第14話 魔狼の王(13)


 地上に出た場所は、納屋の中だった。

 薄暗くほこりっぽい屋内に、アルバストル。ロシュ。そしてグリシモンの影の軍団が木箱に座っていたり、壁ぎわに立っていたりして俺を見つめてくる。


 木板の壁を隔てた納屋の外に、カラヤン、メドゥサ夫婦。バトゥ都督補が、ひなたぼっこの体で座っていた。木板の隙間から姿が垣間見られた。


「遅くなりました。狼を連れて参りました」

 ティボルが納屋の壁越しに声をかけた。


「会合時間は、あと三〇分といったところだ。じきに侍従が声をかけにくる」

「わかりました。では、そちらからお願いします」


「うむ。七日前。オクタビア王女の使いで、アルハンブラと名乗る騎士が現れ、旧ネヴェーラ王国第一王女オクタビアの印章が入った親書が届けられた。内容は講和締結の客体(体裁のこと)を取っていた。

 公国がヴァンドルフ家と交戦した記録は三〇年来なく、鎖国の壁建設にまつわる国境侵犯として小競り合いが数回続いた。結果、壁がヴァンドルフ領に二四メンチかかった状態で建設された」


「その際の事後交渉や講和もしなかったと?」


「うむ。壁の建設予定地は両国で取り決めていた禁猟地だった。出来るだけ環境を壊さぬように高さ三セーカーの壁を張り巡らした。その後三〇年かけて壁の増設を繰り返し、十一セーカーに達して、現在に到っている」


「その後の壁についてのヴァンドルフ領の反応は」

「私の知る限り、向こうから壁を壊す行為もないし、抗議文がくることもなかったそうだ」


 対アスワン帝国政策でカーロヴァックやらシスキアやらの対応で走り回ってれば、壁ごときで揉めるのは得策ではなかったろう。むしろ、公国がアスワン帝国と繋がっている情報を掴んでいたはずだから、国境警備に回す兵を減らせた分、高すぎる壁はありがたかったのかもしれない。


「それで、提案書の内容は?」

「新ネヴェーラ共和国の打倒にむけた協力要請だ。返答期限は十四日。あと七日ある」


「その提案条件に応じない場合は?」

「共和国に荷担するものとして、敵対行為をとるそうだ」


「敵の兵力は」

「およそ四万。ただし、そこにヴァンドルフ軍二万四〇〇〇が加わる気配はないようだ」


「動かない。オクタビア王女を擁立したのは、ヴァンドルフ家ではないと?」

「そのようだ。あくまで旧ネヴェーラ王国の名において有志連合軍でミュンヒハウゼン軍を駆逐し、その勝利の暁に、ヴァンドルフ軍の協力を要請して合流するようだ」

「それでは、ヴァンドルフ家の立場はオクタビア王女に失地回復の足掛かり地は間貸しするが、軍事行為そのものには感知しない。ということですか」


 虫が良すぎるじゃないか。するとバトゥ都督補は苦そうに喉を鳴らした。


「新ネヴェーラ共和国から正式に、オクタビア王女が国王カロッツ2世の聖骸毀損きそん。ならびに宮廷魔術師のボーラヴェント殺害先導容疑で、指名手配されている」


「えっ」

「そして、ヴァンドルフ家の現当主は、元はグラーデン公爵の三男だ。それが今回のグラーデン公爵の動きにも呼応しなかったばかりか、共和国の暫定政府にも関わらなかった。事実上中立を守った形を今後も保持する目が出てきた。オクタビア王女の容疑も与り知らぬ姿勢を貫くそうだ」


「妙ですね。今動けば新共和国に恩が売れるのに、当主に何かあったのですか?」


「うむ。この反乱騒ぎでようやくその情報が漏れてきてな。ヴァンドルフの当主が呪いに倒れていることが分かった」


「呪い?」

「皮膚が岩のように硬くなり、魚の鱗のように身体を覆う呪いだ」


 また出たよ。わけがわからないとすぐ呪いだ悪魔だと騒ぎだすヤツ。


「それは、いつからですか?」

「去年のカーロヴァック攻城戦の時はすでに手足の関節部分にのみを入れて皮膚を削らなければ曲げられない状態なのだそうだ」


「なぜ、攻城戦が基準なんでしょうか」

「ヴァンドルフ家の情報が漏れ出したのが、その頃からなのだ。ちょっと待ってくれ」


 木壁の向こうでバトゥ都督補が小さなメモ紙の束をぱらぱらとめくる音をさせた。


「ん、これか。カーロヴァックに軍を動かす間際、占い師を呼んで吉凶を図らせた。すると〝凶〟と出たので、不吉に思った現当主が病状を推して兄に付いて参戦していたそうだ。

