

「マシュー、これをどこへ?」


「一本目と二本目の所にそれを継ぎ矢して押し込んでみぃ。ええ塩梅に燃えだした一本目の炎が洞窟の奥へ進む。中のヤツらにここの出口を使えんようにな」


 俺は言われた通り、六本目と七本目の大木を一番下で燃えている大木を奥へ押し出すようにくべた。


「おっしゃあ。逃げるで。まさかもう〝飛燕〟の使い方を忘れとらんじゃろうなっ」

「ここからは、無駄口はナシだっ。行くぞ!」


 俺たちは〝飛燕〟の鉤爪ハーケンを上空へ放った。


「──っ!?」


 森の上空へ出た。

 俺は、何気なく迫る殺気のほうへ振り向いた。

 今さらながらに、自分が戦おうとしている相手の姿を見届けた。


 アフリカゾウほどもある巨大な影が森の樹を押しのけながら向かってくる。

 狼に似た頭をもつ大蜘蛛。闇の中で黒紫色に放電するたてがみを波打たせながら、四つ、いや五つの影が、燃える洞窟の周りであたふたと動き回る。

 その中で一隻が逃げる俺たちに気がついた。


「くそっ。マシュー、先に行ってくれ。俺はマナでヤツらの目を狙ってみる」

「なら、これを使つこぉてみぃや!」


 前を飛ぶマシューから投げ渡されたのは、たこ壺ほどの手に収まる土器。フタは何かの動物の皮。

 油壺か。頭がその認識をする時間で、いきなりフタに火がついた。


「げっ。黄リンっ!?」


 俺は向かってくる追っ手に油壺を思い切り投げた。

 油壺はあっという間に闇の帳の向こうへ吸い込まれる。その直後だった。


 ──じゅぼん!


