第16話 狼、温泉宿をつくる(10)
「温泉施設を中心に、付属の施設をつくろうと思います」
三人の家政長がいなくなったテーブルに座り直すと、俺は言った。
「おい、狼。さっきの悶着から、すぐにその話をするのか」
カラヤンがうんざりした声をあげた。
「ええ。俺は問題ありません」
「まったく……メドゥサ。どうする」
「うむ。よいとも」
メドゥサ会頭が呼び鈴を鳴らす。少しして馬車係が顔を出した。
「ティボルを呼んでくれ。それから夜食を摂る。飲み物はコーヒーを。人数分頼む」
「承知いたしました」
馬車係がドアを閉めると、メドゥサ会頭は腕組みしてうなずく。
俺は続けた。
「温泉施設には、宿屋を主軸に、市場、ダンスホール、診療所、飲食店街を配置します」
「それが、この三〇万ロットの物件だと?」
「そうです。デーバのような巨大な風呂屋ではなく、温泉複合施設を建設し、その周辺区画の建物を建設します」
「お前、まさか街をつくる気か?」
カラヤンは戸惑いながら何かに気づいて、フクロウ老人を見る。
「ん? なにかの?」
俺はわが意を得たりとうなずいた。
「最終的にそうなります。この区画に獣族もドワーフ族もクリシュナ族も関係ない、種族フリーの種族特区をつくろうと思います」
そこまで言ったところで、慌ただしい靴音が近づいてきてティボルが入ってきた。
「ボス。お呼びですか?」
メドゥサ会頭が着席を促して、少し強い息を吐いた。
「ティボル。ヤドカリニヤ商会として狼の悪企みに乗ってくれ。オラデアの温泉で街をつくるそうだ。──狼、その話をもう一度最初から頼む」
俺はうなずいた。
この夜の、俺のプレゼンは二時間に及んだ。
会議が解散となり、メドゥサ会頭やモモチ老人も寝室に戻った。
その頃には、俺はイスから立ち上がれなくなっていた。冷めたコーヒーをがぶ飲みし、パンが乾いたクラブサンドを頬ばる。
「このバケモノめ」
斜向かいからコーヒーカップ片手に、ティボルが苦笑を投げてくる。
「なんだよ」
「すげーことを考えつくもんだって言ってんだよ。風呂屋で町を発展させようとはな」
「やってることはデーバの町と変わらないよ」
「いーや。あそこはお嬢様の風呂屋に引っぱられて、周りの商会がおこぼれで儲けてるだけに過ぎねーよ。アッシマーは風呂屋って中身を際立たせるために、周りを小ぎれいに飾っただけに過ぎねえ。だがお前のは町全体の復興だ。けどさっきも言ったが問題がある」
「ああ、地廻り連中だろ」
いわゆる地元の顔役さん達だ。暴力団のことではない。この世界は警察権がはっきりしない。衛兵という組織はあるが、これは領主や行政庁のための鎮圧組織だ。彼らでさえ、地廻りの人脈や土地勘がなければ、殺人や強盗などの捜査もままならない。
風呂屋ができれば当然、周辺地域の治安の悪化が懸念される。
「だから、オラデアに同じ物を六件つくって相互組合化させるのさ。ドワーフ職人集団がいれば簡単だろ?」
「そうなると温泉や客の取り合いになる。一日温泉の供給が止まるだけで人死にも出かねない。あいつらは、こと金と利権に関してはヒルとおんなじだ。一度食らいついたら肥え死ぬまで血をすすり摂っちまう」
「そのための六件だ。彼らの縄張り意識、競合力を利用させてもらう」
「確かオラデアにクリマス・ボッターという男がいたな。アイツが一番厄介だぞ」
「うん。名前だけは聞いたことあるよ」
その襲撃に遭ったおかげで、予定より早くこの町に着けたことは言わないでおく。
「結構な悪党らしいぞ。気をつけろよ。いつ襲撃されてもおかしくないからな」
俺は曖昧にうなずいてから、もう一方の斜向かいを見た。特にカラヤンから何か新しい情報が聞けるとは期待してなかった。
「来月の中頃にな。メドゥサを連れて一度セニに戻るつもりだ」
「あ、春節祭ですね」忘れてた。
「うん。メドゥサもそろそろお産の準備に入らないといけないからな。両親とペルリカがいてくれた方が安心だろう」
「わかります……」ラリサのことは本当に知らないようだ。
「うん。だから、それまでに粗方の
俺とティボルは席を立って、上司の背中を見送った。
カラヤンは四龍旗を掲げてパラミダと戦い、旧王国軍をティミショアラの前から追い払った功績のことについて、何も教えてくれなかった。
弟パラミダを憎む姉メドゥサ会頭の前だから言わなかったのか。功績を認められないどころか、単独行動を罰せられたのか。それすらも言ってくれなかった。
バトゥ都督補が、俺たちの独断専行の功罪を先送りにしていることが、薄気味悪かった。