 結果。兄スペルブの身柄が作戦遂行中に敵陣に渡った。その後も戦線を維持。アスワン帝国軍を退けたそうだ。

 その功を讃えられ、スペルブの死後、ヴァンドルフ家の相続も認められたようだ。もっとも、その直後に兄の婚約者オクタビア王女を城において国許に帰る決断をしたのも彼だというから、今回の間貸し条件にしても、亡兄の顔も立て、グラーデン公爵への疑念も抱かれぬよう振る舞っている。なかなかの知略の持ち主かもしれん」


 君子危うきに近寄らず、か。兄の死を契機として、確定婚だったはずの王族との婚約は自然消滅。トラブル続きの王室と距離を置こうとしたの英断かもしれない。

 だが、トラブルに後から追いかけられる不運体質はどうしようもないらしい。


「わかりました。では、ティミショアラ幕僚の見解を教えて戴けますか」

「実は、まだ決まっていない。幕僚会議が紛糾している」


「グラーデン公爵か、オクタビア王女か、ですか。おひい様はなんと?」

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ。共闘もせぬがどちらにも荷担せぬ。と主張された。この町の領線を越えた者にのみ正義の鉄槌を下せば良い。とな。まったくそばで聞いた、みなが感服してな」


「西方都督の決定があっても、会議はいまだ紛糾しているのですよね? なぜです」

「うむ……。戦争はタダではない。旨味が多い方につけば、それだけ自分たちの所領に持ち帰る分け前も増えるからな」


 これだから軍閥政治は度しがたい。文民統制が優れているとは言わないが、国政の実権を握った一部の軍部が掲げる理想に国民が引きずられれば、それは狂気国家だ。歴史にそうなった国を俺は知っている。


「それで、俺をここへ呼んだのは?」

「〝魔狼の王〟の討伐。カラヤン遊撃隊に一任したい」


「ということは、次期大公は、うちのカラヤンということでしょうか?」

「おいおい、狼っ。いきなり何を言い出すんだ」


 カラヤンは小声で口を挿んできた。

 木壁の裏でバトゥ都督補が身じろぎした。


「狼。なにを掴んだ?」

「いいえ。まだなにも。ただ、俺には優れた知恵を貸していただける賢者が何人もいます。その方々に、面白い話を聞いただけですよ。例えば、世継ぎと神殺しは、古式ゆかしい通過儀礼だとか」


 木板の隙間からバトゥ都督補の目が、俺の目とぶつかる。

 やはり何か知ってる。とっとと〝魔狼の王〟を始末したがっている。


「狼」

「ここから先は有料です」

「何が欲しい。金か」


「大公陛下への謁見許可状を、カラヤン・ゼレズニー名義で」


「よかろう。そのためには魔狼の首級くびという土産が必要だ。時間はかかるが用意して見せよう」


「それから、ニフリート様とオラデア龍公主カプリル様との交誼を結んで戴きたいのです」

「交誼?」


「カプリル様にニフリート様と同じ四肢を中央都の許可なく得るためには、こちらの陣営について戴くことが肝要。そのために家政長ホリア・シマがいささか障害となっています」


「うむ。そのことか……カラヤンからも聞いている」


「マクガイア・アシモフが新家政長に就くにあたり、他の家政長の同意は必要でしょうか」

「確かに必要だが、絶対条件ではない。すべては大公陛下の御意のままだ」

「他に、障害となってことはありますか?」

「ある。ドワーフという種族だ」


 納屋の外でカラヤンが身じろぎした。俺は言葉を継いだ。


「なぜです? ハーフエルフは許されて、ドワーフが許されない理由とは」

「ドワーフ族は、かつて大公陛下の妻を殺害している」

「なんですって?」


 カラヤンが言った。初耳だったらしい。


「随分、昔のことになる。かつて大公陛下は、カナダという町に住んでいた」


 思わず待ったをかけそうになった。〝ハヌマンラングール〟時代前に起きた事件らしい。


「それでは、大公陛下はマクガイアをダンジョンの保守業務をさせ、また地元民のドワーフの救済のために町を発展させたことを、快く思っておいでではない。ということですか」


「狼。お前は誰かと共にあることが、幸福だと思ったことはないのか」


 突然の問いに、ひりついた痛みを覚えて顔を歪める。


「あります」

「うむ。失った時、どう思った」


「心が枯れ、半身を失いました。何も手に付かず、コップに水を溜めて飲む行為すら無意味に感じられました。俺は幸いにして、病死別でしたが」


「うむ。大公陛下は殺害による死別だった。ある日突然、つっこんできたピックアップ車両が縁石を乗り上げて歩道の家族を狙った。彼らは宗教上の紛争過程でのとして大公陛下の妻と、もう一つの家族を狙ったテロだった」