 土器の壺が砕ける音は、強烈な閃光と炎によってかき消された。

 強烈な閃光が網膜を焼きつけてくる。俺は光から逃げるように離脱した。


「くっ。あのドワーフ野郎ぉっ!?」


 油壺なんかじゃない。閃光手榴弾フラッシュバンだった。


「狼。こっちじゃ。はよせぇ!」


 ムカツク声を殴るつもりで、鉤爪ハーケンを放つ。当たるはずもなかったが、実際に手応えがなかったことも残念で仕方がない。

 しばらく〝飛燕〟での無言の定空飛行が続いた。


 追っ手がないことも幸いして、俺はどこかふらふらとした滑空になる。


 視野の真ん中で、網膜に焼き付いた光の残滓ざんしがまだ消えてくれない。まったく見えないわけではないのが気持ち悪い。

 昔、海外演習でうっかり閃光手榴弾の炸裂光を見てしまった時、米兵達から「新兵だから仕方ないな」とガキ扱いされた屈辱が思い出されて、腹立たしい。


「マシューっ。あれって閃光弾じゃないか。なんで言わないんだよ!」


「壺には、中央に硫黄、酸化銅、アルミ粉末。それとマグネシウムを混ぜた瓶をいれて廻りを油を満たした。テルミット反応が起きりゃあ、逃げる分には問題ねぇようじゃの」

 ドワーフは謝るどころか悪びれもしない。


「問題大ありだろ。マグネシウムの量が多すぎだって……っ」

「ぎゃははっ。結果オーライじゃ。のぉ、ヒーロー」

「ふんっ。誰がヒーローなんて、やるかよっ」

 なんか散々タダ働きさせられた気分だ。


  §  §  §


 閃光弾の残滓がようやく消えたところで、小休止を申し入れた。

 地上でふたたび〝秩序の昏瞑とばり〟を展開。これが便利すぎて泣ける。ペルリカ先生に足を向けて寝られない。おみやげはミスリルのブローチあたりでご機嫌を取ろう。


「やっぱりか……」

「どがぁした?」


「スコールとウルダと思われる反応を見つけた」


 魔法陣の中で、緑の小さな灯火が二つ寄り添うように光る。


「鹿の親子じゃねぇんか?」

「それでもいいさ。二人には小さなカンテラを持たせてる。それを手がかりにでもするよ」


「なんなら、ワシも……」

「いや。マシューは報告に町に戻ってくれ。ここからは俺の私用だから」


 ドワーフは何か食い下がる口実を探す顔を見せたが、俺が鼻を振って遮った。


「いいんだ。ヤツらの巣を襲撃したことは、今後マクガイアさんの作戦に影響することは間違いない。マシューの手柄だ。良い報告は早い方がいい」


「ほ、ほうじゃのぉ。……うん。そうするか」

 ドワーフは小鼻をピクピクさせて声を弾ませた。ちょろいな。


「それじゃあ、朝にまた」

 俺は手を差し出した。マシューも頷き、俺の手を握る。

 せつな、俺とマシューが火炎に包まれた。

【火】は数秒で消え、マシューは目をパチパチさせると、慌てて自分の身体を調べた。


「おっ? どこも燃えとらん。おう、狼。おどれ、こりゃあなんの冗談じゃっ」

「足下を見てみなよ」


 俺が鼻先で促すと、ドワーフは戸惑った顔でカンテラの明かりを地面に向けた。

 黒焦げになった物体が十数匹、地面でくすぶっていた。


「〝アーテルヴァーミキュラ〟!? いつの間に」


「習性はヤマビルと同じらしい。森に入ったら、いつの間にか取り憑かれて血を吸われてる。あの森は……もうダメだな」

「お、狼っ」

 名前を呼んだものの、驚きのあまり、マシューは次の言葉が出なかったらしい。


「マシュー。帰りは朝陽が昇るまで農地を歩くな。木の下を潜るな。敵は相当厄介みたいだ」

「お、おう。わかった」

 俺もうなずくと、〝飛燕〟を大銀河へ放った。


   §  §  §


 どうしてこうなった。

 スコールは焦りで頭がくらくらしそうだった。

 冬の夜空の下。ウルダと二人で下着一枚になって、何やってんだか。


「痛っ。もうっ。ちょこっと優しく動かしんしゃいっ」

「わ、悪い……うっ。ふぅ。よし……次はウルダの番」


「こげんとこ、狼しゃんには見せられんっちゃね」

「当たり前だろ。ていうか、早くやってくれよ。ズキズキして痛てぇんだから」


「うわ。気色悪かあ。ばりでっかくなっとーとよ。ぬるぬるしてテカテカしとーとぉ」

さみーんだから、さっさと手を動かせよ。はを立てるなよ」


「ちょっと今声かけなしゃんな。手許が狂うけん」


 スコールは目を閉じていたが、おもむろにそばの短剣を引き寄せた。


「スコール……また来たっちゃん」

「……わかってる。お前の後ろ。距離三〇かな。一匹みたいだけど今度のはデカそうだ」


「ほんまおかしかねえ。全滅させたと思ぉとったとに」

「だな。けど相手は魔物だ。そういうこともあるってことだろ」


 師匠カラヤンの言葉だ。人なら絶対に起きないことも、魔物ならあり得る。だからいちいちそれに驚いたり、怖がったりする必要ない。「そういうこともあるか」と普段の常識を心にしまって取りかかればいい。