まるで常に大公の耳目がどこかにあって、余所者を栄達させるの気兼ねしているようだ。
一方で、俺もまた、あのことを言い出せなかった。
「カラヤンさん。やっぱり知らないみたいだったな」
「だな。もうオレらも公国を出るまで気にしない方がいいぜ。心臓に悪ぃや」
§ § §
翌朝。
大公親征軍兵二万五〇〇〇がティミショアラから中央都へ帰還を開始した。
オクタビア王女の再反攻を睨み、都市には依然として兵五〇〇〇が駐留するが、三万に比べれば都民の不安は軽くなった。食い扶持を支えていたバトゥ都督補にとっても安堵のため息が漏れるところだろう。
その日。俺はこの世界に来て初めて、銀行に行った。
〈ジェノヴァ銀行〉。東方世界に十八店舗。最大手の国際金融機関だそうな。
銀行内は、前世界の西部劇に出てくるような木のカウンターと格子。そして天秤が置いてある。金と銀と銅のニオイに、羊皮紙とインクのニオイ。それから人のストレスのニオイがする。俺も含めて、みな正装だ。
行員側の壁に、小規模ながら壁に先物取引相場や株式相場の掲示があった。先物取引と株式は相場屋が仕切っているので、銀行では一日の終値のみ。俺の目には、それほど人気のある投機商品には見えない。
「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか」
カウンターの応対は男性だった。
「預金の残高照会をお願いしたいのですが」
「三〇〇ペニー戴きますがよろしいでしょうか」
「お願いします」
俺はカウンターの銅皿に、帯封の付いた羊皮紙と手数料を置いた。
「しばらくおまちください」
普段つけない整髪料が乾いて痒くなり始めた頃。応接した男とは別の男がやって来た。
「わたくし、当行支店長をしております、サトゥと申します」
出たな、トゥのスリーカードだ。イトゥが来ればフォーカードだ。
「あの、申し訳ございませんが応接室までご足労いただけませんか」
断ると後の口座対応が面倒そうだ。
「構いませんが、これを保証として小切手帳に振り替えて戴けますか」
「お客様、もし差し支えなければ、小切手の使用目的などをお伺いしても?」
「不動産売買です」
「
大人しく従うと、応接室のような個室に通された。窓はあるがはめ殺し。
「大変お待たせいたしました。〈ヤドカリニヤ商会〉の狼さまでお間違えないでしょうか」
「はい」
帯封の付いた巻紙を渡された。封蝋の証印はマンガリッツァからジェノヴァ銀行に変わっていた。
「それで、どちらの不動産をお買い求めですか?」
「貴行にもオラデアの行政庁から届いていませんか。競売カタログ」
「ああ。あの出物ですか。ふふっ」サトゥの営業スマイルが失笑に変わった。「お客様、僭越ではございますが、おやめになった方がよろしいかと存じますよ」
いや、本当に僭越だ。でも、これも情報収集だ。話を合わせることにする。
「へえ。そりゃまた、どうして?」
「オラデアはドワーフの町です。他の種族に対して排他的な態度を取っていましてねえ。そこの不動産を買ったとしても、投機運用に回せるだけの利益が出るかどうか。
そうそう、先の家政長が前任の支店長にも融資の話を持ち込んできましてねえ。調査したところ、ミスリル製造を手がけていないとわかり、当行もあわやの損害を被るところでした」
やはりホリア・シマは大手銀行にも融資の件を打診していたようだ。だがあの旧市街では融資を引き出すだけの
あと、ドワーフが他種族に対して冷たいというのは完全な
「ということは、オラデアに旨味がないということですか?」
「そこまでは申しません。先ほども申し上げた通り、新市街と呼ばれるドワーフの町のミスリルは、近年高い評価を得ており、投資家の間でもミスリルを
要は、単価の高いミスリルを大勢から金を集めて大量購入し、それをオークションにかけて購入金額より高く売りぬき、売却益を市場相場で顧客へ再分配。残った利ざやで銀行が儲けよう。というカラクリだ。その利ざやだけで、数万から十数万ロットを稼ぎ出すだろう。
だが、そうなると市場に出回るミスリルの小売価格が跳ね上がる。結果、誰も買わなくなる金属になってしまうのは、ちょっと冷静になれば分かりそうなものだ。
銀行も商売だし、マクガイアたちもミスリルを買うと言ってくる客には、売らないわけにもいかない。それでも金に物を言わせて買い漁られると、ミスリルそのものが持つ価値信用を落とす。
銀行がミスリル先物をファンド化していないのは、しないのではなく、できないからだ。マクガイアとの交渉がずっと前から決裂している証拠だ。