「パフォーマンス?」

「異教徒であれば誰でも良かった。当時犯人はそう自供したそうだ」


 なんだ、それ。マクガイアにどんな罪があるって言うんだ。


「その犯行がドワーフだったと?」

「私が大公陛下からじかに聞いた話ではないがな。ドワーフへの忌避心を察するのなら、それが原因だろう。ということだ」


「大公陛下の勘違い、または偽報の刷り込みという可能性はゼロではないのですね」


「陛下はドワーフ犯行説を頑なに信じておられる。当時、その町はアジア人も多かったが、地元ドワーフ族が多くの工場をもっていて幅を利かせていたそうだからな」


 納屋が静かになり、外でニフリートが畑に鍬を打つ音までが聞こえてきた。

 ドワーフ迫害に対して無関心でいる理由に、大公が怨恨を異世界にまで持ち込んでいたとは。


「その辺の事情は、ダンジョン内の図書館へのアクセス権を戴きたいのですが」

「……いいだろう。アクセスコードをティボルに持たせる。事件発生は二一世紀、九月十三日で検索をかけてみてくれ」


「了解です……ところで」

「ん?」

「どうして、おひい様は冬に畑を耕しているのですか」


 すると、バトゥ都督補はふふふっと笑った。


「おひい様がおっしゃられるのは、冬の時期に二度、土を起こしておかぬと雪や霜にやられて、土が硬くなり、春にタネを蒔いた時に根の張りが悪くなるそうだ。ゆえに冬のうちに石灰と森の腐葉土を半年以上寝かせたものを撒いて、土をやわらかくしておくのだそうだ」


「そうなのですか。そのような知識をどこで」


「ムトゥ様に命じてダンジョンから持ち帰らせたそうだ。最初はジャガイモの花を育てるつもりだったのだが、ジャガイモを腹一杯食べるにはどうすれば良いか、とお考えになったそうだ」


「実に理に適った探究心ですね」


「うむ。それが今では大豆と小麦の品種改良に余念がない。十年先の民の飢えをなくすためにと仰ってな。周りからどのように思われようと、わが主に足る御方だ」


「そうですね。ところで御家ではドワーフ族からの献上品は受け取って戴けますか?」

「ん……ああ。おひい様がお気に召されるのであれば、受けよう」


「わかりました。では、〝魔狼の王〟の件。承りました」

「お、おお。うむ。よろしく頼む」


「カラヤンさん」

「なんだ」

「夜にいつもの居酒屋で」

「わかった」


 俺は、影の軍団に合図して、納屋の地下に戻った。

 娼妓館に戻ると俺は優男に言った。


「なあ、ティボル」

「あん?」


「動物の絵って描けるか?」

「動物の絵か。まあ、人並みだな」


「それを十二種類描いて、ミスリルのブローチにしてみないか? 珍しい動物だと、ゾウやキリン、クジラやイルカなんかもいいよな。その日の気分で付け替えできるようにさ」


「あっ。おおっ。いいな、それ!」

 察しよく、おひい様への献上品のことだと分かったらしい。


「というわけで、ダンジョンの図書館まで行ってきてくれないか」

「ぐはっ。そういう魂胆かよぉ。お前、ひどくね?」


「悪いけど、身体が足りなくてさ。──ロシュ」

「おう」


「オイゲン・ムトゥ家政長が死の間際にあった時、〝翡翠荘〟陣営の派閥争いで大聖堂派と呼ばれていた人たち、覚えているか?」


「大聖堂派? カターリン枢機卿の一派だろう?」


「そうだ。毒の扱いには高い知識が必要だ。騎士派にはまず考えつかない暗殺方法だ。先に自死した給仕係の素性から、彼らを洗ってみてくれ」


「承知」

「グリシモン」

「……」

「おい、エウゼン。エウゼン・バラン」

「その名前で、おれを呼ぶな」


「お前の話は聞いてやる。だから夜までに地図を描いておいてくれ。目的地とその周辺図で二枚以上だ。詳細であればあるほどいい。その地図上でカラヤン隊長の前で事情を説明するんだ。あの人が今回の指揮官になる」


「……っ」

「お返事」

「わかった」


「うん。それで、ヴェルデは」

「現場の動物たちに、話を聞きに行くって」

「うん。わかった」


「お前、あいつの世迷い言を信じてるのか」

「おい、グリシモンっ。お前、まだ弟を無能呼ばわり──」


 アルバストルが食ってかかろうとするのを、俺とティボルが制した。


「ヴェルデはちゃんと仕事をしている。彼にももとる仕事をして、俺をガッカリさせるなよ」

 お見送りにでたつもりの娼妓館の女主人は、五人の男たちが一つの部屋から仏頂面でゾロゾロと店を出て行くのを見て、目をぱちくりさせた。




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