 例えば、三十数匹の魔狼を狩りとった後で、今度は魔狼が大きくなって現れるとか。冬の季節に大量のヤマビルに襲われて、二人揃ってのたうち回るとか。

 狼からさっさと帰ってこいと言われたのに、この体たらくだ。


 おーい。すこーるー……。うるだー……。


 二人は間近に迫る敵よりも、そのどこかのんびりした声に凍りついた。


「げ、幻聴……やろうか?」

「でなけりゃ、どうやってここがバレたか説明して欲しいね。ウルダ、早くヒル落とせ。服着て帰還するぞ」

「了解」


 おーい。すこーるー……。うるだー……。


「幻聴……じゃねえっ。ウルダ、早くっ」

かしぇんでくれんね……っし。取れたよ!」


 二人は急いで服を着た。その時だった。

 たてがみをうねうねと揺らめかせながら、ひたりひたりと狼の頭をした蜘蛛が迫ってくる。

 だが二人の視線は、禍々しい魔狼の背後──。人影に釘付けになっていた。


 赤い炎を背負って歩いてくる、狼の頭をした人に。


「狼っ。なん、で……どうやって、ここ、が?」


 スコールは目を見開いてあえいだ。

 魔狼もさすがに横を追い抜いてくる存在に気づいて振り返った。

 間髪を入れず、その眉間へ手が無造作に突っ込まれた。漆黒の巨躯はガクリと八肢を崩すと炎上した。


「いいっ、一撃!?」

えずっ……。狼しゃん、滅茶苦茶ちかっぱ怒っとーと!?」


 逃げる算段もヘタな言い訳も決まらぬうちに、二人の前に保護者が現れた。


「きみら、ここで何してんの?」


 冷静すぎる声音に、スコールとウルダは一瞬首をすぼめた。上着を抱えたまま顔を見合わせて、頭を下げた。


「ひ、ヒルに襲われて……その、逃げ回ってましたっ」

(なんそれっ。しょうもなか言い訳やね……っ)

(しょうがねえだろ。他に思いつかなかったんだよ)


 次の瞬間、下げたままのうなじを温かい手に掴まれて、二人は本気で震えあがった。


「この森のヒルなら、しょうがない」

((おお、許されたっ!))

「でも、どうして夜になっても帰還が遅れたの。出かけたのは昼前だぞ?」

((えぇーと……))


「あの、すいませんでした。そのぉ。ヤツらが余りにも森を荒らし回るので」

「そ、そうっちゃん。見て見ぬ振りはできんかったと……です」

「俺が朝、きみたちに指示した内容を言ってみなよ」


「それは……隠密偵察、です」

「現状は」

「たぶん、威力偵察? しかもさっきまで囲まれてましたね」


 うなじを掴む手は強まらなかったが、長い沈黙がおっかなかった。


「きみらが西に大型の魔狼を引き寄せてくれたお陰で、俺はさっき敵の巣を急襲してきた」

 二人はギョッとして顔を上げようとしたが、うなじは押さえ込まれたままだ。


「ケガの功名。結果論による奇襲成功を言いたいわけじゃない。計画上の情報が手に入らなかったことと計画外の拠点襲撃が、今後の作戦にどんな影響を及ぼすか想像もできない。俺は多分、カラヤンさんやマクガイアさんに叱られるだろう。

 なにより〝魔狼の王〟は巣に打撃を与えられて激怒するだろう」


「あのさ、狼」

「なに」

「巣は壊せてないの?」


「わからない。洞窟の入口に倒木七本をつっこんで、洞窟内を蒸し焼きにした。実際に洞窟の奥にまで火が回るかどうかは未知数だ。古文書によれば〝魔狼の王〟の活動可能温度は、二〇〇度。空気のない所でも活動できる怪物だ」


「あの、狼しゃん。どげんしてここが?」


「教えない」

 きっぱりと言われて、ウルダは背筋をびくんと強ばらせる。


「一応、怒ってるからな。二人には今朝から、俺が呼びに行く以外、二日間の謹慎を命じる」

「「はいっ」」


 するとうなじを掴まれた手が向きを変えて、少年たちのあごに割とがっしりした肩が乗った。


「頼むよ。もう心配させないでくれ……っ。俺、死ぬほど恐かったんだからなっ」


 空気が抜けたような告白に、スコールは思わず鼻の奥がつんっと痛くなった。養父の顔を思い出した。となりでウルダの謝罪が涙声で震えていた。

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