一流の職人は、目先の利益だけを見ないもの──。
職人気質をいつまでも忘れないあの家政長なら言いそうだ。
「ところで、小切手帳は出来ましたかね」
「もう少々お待ちください」
それからサトゥの自分語りを聞かされて、手続きが済んで銀行を出たのは三時間後。今回で全部使い切って、次の振込先は別にしてもらおう。
「〝
俺は次に、バトゥ都督補のオフィスに向かう。
昨夜の喧嘩を咎められるかと思ったが、特に何の注意もなく俺の書簡を受け取ってもらえた。内容は、前に言っていたドワーフ族からの贈答品目録だ。ティボルには悪いが、俺は贈り物の質より規模でヒロインを堕とす。
退室間際に、秘書官から一式の書類を渡された。競売入札希望要項だ。
落札希望者は、ニフリート・アゲマント・ズメイ。
「閣下とニフリート様にはくれぐれもよしなに、お伝えください」
「承りました」
俺は行政庁を辞去した。
§ § §
〝タンポポと金糸雀亭〟とは反対側の道。あえて妓娼館への道を選ぶ。
銀行を出た当たりから、誰かに
ニオイは、男性。心当たりがありすぎて誰の差し金かわからない。
「あら、いらっしゃいませ。初めてのお客様でしたかしら?」
初見のポアソン夫人は、ごく自然な微笑みで俺を対応する。
「すみません。三階の部屋空いてますか?」
「え、ええ。空いてございますけど」
「五分だけ雨宿りをさせてください」
「雨宿り?」
女主人に大銀貨を押しつけて俺は三階の階段を昇る。
三階で一番日当たりが悪いであろう部屋を選んでドアを開けた。むっとする異臭。喫煙室だったらしく、久々のタバコ臭が鼻を突いてくしゃみがでた。
小窓をそっと開けて地上に誰もいないことを確認。そこから屋根によじ登る。
(本日は、一滴の雨も降りそうにない晴天なり。とっ)
となりのアパートメントとの幅はそんなに離れていない。楽々跳躍。さらにもう一軒となりへ跳ぶ。そこで屋根を走り、レンガ煙突の陰に隠れて眼下の路地に現れた追っ手の顔をおがんでやる。
やはり男──少年だった。俺の姿を亡失して大慌てで捜し回っている。
「ヘタクソな尾行っちゃねえ」
突然の聞き馴染んだ声に振り返ると、ウルダがいた。散歩で通りかかったような軽い笑顔。
「ウルダ。どうしてここが?」
「バシャっちから狼の警護。頼まれたっちゃん」
「うわ……マジで気づかなかった」
「えへへ~。うちが本気を出せば、怖かよぉ?」
笑顔の愛くるしさで怖さが伝わらない。というか、昨夜カラヤン邸で、同世代の子らと無礼講でわいわいやってたから、本来の子供らしさが潤ったのかもしれない。いい傾向だ。
「それじゃあ、あいつは?」
「今、スコールが逆尾行しとっとーよ。やけん、狼しゃんはこのまま離脱してもよかよ」
感嘆。俺は感心した声を洩らして、顔を振った。
「はぁ~っ。二人とも頼もしくなったなあ」
「なぁん? 狼しゃん。それオジしゃん臭かぁ」
娘からそれ言われると何気に
「ウルダも、アイツを追っていくの?」
「ううん。うちは狼しゃんの護衛」
「スコールのサポート頼めない? 追っていった先が、ちょっと怖い相手かも」
「昨日、狼しゃんと喧嘩しとった家政長?」
「うん。たぶんね。ダイスケ・サナダ。黄金龍公主の家政長なんだけど。剣の腕が相当立つ」
俺は拳を見せた。真横に一本横線が入っている。魔法で傷痕を消すこともできたが、俺は残しておいた。魔法を過信した戒めとして。
「ええけど。狼しゃん、まっすぐ宿に帰るとぉ?」
「帰るかえる。戻って手紙も書かんといかんし、マクガイアさんから手紙来とるかもしれんし。あと、カプリル様がヒマでご機嫌斜めってるかもしれんし?」
「ああ、カプリルなら大丈夫っちゃ。ニフリート様おるし」
「へえ、そうなん……ええっ、なんでぇ!?」俺は悲鳴を上げそうになった。
「ん? バトゥ家政長んとこ行ったとに、なんも聞いとらんと?」
「いっちゃんなんも聞いとらんばいっ」
言った直後に、手許の競売書類を見た。もしかすると、どうやら、そういうことらしい。
「やばっ。ウルダ、ごめん。俺まっすぐ帰るわ。……いや、やっぱりいいわ」
なんかもう、いろいろ面倒くさくなってきた。
「ん?」
「あいつ、今すぐ捕まえてきて。話聞くから。拷問はしなくていいよ」
「オッケーちゃん」
俺は手を合わせて詫びてから、居酒屋のある方角の屋根へ跳んだ。
(マクガイアの次は、バトゥかよっ)
次から次へとこの国の忙しい家政長たちの責任転嫁がひどい。
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